八日目(前)「戦いにおいてのみ得られるものも存在するという弁明について」

 雨が、降り始めようとしていた。

 暗雲が立ち込め、月を隠している。

 里見は、一人でビル群の間に立っていた。

 四年前に脱ぎ、今後一切着るはずのなかった、黒い法衣を里見は纏っていた。裾が地面に掠れ、そのたびに法衣の隙間から黒いブーツが覗かせる。

 左手には古ぼけた青い本を持っている。右手は、固く握られていた。

 黒い髪はうなじ辺りで纏められ、法衣と重なって闇に溶け込んでいた。

 太陽によってもたらされた暖かさは、覆い尽くされた闇にかすみ取られていく。寒くはなかったが、これから始まることに対して若干の薄ら寒さはあった。

 しっかりと目を開く。

 眼鏡を通して見た景色は、稜線のはっきりとしない世界だった。

 再開発予定がバブルの崩壊で足止めをくらった、誰もいない地区。薄汚れた商店や、ここ数年は誰も出入りしていないだろうテナントビルが人工の森のように建ち並んでいる。負のものしか集めることのできなくなった森の中を、里見は歩いていた。照明は当然点いておらず、月明かりさえない今夜は自分の足元を見るのもおぼつかない。

 穂波がどうするか、里見にはわかっていた。そして、それを止めることも出来ない自分もいた。

 これがどうなろうと、誰にとっても意味はない。

 だが、彼には必要なことではあった。

 戦いが始まろうとしていた。

 強引に説明をつけようと思えばできる。

 彼らを分岐させるに到った、直接の原因の一端を里見が担っていたこと。里見がその時、別な判断をしていたら、違った結果になっていたかもしれないという思考。

 過去を変えることは、どんなに卓越した魔術師にもできない。しかし、人はもしそうだったの世界を空想し、望んでしまう。大人になれば諦めてしまうはずの考えを、子供のような穂波はジレンマを抱え、諦める以外で解消しようと思っているのだろう。

 知識として、里見をどうこうしても、過去がどうなるわけでもないことを理解しているだろう。だとしても、心のどこかが、求めているのだ。理屈ではない、抑え切れないもっと深い部分で。

 里見は手加減をするつもりはない。

 手加減をすれば、それは里見自身の死に直結するかもしれないのだ。

 両側に十階ほどのビルが建つ二車線の中央に、穂波はいた。駅を挟んで広がる繁華街の光が雲に反射して、こちら側にもぼんやりと届いていた。

 里見と同じ法衣を身につけ、穂波は空を見上げていた。穂波は笑っているのではなく、安心感で満ちているような、表情だった。三日前にも会ったというのに、里見には、彼が酷くやつれて見えた。

 穂波は里見の姿を認めると、一歩だけ近寄った。

「ありがとう。実を言うと、すっぽかされると思っていた」

 男が発した言葉はそれだけで、里見は何も言わなかった。

 法衣からビー玉のような赤いガラス玉を一つ取り出し、穂波が空高く放り投げる。

 空中に浮いた玉は、頂点に達した後、周囲のエーテルを吸収し大きな塊となっていく。玉を中心に透明なもので囲まれた塊は、地面にぶつかる衝撃を和らげるように、ぶよんと形を変形させながら穂波の横に立つ。穂波がそれを優しく撫でると、塊は透き通る虎のような獣の姿をとった。赤い玉は心臓に当たる位置で固定されている。

「……コーリングビースト」

 里見が左手に持った本に力を込める。

 幻獣召喚、その名の示す通り、核となる物体を中心として空間エーテルを凝縮させて自分の意のままに動く獣を擬似的に創り出す魔法である。魔法としては、それほど無名ではなく、以前は守護するものとして特定の地を守ったり、戦いに使われていたりもした。

 魔術としては、生物における体内器官を調べたり、魔術師のエーテルを使用する際のイメージ力を養ったりするために存在していた、いわば、基本的な練習用の魔術の一つである。

「構成力が上がっているわね」

 里見が突撃を防ぐため左側を隠すように半身になる。

 空間エーテルで構成されているため、一般人には玉がただ浮いているようにしか見えない。能力のある人間が見れば、それは、地上で気高い生き物に見えるだろう。細部まで綿密に構成されればされるほど、魔法士のレベルが高いということになる。

