第3話 了架

 血の臭いがした。


 鬼も人と同じ紅い血を流す。

 だが、その臭いは人のそれとは明らかに異なる。

 死の恐怖に歪む顔は、どれも人と変わらない。


 俺は何を迷っているのだろう。

 守ると誓ったのに。

 覚悟などとうにできていたはずなのに。

 何を迷っているのだろう。


 理由。


 人を斬らず鬼を斬る理由。

 人の中にも鬼の中にも良いものと悪いものがいるのに。


 なぜ人だけを守っている?


 そんな問いを投げられたのは、最初は鬼だった。

 殺し損ねた鬼に止めを刺す前に問われた。

 次に同じ問いをしたのは人間の女だった。

 俺が鬼を斬る瞬間を見た女だった。

 斬った鬼は子供だった。


 なぜ?


 その理由など決まっている。

 鬼は人ではないから。

 じゃあ、犬や猫も人でないものは全てその対象になるのか。


 否。


 じゃあなぜ鬼だけを斬る?

 分からない。

 理由が見つからない。


***


「考えごとかい?」

 剣は心を映す。

 だから春日火嶺かすが かりょうには俺の心が見えた。


「いえ。大したことでは」

「殺されかけても頭を過ぎるンは、充分大したことやと思うけどなぁ」

 見透かされている。首を落とした鬼の眼にも、俺は映っているのだろうか。


「すみません」

 俺は素直に謝った。だが、彼は不満そうだった。

「ほな、処理任せてええか? わしはちょいと用があるさかいに」

「また、旅ですか?」

「まぁな。北の方でちと揉め事や。これから寒うなるっちゅうのに、わざわざ寒い場所に呼び出さんでもええのになぁ。難儀やで」

「お気をつけて」

「お前もな、了架りょうか。遊びすぎるんも考えものやで。酒は集中力を鈍らせる。遊びで飲むんはええけど、せいぜい飲まれんようにしなや。それと女もな。邪気に気ぃつけや」

