第2話 陣

 理由。


 それを探すとなると結構骨が折れる。

 気づいたらこうなってて、流されるようにここまで来た。


 その理由なんて、ない。

 ただ、生きるために。

 きっとそれで充分だろ。


 でも、それは違う、とあっさり否定された。

 どこまでも俺はカラッポなのだと言われた。

 そして、この先は理由が必要だと。

 理由もなく流され続けることは許されないと。


 俺の生き方を人にどうこう言われる筋合いはない。

 だが、理由はやっぱり必要かもしれない。

 理由がある奴の眼はどこか違うから。

 時々、それが恐怖にすらなる。

 そんな強さを俺は求めていた。


「人殺しっ」


 そんなのどこでだって日常的に起こってることだろ。今更なんだよ。

 恐怖に浮かんだ表情。命乞いをする眼。

「うぜぇ」

 また血が散って広がって。

 心がカラッポになる。


「約束の金だ。また頼むよ」

 僅かな金がそこに転がる人間の命の代金。

 俺は人を殺す仕事をしていた。


 武器は剣一本。


 流派はない。我流でここまできた。自分より強い人間に会ったことはない。

 ただの井の中の蛙だ。

 まだ広い場所を知らない。

 だから生きている。

 ただそれだけのことだ。


「明日は新月か……」

 一番仕事がしやすい夜になる。

 大口の依頼が舞い込むのを期待してその場を離れた。


***


 狭い店の中はバカな奴らでいっぱいだった。

 酒臭い中、俺は奥の席に一人座った。

 酒を頼むと女の絡みつくような甘い声がした。


「ねぇ。何して遊ぶぅ?」


 バカな女を連れた男が隣の席で呑んでいた。

「……何して遊ぼっかぁ」

 男は俺を見ていた。

 眼は合わないが、全身で俺を観察していた。

 好奇心が彼を支配していた。


「うぜぇよ」


 俺は彼の前に立った。

 彼もバカな男だったが、それはフリでしかない。

 俺には研ぎ澄まされた牙のように見えた。

「モテないのを僻むんじゃねぇよ、坊主」

 坊主、か。

 余裕がある。

 バカな女はくすくす笑う。

「俺と遊ばない?」

 彼は真剣に俺を見上げた。

 女は声を上げて笑った。


「上等だ」

 俺は負けず嫌いだ。

 挑発には乗ってやるし、売られた喧嘩は必ず買う。


「お前、帰れ」

 男は鬱陶しそうに女に言い放ち、女は男の表情に怯えていそいそと店を出て行った。

「お客さん……店ン中ぁやめてくださいよ……」

 さっきまで騒いでいた店の中が静まり返って俺達を見ていた。

 給仕をしていた娘と女将はいつのまにか店の奥に姿を消していた。

 その中で店主が弱々しく俺を見ている。

 その視線に促されるように俺達は表へ出た。

 往来を行く人々も俺達の雰囲気に逃げる者もいれば、遠巻きに立ち止まって様子を伺う奴まで様々だった。


「お前、名は?」

 構えた瞬間、男は実にくだらねぇことを訊いた。

「今から死ぬ奴には無駄だろ」

「それは残念」

 男は自分が死ぬとは微塵も思ってない。むしろ、『残念』という台詞は俺へ向けられたものだった。


 むかつく。


 剣の腕も俺より上かもなんて。

 構えただけでそれが分かっちまうなんて。


「さっきまでと違うね。俺が飛び込んで来るのを待ってンの?」

 ニイッと男は楽しそうに俺を見、次の瞬間、俺の間合いに飛び込んでいた。

「くそっ」

 紙一重のギリギリでかわして、生まれて初めて俺は防戦一方に徹しざるをえなくなっていた。

 対する男は余裕だった。

 身のこなしの速さは尋常じゃない。コレが人間の動きか、と疑いたくなる域だ。

 奴の連撃を弾いて、やっと間合いの外に飛び出す。

 こっちは全身で息してんのに、奴は息一つ切れてねぇ。


 ありえねぇ。


 浴びるほど酒を呑んでたのに。俺はまだ一杯も空けてねぇってのに。

 何なんだよ。


「惜しいね」

「あ?」

「君の剣は我流だろ? 誰の教えも請うことなく、そこまでやれれば上出来だ。身体能力もずば抜けている。だが、残念だ。君には決定的に欠けているものがある。それを埋めない限り君はそれ以上強くはなれないよ」

「俺にあんたみてぇにどこそこの流儀でも身につけろってか」

「違うね。だから君はそれ以上強くなれない。どこの門を叩いたって同じことだ。欠けているものが何か分からないままでは、君はすぐに死ぬよ。これまで死ななかったのは運が良かったというだけだ」

