18「想っているの?」

「ミハエル」

「サトミさん?」

 後方へ退いたミハエルの前に里見が立つ。

「あとは任せたわよ」

「サトミさん!」

 ゆっくりと里見が歩いて唯に向かう。里見はほぼ無防備だ。もし一撃でも唯の攻撃が当たってしまえば、どうなるかは容易に予想がつく。

「無理です」

 ミハエルは最初、里見が応戦するのだと思っていた。

「……貴方には、できない!」

 しかし、すぐに里見が何をしようとしているのかに気づく。

「できなくても、やるしかないのよ」

「しかし」

 自分がユーゴに言ったことと同じような言葉を里見に言われ、ミハエルは返す言葉が続けられなくなってしまった。

「そうすれば、サトミさんは」

「わかっているわよ」

 自前の万年筆を立てて、スケッチするときのように唯とのピントを合わせる。

「全滅よりはいいでしょ」

 唯は自分の頭を両手で抱えている。宝物の効果がゼロというわけではないようだった。無差別に攻撃をしてくる様子はない。

「ふうん」

 屈んで足元に手をやる。

「破片でもないよりはマシね」

 里見が砕けてしまった球体の欠片を左手で掴む。

 ミハエルはもう里見を止めることはしなかった。そもそも、今この場で一番動けるのは里見だから、ミハエルにはそれを止めることすらできない。

「あなた」

 里見がユーゴを指さす。

「へ?」

「援護しなさい」

「あ、はい」

 命令口調に思わずユーゴが返事をしてしまう。

「それとあなた」

 今度は穂波のそばにいた東雲を指さす。

「何か他に面白いものはないの?」

「は?」

 明らかに人に物を頼む態度ではない高圧的とも取れる里見に、東雲も嫌悪の表情を隠そうともしなかった。

「あなた、道具使いの東雲でしょ、道具の扱いに長けるが、自身は魔法の一つも使えない家系」

「……そうですが」

 東雲が先ほどよりもムッとした顔をする。

 東雲家は、魔術師の家系ではない。宝物を始めとした特殊な能力を持つ道具を扱うことに特化した、いわば研究者の家系だ。道具はその来歴、扱い方を理解しているかで、効果が格段に変わってくる。それを最大限に活かすことができるのが東雲家だった。

