八日目(後)「戦いにおいてのみ得られるものも存在するという弁明について」

 作戦開始から三十五分が経過した。

 予定では準備が終わっているはずの時間だ。

 一時間が限界時間で、何があっても一時間で中にいる人間が退却することになっている。無線の都合で連絡ができなくても、消滅の魔法に間に合うようにするためだ。

 どちらのものともわからない血生臭い匂いが風に乗ってやってくる。私の見えないところで、私の知らない人間が、私の作戦を成功するために血を流しているのだ。

「おかしい」

「何が?」

 訝しげに遠くを見やるトレヴィに声をかける。

「F2区画の準備が終わっていないようです」

 無線による連絡より早く、トレヴィはエーテルの位置、流動を感知できる。準備が終わっているのであれば、魔法士から少なからず漏れてくるエーテルがある。彼はその僅かなエーテルでさえ広範囲にわたって見分ける事ができるのだ。

 あそこの魔法士誘導の任務についていたのはガンマチームだ。状況変化したとも連絡はなかった。

 無線機で連絡を取る。

「フロムグリフォン、トゥガンマ、応答せよ」

 返事はない。

 連絡者が倒れても、近場にいる騎士か魔法士が返すはずだ。

「フロムグリフォン、トゥガンマ」

 ガチャガチャと鳴って、若い男の声が流れる。ガンマチームの連絡員とは違う声だった。冷静で、ともすれば氷のような響きを持っていた。

『フロムガンマ』

「何をしている、状況を知らせよ」

『私以外は全滅したようですね。死体の側に無線機が転がっていました』

 無線の男はまるで無関係のように淡々と告げる。それは死んでいるのが当然、といったように、仲間を『死体』と呼んだ。

「あなたは?」

『シュヴァンデンのものです。ブルーチームの援護に回っていました』

 援護で危険を請け負ったのが逆に命拾いになったか。

「魔法士の姿は確認できるか」

『法衣を着た人間が二人倒れています』

 もしもの場合にいた予備の魔法士までやられた。

 完全に全滅してしまったようだ。

「どうするの? 他から魔法士の補充を頼む?」

 気が気でない様子でイーアスが言う。

「ちょっと、厳しい」

 ヒエロがイーアスに答える。

 目を閉じて先のケモノに集中している薫は何も言わない。

 他のチームも手一杯であることはわかりきっている。結界を張るためだけに用意されている魔法士は、一人では他の場所へは向かえない。援護をする騎士を連れていこうにも、他のポイントの壁を薄くして、そこが破られては本末転倒だ。

