4「騙しているの?」

 席についたときから、既に里見はいらついていた。左足を右足の前に組み、テーブルに肘をついている。煙草を一旦止めてからまた吸い始めると、その一本で多くは脱落するらしい。それを里見は実感していたようだった。

 このイライラと収めてくれるなら、寿命の何年かは平気で投げ出してしまいそうだった。

 その原因は、前に座っている男のせいだということはわかっていた。

 軽く分けた髪に、にこやかな顔をしている。

 この間あれほどやり合ったのに、ここに平然としているこの男の気持ちが理解できなかった。きっと男にとっては小さいことなのだろう。昔から前にあったことは無意識的に忘れていることがあった。

 半分はこの表情の取れない穂波に対して、もう半分は彼から呼び出しがかかってそれに応じて今ここにいる自分に対して憤りとも取れる不快感を募らせていた。

 十年前のように、またここが二人の指定席になっている。

 眼鏡の店員は今日は黒いフレームの丸眼鏡だった。どうやら眼鏡は何種類かあるらしい。それがお洒落かどうかは知らない。

 里見は目の前の男に注意を向けながら色々なことを考えていた。複数の思考を同時に立ち上げることで、イライラしている自分を忘れようとしているのだった。

 全く、成功していない。

「脳の疲れには糖分を取るといいよ」

 穂波が里見の顔を見て楽しそうに言ったが、それくらいは里見もわかっている、テーブルには三種類のケーキが並んでいた。

「それで、どうして呼び出したわけ?」

「単なるデート、って言ったら?」

「フォークが飛ぶわよ」

 真剣な表情で、季節のケーキであるモンブランの頂上、栗をケーキ用のフォークで刺して穂波に向ける。

「それじゃ止めておこう」

 相変わらず穂波はアイスティーを飲んでいた。

「さて、何から言おうかな」

「時間はないわよ」

「うん、そうか、じゃあ率直に行こう」

「そうしてもらえると助かるわね」

 栗を喉に通し、ホットココアで体を温める。意外と里見は甘党なのである。

「君達と同じように、僕らも少し切羽詰っている」

「僕ら?」

「ああ、上の方とか、横の方とか、準備しないといけないことになっているんだ」

「何があるのかしら?」

「情報には対価を、って言いたいところだけど、これ以上話がややこしくなるからある程度は話そう」

「それがいいわ」

 里見の方には、ほとんど情報がない。いくつか、内部に関しての情報はあるのだが、これを引き出しから出してしまうと、自分の命が危うい。

「ちょっとうちの課員が組織と接触してね、ああ、当然僕らが勝ったんだけど、それで、まずいことに全面的な戦争とまではいかないけど、対立関係が表面化してきちゃってね」

 穂波のいる課は対策課である、情報収集だけではなく、場合によっては、事件を裏から対処することもあるだろう。

「使節としては、どっちも潰れてくれるとありがたいんだけど」

 日本は使節に対して冷遇という処置を断固として取っている。現状として、管理のトップが穂波だから協力関係を取ることはないだろう。使節は穂波が生きてそのようなことをしていると知れば、真っ先に彼を殺すための人間を派遣するはずだからだ。

