三日目 「夢に関した諸現象に対する数々の適応策について」

『フロムアルファ、目標地点を確認、オーバー』

 掠れ気味な音声が右耳のイヤホンを通して聞こえる。

淡々と、冷静さを保っている声だ。

「フロムグリフォン、レッドがセッティングを完了するまで待機せよ、オーバー」

『了解』

 腕時計を見る。鬱蒼と茂った森の中で、アナログ盤の針だけが薄らと光っている。

全ては時間通りだ。

 慎重かつ、迅速に、自分を中心とした一団が森を駆ける。

 春はまだ遠い。

 湿った黒土の上には所々に雪が残り、新しい生命は感じられない。

 風は身を切るような冷たさだ。

 日本とどちらが寒いのだろう。

 最後に帰ったのは……

 いや、やめておこう。

 考えても、何も変わらない。

 全員が闇に溶け込むかのような、黒い法衣を纏っていた。足音もなく、静かに、影が動いている。

 影は自分達だ。

 先発隊は既に最深部に到達しかけている。

 これほど大規模の討伐隊が結成されたのは何年振りだろうか。使節の長い歴史の中でも まだ二桁の領域だろう。

 森を突き抜けた先、そこには小さな村があるという情報だった。その村から逃れてきた唯一の生き残りの話では、あるとき山から降りてきた正体不明の一群に襲われ、そして襲われた人間が漏れなく喰われたというのだ。たった一人の生き残りの、まだ十を越えたばかりの少女の前で、その惨劇は起こった。

 彼女に詳しく話を聞いていくうちに、それが恐らくは異種の一派であることがわかった。 しかも半端なグールなどではなく、全員が異種である可能性が高い、極めて危険なクラスの事態だった。

 群れで行動することがあまりないとされている異種でも、何かをきっかけにして一群となすことがある。

 その場合、多くは都会を避け、人の出入りの少ない田舎を標的として選ぶ。それだけなら数十か数百の人間が被害に合うわけだが、大きな都市部へと移行するのは通常時間の問題である。

 そうなれば、都市丸ごと原因不明で消滅する。

 可能な限り、単独で存在している場合に処分をするのが使節の動き方だが、こうなってしまっては手を付けられない。

 被害を最小限に抑えるため、本来独自に動いてあまり干渉をすることのない使節でも、複合で討伐隊を組織して、今、まさに攻撃に転じていた。

 使節十三席と呼ばれる私達の機関の中から三つ。

 一つは、私達がいる非エレメンツ所属の魔法士。

 エレメンツに所属しなかったのではなく、様々な影響で、或いは出自によって、或いはその魔術形態の異端さ故、エレメンツに必要とされなかった、いつでも使い捨ての駒になる魔法士達のことだ。

 一つは、物理攻撃を基本としながら、『伝統』ではなく、『科学』を武器とする、使節の中でも最も新設である『ハンター』。

 魔法や特異な戦闘術ではなくミスリルの弾丸を放ち、エーテルを見るのではなく暗視ゴーグルを掛ける部隊。戦闘のプロフェッショナルとして、給料のため働いているものも多い。

 最後に、今は非エレメンツの人間達のサポートに回っているパルチファルの騎士達。使節が保有する三騎士団の中で、その体が持つ特異性質のためか聖騎士団と呼ばれ、唯一尊敬の念を抱かれている騎士団だ。

 この三つの混合部隊。

 そもそもなら、使節はパルチファルと他の、それもどう功績を立てようとも実行部隊の升席にいるしかない私達やハンターを組ませようとは思わない。しかし、私達では荷が重過ぎるのも事実、パルチファル以外の騎士団が別命で手が足りていないのも事実、事実があるなら、そこから効率性だけを重んじる使節は、この混合部隊の結成を認めざるを得なかった。