「なんか、キャラが被るのよね」

 東雲家は魔術を使えないため、魔術師からは疎んじられ、軽んじられている。それは、自身そのものでは魔術を使えない欠陥の里見と似ていると思ったのだ。

「そうは思えませんが」

「早く、出し惜しみしている場合じゃないわよ」

「課長」

 東雲が横にいる穂波に意見を求める。

 それに穂波にうなずいただけだった。

「仕方ありませんね」

 東雲はスーツの内ポケットから手のひらほどのドーナツ状の円盤を取り出した。それをフリスビーのようにして里見に投げる。

 正確に胸に届いた円盤を里見がペンを持つ右手で受け取った。

「これは?」

 音楽ディスクのような形状をしていた。両面が光に反射している。

「『サラサーテの盤』です」

「どうするの?」

「持っているだけで、他人から見える姿を不安定にすることができます。簡易版なので、第六にも効果的かはわかりません」

「そう、まあ、これもないよりマシか」

 渡されたそれを里見がポケットにしまう。ミハエルから見える里見が揺らいでいるのがわかった。

「愛、君は何をするつもりなんだ」

「何って、あの子を止めに行くのよ」

「でも、どうやって」

 首を小さく傾げて、里見は敵同士であったはずの穂波に微笑んだ。

「ああ、トレヴィの気持ちってこういうものだったのかしらね」

「愛!」

 それで、里見が何をするつもりなのか穂波にも伝わった。

「待って、愛!」

「薫、あんたにも役割があるのよ」

「僕は、また……」

 穂波の顔が震えていく。

「まず、その千命の指輪をちょうだい」

 その言葉に従って、穂波は自身がしていた指輪を投げる。それを里見は右手の指に嵌めた。

「それから、一度でいいから、私を防御して。ほら、あのときみたいに後方支援は得意でしょ」

「嫌だ、嫌だ、僕は!」

「あんたね、この事態を引き起こした責任をもうちょっと感じなさいよ」

「それでも、僕は、これ以上……」

「はいはい、泣き言はあとあと」

 これから為そうとすることとは正反対に、軽い声で里見が言う。

「ミハエル、あんたは休んでいなさい。そして、どうか、成功したら、イーアスによろしく、報告して」

「……わかりました」

 ミハエルはもう止める気はない。

「これで、作戦会議は終了。実行するわよ」

 簡潔に言って、里見がすべてをとりまとめた。

「それじゃ行くわよ、じゃじゃ馬」

 唯に向かって真っ直ぐに駆け出した。

 唯は甲高い叫び声を上げて羽を広げる。

 里見を敵として認識したのか、身体の向きを変えて、里見に向く。ミハエルのように耐久性があるわけでも、ユーゴのように実質的な不死身でもない。もし、唯に触れられようでもすれば、それで終わりだ。

 足を右に変え、跳ねる。

 里見の背後にいたユーゴがナイフを投げ、すぐさまヴァンデッドを走らせる。ナイフが効かないことはすでに実証済みだ。ヴァンデッドが唯の足に絡みついて、足元を掬おうとする。

「引け!」

 唯がぐらついた。

「やべ、こっち見た」

 傾いたまま、唯はユーゴを見る。認識された、というだけで悪寒がユーゴの背中に走る。唯が右手をユーゴに向ける。それを距離を保ったまま、握る。

「くっ、マジか」

 ユーゴが自分の首を両手を抑える。何かが、首を掴んでいるのだ。

「あ、あ」

 そのまま唯はユーゴをくびり殺した。だらしなく力が抜けたユーゴが崩れ落ちる。数秒が経って、ユーゴが生き返って咳をする。

「ゲホッゲホッ、正真正銘の化け物じゃん」

 ヴァンデッドは唯の足から緩んでいる。

 ユーゴだから復活できるのであって、その他の人間ならもう終わりだ。

 跳ねた里見が、唯との距離を詰める。

 唯が里見を指さす。

 里見がいた場所が青く燃えた。

 が、わずかの差で里見が右に避ける。東雲のサラサーテの盤の効果だろう。左腕に激痛が走った。炎に焼かれる痛みではない、もっと内部が壊れる感触だ。もう左腕は使い物にならない、と思ったが、もう使い物になる必要もない。右手さえ守り切れば、それで良かった。