 一方の組織は、完全に使節に対抗するつもりである。使節も相手が混血を使っている段階で交渉の余地は微塵もない。

 使節に取ってみれば、双方共倒れが実は簡単で一番良い解決策とも言える。三つ巴というには使節の力は強すぎるが、戦力を一ヶ所に集めて他を手薄にすることは危うい。

「まあ、そうだろうけどね。それで、もう少しことが進行しちゃうと、戦力の点でこっちの分が悪いんだ」

「で、だから?」

「答えは簡単、戦力を至急追加したい。意味がわかるよね」

「つまり、彼女を差し出せと?」

「ご名答、ついでに言うと君にも来てもらいたい。それほど衰えているようには見えなかったしね。どう?」

 ほぼ答えの決まっている質問に、半ば呆れながらも里見が返す。

「一つ目の要求はノー、二つ目の誘いもノー。冗談にしてはレベルが低すぎるわ」

「冗談ではないんだけどな」

「それで? 仮にそうだとしても、得をするのは貴方達だけじゃないの」

 溜息をつきながら、里見がチョコレートムースを口に運ぶ。

「うーん、確かに、そうだねえ」

「それを呑む理由もないわよ、衰えたのはそっちじゃないの?」

 衰えるという言葉がやはり癪に障ったようだ。これでも、見た目は二十そこそこと、自分では思っている。

「ま、そんなことはわかってるさ」

 穂波が横に置いてあった書類鞄から、紙の束を出す。優に二十枚はあるだろう。

「これを僕からは提供しよう」

 テーブルに乗せた紙のクリップを外して里見が中身を見る。それには左上に写真があり、それに関することが長々と書かれている。何枚かでワンセットになっているようで、合計十近い物品が並べられている。

「これは……」

 里見が驚きを隠せずに、紙に魅入る。

 一枚目は短剣、二枚目は鏡、三枚目は本、四枚目に到ってはただの一枚の紙切れである。特徴のあるものもあれば、何の変哲もないものもある。だが、それに関する記述を読む限り、それが一般には存在してはいけないものだということがわかる。

「全部、宝物クラスなの……?」

 一つ一つが、年月と意識を吸収した、こちら側の世界には「あってはならないモノ」の一群である。

「さすがにそれだけ全部を出すとなると、僕の懐も痛いんだけど」

「どこでこんなものを」

 使節でさえ、管理している宝物は百に到達していない。千年もかかって、だ。ミハエルのレイディアントのように、いくつかは騎士団やエレメンツが所有しているが、それ以外は厳重に管理部が保管している。外に出すと決して良いことを生み出さないからだ。管理部を含めた使節は、それが一つだろうと全力で回収しにかかっている。それが、穂波の提示した紙には十数が書かれているのである。

「それは、企業秘密だ。日本は意外と掘り出し物が多いからね」

「掘り出し物って、これなんか、『契約の鍵』よ、どう考えたって日本にあるべきものなんかじゃ」

 姿は確認されていないが、伝説や噂で名前だけは知られているモノはいくつもある。武器で言えば、エクスカリバーやデュランダール、七支刀、正体不明ではもっと、恐らく使節が管理したいと思うレベルのモノだけでも千はあるのだろう。所在のわかっているモノも中にはあるのだが、他の機関が強固に封印を施してあったりで、手に入ることは少ない。数年に一度、大掛かりな調査や偶然で見つかり、相当の犠牲を払って手に入れるのがほとんどであり、こうして複数が固まって存在していることは使節としてはありえないのである。

 その中の一つ、最後の写真に写った一枚の紙切れを指差しながら、里見がまた溜息をつく。里見のように、文章を好んで読む人間なら、割と知られている。中世に少女が書いたとされる、ラテン語とドイツ語の恋文である。想いが込められているといえば、可愛らしいのだが、これには強制閉鎖力という力が掛かっていて、契約以外の行動を制限するという効果がある。一途な想いは魔術師が解けないほどの力を持ち、それはほとんど呪いに近い。

「そうだね、理由は僕も知らないさ、ただあるという事実だけは変わらない」

「でまかせじゃないわね」

「ん、嘘は嫌いだから」

「少なくともその発言は嘘ね」

「まあ、正解だということにしておこうか」

 陽気な笑みを浮かべて、穂波がテーブルの上の紙を鞄に戻す。

「どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、線引きは難しい。これらが存在して、彼女と君が使節からこちらに来てくれるなら彼らに上げてもいい、というのは事実だよ。どうだい?」

「確かに使節にとっては交換条件が成り立つかもね」

 里見が頭の中で計算をする。

 もし、これを交換条件にすれば、評議会がどう動くか。実際、唯を戦力として必要にしているのは事実である。だが、欲しいのは唯の素質であり、彼女自身は疎まれているのも事実である。管理部にしてみれば、この交換は成り立つ。彼らは人間には興味がない。

 他のメンバーはどう動くだろうか?

