八日目(中)「戦いにおいてのみ得られるものも存在するという弁明について」

 破片が里見の体に容赦なく弾丸となって叩きつけ、咄嗟に両腕で顔を守る。それが終わったあと、里見が目の前にあるものを見るが、残ったのは首から下だけで、血は出ていない。明らかにそれは人間ではなかった。

 人形は膝を付き、里見にもたれかかるように倒れる。何か言い知れぬ危険を感じて横に避けそうとしたが、頭のない人形は自分の法衣の隙間からナイフを取り出し、倒れながら里見に切りつけた。

 左腕を切られ、血を滴らせる里見が顔をしかめる。穂波と同じ顔をしていた人形は機能を停止したようで、倒れたまま動く気配はない。

「薫!」

 人形ではなく、周囲を見渡しながら左腕を抑えて里見が叫ぶ。

 里見の声がビルに反響して、隅々まで行き渡る。

 すると、ビル同士の合間から、一つの影が姿を現した。グレーのスーツを着込み、笑顔で歩いてくる。

 紛れもなく穂波である。

「やあ」

 まるで今日初めて会ったような表情で、右手をひらひらと振った。それと同時に、残っていた獣が霧となって存在感を消す。恐らく、本当に、『今日初めて』会ったのだろう。もしかしたら、それまでの穂波も、人形であったかもしれない。

「随分と面白い真似をしてくれたわね」

「あれ? 言ったことなかった?」

 拳を固めながら睨みつける里見に、スーツの穂波は惚けた様子で返す。

「ええ、まさか人形遣いだったとわね」

「隠していたわけじゃないけどねぇ」

「そう、聞いてなかったから、言わなかったわけね」

「戦闘じゃあまり役に立たないし、向こうじゃ出来の良い人形は中々ないから」

「古い魔術ね」

 皮肉に対して穂波は笑って返す。

「君に言われるほどじゃないさ。それに焔見の本式は、人形遣いなんだよ」

「そう、それにしても、人形通してよくあれだけ獣が動かせたわね」

 素直に感心した顔で里見が人形を見る。実際に対峙していた里見でさえ、魔法士の能力を持ってしても気付くことはなかったのだ。

 人形遣いは人形を自分と同じように動かすことができる。人間の意識は基本的に分割できないため、人形を動かしていることに能力の大半を持っていかれてしまう。そこを越えてまで、別な魔術を使えるのは、彼の血筋故のものだろう。

「実はちょっとズルをしてるんだ」

 一歩前に足を出し、里見に近付く。

「さて、これは何でしょう?」

 穂波が左手の甲を顔の横に持ってくる。その中指には、彼が持っているガラス玉よりも濃い、血が固まったような深紅の指輪が嵌め込まれていた。

 その左手を、空に向けて掲げる。

「それは、千命の指輪!」

 次の起こった現象を見て、里見が純粋に驚いた声を上げた。

 空気中に漂うエーテルが、彼の指輪の元に収束し始めていたのだ。吸収されたエーテルは指輪に溶け込んでいく。里見の目には、その指輪が生きているように鼓動をしているのが見えた。

「どうりでエーテルが薄かったわけね」

「完全には使いこなせてはいないけどね」

「日本にあったとは知らなかったわ」

「僕も偶然見つけたんだよ。さすがに宝物指定を受けた逸品だ、効果は半端じゃない」

 指輪の機能を一旦停止し、手をしげしげと見渡す。

「エーテルを吸収圧縮する指輪、昔の錬金術師もとんでもないものを創ったものね。それは使節も回収しようとするはずだわ」

 左腕を抑えながら、里見が腕を組む。

「それで、まだ続けるのかしら?」

「いや、止めておこう。君の能力が衰えてないことはわかったし、今続ければこの僕も壊れかねないからね」

 右手を里見の奥に落ちているガラス玉に向ける。バラバラになった糸を束ねるように、手首を一回りさせ、握った手を軽く引く。その動作に引きずられてガラス玉が穂波の手の中へと集まる。

「もしかしたら、それも人形なのかしら」

 視線だけで穂波は笑顔を作り、裾の中へガラス玉を入れていく。

「ご想像にお任せするよ。何より僕は公僕だし、上の言いなりなんだ」

「何勝手なこと」

 里見は、ゼンマイが切れかかった体を無理に動かしながら、足元に自分の似姿を転がせている穂波に寄ろうとした。

 右足を一歩前に出そうとする瞬間に、彼女の体は慣れという殺気を感じ、後ろへ下がった。

 カカカッと、連続音がして、コンクリートの地面に何かが突き刺さる。空から、二人の距離を永遠に分かつように、柄のないナイフが投げ込まれたのだ。ナイフは三十センチほどで、それは刃そのものと表現するよりは、薄く伸ばされた針といった方が適切かもしれない。