「だけど」

 砂塵の檻の破片を持った左手の力が抜けていく。

 何も、無駄にできない。

 よろけてしまった里見を、唯がじっと見る。

「いい目で見てくれるわね、唯」

 もう里見の知っている唯ではない。

 唯が手を上から下へ振った。

 コンクリートの地面が押し潰されて地割れができ、その波が里見を襲う。

「薫!」

 波を遮るように、穂波のビーストが数体現れる。

「ちっ」

 穂波が舌打ちをした。

 ビーストが唯の攻撃の壁になった。

 一瞬だけだ。

 波の勢いは完全に消え去っていない。

 残ったビーストが二体、唯に飛びかかる。

 そちらの気配を感じたのか唯が里見から目を離す。

 ビーストが唯に噛み付く。

 それに動じる様子もなく、子猫を撫でるようにビーストに触れる。

 ビーストが霧散していった。

「封じろ!」

 壊れた左腕を肩だけで振って偽天蓋の檻の破片を投げつけた。

 破片が真っ直ぐ唯にぶつかる。

 周囲に飛び散った破片が光り、唯にぶつかった破片に集まった。

 ピタリ、と一度目の封じ込めと同じように唯の動きが止まった。

「う、ううう」

 唯が呻く。

「ああ!」

 両手を振って、檻を再び破壊した。

 一度壊れた檻に完全球ほどの力はなかった。

 駄々をこねるように唯が手を振る。

「ヒエロ、頼むわよ!」

 里見が取り出した本を、唯が振り上げた右手にぶつけた。

「耐えて!」

 特製の本も、里見を守ったのはわずかな時間だった。本は青く燃え尽きて、完全な灰になってしまった。

 唯の左手が拳を丸めて、里見の左肩を叩く。

「ぐ、ぐぐ」

 骨ではなく、細胞の一つ一つが潰れていくのを感じる。

 ここまでは、想定内だった。

「いくわよ」

 右手でペンを持ち、指輪の能力でエーテルを圧縮して、接した唯との間に壁ができたかと思うほどの高濃度エーテルの空間にペン先を突き立てる。

 自分ができる可能な限りの高速で、里見は万年筆を走らせ、魔術を記述する。

「抑えられ

 空の青さに叫びをあげようにも

 枝や蔓にひろがらず

 幹ばかり

 閉じられた形ばかりが

 高々とふるえていて

 一つのカーブ」

 カリカリと文字が空間に書き込まれていく。

 もしものときのために、暗記しておいた魔術だ。

 それは、一年前の美咲が見せた魔術。

 異変を感じ取った唯が、空間ごと掻き消そうと羽を大きく広げ、羽毛が唯を包もうとする。

 その羽毛が、幾重にもなって、里見の全身に突き刺さる。

 身体の内部へ侵食していく痛みだ。

 羽が動き、そのまま潰そうとする。

 里見は避けようとはしない。避ける時間もないのだ。

 ユーゴがヴァンデッドを走らせ、唯を打つ。

「頼む!」

 羽の向きが少しだけ変わり、里見の左半身を砕けさせるだけで済んだ。

「まだよ……。馬鹿娘」

 意識が飛んでしまいそうになるのをなんとかこらえて、里見はぐるりと唯を囲むように足を引きずらせながら、魔術を書き続ける。

 魔術構成はおおよそ理解している。

 だったら、自分には再現できるはずだ。

「かりんの実は逃げる

 種子殺しの木よ

 そして稲妻の祝福の破壊の手が

 私の軸を巡ってざわめき

 かつて木であった存在の

 その統一を分断し

 ばらばらに分かつのいつ?

 そしてポプラの森を見たものがあるのだろうか?


 はなればなれに

 樹冠のひたいには叫びの傷痕をとどめ

 その傷は夜も昼もやすみなく

 庭々の

 においレセダの香に染み込んだ

 甘美な

 裂けゆく終末の上に揺れ

 その根が吸いその樹皮が喰うものを

 死んだ空間の

 あちらこちらへさしのべる」

 唯を一周して、里見の記述がすべて終わった。

 文字が繋がり、魔術が発動する。

 かつて唯を救った、継承魔術だ。

「目を、覚ましなさい! 唯!」

 美咲の継承を再現して、里見は唯を閉じ込めようとしていたのだった。

 魔術の効果か、唯の攻撃によるものか、力と意識が完全に抜けた里見が唯に被さる。それを唯は弾かなかった。

 身体に魔術がかけられた唯が痛みを感じているかのように咆哮する。

 そのまま、唯は浮遊した。

 覆い被さった里見ごと。

 十数メートルほどの高さになって、唯はそこで停止をする。

 唯の身体には、里見が書いた魔術が刻み込まれている。ぐるぐると文言が回り、二人を包んでいった。

「うう、ううううううううううう」

 唯が呻く。

 身体にまとわりつく何かに抵抗しているようだった。

 ゆっくりと、里見が落下していき、ドサリと地面に落ちた。その身体には生気はない。すでに魂は昇華され、唯の内部へと移っている。

「お願いだから、目を覚まして、私のすべてを使っていいから」

 里見が唯の中から、唯に語りかける。

 残された全員がその様子を見守っていた。

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