 騎士団とハンターは保留か、どちらでも良いだろうな。宝物が手に入ったところで、今の彼らには使い道がなさそうなものばかりだ。エレメンツは、微妙か。自由にならない唯よりは、研究対象として宝物を選ぶかもしれない。情報部は元からどう考えているか掴めない。イーアスは、多分唯を優先するだろう。

 どちらかといえば、全体としては、管理部百年分にも匹敵する宝物の方が比重が高いかもしれない。

 里見は自分で思考していて、自己嫌悪に陥った。彼女とモノと冷静に天秤に掛けているのだから、これでは彼女に言った言葉の意味がない。

「君が来れば、彼女も来てくれるだろうし、ねえ『永比の鳥』」

 その言葉で、里見の中の何かが切れた。

「その呼び方はやめて!」

 声とともに叩いたテーブルで皿が揺れる。また眠りかけた店員が驚いた顔で二人の方を見た。

 里見は自分でも紅潮しているのがわかる。それが怒りか、それとも別の何かかはわからない。向かい合う穂波は、その里見の表情を見て残念そうな顔をした。

「ふーん、やっぱりか、君は自分でも否定しているのに、それでも『里見』なんだね」

「どういう意味よ」

 冷静になろうとするのだが、それがかえって頭を壊していく。冷静に考えてはいけないことなのだ、言い聞かせるが、効果はない。

 とりあえず、普段の表情に戻すことだけには成功したようだ。

「そのままの意味さ、永比は永比だ。決して届かない想いに胸焦がれる気分っていうのはどうなんだろうね? しかもそれが昔から続いているシステムの一部だと理解しているっていうのは?」

「うるさいわね、私がどうかは私が決めるのよ。それ以上何か言ったら」

「わかったよ、この話題は僕の選択が間違っていたようだ。それで、君はどうするんだい? 本部に通してみるだけの価値はあることだろう?」

 呼吸を一つ、里見が肩を動かさずにする。

「そう、一応連絡はしておくわ」

「期限を与えてもいいんだけど、明日が限界かな。それ以上待たれると、多分、使節は彼女を引き戻して回収部隊をまとめて送るだろうからね」

 それは正論だ。

 結局はどちらも欲しい、ならば奪おうと思うのが使節である。

「いい返事は期待しない方がいいわ。それらを持っているという情報だけこちらに渡してそれで、かもしれないのよ」

「まあ、それくらいのリスクは背負わないとね、何分こっちも緊急を要しているから」

 穂波の表情には危険らしい様子はどこにもない。まるで、自分だけ安全地帯で遊んでいる子供のようだ。

「あるだけ喋った方がいいわよ」

 ジョークのように言った里見に、穂波がアイスティーのストローを取り出し、里見に向ける。その顔はとても楽しそうだ。ストローから半透明の雫が紙のコースターの上に落ちる。

「隠し玉を用意してあるんだ」

 唐突に穂波が切り出した。

「もし君達がこの申し出を拒否したら、使おうと思っている」

「何よ、隠し玉って。もしかして、あの子供?」

 里見が窓の外に目線を送る。そこからギリギリ見える高さのビルの屋上に、幼そうな顔立ちの少年が立って、缶ジュースを飲んでいた。細かい服装などは見えないが、身長からいっても小学生か、よくても中学生だろう。