「誰?」

 里見が空を見上げる。

 十階ほどの高さしかない無人のテナントビルの屋上で、黒い影が揺らめいていた。距離感は今ひとつ掴めないが、あまり背の高い人物ではなさそうだった。

「はい、そこでストップ」

 割りと高い、むしろ単純に声変わりをしていないように感じられる少年のような声が、その影から漏れた。

 もう既に殺気はない。

 しかし、彼女にとってはこれが相当に分が悪い状況だった。

 人か、混血か、異種か、この距離では不安定すぎて里見には見えない。

 だが、ここで導き出される結論は一つだけ。

 あの影は、あちら側の味方だ、ということだ。

「第一条、我々はその身が焼かれることも厭わず、国益を考慮しなければならない」

 地面にいる二人に言っているのか、影は適当な声で話している。

「第二条、我々はその存在によって生じる、ありとあらゆる不利益を自らの手で処理しなければいけない」

 何かの標語だろうか、と里見は思った。言い淀みがなく、まるで暗記をした文章をただ述べている気がするからだ。

「第三条、第一条と第二条に反しない限りにおいてのみ、我々は自己の意思を尊重される」

 それに対して、最後の『第三条』だけを穂波が言った。彼ら、つまりは穂波の所属している日本の対策機関とやらの共通の言葉なのだろう。

「部長がお怒りですよー」

 ニヒヒ、と奇妙な笑い声を上げながら影が穂波に言った。

「ちなみに言うと、しかめっ面のお嬢ちゃんは無言でブチ切れ中」

「ああ、それは困ったね、ユーゴ君」

 全く困っていない笑顔で、穂波は呑気な声に背を向け、同じく呑気に返した。

「それじゃ、僕は一足先に帰らせてもらおうかな。組織の件でも、君らの件でも、最近仕事が山積みでね、書類整理にサービス残業をしないといけないのさ」

「もう、いいのね」

「ああ、どっちかというと最初からどうでもいいんだよ。最初から、そう、最初からだ」

 後半は小声で呟きながら、少し慎重そうに里見の問いかけに返した。手で服の埃を叩いて落とす。左手にした薄っぺらい時計を見て、時間を確認していた。

「近いうちに、また会おう。今度は愛の大事な彼女達と一緒にね」

 手を適当に振りながら笑顔で別れの挨拶をする。

「ちょっと待ちなさい」

 里見が背中を向けた穂波を追いかけようとした。

「ああ、そうだった」

 何かに思い出したように、里見の方を振り返る。

 進もうとした足を里見が止める。

「もういらないんだった」

 玩具を捨てるような目線で、昔の法衣を着た、動かない首なしの人形を見る。スーツのポケットから右手を抜き出し、右指をパチンとならす。

 ドンッ

「ちっ」

 それを合図にして、人形が頭部と同じく爆発した。周囲が一瞬煙に溢れ、里見の視界を遮る。エーテルだけで穂波を探してみたが、何か細工をしてあるらしく、煙の外側がベールのようになっていて全くみることができなかった。

 自然と煙が掃けたあとには、立ち尽くす里見と、ちりちりと燃えている元は法衣だった布切れがあるだけで、スーツの男も、ビルの上の少年もどこにもいなかった。

 里見はふらふらと歩きながら、使われなくなったショーウィンドウのガラスに背をもたれて腰を落とした。久しぶりに使った魔法の効果もあってか、体力の限界は頂点に達していた。魂魄を使わないのだから、精神力を削ることはないのだが、代わりにそれに相当する体力を直に消耗してしまう。魔法士であるにもかかわらず、戦闘を続けるには騎士並の体力が必要なのだ。

 里見はまだ動くことはできたが、あのまま続ければ優勢になっていたのは穂波の方だったかもしれない。いや、穂波だけならともかくとしても、あの正体不明の影に対抗できたかは定かではない。

 溜息にも近い深呼吸をして、体力の回復に努める。決して、年齢のせいではないと自分に言い聞かせながら。

「あー疲れたわね、今度勤務外手当てを申請しようかしら」

 弱々しく降り出した雨は、ショーウィンドウのハザードのお陰で里見には当たらなかった。

 その雨を眺めて、彼女は、一人でタバコをくわえた。火をつける気力はどこにもなかった。

 そういえば、あの時もこんな雨が降ったな、と彼女は見えない月を恨めんでいた。

 奇しくも、それは反対側で行われた、ミハエルと唯の戦闘の終了でもあったことを、この時点の里見はまだ知らない。

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