「運だと?」

「そうだ。現に今だって運がいい。相手が俺だから。普通なら死んでる。それは君が一番よく解ってることだろ」


 確かに。

 こいつは本気じゃない。俺とただ遊んでるだけだ。

 殺す気だったら俺は数秒で死んでた。

 でもそれを認めてやるわけにはいかない。

 そんなあっさり納得できる程、俺の頭は単純じゃない。

 むかつく。


「運かどうか試してみろよ」

 俺は安い挑発をした。挑発にすらなってないことを知って、それでもした。

 笑い飛ばすと思った。

 でも、奴の表情はとても険しくなった。


「惜しいよ」

 次の瞬間、俺の視界は真っ暗闇に堕ちていった。


***


 死んだ。


 そう思った。

 絶対死んだと、そう思った。


 眼を開けたらボロい天井があって、薄っぺらい布団に寝かされてて、死人みたいな白い着物を着せられてた。

 地獄か、天国か。

 どちらにせよ庶民的で現実と変わンねぇなと思った。

 戸の向こうに人の気配がして、慌ててその辺を探った。刀はなかった。


「あ、起きた?」

 戸が開いて、鬼でも出て来るかと思ったが、若い女が盆を手に入って来た。


「……ここは?」

「春日サンとこ。一番近いの、ここだった。残念だネ。でも、春日サン、旅に出てるみたいで、当分戻らないみたいだから運良いネ」

 お薬、と言って差し出されたのは、白い粉末と白湯だった。

「頭打ってるから一応ネ。うちの爺やが調合したものだから、効き目抜群よ。ちょっと苦いけどネ」

 薬をなんとなく受け取って、俺はぼんやりした頭で考えた。

「毒じゃない。君を殺そうと考えてるなら、今ここに君はいない。手当てして殺すなんて意味ないネ」

 そんなことは考えなかった。

 ただ、俺はなんで生きてるんだろう、と考えてた。


 助かった。

 いや、助けられた。

 遊びだから?

 殺す価値もないってのか。


「あんたは?」

「あー。自己紹介ネ。私はリュウ。春日サンの一番弟子で、隣町の遊郭で下働きをしてるネ」

「カスガってのは遊郭の……」

「いえ。春日サンは貸し本屋。遊郭には出入りしてないネ」

「俺を助けたのは?」

了架リョウカサン? 彼は……遊び人ネ」

「遊び人って、それじゃあ飯食えねぇだろ」

「イロに食わせてもらってる、つまりヒモネ」

「ただの遊び人じゃあねぇだろ? 刀持ってたぞ?」

「ただの遊び人ネ」

「そうかい」

 俺は薬を置いて、白湯だけを飲み干した。


「なぜこの町に来た?」

「別に。俺は……」

「探し物ならないよ」


 え?