「僕だって、遊んでいたわけじゃないよ」

 獣の背中を軽く叩き、攻撃を促す。

 獣が里見を睨み、咆哮を上げて里見へ目掛けて天へ駆けた。本当の動物では出せない跳躍を見せて急降下で里見に喰らいつこうとする。唸り声をあげて口を開ける。

 穂波の攻撃法を知っている里見は落ち着き払い、左手を上げる。

 青い文庫本を獣の頬に当て、獣の勢いに乗せたまま思い切り下に叩き落とす。地面に顔から激突した獣はエーテルを拡散しながら、運動量に合わせて地面を数メートル滑っていく。

 動きを止めた獣は、里見に振り返り、爪を固いコンクリートに擦りつけた。

 正確には生き物ではないあれは、通常の攻撃では触れることもままならない。魂魄を操る魔法士は、体内に巡る魄を使い触ることもできるが、魂魄を使えない里見はエーテルを直に触れることもできない。見えることと触ることは別なのである。

 つまり、里見には魔法と呼ばれる干渉に対して、全くの無抵抗、一般人と同等か、それ以下なのである。事前に策を施さなければ、一秒後には意識を奪われてしまい、一呼吸後にはその身は肉塊となってしまう。

 そんなギリギリのところで、彼女は常に気を張り巡らせ、魔法士であり続けるようとするのだ。

 左手を前に、獣へと本を突き出す。穂波には背中を向ける体勢となり、里見は獣を見据えて襲撃に備える。

 彼女から能動的に獣に触れられるのは、彼女の手にしている本だけだ。エーテルに干渉できるミスリルと同様の効果を発揮する、時間と意識が込められたモノである。中に書いてある文字は、本自体がエーテルを纏うための増長の役割を果たしている。

「愛は使わないのかい?」

 子供のような声で、穂波は楽しそうに言う。

「薫が時間をくれたらね」

 皮肉を込めて、死角にいる魔法士に応える。

「わざわざエーテルの流動を知らせないように結界を張ったのにかい? 彼女達のためにかな?」

「違うわ、エーテルを動かせば色々厄介だからよ」

 自然ではないエーテルの動き方を起こせば、関係のない事象を誘発する可能性が高い。異種などが嗅ぎつけて複雑なことにもなりかねない。それを防ぐために里見は、範囲を絞って魔方陣を描き、結界を張っておいたのだ。そうすれば、この中で何が起ころうとも、外からはエーテルに変化がないように見える。

 特に彼女にとって最も厄介なのが、穂波の言う通り、今近くにいるはずのミハエルや唯が気付いてこちらへきてしまうことだ。彼らに不必要な心配をさせることはない。

 その里見の考えを見抜いてか、穂波が意味深に笑みを浮かべる。

「まあ、僕としてもこの戦いを他に邪魔されたくはないしね」

 獣が里見に飛び掛った。冷静にいなすが、今度は地面に触れる前に体勢を変えて里見に時間を与えようとしない。

 一度、二度、爪と牙とかわすが、攻撃力を伴わない本では、まともに受け止めただけでも衝撃で里見の体など軽く吹き飛んでしまう。

 穂波は腕を組んで、攻撃を見ているだけだ。

「それじゃ防戦一方だよ。もしかして、本気を出さなくても勝てるだなんて思ってる?」

「思ってるわけ……。ぐっ」

「ほらほら、よそ見しちゃだめだよ」

 正面を走っていた獣がフェイントのように目の前で方向を変え、里見の右脇に入り込む。本のないがら空きの右脇に頭から突っ込む。衝撃を減らすために両足を自分の意思で地面から離した。

 一体の獣なら、穂波はほぼ完全に自分の思い通りに動かす事ができるようだ。

「そこまでいうなら……!」

 獣を適切に払った本を、空いている右手で適当に開く。

 周囲の空間を確認し、エーテルの濃淡を一瞬で見分ける。色ではなく、感覚的な視力で里見はもう一つの世界を詳細に見ていく。この場所は、標準値よりも全体的に薄い。右方向、手の届く位置に最もエーテルが濃い地点を発見し、下から滑るように爪を伸ばす獣を、出来うる限りの力で右へ弾き飛ばす。

 いなすのではない直線的な攻撃を受けた獣は、ゴムボールのように軽々と宙を舞った。里見の青い本が、エーテル同士の重みに耐え切れずに紙片を撒き散らす。所詮はただの本、そう何度も耐えられるわけもない。本を持つ手が痺れたが、痛みはない。