「はい」

 俺はその舌の根も乾かぬうちに、女を傍らに置いて酒を飲んでいた。


 その店に毛色の違う奴が紛れ込んだのに、俺はすぐに気づいた。

 僅かに血の臭いがした。

 俺と同じ眼をしていた。

 何かに迷いがある。


「俺と遊ばない?」

 好奇心で声をかけた。

 その時、俺は少し酔っていた。

 声をかけた時、俺の前には酒瓶が数本転がっていた。

 だから、気づくのに時間がかかった。


 邪気が近い。


 酒と女、それに邪気。全て彼の言った通りになってしまった。

 とりあえず女を帰して一つ減らす。

 なんだか癪だった。

 邪気は俺に向けられている。だが、妙だった。

 店の表に出て、それがやっと分かった。

 邪気は俺に気づいてここに在るのじゃない。彼を追ってここに辿り着いたのだ。

 彼からは同じ血を感じる。

 仲間、か。だが、認識していない。


「お前、名は?」

「今から死ぬ奴には無駄だろ?」

「残念」


 余程自信があるようだが、まだまだだな。

 確かに強いが、それだけだ。

 闇雲に剣を振るってるだけじゃ、たかが知れてる。

 それに俺は普通じゃない。運が悪かったね。

 でも、俺で運が良かった。

 じっと構えてるだけで微動だにしないのは、こちらの出方を待っているのか。

 なかなか賢い。というより、動物の本能か。

 なら、飛び込んでやるだけのことだ。剣と剣がぶつかり合う音とその感触で、お互いを知ることができるなら。

 一撃目は紙一重でかわされた。

 だが、奴は防戦に徹するしかない。

 鬼を斬る剣に人が敵うはずがないのだ。

 鬼に対峙する人間にも。


 剣の音、感触、そして、その狭間に見え隠れする相手の心と自分の心。

 同じ欠けた音がした。

 同じ虚に触れた気がした。

 だが、それでいて心は違った。

 おもしろい。


「惜しいね」


 もう少し剣を交えてみたいけど、時間切れだ。

 まとわりつく邪気が彼の背後に迫っていた。

 俺は初めて人に興味を持った。

 だから、邪気を利用した。

 俺は彼が昏倒するのを黙って見ていた。


***


 縁側でキセルを手にしていると、夜風が止んだ。

 邪気が塀の外でうごめいている。

 鬼封じの術が施されているから、塀の内側までは入って来れないのだ。

 しかもここはそれが幾重にも張られている。


 俺の師匠であり、兄でもあり、父でもあり、敵でもある、春日火嶺。


 根っこのところで同じ血は流れているが、直接的な血の繋がりはない。ただ、家族なのかもしれなかった。

 物心ついた時にはこの家にいた。彼からたくさんのことを学び、そしてここを追い出された。長くはいられぬ場所なのだと説明された。

 学校のようなものなのかもしれない。

 だから、この男をここに運び入れた。

 あの店から一番近かったのもあったが、真っ先に浮かんだ場所がここだった。


「明日は新月か……」

 新月は嫌いだ。月のない夜にあまり良い思い出はない。


香瑠かりゅう……」

 呼ぶと戸を開けて女がつい、と姿を現した。

「三月はかかるネ、無茶したネ」

「火嶺には言うなよ」

「ハイハイ、分かってますよ。春日サンは煩いですからネ」

 そう。奴は煩い。その辺は父親のようだ。くどくどと説教するのが趣味としか思えない。奴が留守で良かった。


「あ。アゲハ……」

 鬼封じをすり抜けて、ひらひらと屋内に入り、蝶はその姿を紙へと変えた。

 黒い揚羽蝶は火嶺が好んで使う式神だ。

「一月後に戻る、か」

 紙には一言、それだけが記されていた。

 彼が眼を覚ますのは三月後。どっちみち煩いお小言を聞かねばならないようだ。


「外の、どうする? 片しておこうカ?」

 塀の向こう、蠢く邪気はどこかへ行く気配はない。

「捕らえておいてくれ。これが目が覚めたときに必要になる」

「……必要にねぇ?」

 面倒は困る、と香瑠の目は訴えた。

「リュウ、仕事増やすから頼むよ」

「それなら目を瞑ってあげてもいいネ」


 仕事。

 それは鬼を狩ること。


 俺は自分の町に入って来た鬼しか相手にしない主義だ。だが、鬼を狩る人間は少ない。必然的に各地を巡ることもしなければならない。

 火嶺が北へ出向いたのもそのためだ。

 金に困った時やこういう時だけ、遠出の仕事をやる。

 近くより遠方の方が出向料を多めに取れるから、この町で仕事をするより遥かに金はいいのだ。

 その仕事を振る役がこの香瑠で、遠方に出たがらない俺をあまり良く思っていない。

 出向料の半分が彼女の取り分だからだ。

 だから、遠方へ出向くと言えば途端に態度が変わる。


「東の山で二件、今からよろしく」

「今からっ?」

「一月で済むでしょ。往復に数週間かかるからネ」

「くそっ」

 小さく舌打ちしたはずだったが、ギロリと睨む香瑠の眼が俺を刺した。


 仕方ない。

 俺はまだ深い眠りの中にある町を出、東へ向かった。


***


 一月後。

 仕事から戻ると火嶺が帰っていた。昨日着いたばかりだという。

 一足遅かった。


「うちはペットを飼う許可した覚えないんやけど。しかも二匹もな」

 二匹の内訳は昏睡したままの男と、外で捕らえてある邪気のことだ。


「外のはどういうつもりや? まだ鬼になりきれてへん、中途半端な気の塊やで? このままやと二月もせんうちに鬼にな……」

 言いかけて火嶺は両腕を組んで、心底呆れた顔をした。

「まさかわしの真似事でもしよ思うたんやなかろうね?」

 厳しい眼が真っ直ぐに俺に向けられた。


「迷いのある人間ができることやあらへん。それでもやるゆうんやったら、ちぃと仕置きが必要やな?」

「迷いを確かめるためにやるんです」

「確かめる? 人の命を道具として見るんか? せやったら出て行っとくれ。刀置いてな」

「道具とは思ってません。彼だからこの方法をとるんです」

「……それでも道具やと思うけどなぁ。外、片してきぃ。真似事するんはまだ早いわ。せやけど、邪気を用意しといたる。疑似的に造ったんやったら、お前でもやれるやろ。ホンマ強情な子やねぇ」