 俺が訊き返す前に、女は盆に空の湯飲みと薬を乗せて出て行った。

 何か気に障ったのか。

 女の背は怒っていた。


***


 眼を……覚ました。

 また、眠ってたのか。

 部屋が暗い。

 夜なのだろう。

 起き上がって周囲を手探りで……


「俺の……」

 刀があった。

 鞘から僅かに刀身を抜く。

 研ぎ澄まされた刀身。

 そこに映る自分の顔。


「ひでぇ……」

 本当に酷い顔をしていた。


「理由、ねぇ……」

 カラッポの顔がそう呟いた。

 刀を鞘に戻して俺は立ち上がる。

 頭が僅かに痛む。

 包帯が巻いてあったが、それを外して戸を開けた。


 誰もいない。

 静まり返った屋内に人の気配はなかった。


 縁側から裏庭へ。

 そこから塀を越えて外へ出る。


 人がいない。

 今が何時なのか分からなかったが、草木も眠るって時間なのだろう。

 月がやけに大きく頭上にあった。

 細い鉤爪のような月。


「二日は経ったってのか」

 明日は新月。

 そう思っていた。

 月があるってことはそれを過ぎたということだ。


「くそっ」

 舌打ちして走り出そうとした時だった。


「どこへ行く?」

 人の気配なんてどこにもなかった。

 その俺の背後に奴はいた。


「了架、だな?」

「ああ。世話になった礼くらいあるだろ」

「そりゃ、ありがとよ。でもな、あんたの遊びに付き合ってる暇はねぇ」

「遊び?」

「そうだろ。お前を殺そうとした男の手当てなんかして、何考えてる?」

「別に。怪我をした人間を介抱するのは普通だろ。それに俺はお前を殺すつもりはない。売られた喧嘩を買っただけ。殺し合いじゃない。喧嘩だ。それに……」

 そこで男は口ごもった。

「それに? 何だよ?」

「俺のことに巻き込まれた人間を捨て置く程、鬼畜じゃないんでね」


「お前のこと?」

「お前は三月寝込んでいたんだよ」

「三月? 嘘だろ。二日じゃ……」

「三月だ。薬は飲まなかったようだが、白湯だけでも飲んでくれて助かったよ」

「何をした?」

「同じ薬を溶かしておいた。喉は渇いていると思ったからね。三月も何も口にしていないと、さすがに白湯は飲むだろうと」

「腹は減ってねぇ」

「だろうね。リュウが頑張ってたからな」

「何を……?」

「あの白湯と同じものをお前の胃に入れていた」

「胃に?」

「強い邪気というのは普通の人間が触れると昏睡して死に至る。だが、お前の生命力の強さには驚かされた。リュウはお前を認めたようだが、春日が戻らねば話にならない。あれは煩いが俺らの主だからね、一応」


「邪気とか主とか何の話だ? さっぱり見えねぇ」

「言って信じるような話ではない。だから、見ておけ。そして理解しろ。選ぶのはお前だ」

「選ぶ?」

「俺らの仲間になるか、否か」

「仲間?」


 ニイッ、と奴はまた余裕の笑みを浮かべて剣を抜いた。

 俺も剣を抜いて構えようとしたが、構えるより速く奴は俺の後ろの何かを斬っていた。

 振り向くと血飛沫を浴びて立つ奴がいて、その足元には子供が転がっていた。


「何の……仲間だ?」

「鬼退治」

「鬼? こんなガキ殺して何……」

 ほざいてンだ、と言おうとして俺はそいつの足元から眼が離せなくなっていた。

 体を真っ二つに斬られたはずの子供の上半身が動いたからだ。


「リョウ、よくもっ」

 子供はおよそ子供のものとは思えぬ低い声で咆哮した。

 獣の声だ。


「鬼にどんなに深い傷を負わせても無駄だ。鬼を殺すには首を斬り離すことだ」

 剣閃というものを初めて見た。

 今までにも見たことはあったが、これほどしなやかでそれでいて鋭いものを俺は見たことがなかった。

 それは美しくすらあった。

 子供の頭が宙に飛んで、血飛沫が線を描いた。


「鬼はいる。昔からずっと生きながらえている。人に姿を似せて人に溶け込んで。光あるところに闇が必ず生じるように、鬼も常に俺らと共に在る。そしてそれらを狩る仕事を請け負ってる一族もまた、昔からずっと存在している。それが俺達だ」

 そんな話……目の前で実際に見たって信じられるか。

 頭がそう叫んだ。だが、そのずっと奥で信じている俺がいた。


「仲間になるなら洗礼を受けてもらう。刀も武器も薬もそれ用に揃える必要がある。お前にはその素質がある。僅かだが俺達の血も引いている。だから、勧誘目的でお前に声をかけた」

 あの時の好奇心の正体はこれか。

「ここから先は戯言抜きだ。鬼ならば子供だろうと女だろうと容赦はしない。相手が子供だからと手を抜くことも許されない。なぜなら鬼は人とは異なるもので、人より数倍も強い。手を抜けば即命取りになりかねん。おまけに、自分の身を守るだけじゃなく、町を守ることが優先される。手を抜けばそれだけ誰かの命が消える。そんな世界に足を踏み入れる覚悟はあるか?」


 理由。

 剣を握り、振るう、理由。


 ただ、生きるためだけじゃ駄目で、おまけにこっから先は理由がなきゃ握る資格はないと言われた。

 俺に剣をくれた人の言葉だ。

 俺がその人の元を出て行く時に言われた言葉だ。

 俺はその人よりも強くなった。

 その人は剣をくれただけで、扱い方は一切教えてくれなかった。その人が俺の中で最強だったけど、我流でその人よりも強くなって、俺はそこを出た。

 意味ねぇって思った。

 弱い奴と一緒にいても意味ねぇって。

 だから、生きるためと強くありたいってため。

 それが俺の理由だった。


 井の中の蛙だってのはよく知ってる。自分の実力が最強だとは思っちゃいない。だが、やっぱり俺は自分が最強じゃないかと思っていた。

 こいつに会うまでは最強だったから。

 俺より強い奴なんかいないと思った。どの町へ行ったってそんな奴に会わなかった。

 でも、俺は会ってしまった。

 自分より強い奴に。


 そしてそいつの強さはその覚悟にある。

 そいつの理由は町を守ること。

 人のために振るう剣だから強いのか。

 俺は自分のためにしか振るってこなかった。


 なら、こいつに近づくにはこいつと同じ覚悟と理由があればいいのか。

 なら。

 迷うことなんかあるか。


ジンだ」


 俺は自分の名を名乗った。

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