 両手足が衝撃を受けて獣の姿を留められなくなり、収束を始める。

 里見が空間に手を差し出す。その右手には、黒い万年筆が握られていた。

 始動点を定め、一片の曇りもなく、流れるように手を動かしていく。

「きたね」

 穂波の声に構わず、里見は線をなぞるように迷いなく、万年筆を動かす。

 その先端は、今そこに紙があるのと同じく、里見の書いた先が淡く光り出している。透明の板に、ナイフで傷をつけている感覚で、違うのは、それが元は何もない空間だということだ。

 光は、里見によって刻まれた道筋を辿り、明瞭な文字を形作っていく。ひらがなと漢字が織り交ざった、日本語の文章である。

 反対側から見れば、きちんと文字を裏側から見た図になっている。

 里見は真剣な目で、確認のため小さく口を動かしながら、素早く文字を空間に刻んでいく。慎重に、機械が文字を印刷するほど正確な文字で。

『人は高貴であれ

 情け深く

 善良であれ

 それによりてのみ

 我らが知る

 あらゆる存在から

 人を区別せん』

 一メートル四方にも満たない空間に、詩が描き出されていく。そこだけが別な世界に入り込み、切り取られた世界は、まさに魔法の世界の出来事だ。

 口による詠唱ではない、外の世界に描かれた、人が便宜上作り出した文字である。

 魔術や魔法における詠唱とは、交わるはずのない、自己と他者である魂魄と空間エーテルを結びつける役割を果たしている。自己に対しては自我としてのリミッターを外す暗示として、他者に対してはこちら側へ歩み寄らせる呼びかけとして、詠唱は存在する。内部に秘める魔法を、外部で顕現させるために、詠唱は上手く創られているのだ。

 しかし、里見の使う空壁魔術は、そのリミッターを外す過程を全て省略して、文字をエーテルにキャンパスのようにして刻むことで、空間エーテルに直に命令を下す。秘める情報を全てコード化し、仮の魂魄存在としてヒトの智の結晶である文字を媒介に利用する。

その結果、魂魄を全く消費せずに魔術を発動できる。対象が空間エーテルだけなのだから、反復して魂魄に個々の魔法を覚えさせる必要もない。この世に存在する、文字を基本とした魔術、魔法を空壁魔術は再現できるのである。

 一方で、空壁魔術は新しい魔術を創ることも、魔術の先が目指すものにも到達はできない、魔術と名づけられながら、魔法にしかなりえない、異端の法なのである。

 獣が一直線に里見に飛び掛るが、文字が刻まれた壁に阻まれて、再度後ろへ弾き飛ばされる。

「すごい」

 傍観者のような口ぶりで穂波が感嘆の声を上げる。

 自らの書いた文字が、青い光を帯びながら右腕に列をなして包帯のようにまとわりつく。

『継碧』

 肩までびっしりと文字に囲まれた里見が、中指を内側に曲げ、空間書き込みに特化して先端がミスリルでできている専用の万年筆を裾に戻す。

 空間エーテルを単純に凝縮し、右腕だけに固定する防御と攻撃を兼ね備えた魔法である。

「来なさい」

 挑発するように、里見が獣に呼びかける。

 障害物に阻まれていた獣が、遮るものがないのを感じて、里見へと駆ける。里見は避ける仕草もなく、右手を前へ突き出す。衝撃もなく、的確に獣の鼻の辺りを掴む。エーテルでできた獣には重さはない。あるのはエーテルの密度であり、それさえ満たせば相互干渉して相殺できる。腕力を込めずに、意志の力を込め、獣を空中に放り投げる。落ちる前に、懐へもぐりこみ、手の平を獣の心臓に突き立てる。ゼリーのような感触が里見の腕に伝わり、音もなく静かに文字をまとう腕が法衣とともにのめり込んでいく。

 肘まで埋まったところで、ガラス玉に手が届き、全身から玉を引き抜く。心臓部を抜かれた獣は、自身を維持する術を失い、里見に振り向こうとしたまま霧散して姿を消した。エーテルを吸収しないように、コンクリート面に落とした核を踵で踏みつけ粉々にした。

 数回タバコをもみ消すように、ガラスをすり潰す。

 継碧をまとったまま、里見が穂波を見る。

「魔術形式を変えたわね」

 その言葉には敵意はない。

 魔術師は懐からガラス玉を出して、手の平でもてあそぶ。

「情報を圧縮する方法を考えたんだ。召喚布を使うよりは詠唱効率が上がるからね。このままいけば陣化も可能かもしれない」

 詠唱による一つの魔術が確立してから、次に行われるのは陣化と呼ばれる詠唱を図式化する研究である。誰でもある程度の知識と能力があれば、魔術を再現できる魔方陣のことで、詠唱を含めた作用様式を簡略化してまとめ上げるという作業であり、どんなに簡単な魔術とされるものでも、百年以上の時間を要するという。