 火嶺は呆れかえった顔で溜息を吐いた。


「……北はどうでした?」

「ぼちぼちやったで。気ぃ悪ぃところや」

 火嶺がそう言う時はあまり良い仕事ではなかったということだ。鬼といえど感情はある。ただの化け物とは違う。だから、時には後味の悪い想いもする。

「東もけったいなことやったらしいね」

 俺の話も届いていたか。

 火嶺は地獄耳だ。


「ほな、外から戻れたら飯にしましょか」

「戻れたら?」

 しまった。

 火嶺は初めから仕置きを用意していたか。

 戻るなりすぐにそういうことだけはやる。相変わらず性格が歪んでやがる。

「頑張りや」

 ひらひら手を振って、火嶺は台所へと向かった。

 俺は仕事から戻ったばかりで、おまけに丸一日食事を抜いてるってのに。


「くそっ」

 刀を抜いて外に出ると、邪気は香瑠が造った『檻』の中で数十倍に成長していた。

 俗に結界とかいう異質の空間。

 香瑠が造る結界は馬鹿デカイのが特徴だ。

 塀の向こう、丸々町一個が結界の中に収まっていた。


 結界には規則がある。

 結界の大きさや強度は、それを張る人間の健康状態に左右される部分が大きい。

 結界を張る理由は、現在の空間に影響を及ぼさないため、もしくは何かを閉じ込めたまま、結界を閉じて消すこともできる。

 そして、結界内の時間を一時的に早めることも可能だ。

 邪気はそれを利用して成長を早めた。


「くそっ」

 俺は舌打ちをして、結界の中に踏み込む。


 結界には相性というものがある。相性が悪ければ弾き出されることもある。俺は香瑠との相性はあまりよくない。

 それでも、香瑠に結界を張ってもらうことはしょっちゅうだったから、自然と香瑠の結界に溶け込む術を身につけざるをえなかった。

 だが、それでも相性が悪いことに変わりない。

 だから、長居はしたくなかった。


「さっさと終わらせようか」

 そうは言ってみたが、そう簡単にいくはずがない。なにしろ、これは火嶺が用意した仕置きなのだから。


「私を殺すの?」

 鬼は大きく醜く成長していたが、その声はか弱い子供の声だった。

 声音にだまされはしない。

 鬼は鬼だ。

 人じゃない。


「殺さないでっ」

 姿を変化させる。

 人の、小さな子供の。

 迷う必要はない。

 これは鬼だ。

 でも、なぜ言い聞かせている自分がいる?

 剣を握る手に力が入るのはなぜだ?


 一太刀。

 血が舞う。

 だが、狙いは外れた。


「死にたくないよ」

 鬼も幼いなら、良き道へと導いてやれないのか。

 だが、それは所詮無駄なことだと知っている。肉食獣を草食へと変えることはできないように。

 人も肉を食べるのに。

 人も犠牲を払って生きているというのに。

 なぜ鬼だけを?

 それでも鬼を斬る。


 火嶺。

 あんたが正しいというなら、俺はあんたが進む道を歩くと決めた。

 だが、本当にこれは正しいか?


 爪が肌を掠める。

 牙が襲いかかる。

 それでも、俺はまだ躊躇いを捨てきれない。

 本能で生きている奴を殺す。

 鬼だから殺す。

 邪気がまとわりつく。

 俺の迷いに反応している。

 このままではまずいことは分かってる。それでも、邪気を振り切る力が俺にはない。

 空腹で、疲れていて、心は乱れている。

 邪気が好む状態にあった。

 自分の迷いを確かめるためにここにいるのに、迷いに飲まれていく。

 これじゃ意味がない。何のために俺はっ。

 振り切るように刀を大きく振った。

 迷いを切り裂くように、ただただ刀を握った。

 夢中で振り回している間に、鬼は地面に転がっていた。

 首を落とせば終わりだ。

 そこでやっと俺は我に返った。


「助けてぇ……」

 ごめんなさい、と鬼は言った。

 子供の姿を保てず、元の醜い姿に戻っていた。

「楽にしてやる」

 俺は首を落とした。

 しばらくその場で鬼を見下ろしていた。


「……終わったなら出てくれない?」

 香瑠に言われ、俺は黙って結界を出た。

 香瑠が両手を胸の前でゆっくり合わせると、結界もそれに応じて閉じられた。

「元通り。傷一つ残ってないネ」

 嬉しそうに香瑠は言って、春日が呼んでたよ、と俺を振り返った。

 俺は剣を振って血を落とし、鞘に収めて縁側から中へ入った。


「火嶺。どれくらい時間かかった?」

「一週間もかかってへんよ。まあまあお前にしては上出来なんちゃう?」

「上出来ねぇ」

「不満か? ま、そりゃそうやろ。ここでずっと見とったけど、なんやの、あの無茶っぷりは? あれでわしの真似事しよ思うとったんが信じられへんわ。どっからそんな自信が湧いてくるんかねぇ?」

