二日目 「世界は決して一通りの解釈ではないという思考について」

 快晴というには程遠い、暗雲が立ち込めた空港に里見は降り立った。

 狭い機体から解放された心地よさと、時差のせいで体内時計が不安定になっているのと両方を感じながら、久しぶりの日本の風を感じていた。彼女の感覚としては、日本の風は色が違う。それも、どことなく滑らかな色をしているのだ。

 彼女は機内に乗り込むと同時に、睡眠薬を飲むという荒業に出たため、少々気分が悪い。ふらふらしながら四角形の白いキャリーバッグを持ち上げた。

 立場上、普段なら誰かが迎えに来るのであるが、今回は支部のない日本ということで、里見は一人で立ち尽くしていた。

 行き先は大体決まっていた。

 むしろ、そこへ行かなければならないのは、承知の上だった。

 しかし、不安感がすぐに足を動かそうとはしなかった。

 理由は当然のことながら、手紙の中身だった。

 そこには、日時は書かれておらず、ただ昔何度も行った喫茶店の場所が記されていただけだった。それならば、彼にとってはいつ行っても良いということなのだろう。

 裏を返せば、里見は日本に来たときから、もしかしたらその前から、動きが見られていることに他ならない。それは里見自身が一番良く理解している。

 出張を終えたサラリーマンや、長期休暇を取って海外に旅行に行く、感情が入り混じった空港の出口付近に里見が立つ。

 全身を紺で統一したスーツのような格好は、里見が好んで着る服装だ。ミハエルと同じく、仕事という意識が際立つためだ。中に着ている白いシャツの襟がスーツから出ている。腰まである黒髪は、後ろできつく縛られ、中央で綺麗にまとめられている。

 この格好で会社でもうろつけば、秘書に見えるかもしれない。キツイ目線を除けば、ではあるが。

 胸の内ポケットから、到着時刻に合わせるように音楽が鳴り響く。少し旧式の、多少の衝撃にも耐えられる構造の携帯電話である。

「ああ、ミハエル?」

 予定通りの連絡時間である。

『はい』

「情報は受け取った?」

『はい、本部からありました』

「そう、それじゃその通りやって」

『ええ、そうします。サトミさんは時間通りに日本に着きましたね』

「そりゃもちろん、文明の利器で来たからね」

 飛行機が苦手なことを知っている電話の先のミハエルは声には出していないが、笑っているのだろう。

「で、そっちの調子はどう?」

『五分五分ですが、サトミさんの言っていた、強制的にストレスを与えるという方法がやはり良さそうですね。昨晩もグールと戦闘をしましたが、彼女の技能ではトレーニングにもなりません』

「まだ銃に頼っていられる、ってことね。中途半端な実力をつけさせた私が悪かったのかしら。まあ、でも、そろそろあの子にも現実を理解させるときが来たようね」

『貴女には、最後まで良いシスターであってもらいたいものです』

「わざわざご忠告ありがとうミハエル。例の調査に関してだけど、やっぱり、日本に来ている痕跡があったわけね」

『はい、ええ、そうだと思います。予想通りの可能性が高いですね』

「あれが何をやろうとしているかは神のみぞ知る、のようね。で、肝心の唯ちゃんは?」

『ユイさんですか? ええ、今来ました』

 ミハエルが受話器を離して、唯に代わる。

 それから里見は唯と会話をした。

 内容はほとんどないと言っていいが、普段と同じ会話をすることで、里見に少しの安心感が訪れたようだった。

 彼女は、良くも悪くもまだ一般人だ。自分が特別な存在であることは自覚しているようだが、それを拒否し、戻れるはずのない平凡がどこかにあると信じてしまっている。

 自分ができること、自分がやらなければいけないこと、その両方は何を引き換えにしてもやらなければいけない。その覚悟が唯には足りていない。

 そう、里見は思っていた。

 唯はまだ、自分が継承者の力しかないと認識している。里見もミハエルもそう教えているから当然なのだが、今はまだそれだけで充分だと二人は結論付けた。イーアスは現状を憂い、彼らを急かしているが、もっと時間をかけるべきだと里見は思っている。唯に眠る可能性という名の危険性と利便性を天秤にかけて、自らが得になるように利便性を引き出そうとする使節は、唯を離そうとはしない。