「そこまで技術があって、どうして使節を見限ったりなんか」

 声を張り上げずに、諦めも込めながら魔法士が聞く。

 研究をするのなら、使節は世界でも最適の場所だ。

 世界中の魔術に関する文献が揃い、存在自体が危険を孕む物質を多数補完している。

 里見の質問には答えずに、穂波は空を見上げる。空気が湿り、直に雨が降り出すのが感覚でわかる。

「愛、使節は何故、異種を目の敵にしてるんだろう?」

 唐突の質問に、思考の間をおいて、彼女はずれかけた眼鏡を左手で元に戻す。

「異種が人間にとって脅威だからよ」

「ヒトを食うという点で? それとも彼らの方が、能力が優れているという点で?」

「どちらもよ」

「彼らと共存という道は残されていないのかな?」

「馬鹿なこと」

 苦々しく吐き捨てる。

 それを見た穂波は、里見の言葉に困ったような、それを認めるような、どうとでもとれる複雑な表情をした。

「愛は使節に染まりすぎているからわからないかもしれない。人間というのは、それほど偉いものなんだろうか? 彼らを駆逐するほどに。彼らを上手く使えば、もっと世界は良い方向に進むんじゃないか? 彼らがヒトしか食べられないというのなら、それを供給するだけの無駄な『食料』はすぐに用意できるのではないか?」

 演説をするでもなく、ただ自分の思考を確認するように呟く。しかし、その声は里見の胸に確実に突き刺さっている。

 それは、使節の存在理由にもなりかねない問題だ。

「もしかしたら、彼らは他の何よりも僕たちに近い存在なのかもしれない」

 事実、猿とでさえできない異種配合を、人間と彼らは行うことができる。それが人間の存在が確立することを望んでいる使節に、異種に対して嫌悪と憎悪を抱かせるとしても、こちら側にいる人間なら誰でも知っていることなのである。

「彼らとは、争う理由なんかどこにもないんじゃないだろうか? 彼らは何故、ヒトとの間に混血を生み出したのだろう? 種の存続のため? ヒト社会へ融合するため? 興味本位? 恋愛感情? 本当は、彼らは、僕らが違うように、ちょっと変わった個性を持った、ただの『人間』なんじゃないだろうか?」

 使節に所属する彼女は、穂波が言っていることを聞いて、唯との会話を思い出していた。唯は事件を起こした混血に対する使節側の体制に疑問を持っていた。彼女の主張は、『人道的』という言葉を掲げるなら間違いではない。しかし、彼女は圧倒的な経験不足だ。獣になった混血に助かるべき道が用意されていないのは、知識ではわかっているが、体験をしたことがない。

 だから、里見は唯の疑問は甘いと思っている。能力に目覚めてしまった混血は、その段階で、既に、取り返しのつかない状態なのだ。

「それを確かめるために、使節を抜け出したってわけ?」

 下を向いた頭を、小さく振り、里見の問いには曖昧な否定をする。

「さあ、そんなことがわかったとしても、使節には何の意味もないし」

「当然ね。予防注射が打てないなら、病原菌を駆逐するだけよ」

「それに、僕には、なに一つ答えは用意できそうにない。時間がないんだ」

「時間?」

 首を傾けながら、幻獣使いは口の右端を意味深に吊り上げた。

「それじゃ、僕も少し本気を」

 右の手の平を里見に見せ、甲に返してまた戻す。人差し指と中指の間に、召喚用のガラス玉が現れる。もう一度同じ動作をすると、ガラス玉は二個、三個と手品のように増えていく。ステージにでも立っているかのような出で立ちの魔術師は、次に起こることがわからない、といったふうにおどけた表情をとって見せ、観客の注意を引こうとする。

 指の間に挟まれた合計四個の玉を今度は地面に落とす。傾斜もない平坦な道であるのにも関わらず、ゆっくりと加速しながら里見に向かって転がり始めた。そして、生命を与えられたかのように、弾力を持って跳ねる。最初は小さく、勢いを増して跳ねる高さを上げていく。