「予定は変更するよ。それでいいだろ?」

「おまけにちっともわしの意図すること汲み取ってへんわぁ。何のための仕置きや思うとんの? 迷いがあるうちは仕事に行かされへんし、外にも出されへん。そんな状態で邪気に憑かれてもうたら、どないなことになるか考えてみぃ。今のお前にペット飼う資格はあらへん。ちっとは自覚しぃや。目ぇ覚めたら出てってもろうて。一応、呪符は持たせて出しぃね」

「ま、待って下さいっ。あいつは俺達と……」

「それが何やの? あの程度の血ぃなら五万とおるわ。そんなんいちいち仲間にしとったらキリあらへんで。わしは世話するつもりあらへんし、お前が世話するんやったらお前も一緒に出て行き。それがわしの結論や」

 有無を言わさぬ物腰で、火嶺は部屋を出て行った。


 時々火嶺がとても冷酷に思える。

 火嶺の肩にはたくさんの命がかかっているから、その責任を果たすためには冷酷にならなければならないこともあるだろう。だが、俺は時々口に出してはいけないことを口にしたくなる。


 火嶺は鬼と人の間に生まれたから。

 鬼の血が流れているから。

 だから、火嶺は。


 でも、火嶺が誰よりも人の情に弱いことも知っている。

 火嶺は悩まないのだろうか。迷うことはないのだろうか。


 人を斬らず、鬼を斬る理由。


 それを火嶺は持っているのだろうか。


「ほな、仕事行って来るさかい。邪気払いきちっとしときぃね」

 翌朝。火嶺は香瑠にだけそう声をかけて出て行った。

 仕事といっても今朝は貸し本屋の仕事だ。

 情報集めが目的の昼間の仕事だ。本業が鬼狩りだと知れると町にいられなくなるのが常だ。鬼を呼ぶ、と恐れられているからだ。

 鬼を呼ぶことはないが、邪気を寄せることはある。邪気を寄せすぎると、それが人を鬼へと変化させることもある。

 なので、常に邪気払いといって、邪気を払う術を張っている。


 香瑠は昼間は遊郭の下働きや近所の茶店の手伝いをしている。

 だが、彼が昏睡している間はその看病でそれも休んでいた。


 俺は。

 いろんなことをしてきたが、今は鬼狩り以外、何もしていない。

 普通に働くことができないからだ。

 俺の五感は人より優れていて、見えなくていいものや聞きたくないことに敏感になって、仕事に集中できないのだ。

 今はそれもどうにか統制できるようになったが、それでもやはり気を抜くと仕事にならなくなる。


 香瑠は人ではないらしいし、火嶺も半分鬼の血が流れているから、人としての普通の生活が苦にならないんだろう。

 だから、なのか?

 だから俺だけがこんなに迷うのか。


「何考えてるか知らないけどネ、ボーッとしてるだけなら、彼の看病すればいいネ」

「俺が?」

「そう、俺がっ。鬱陶しいネ」

「……お前はよく平気だな」

「何が?」

「鬼を斬ったりすることだよ」

「鬼は人を襲う。襲って来るなら、身を守るために斬らざるをえないネ。動物だって自己防衛のために相手を傷つける。当然ネ」

「でも、命乞いする奴だって斬るだろ?」

「命乞い? そりゃ当然ネ。誰だって死にたくないネ。でも、それだけのことをしてるんだし、改心するわけないから仕方ない。元々人間だったとしても、どんなに善人だったとしても、鬼になったら終わり。斬ることでしか救われないネ。本能で人を襲うから。腹が減れば見境もなくなる。仕方ないネ」

「じゃあ、俺は火嶺も斬らなきゃならないのか?」

「……そうネ。完全に鬼になったら、斬るしかない。私も鬼。限りなく鬼に近い生き物。だから、私も斬られるネ」

「なんで生かされてる?」

「私は特殊だから。いつか話すから春日サンには聞くな。いいネ?」

「なんで……?」

「春日サンが泣く。だから聞くな。そしてもう一切この話はするな。返事っ」

「あ、ああ」

「分かった?」

「分かった」

 いつもと違う気迫に圧倒された。

 火嶺は一体どんな道を歩んできたのだろう? 鬼の子として、一体どんな……?