 もし唯がどちらに転んだとしても、危険ならば抹消、得になるなら引き込むつもりである。

 よって、使節は他の組織には彼女の存在を隠している。

 現在では使節に反抗する組織団体は皆無に等しい。唯一といってもいいほどなのが、日本に存在する『組織』なのである。あらゆる情報網を使い、組織の情報を集めているが、今のところあまり実にはなっていない。島国ということによる、異種、魔法系統の孤立が一番の原因であり、混血である特異能力者を多数集めているということくらいしかわかっていない。



 里見は疲れたように電車に乗った。

 高校生までは日本の学校に通っていて、そのときからどうしても都心部の人間は生き急いでいるように見えた。三分おきにやってくる電車に詰め込まれ、見知った駅でのみ降りる。ただ、それの繰り返し。

 里見にとっての十年以上振りの日本は、何も変わっていなかった。

 建物や服装は変化しているが、乗り合わせる人々の顔つきは昔と同じだ。

 能天気のようで、底知れない不安に怯えている。

 昔は、昔は、と思ってしまう自分に嫌気がさし、里見は大きく溜息をついた。

 大型のデパートが建てられて、以前の面影がない郊外に近い駅で里見は降りた。反対側は再開発がストップし、崩れかけた建物が並んでいて、それが、世界の明と暗を象徴しているようでもあった。

 人が行き交う街並み、そこでようやく今日が休日であることを里見は思い出した。曜日の関係ない仕事にいると、世界が休む日など構っていられなくなる。

 まるで住んでいたかのように、迷う素振りを見せることなく裏路地を歩いていく。

 いや、実際には彼女は十年前まではこの地に住んでいたのだ。

 そこに、目的の店はあった。

 古いレンガ造りで、喫茶店というには少々年代を老いすぎているかもしれない、黒塗りの窓ガラスでは、外から中の様子を見ることはできない。地味なドアをあけると、紺のミニスカートで白いフリルのメイドのような格好をした二十歳前後の女性が一人、盆を持って立っていた。ショートのツインテールで、半分夢の世界に旅立っていそうな表情をしている。

「いらっしゃいませ」

 里見に気がついた様子で、愛想のいい顔で、お辞儀をする。

「お一人ですか?」

 里見が薄暗い店内を見渡す。

角に置いてあるテーブルに、その男はいた。男も里見に気がつくと、妙にへらへらした顔で、右手を振った。

「いや、待ち合わせ」

 その様子を悟ったウェイトレスが、笑顔で後退する。

 男と向かい合うように、里見が黒塗りの椅子に腰をかける。

「やあ、久しぶり」

 男は嬉しそうに、笑顔で言った。全身を紺の一般的なリクルートスーツで固めて、どこからどう見てもサラリーマンのようだ。短くも長くもない、軽く真ん中で分け目のついた、会社に行くにはごくありきたりな髪型だ。里見と同年代のようだが、妙にあどけなさが残る顔つきで、新入社員としても通用しそうである。

「ええ、ほんとう」

 男の笑顔を、ぶっきらぼうに里見が返す。

「四年ぶりね」

「ああ、あの時以来だ」

「会社にでも勤めたの?」

 皮肉っぽく里見が男に言う。男は笑顔を崩さず、一枚の小さな紙を里見の差し出した。変哲もない白い長方形のそれは、誰が見ても名刺だった。

「公務員だよ」

 紙の右には、『厚生労働省大臣官房情報統計部安全対策課』と長ったらしく役職が記されていた。

「それで、『何』をしているの、カオル?」

 ウェイトレスに紅茶を注文して、里見が男に聞く。何、とはもちろん、本当の意味での仕事のことだ。

「何も変わっていないよ、昔のままだ」

 溜息にも似た息を吐いて、男、穂波薫が答えた。

「日本で起こるそういったものに対抗する、政府機関。それだけで充分だろ?」

「まだ、魔法士なのね」

「いいや、今は魔術師だ」

 彼らは二人とも元は魔法士であり、彼らの言い回しとして、魔術師は『戦闘に参加しないもの』という意味合いを含んでいる。

「あくまで対策を練る役目、それ以上は僕じゃないよ?」

「それを実行するのが組織ってわけ?」

 対策するための機関を設けている国は意外と多い。それは先進国と呼ばれる国であるほどしっかりとした機関がある。使節は国家機関とも連携を取ることはあるが、反発をすることもある。現在世界的な規模で連携を取るための機関作りが一部で叫ばれているが、なにかしらの影響によって実現には到っていない。