 そして、今自分が全てを取り仕切っている。

 理由は簡単だ。

 失敗した場合の、責任を取りやすいから。

ただそれだけだろう。

 しかし、名目上のリーダーではないが、実質上作戦の指令塔として動いていることに若干の緊張がある。

 作戦の立案も最後の一手も、全て私に任されているのだ、緊張するのも当然のはず。

 考えなくてもいい余計なことを思考の隅に追いやれていないのが証拠だ。

「サトミ、大丈夫?」

「ええ」

 手に湿る汗を感じながら、応える。横には心配そうに顔を覗き込むイーアスの姿がある。月明かりを浴びて輝く金色の髪は、日本人の自分が見て、とても美しい。月夜に映えるとは、このことを言うのだろう。

 私よりも二つも年上のくせに、その穏やかな顔は十代のようだし、背も小さめで可愛らしいし、悔しいが、肌のつやでさえ、全面的に負けている。

 それを彼女が嫌っているとしても、羨ましいことには変わりない。

『フロムレッド、準備が完了した、オーバー』

「フロムグリフォン、了解した、赤外線感知ゴーグルの使用を怠るな、三分後に行動開始、オーバー」

『了解』

 全てが全て、魔法やそういったものに頼る時代ではない。エーテルや気配を感知する修行をするくらいなら、少々重たくても赤外線ゴーグルを装備すれば済む話かもしれない。魔法で行える行為の大部分は、近代兵器や科学が代用してくれさえもする。

 事実、実行機関である使節は科学にも利用の目を向け、銃火器に特化したハンターを席に入れているのだから。

 だが、実際として、周囲に被害を与えにくく小数戦闘が可能な騎士や、周囲を騙すことが可能な魔法士が必要上重視されていることも事実である。

「もうすぐだ」

 後方からヒエロが声をかける。パラパラと紙を捲る音が聞こえる。多分、図面を再確認しているのだろう。彼が忘れているはずはないのだが、きっと、彼も緊張しているのに違いない。

「まだ見えないね」

 左横には薫がやや楽しそうに目を閉じながら駆けている。私と出会ったときから、彼はいつでも、楽しそうな表情を浮かべている。生きていることが楽しくて仕方がない、と言った顔付きだ。

「薫、ケモノの準備、二体先行させて」

「走りながらは一体が限界だよ」

「目になるだけでいいわ」

「それじゃ」

 薫がポケットから一枚の布切れを取り出す。詠唱を誰にも聞かれないように、小声で始める。他人が聞くと発動しにくいらしいのだ。それに対して追求するつもりはない。魔法は元来個人や家の所有物であり、他者と共有すべきものではないのだ。

 詠唱が完了すると、布を正面に投げる。布は風に煽られることもなく、闇に吸い込まれて消えていった。

「エーテルの濃度が濃くなっています。全員気を引き締めてください」

 最後に、私の正面にいる左手に身長と同じくらいの黒いステッキを持った男、トレヴィルザンが注意深く気を払っていた。

 それを合図に、全体の速度が緩まる。

 数年も行動をともにしているのにも関わらず、彼は最初のときからの敬語を決してやめようとはしない。年下としての敬語だと思っていたのだが、誰に会ってもその調子なのだから、癖になっているのだろう。

 このメンバーでは一番の慎重派である細身の彼は、仲間の中でも最も信頼されている。彼は皆の意見を聞き、それに合った的確な助言をする。

 トレヴィを含めた私達五人は、それぞれが名のある魔術師の家の出ではあったが、あるものは家が没落したために、またあるものは家と折り合いがつかず、こうして使節の魔法士として身を置いている。

 そんな境遇が合ったためか、私達は良くも悪くも仲が良かった。

 青い瞳が私の茶色の瞳を捉える。あまり長身ではない彼は、真剣な表情で真直ぐに私を見た。

「サトミならできます、自分を、そして仲間を信じるのです」

 一番年下のトレヴィが、一番年上に私に言う。

 言葉は出ず、手の平を強く握り締める。

「フロムグリフォン、トゥオール。これより作戦を行う。目標は敵の完全消滅。状況変化あるごとに連絡をせよ。こちらグリフォン、作戦を開始せよ」

 明瞭に、言い漏らしのないよう無線を通じて全体へ命令をする。

 周りを見渡すと、全員がそれぞれの表情で小さく頷いた。

 それに合わせるように、私が大きく頷く。

 そして、長い長い夜が始まった。

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