「はい」

 少し迷う素振りを見せて、香瑠は俺に一枚の紙を手渡した。

「春日サンが了架にって。仕事……」

「仕事?」

「答えを見つけておいでって」

 答え。

 俺は紙を握り締めて飛び出していた。

 紙には町外れの林へ行けとだけあった。

 そこにどんな鬼がいるのか。

 息を切らせて辿り着くと。


「やあ」

 火嶺がいた。


「なんでっ」

「仕事や。鬼はわし。半分でも鬼の血ぃが流れとる。お前の仕事の範疇や」

「でもっ」

「身内やからとか問題あらへん。鬼は斬る。それが仕事や」

 冷たい目がこちらを真っ直ぐ見据えていた。


「わしもおとなしく斬られるつもりはあらへん。抵抗するよ?」

 初めて見る春日火嶺がそこにいた。

 爪と牙。そして、小さな角が。

 半分だけでも鬼に変化できるのか。

 目が金色に光る。

 昼間だというのに、肌寒い風が吹いていた。


「斬らへんの?」

 ニッと笑んで、火嶺が飛びかかって来た。

 俺は鋭い爪を避けるのが精一杯で、ただかわすことだけに集中した。


「攻撃せぇへんの? わしは鬼やで?」

「できるかよっ。だってっ」

「だって?」

「あんたは俺の恩人だしっ」

「恩人やろうと恋人やろうと関係あらへん。鬼になったもんは斬る。それが仕事やと教えたろう?」

「でもっ」

 できないっ、と俺は剣を捨てた。

 火嶺の爪が俺の肩を裂いた。


「……やっぱお前にこの仕事向いてへんなぁ」

 肩を裂かれる瞬間、目を閉じた。

 再び開くと、人の姿に戻った火嶺が立っていた。

 申し訳なさそうに俺の肩口に視線が注がれている。


「ったく、ホンマに強情な子やね」

 呆れて笑っていた。


「誰もが通る道や。悩めへん奴ならここにおらん。理由なんかな、己の心一つで充分や。経験が答えを出してくれる。鬼を逃がしてどうなったか、自分の目で確かめてみぃ。鬼に情を移した結果を見てみぃ。それで鬼が何か分かるやろ。共に生きることができるか否か。せやけど、絶対に奢っちゃあかんよ。鬼の命運を自分が握っとるなんか思わへんことや。わしらは神サンやない。そんな大それたモンやあらへん。自分を守るンで精一杯の非力なモンや。そのへんをわきまえて剣を握りや。戦いの最中に剣捨てるなんか言語道断やで?」

 火嶺はそれでも嬉しそうに笑っていた。

 俺は何がどうしたのか分からず、ただ、火嶺が俺を試していたことだけは分かって、なんだか気分が悪かった。


「すっきりしたやろ?」

 言われてみれば、さっきまでのもやもやしたものは消えていた。

「自分の心にギリギリのところで向き合ってみる。一番大切なことや。剣を握れるな?」

 俺は強く頷いた。


 鬼だから、人だからじゃなくて、自分と誰かを守るためだけに剣を振るう。

 俺は火嶺が鬼でも人でも彼に剣を向けることはできなかった。


「でもな、いつかは大事な人に剣を向けんといけん時が来る。それも分かっといてぇな」

 誰かが鬼になる時、それが大事な人だった時。

 俺はそれでも剣を握る。

 その覚悟はできた。

 それが崩れないよう揺るがないよう、経験を積むだけだ。


「……経験だけじゃどうにもならんこともあるけど、今はこんなもんやろ」

 火嶺がそうぽつりと言ったのを、その時の俺には聞こえなかった。


***


 二月後。

 目を覚ました彼に俺は鬼のことを話した。


 彼の中に自分と似た迷いを見つけた。

 でも、彼なら乗り越えて来る。

 そう思ったから、彼と一緒に仕事をしたいと思った。


「陣だ」


 覚悟を決めた彼の眼。

 それに俺も応える。


「了架だ」


 俺は改めて自己紹介した。

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