 また、機関の中には実行力を持たないものもある。調査の能力だけで、処分をする攻撃力を備えていないのだ。それらの機関は他の力、使節などの力を頼る。

 絶大なる処分能力を持つ使節は、ほぼ無償で力を貸してくれるため、弱小機関では感謝をされる。その分使節はその地域の『神秘』を管理、吸収している。

 里見の言葉を受けて、穂波は楽しそうに口元を緩めた。

「何だか勘違いしてるみたいだね? 使節の情報部も仕事が甘い」

「何?」

 里見が眼鏡の奥の目を細める。

 里見は、日本に機関があるという情報を知らなかった。里見が知らないということは、使節の上の方でも知らない可能性が高い。

「あれと僕とは無関係だ。むしろ敵対関係にあると言ってもいいかもよ?」

「どういうことよ?」

 訝しげに里見は笑顔の男を見たが、男は肩をすくめた。

「ここから先は有料にしよう。情報には相応の対価を、だろ?」

 情報は金銭で交換できるものではないのは、こちらの世界のルールである。金銭で買える程度の情報は、既に知ってしかるべきレベルなのだ。

 ならば、情報に対応するには情報しかない。

「何が知りたいの?」

「君達が隠していること」

 穂波が意味深な笑みを浮かべた。

「何のことかしら」

「正確に言えば、君達が連れまわしている彼女のこと」

 穂波が言う『彼女』が示す人物は、互いの認識においては一人しかない。

「ま、大体見当はつくけどね」

「せっかくだから見当を聞いてみようかしら」

「第六元素」

 指をくるりと回して、穂波がさらりと答える。その言葉を聞いた里見の表情がかすかに変わるのを穂波の目は逃していなかった。

「さらに根拠を言うなら……。彼女は数少ない『継承者』だそうだね。確かにその能力は使節としては離したくないし、手に入れても損にはならない。僕としても、継承者が一人こちら側にくるだけで、戦力は格段に上がるだろう。だけど、それだけだ。使節にとって継承者にそれ以上の価値はない。使節は、使えない継承者なんか問題扱いして処分する機関だ。それなのに使節は必要以上に彼女にこだわっている。なら必然として結論は出てくるだろう?」

 里見は否定をしない。否定をしない、ということは、認めている、ということだ。

「随分と調べているようね」

 唯が継承者であることも、使節は極力隠している。特に継承者の力を何も使えていない一般人並の能力しかない唯は、他の機関や異種には色々な意味で都合が良すぎる。

「なあに、ちょっとした推理だよ」

「お見事すぎて何も言えないわ、まるで使節の誰かと通じているみたいね」

 里見は動揺しているようだったが、表には出していなかった。唯がそうであることは、使節の中でも、ほんの一握りしか知らない。評議会以外で知っているのは、里見とミハエルぐらいだ。

「情報元は極秘扱い、これでも日本に散らばる情報は全て集まるんだ。肩書きも捨てたもんじゃない」

「で、それを知ってどうしようって?」

「継承者ぐらいで使節と争うほど馬鹿じゃないけど、それが第六元素に関係することなら話は別になるね」

 穂波が里見に視線を送って、自分はアイスコーヒーのストローに口をつけた。

「私達から奪うつもり?」

「勝手に占有権を主張してもらっては困るね。彼女の愛しき人を殺したのは確かに組織だが、同じことを使節が思っているってこと、彼女に言ったらどうなるのかな?」

 ダンッとテーブルを里見が叩く。その表情には怒りが読み取れる。大きな音に入り口でぼんやりとしていたウェイトレスが驚いて跳ね上がった。

「愛、ここで争っても意味がないだろう? はっきり言って、僕は負けない。攻撃力、汎用性は君の方が上だけど、瞬発力、持続力は僕に分がある。君が魔法を発動させる前に、この街の人間を全て犠牲にするだけの時間はあるよ。準備をしていないわけじゃない」