「監視するにしてはお粗末ね」

 常人なら見過ごしてしまうかもしれないが、多少訓練すればエーテルを見る能力がなくても視線に気がついてしまう。

 里見がこの喫茶店に入ってから、彼はずっとこちらを見ていた。

「いや、あれは僕の方の監視だよ。どうも上はあんまり僕を信用してないみたいでね、嘘をつかなそうな課員に僕の後ろを追わせているのさ」

「ふうん、あんな子供まで課員なわけね」

 明らかに義務教育の範囲内の人間、存在は非公式であっても、穂波のいる課は一応公的機関だ。

「日本全体をカバーするには人員が足りなすぎてね。それにあれだよ、そちら側と一緒、実力の世界だ」

 使えない人間は使わない、使える人間は使う、それは当たり前のことなのだが、時たま保身という理由からそれが覆されてしまうこともある。

「それで、あれが隠し玉?」

 あの子供が使えるというのであれば、彼は魔術師の家系か、混血、穂波の性格からして異種の可能性もある。この距離では、相手の細かい魂魄を探ることはできなさそうだ。

「いやいや、あれはあれで面白い子だけど、そういうものじゃないよ」

「言葉だけ出してヒントなしってわけはないわね?」

 冗談っぽく里見が言う。後手後手に回っていることは事実であり、こちら側の情勢もほぼ筒抜けのようだ。

 穂波は笑顔を崩さず、アイスコーヒーに刺さるストローをかき回す。

「駒だ、僕が持っていて君達が持っていないモノ。君達が彼女を縛り付けている鎖を、ひょいっと壊せる駒だ、チェスで言えば、クイーンだね」

「私達が彼女を縛っている? 意味がわからないわね」

「見ればわかるさ」

 説明しているようではぐらかしている穂波に、イライラした様子で里見がテーブルをコツコツと叩く。

「もったいぶるのは自信がある証拠?」

「そういうわけじゃないさ」

 穂波は抑揚なく答えた。意味のない質問だったことを里見は少し後悔する。彼は、確率が低い行動など決してしないことはわかっているからだ。

「じゃあなんで最初からそれを使わないのよ」

「確かに。その通りだ」

「それが限界かしら?」

 どこまでが本気なのだろうか、と里見は穂波の瞳の奥を探ってみたが、笑顔の癖に作り物のような目は、多分笑っていない。

「そう取ってもらえると嬉しい。こちらが出せるものは全て、判断は一両日中に、でいいね?」

「わかったわ、使節員として上に通してはみる」

「それで充分、最大級の譲歩だと受け取っておくよ」

「じゃあ、これで終わりね」

「もう夕食の時間かな、どう一緒に?」

「断っておくわ、気分じゃないの」

「そう、残念だね、経費で落ちるのに」

「向こうの彼でも誘ってあげなさい」

 里見が立ち上がる。

 手を振って、里見はドアを出た。時刻は六時を過ぎていた。

 里見が鈴の音とともにが行きに触れるとき、ありがとうございましたーと間延びした声が響いた。



 穂波は、一人でまだアイスティーを飲んでいた。寒さは感じない。

 胸元からケータイを取り出し、ボタンを押す。

 二回、呼び出し音が鳴り、通話中になる。

「ユーゴ君?」

「あ、課長」

「こっちは大体首尾良く、だよ」

「あ、そう」

「そこ、寒くない?」

「スゲー寒い」

 間髪入れずに電話の先の少年が答える。

「お勤めご苦労様、下に降りてきたら食事をご馳走してあげよう」

「んー、一応部長に連絡するから。何? 振られた?」

 ニヒヒ、と作ったような声変わりもしていない笑い声を少年がする。

「正解、と言っておこうかな」

「五分で降りまーす」

「何が食べたい?」

「秋刀魚定食」

「渋いよユーゴ君」

「そのあとは特大チョコパで」

 冗談なのか本気なのか、少年はまたニヒヒと笑った。

「ユーゴ君、時々僕は君の将来が不安になるよ」

「ジジイ臭いよ課長」

「君の方がジジイだと思うし、僕はまだ若いんだけどねえ。用は済んだから降りておいで」

「はーい」

 電話を切り、少年が降りてくるまで穂波は座って待つことにした。

 テーブルにはなくなったケーキ皿が三つ並んでいた。

「さてさて、やっぱり工作の準備をしないと、かな」

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