 二メートルほどの高さまで達したそれらは、一気に獣の姿を取り、里見に襲い掛かる。

 一斉に飛び掛ると同時に、彼女は一歩身を引く。一点を目指していた獣たちは、互いに頭をぶつけ合いその場に落ちる。

 複数を同時に操ることができるのがコーリングビーストの長所だが、それはまた欠点でもある。複数体を正確に動かすことは至難の業だから、ある程度命令を単純化して自動的に動かさなければいけない。獣同士で連携はできないのだ。

 今穂波が命令しているのは、恐らく『対象者を攻撃せよ』だと里見は推測する。ならば獣は直線的な攻撃をするはずだ。

 だが、そうはいっても相手の数は四体、一体ずつ処分する隙を与えてくれるとは思えない。里見の持っている攻撃は、今は右手一本だけなのだ。

 常に緩急をつけて移動をしながら、直撃を避ける。防御だけなら左手の本でも何とかなる。

 左手は防御に専念し、右手は拳を固めて獣を遠くに弾き飛ばす。獣を倒すのには、何とか間隙を縫って個別に倒すか、別な魔法を刻むだけの空間と時間を手に入れるしかないが、どちらも容易にはいきそうにない。

 詠唱と違って、移動しながら魔法を構築できず、構築にも詠唱より時間が掛かってしまうのが空壁魔術の最大ともいえる欠点である。

 牽制をしつつ、隙を見つけようとする。

 少し離れた位置に一人で立っている穂波は、暇そうにしている。実際には獣を維持するために、魄をすり減らしているはずなのだが、その様子は見せていない。

 正面から飛び込んできた獣を右手で弾く。顔面にめり込みながら、獣は衝撃を受けて反対方向へと飛んでいった。丸くなりながら、また獣の姿を形成していく、致命傷には全くなっていない。里見はそれには構わず、伸ばした右手をそのまま横に薙ぎ払う。右横にいた獣が反射的に避けようと里見の上を飛び越えた。

 一瞬上に意識をとられ、しまった、と里見が思う暇もなく、背中から獣に突き上げられる。ダメージを軽減するために、力を抜いて足を浮かせるが、それによって空中に高く放り投げられた。痛みはないが、肺を圧迫されて呼吸が止まり、判断が鈍る。五メートルほどの低い空から地面を見ると、四体の獣が一斉に空へ駆けようとしていた。

 空中では動きを変えられない。

 一度にこれほどの数は捌ききれない里見は、広げた本のページを右手で力強くむしり取った。落下を始めると同時に、真下で待ち受ける獣へ投げつける。紙は、鉄片のような速度と威力を持って、獣ごと地面に突き刺さる。特殊な本と、今の継碧を発動している里見の右手だからこそできた芸当だ。

 紙はコンクリートに突き刺さり、本来の紙の質を取り戻して地面に寝そべる。飛び上がりかけた獣達は、攻撃に押されて反り返りながら落下していた。緩やかに獣の中央に着地した里見は、継碧を少しだけ解放する。法衣にしがみ付いていた文字が、範囲を広げる。

 大きく腕を振り回し、前方にいた獣二体を同時に飛ばす。

 里見と穂波の間に空間ができる。

 獣を倒すよりも、目の前にいる魔法士に攻撃をした方が効果的だ。魔法士を倒せなくても、ある程度のショックを与えられれば、少なからず魔法士の映し鏡である獣にも影響を及ぼせる。

 数枚紙を破り、穂波に投げつける。ゆらりとした動作で穂波はその紙を全てかわした。その動きを見越して、里見が縦に並べて再度紙を投げる。何事もないかのように避けるが、その方向には里見が既に駆けていた。

 地面すれすれの位置から、バネを生かして跳ね上がる。穂波がそちらに注意を向ける前に、圧縮したエーテルとともに右拳で穂波の左顎目掛けて強烈なショートアッパーを入れる。

 避ける隙すらも与えなかった穂波に、青く光る拳がクリティカルに決まった。

 里見の腕力と、空壁魔術によって付与された攻撃力の双方を合わせて、穂波に叩き込む。いくら彼に魔術体性があったとしても、その物理的な威力を完全に削ぐことは不可能だ。

意識が失うほどには、ダメージを与えられる。

 里見は、そう確信を持っていた。

 が、吹き飛びかけた穂波が、里見にニヤリと笑いかける。

「なっ!」

 里見が驚愕の顔をするよりも早く、殴られた穂波の顔が、爆発して木っ端微塵に弾けとんだ。

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