「わかってるわよ」

 穂波の言っていることは脅しではなく、事実である。それは魔法の質の問題だ。

 だが、里見も本気で彼がそんなことをするとも思っていない。不必要に他人を巻き込むのは彼の性格では考えられないからだ。

「さて、これについてはこれくらいにしよう」

「話は終わってないわよ」

「まあまあ、主導権がこっちにあることを忘れないように。昔のなじみでサービスをしてあげているんだから」

 里見が握り拳を下ろして、入り口のウェイトレスを見る。

 半ば眠たそうにぼんやりしていたウェイトレスを里見が呼びつける。ガラスケーキの中に並べられているココアケーキを注文した。

 営業スマイルなのか、力いっぱいの笑顔を向けて、ウェイトレスは切り分けられたケーキを持ってきた。

 お礼も言わずに里見がケーキにフォークを刺し始める。

 一口食べたあと、少し満足げに紅茶に口をつけた。

「この店は、何も変わらないわ」

「僕も四年前来たとき、本当にこの店が残っているとは思わなかったよ」

「二人で来たのはもう十年以上も前かしら」

「そうだね、あのときは、本当に僕らは若かった」

 二人の年齢から逆算して、彼らが言っているのは彼らがまだ十代の、それも高校に通っていたときの話だ。

「今でも若くいたいものだわね」

「しかし残酷に、亡くしたものは帰ってこない」

 穂波が鬱然とした表情で下を向いた。

 言葉の意味を悟った里見は、穂波に声をかけようとしたが、言うべき言葉が見つからなかった。

「君達の知りたがっている組織についての情報を上げよう。僕だけが持っていても意味がないからね。と、いうより君が知って意味があることもある」

 顔を上げて笑顔に戻した穂波が口を開いた。

「何の話?」

 里見の質問に穂波は首を振って返すだけだった。

「組織の固有名についてはわからない。わからない、というよりは、『ない』と言った方が正しい。だから、総称して『組織』と呼ぶ。正確な内部構成については検証の余地があるけど、統括しているのは『創立者』と呼ばれているらしい」

「よく調べたものね」

 使節は組織とコンタクトを取っているが、全体としての構成は不明瞭のままだ。それは使節も同じことであり、完全な構成を知っているのは上層部だけだ。

「それが仕事だからね」

 誇らしげでもなく、当たり前といったように穂波が返す。その仕事に多少物足りなさがあるような言い方だ。

「それでも僕が調べたのはそこまで。創立者が何をしているのかは知らないし、その目的もわからない。混血をレアタレントと呼んで集めているのは使節も掴んでいる通りだ」

 頷きで里見が返す。それを確認した穂波が、話を続けた。

「組織が成立したのは」

「約五十年前、大戦直後」

 それくらいの情報は使節のほうでも回ってきている。第二次世界大戦後、数年を経てから姿を見せ始めたと記録には残っている。

「そう、今の構成を確立していたかは定かじゃない。だけど、原型はその当時らしい。そういったものにしては相当新しい部類に入るほうだ。使節の千年に比べればね」

 穂波は続ける。

「僕のいる対策課ができたのは十年前だから、それ以前の資料を見つけるのは難しい。だけど、一つの仮説がある」

 仮説、と言って、穂波が頬杖をついた里見の顔を見た。

「組織の原型ができたのは五十年前、それと時を同じくして、日本から消えた、正しくは分解された機関がある。僕らにとっては使節よりもなじみのある名前だ」

 里見が手を頬から離して、穂波を睨むように見つめ、小声で忌まわしげに呟いた。

「……統世五見(とうせごけん)」

 それは確かに、二人にとっては使節よりも近い存在である。その名は所属ではなく、彼らの出自そのもののことだからである。これから彼らに何があったとしても、それを変えることはできない。

「僕らが本来所属している五見の中で、一つだけ消滅したのでもなく、行方の知れないもの達がいる」

 里見が頭の中で昔から知っている一族の名前をあげていく。それは彼女は物心がつくよりも、魔法を学ぶよりも早く教え込まれていた名前だ。

「水鏡見、ね」

 その中から一つ、唯一の一族の名前を選ぶ。

 里見が生まれるよりも前に存在し、五見の中で一度も顔を見た事がない一族、それが水鏡見だった。里見が知っているのは、かつて、それがいたという事実だけである。

「もしかしたら、彼らが何かしらの関与をしているんじゃないかな」

「あくまで仮説だわね」

 里見は、否定はしないが肯定もしない。

 可能性から言えば、とっくに一族がなくなっている方が高いからだ。

「そう、あくまで、ね。だけど彼らがいなくなったのはなぜだ? 家の資料でも、彼らだけはどうなったのか記されていないのは? 攻撃専門の彼らが、あの戦闘時においてあっさりいなくなったのは?」