「私が行きます」

 口を開いたのはトレヴィだ。

 その言葉に全身の目がステッキを持つ男に集まる。

「他から魔法士が行けないとなれば、この中から行くしかありません」

 その通りだ。

 人員に余裕を作るとすれば、残るはここしかない。

 だが、ここはポイントまでの距離は短くない。

 異種に遭遇する危険も高い。

 フリーになっているシュヴァンデンを援護のため戻す時間はない。

 だとしても、一人で行かせるのは。

「中心を突っ切って時間内に着けるのは、攻撃ができる私とカオルとサトミ、単独で陣を敷けるのはサトミと私です」

「それなら、私だって!」

 トレヴィは、私の言葉に表情を変えようとしない。

 攻撃ができるといっても、単独で戦えるほどの能力がないことは誰もがわかっている。元々攻撃専門の私や薫とは違って、トレヴィは防御専門なのだ。

「サトミでは陣を敷くのに時間が掛かりすぎます。今から行ったのでは間に合わない。それにサトミは指令塔です。あなたが動いてはいけません」

「何言っているの! トレヴィ一人で行けるはずがないわ!」

「無理だよ、まだ中には結構残ってるみたいだ!」

 入り口付近に意識を集中している薫が言う。四人には見えない位置で、薫は一人交戦中なのだ。

「わかっています」

 エーテルが見えるトレヴィには百も承知のはずだ。

「最初からこれは作戦のうちです。もし途中で魔法士が欠けたのなら、この中から誰かが行く。皆にもそれくらいわかっていたはずです」

 もちろんわかっている。

 それが最良の方法で、今取るべき方法がそれしかないということも。

 しかし、無傷で帰ってこられる保証はどこにもない。むしろ命を落とす確率の方が遥かに高い。

 みすみす、トレヴィを死の元へと送り込みたくはない。

「一つくらい欠けたって……」

 パン

「トレヴィ……」

 トレヴィの手の平が、私の左頬を打った。

 衝撃や痛みよりもまず先に、呆気に取られた私に、トレヴィがいつものように目を見て静かな口調で言う。

「冷静に、指揮官は、作戦の成功だけを考えてください。一番有効な可能性を選択するのが指揮官です。それ以外は考えてはいけません」

 作戦成功が今は大事なのだ。

 そうトレヴィは言うが、認めたくはない。

 だけど、反論する気を起こさせないくらいに、トレヴィの目は真直ぐに、私の目を捉えていた。

「サトミ、命令を。私達に残された時間はあと二十分です」

「……わかった。今からポイントF2に向かい、到着次第結界を敷きなさい。だけど、お願い、必ず帰ってきて」

 最後に絞り出した声は、自分でさえ聞き取れないほどだ。

「了解しました。その二つの命令は、必ず守りましょう」

 真面目に、彼は返してくれた。

「トレヴィ!」

 手を休めることのできない薫が叫ぶ。

「カオルは少し下がって防御に徹してください」

「トレヴィ……」

「ヒエロは二人の詠唱のための書き換えを今から十分で、できますね」

「ああ、うん……」

 最後の詠唱は、トレヴィが先頭に立って行うはずだった。

「イーアスとサトミは、詠唱に備えてください。バランスを考えて、サトミがメインでイーアスはサブがいいでしょう」

 私よりも的確に指示を出す。

 両手を胸の前で組んで、イーアスが軽く頭を落とした。

「それでは、皆、作戦終了後に。アップルジャムの入ったレモンティーを飲みましょう」

 真剣な表情で軽口を言って、炎と煙でほのかに赤くなっている闇に姿を消していった。

 皆はトレヴィが完全に消えるのを沈黙で見守っていた。

「サトミ、トレヴィの言った通りにする! カオル、負担が大きくなるけど我慢して!」

 ヒエロが添えていた手を離して、後ろに下がる。法衣の裾からペンを取り出した。胸からは真っ白な羊皮紙を取り出した。

 それに合わせるように、私がヒエロに自分の本を渡す。

 ヒエロはじっくり眺めたあと、高速で紙に文字を刻み始めた。

 文字に力を込め、他言語で置き換えることのできないはずの詠唱句でさえ、力を持ったまま翻訳、改編する魔術師。それ以外、魔術を探求することも、魔法を行使することも、エーテルを見ることでさえできない。それがヒエロだ。しかし、多数の知識を抱え、多くのことを同時に考えるのにも優れている。だから私は戦闘ができなくても、彼を必要としているのだ。

