1-2.了架、最古に出会うのこと
深夜。
空には細い月がかかっていたが、生い茂った木々に遮られて見えない。
故に新月の夜と変わらない闇が広がっている。
闇に目が慣れ、五感が鋭敏な
いつもは鬼を追いかける側だが、今回は追われる側だ。
初めて出会う鬼に苦戦を強いられていた。
『
了架の脳裏に過ぎったのは最も古い、通称『最古』と呼ばれる鬼のことだ。
その鬼は生まれながらの鬼で、いつから存在しているのか誰も知らない。
普段鬼狩りが相手にしているのは、邪気が取り憑いて鬼となった者がほとんどで、生まれながらの鬼と対峙することは滅多にない。
人を食った妊婦からは鬼が生まれることがあると聞いたが、実際に見たことはないし、ただ人を食うだけでは生まれないという。
何か条件があるようだが、そこはまだ解明されていなかった。
だから、生まれながらの鬼というものを了架は知らない。
だが、追って来る鬼の賢さと強さは生まれながらの鬼のようだった。
感じる邪気も了架の知っている鬼とは比べものにならないくらい強い。
邪気を感じるだけで
走りながら振り返りざまに毒針を吹くが、鬼はとても素早くそれを
絶対に接近戦には持ち込みたくない了架は、とにかく針や手裏剣で足止めをしようとしたが、どれ一つ当たらなかった。
自慢の剣の腕も敵わないと分かる。
相手は武器一つ持っている様子もないが、その鋭い爪で八つ裂きにされるのは目に見えていた。
直接戦わずとも、その動き一つから圧倒的に不利であることが分かった。
だから逃げの一手しか道はないのだが、逃げ切れる自信もない。
絶体絶命である。
「くそっ」
***
数時間前。
沈み始めた日を惜し気に見、了架は軽く息を吐く。
依頼のあった麓の町から目撃談のあった山中へ入ったが、すぐに近くに鬼の気配を感じた。
普通は山奥の薄暗い場所に身を潜めているものだ。
鬼になると夜行性になり、明るい日中は日に当たらない場所や洞窟、熊などの巣穴などといった場所で過ごし、夜に人を襲ったりするのが一般的だ。
だが、ここにいる鬼は麓に近い場所にいる。
余程飢えているか、強さを誇示したいのか。
いずれにせよ危険な状態と判断し、了架は警戒しながら山中を歩く。
が、了架の予想に反した状態で鬼を見つけた。
若い女の鬼が瀕死の状態で仰向けに転がっていた。
「……何があった?」
了架は思わず鬼に問う。
が、鬼は視点の定まらないうつろな目をしている。
外傷はない。
ただ、著しく体力がなく、明らかに死が目前に迫っていた。
生命力の強い鬼のこのような状態は初めて目にする。
血肉や邪気を取り込むことで鬼は命を繋ぐが、例え数ヶ月それを絶ったとしてもこのような状態にはならない。
鬼の傍らに片膝をつき、その角と爪、牙の状態を確認する。
手首から体温と脈も感じたが、冷たく脈も弱かった。
「何があった?」
もう一度問う。
するとようやくその目が了架に向く。
そして口を開閉するが、声にならない。
少し警戒しつつ、口元に耳を近づける。
「……は、こ……で、た……」
匣?
そう聞こえた。
だが、口を開くのがやっとという状態で、喉の奥でヒューヒューと音がしている。
感覚が鋭敏で耳も良い了架だったが、鬼の言葉は聞き取りにくかった。
「……あ、けた……ら……つかまる……」
開けたら捕まる?