「僕は僕の仕事をする。トレヴィも。だから、皆も」

 私はその言葉に気がついて、無線機を握る。

 私は、作戦を成功させるための指令塔なのだ。

「フロムグリフォン、トゥガンマ」

『フロムガンマ』

 男が返す。

「無心が使えるな」

『ええ』

「発動したまま無用の戦闘を避けよ。こちらから魔法士が一人向かった。ポイントF2には十分以内に着くだろう、発見次第援護し、作戦を実行せよ」

『了解しました』

 混沌としている場所で、二人が合流する可能性は高くない。彼を中央まで運ぶのには意味がないだろう。

 ただ、トレヴィが成功させることを祈るしかない。

 イーアスは黙々と魔方陣を地面に描き始めている。


 十分が経過した。

 そろそろポイントに到着してもいい時間だ。誰もがそのことに気がついていたが、何も言わずに自分の作業をしていた。

 私は、ヒエロの準備が終わらなければ何もできないため、少しイライラしていた。

 そして、突然連絡が入る。

『フロムガンマ、魔法士を発見しました、しかし相当の怪我をしています』

 機械音のような男の声は、無表情にそのことを告げた。

 全員の動きが一瞬止まった。

「なに?」

 呆然としかける自分を立たせるように、指揮官としての口調で聞き返した。

『途中で異種に襲われたようですね。このままでは命を落としかねません』

「魔法士と代わってくれ」

 努めて冷静にいようとしたが、心の中は震えている。

「サトミ」

 魔方陣を描く手を止めて、イーアスが私を見る。

 文字をまとめて確認をしていたヒエロも、驚いてペンを落としていた。

 誰もが、一番望んでいなかった事態だ。

『サトミ』

「トレヴィ!」

『……少し、失敗しました。だけど、大丈夫です。これから陣に取り掛かります』

 弱々しい声の調子。大丈夫ではないのは無線を通じてでもわかってしまう。

「無茶しないで!」

『サトミは指揮官失格です。少しは、仲間を信じてください』

「本当に、大丈夫なのね」

『もちろんです』

「……急いで作戦を実行して。騎士に代わって」

 間を置いて、男に代わる。

『代わりました』

「……彼はああ言っているが、実際のところはどうだ?」

 答えのわかっている質問だ。震えた声を悟られまいと強めの語調で言う。

『出血が酷すぎます。今から治療をしても、五分五分でしょうね』

 即座に答えた。見た目でわかるほどよほど酷い怪我なのだろう。

「……そうか」

 それまで集中するために正面を見つめていた薫がこちらを向き、叫ぶ。

「愛! 今から愛が行って回復魔術を施せば間に合うかもしれないよ!」

 その言葉に一瞬心が揺らぐが、それに首を振って答えたのはヒエロだった。

「それじゃ時間がかかりすぎる。トレヴィが行った意味がない」

「じゃあ、見殺しにしろって?」

 首だけを振り返らせて、睨むように薫が膝をついているヒエロを見つめる。

「そういうことじゃない。彼は作戦を成功させるために、危険を承知で行ったんだ。僕らを犠牲にしないために」

「わかってる! でも、今なら助かるかもしれないんだ。こんな作戦と、トレヴィのどっちが大事だっていうんだよ!」

 子供が駄々をこねるように、薫が言う。

「僕らにどうしろって? 彼を助けに行けば、もっと犠牲者が出る」

「他人の命なんて関係ない!」

 薫がヒエロの胸倉を掴む。

「わが身と引き換えに、より大勢の人間を助ける。それが使節の考え方だよ。トレヴィだって、きっとそう思ってる」

「助かるかもしれないのに、放っておけるわけないだろ」

「止めて二人とも!」

 言い合う二人を、イーアスが止める。

 その目からは、涙が溢れている。

「ヒエロだってトレヴィが大事に決まってる。私だって、サトミだって、トレヴィに無事に帰ってきて欲しい。だけど、トレヴィは、トレヴィは、自分で決めて、自分で行ったの! 私達はトレヴィを信じるしかないの!」

 ヒステリック気味なイーアスの声は、普段のおどおどした雰囲気でなかった。

『フロムガンマ、陣を敷き終わりました。他の部隊も、完了済みです。連絡をして、詠唱に入ってください』

 トレヴィの声だ。いつもと同じように、静かで慎重な声だ、何も変わりない。

何も変わらない。

 そう信じたい。

「フロムグリフォン、了解した。だから、早く戻ってきて」

『了解しました。何だか妙に冷えるので、暖かい紅茶を準備してもらえると助かります。

それから、サトミ、あんまり目くじらを立てて他人を怒らないように、あなたは見かけよりも優しい人ですから。それにせっかくの美人が台無しです。

カオル、やり掛けのチェス、クイーンをb6でチェックメイトです。五十勝四十九敗、これで私の勝ち越しですね。

ヒエロ、この間読ませてもらったヒエロの小説、とても面白かったです。次回作も期待していますから。

イーアス、人ばかりではなくたまには自分も気をつけてください。それから偏食は体に良くないのでバランスよく食べるように。

皆に会えたこと、誇りに思っています』

「なによ、最期みたいに縁起でもないこと言わないで」

『ええ、大丈夫です。必ず帰ってくる命令ですから』

 少し笑ったような声で、トレヴィが返した。

 全員が俯きながら、静かにその言葉を聞いていた。

『それでは、またあとで』

 薫も、ヒエロから手を離して、自分の持ち場に戻った。

 ヒエロとイーアスが最後の確認のように私を見た。

「大丈夫、絶対帰ってくるって、命令したんだから」

 強く、無線機を握り締める。

「フロムグリフォン、トゥオール。結界が完成した。今から詠唱を開始する。消滅までは三分しかない。魔法士を含めて、全員退避せよ。繰り返す、全員退避せよ」

 イーアスが描いた魔方陣の中央に立ち、ヒエロに渡された紙の通り、魔法を構築していく。目の前で刻まれた文字達は、その場を離れて結界を覆うように上空へ流れていく。

 私の後ろに立ったイーアスが、嗚咽の漏れる声を抑えながら、しっかりとした口調で詠唱句を述べていく。

 少しずつ、生き残った魔法士や騎士が、姿を現し始めた。あるものは、足を引きずり、またあるものは血に濡れた槍を握っていた。どの顔も疲れ切った表情で、戦いが凄惨なものであることを物語っていた。満足感もなく、使命だけを忠実に生きる彼らには、無表情であるものが多かったが、それでも、仲間を亡くした喪失感に包まれているように私には見えた。

 魔法が完成し、結界を覆うように光の粒が現れた。そして弾けるように、大きな光の柱となって、天へ伸びていった。

 全てを包むような一瞬のその光は、誰かの墓標のようでもあった。


 全てが、終わり、そう、全てが終わったあと、雨は誰かを代弁するかのように、優しく、弱く、そして、力強く、世界に降り注いでいた。

 作戦終了後、帰ってきたのは、ミハエルという剣を携えた若い騎士に抱えられた、何も言わないトレヴィだった。騎士の手は血に濡れ、トレヴィの黒い法衣は腹部から裂けていた。ヒエロと薫がトレヴィを騎士から受け取り、冷たい岩の上に寝かせた。

 二度と、彼が暖かい紅茶に口をつけることはなかった。

 誰も、何も言わなかった。

 作戦は成功したが、死者と行方不明者の合計二十八名の氏名が、使節の殉死者石碑に刻まれることとなった。その中にはトレヴィの名前もあった。

 私達四人は、互いに言葉を交わさず、献花と、彼の好きなアップルジャム入りのレモンティーを石碑の前に置いた。

 パルチファル騎士団の追及を受けて、作戦指揮官だった私は実戦から降ろされ、連絡員となった。これから先、血を見たくなかった私にはむしろ好都合だった。

 ヒエロは間もなくして使節を脱退し、生まれ故郷のイタリアに帰った。反対する人間は誰もいなかった。

 イーアスは、今まで折り合いのつかなかった家に戻り、その資質を買われ、使節全体を統括する評議会、使節十三席の責任者となった。

 薫は、誰にも何にも言わず、姿を消した。

 これが、私達五人の、それぞれの分岐点だった。

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