「開けてはいけない匣がある、ということか?」
了架が問うと、鬼は僅かに頷くように動いた。
「……か、りょ、が……くれた……」
「カリョ?」
「かりょう」
いや、まさか。
一瞬浮かんだ名に了架は心の中で一蹴した。
「……はこ、を……こわ……し、て……」
徐々にヒューヒューという音が増え、声は掠れていく。
「匣はどこにあるんだ?」
「……あ、あ……」
「あ?」
苦しそうな呻き声を発し、口を開閉させ、鬼はこと切れた。
鬼の顔を見ると、目を見開いている。
こんな死に方をした鬼は初めてだ。
すっきりしないまま、鬼を倒すという仕事は完了した。
後は死骸を片付けて町へ戻って報告を済ませるだけだ。
せしめた酒を飲みながら帰るか。
珍しく楽に終わったな、と安堵したが、どうにも鬼の話が気にかかった。
「開けてはいけない匣、か」
結局鬼に何があったのか分からなかったし、そんな匣が本当に存在するならば調べねばならない。
どちらにしろ、鬼の死因は調べる必要があるだろう。
死骸を持ち帰りたいところだが、一週間もの道程を死骸と一緒は嫌だった。
その場で腕組みをし、しばらく悩んだ挙句、
「……ここで調べて帰るしかないか」
そう結論を出した。
死骸と一緒は嫌だし、仮に鬼の言った『かりょう』が『火嶺』のことなら、秘密裏に調べるべきだろう。
火嶺を信頼してはいるが、何を考えているか分からないところがある。
それに、火嶺には半分鬼の血が流れている。
他の鬼狩りとはさほど交流を深めていないし、ましてや信用などしていない。
火嶺について相談できる相手はいない。
それがここで調べて帰ると結論づけた理由だ。
了架は大腿から短刀を一本抜き、それで鬼の角を切り取った。
続いて胸を切り裂き、心臓を切り取る。
それらを布で包み、腰に下げ、死骸は山道から少し離れた場所で荼毘に付した。
鬼の死骸は燃やし、骨は人目につかない場所、人が滅多に行かない場所に深く埋める。
それが決まりだ。
ただ今回は死因を知るために角と心臓だけ残している。
その二つを使って呪術を行うことで、死因が分かるはずだった。
だが、骨を埋める作業が終わると、辺りは暗闇に包まれていた。
先に鬼を狩り終えたことを報告に行き、仕事を終えた後でじっくり調べる方が良さそうだ、と判断した了架だったが、切り取った心臓が臭う。
少し勿体無いと思ったが、酒で血を洗い落としているとはいえ、鬼の心臓は人のよりも血生臭さが際立つ。
先に調べて心臓を処分してから行く方が何かと都合が良いかもしれない、と思い直し、托鉢に使った鉢に角と心臓を入れ、そこに幾つか持参していた薬草を入れて燃やし、呪術を行った。
その結果、燃やした炎から立ち上る煙は黒煙に変わり、一瞬鬼の髑髏のような形を取って消えた。
それは鬼が何か呪術をかけられ、しかもそれが同じ鬼から受けたものだということを示していた。
だが、火が消え、燃え残った灰から鬼狩りが使うお香の匂いが僅かにした。
火嶺、なのだろうか。
ここ最近東に出向いたという話は聞いていない。
だが、南であった仕事には一ヶ月以上かかっていた。
往復に二週間、仕事は二、三日で済むような内容だったはずなのに。
その際、東へも出向いていたとも考えられる。
火嶺に対する疑念が深まったところで、殺気を感じた。
急いでその灰を袋に詰め、その場を片付けると、大腿から短刀を抜いて構える。
暗闇に五感を研ぎ澄ませる。
この感じ。
嫌な予感がした。
人の気配ではない。
これは、鬼の気配だ。
一匹だけではなかったか。
それに呪術をかけた犯人か?
そう思って姿を拝もうとしたが、近づく気配に了架は反射的に身を翻し、走り出していた。
ヤバイ。
初めてそう思った。
勝てる気がしない。
それ程に強い邪気を放っている。
今までに対峙したことのない禍々しさに恐怖すら感じる。
全力で走る了架との距離を徐々に詰められている。
それを少しでも引き離そうと手裏剣や毒針を投げるが、どれ一つとして掠りもしない。
今までに出会ったどの鬼よりも素早く、邪気も強い。
恐らく対峙して戦うことになれば、防戦する間もなく一方的になぶり殺しにされると想像できた。
『最古』か?
これが話に聞くあの。
御伽噺の中だけの存在と思っていた、あの。
だとすれば、逃げ切れないかもしれない。
そうなれば。
『死』
その文字が頭に浮かんだ瞬間、了架の眼前が開ける。
「くそっ」
どこをどう逃げているのか、あまりに必死で分かっていなかった。
人里に逃げ込む訳にはいかなかったが、うっかり山を降りて里へ出てしまった。
が、引き返す訳にもいかない。
一瞬足が止まり、反射的に振り返ると、先程まで感じていた邪気は全く感じなかった。
一体どこへ消えたのか。
周囲を見回すが、鬼の姿はおろか、本当に何の気配も感じなかった。
助かった?
まるで狐につままれたような感覚だった。
息を整え、了架はそのまま依頼主の家へ行き、女の鬼を狩ったと報告した。
あの『最古』かもしれない鬼のことは伏せた。
『最古』は無闇に人を襲わない。
そう言われている。
それが本当かどうかは分からないが、あまり表立って姿を見せないため、長く生き延びていると聞いている。
今はそれを信じることにした。
いや、そう自分に言い聞かせた。
あれを狩るのは無理だ。
というより、自分は二度と会いたくない、と了架は思った。
何かどす黒いものが腹の底に流れ込むような気がした。
自分がこんな人間だったのか、と。
了架は薄く自嘲した。
少しでも早くこの場所から離れたい。
そんな気持ちで家路を辿り始めたが、その足取りはその気持ちとは裏腹に重かった。
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