 まるで自問自答のように穂波が疑問を畳み掛ける。

「全て、終戦の混乱で消滅した、という理由なら簡単なのだけど」

「僕らが知らない、歴史の裏の裏ってことだね」

「そういうことになるわ」

 二人はまだ若いため、自分達の生まれてきた家にまつわる話も全てを知っているわけではない。

「これで僕が出せる情報は終わり。愛が何か持っていたら、出してもらおう」

 里見が外に出しても問題にならなそうな情報を考える。しかし、元使節の人間である穂波に使節の話はあまり必要度が高いとも思えず、現状で最高機密にあたる第六元素の話は言われる前に穂波がしてしまった。

「そう、ね。あんまり高いものじゃなくてよければ」

「構わないよ」

「アッシャが日本に来ている、というのは? あれが表立って姿を現したのは実に二十年ぶりだわ」

 里見がそう言うと、やや体を乗り出しがちに穂波が聞き返した。

「なんだって? 姫が?」

 里見に予想に反して、このことは彼の耳には入っていないようだった。

 姫、とはアッシャという異種に付けられた呼び名の一つである。アッシャもまた真名ではなく、誰かがそう呼び、通称として知れ渡っているだけなのである。数百年前から姿を現し、決して歴史に干渉をせず、誰からも干渉されない強さと高貴さを持っているその異種は、姫と呼ばれもはや伝説に近い存在になっている。

「理由は使節も知らないわ。そのための調査も兼ねて私は来ている」

 その異種が、突然として日本に現れた。

 いかなる異種であろうとも、追撃し処分をする使節は、アッシャが姿を見せるたびに戦いを挑み、そして常に軽くあしらわれている。

 知られている限りでは、単独戦闘で適うものがいないとされている。

「あはは、そうか。姫が、本当に? これは驚いた!」

 愉快そうに独り言を言っている。

 しばらくぶつぶつ言ったあと、急に穂波が席を立った。

「残念だけど、失礼するよ。またすぐに会う機会はある、六番目の話も含めて」

 里見が何かを言う前に、鞄を抱えて穂波がレジに代金を払い、いなくなってしまった。

 取り残された形になった里見は、追加で別なケーキを注文して、一人で食べていた。

 恐ろしく甘いフルーツタルトだった。



 昼過ぎ、里見がホテルに着いたところで再度連絡が来た。近辺では最高級に属するホテルで、入り口には不必要なほどの大きなシャンデリアが吊るされていた。

 里見にはあまり興味がなかったが、イーアスが気を利かせて準備をしてくれたのだろうと思っていた。

 自分の住んでいる部屋よりも広い客室に荷物を置いたとき、里見の携帯電話が鳴った。

 声の主は当然、ミハエルだった。

 ミハエルからは定期的に、作戦の進展と、彼女の動向を知らせるようになっている。

『これで良かったんでしょうか』

「まあ他に手はないんだし、ミハエルの推理も間違っているとは思えないわ。状況証拠を取ってみてもね』

 事件に関する使節が提示した情報と、ミハエルが考察を加えた結果、その双方を繋ぎ合わせて里見が結論を出す。

『そうだとは思いますが、サトミさんに関係あるのはそちらではないのでは? わざわざ確認のために日本へ来るのでしょう?』

「ミハエル」

『何でしょう?』

「貴方が私に意見をすることは禁じられているわ、関係をわきまえて頂戴」

『承知しています」

 里見がミハエルの疑問をはねつけ、ミハエルは適当な言葉で返す。

 規則上の会話であり、二人には何の意味にもならないことは了解していた。ただ里見は追求を逃げるための単なる口実に過ぎない。

「とはいえ貴方の言いたいことは大筋認めるわよ。貴方も自分の仕事しっかりとね」

『私の仕事ですか、正直気が進みませんね』

「ミハエルは過保護すぎるのよ」

『それは貴女も同じでしょう。彼女が望まなければそれでいいと言ったのは貴女です」

 ミハエルの言葉に、里見は正直心が緩むところがあった。ミハエルも自分も、見えないところで彼女に繋がっている。彼女がいるから、二人はどこか安定を保っている節もあったのだ。

「どうにもこうにも面白くない状況なのよ、今は。それを打開するための手段は何としても欲しい。それが使節としての見解」

 そんな自己中心的な意識を隠して、里見が自身の役割を告げる。穂波と再会し、彼女の存在を欲しているということも、彼女の苛立ちを加速させていた。

『彼女を駒として使う気ですか』

「駒よ、彼女は」

『はっきりと言いますね』

「もちろんよ、私も貴方も彼女もね、上にとっては単なる駒に過ぎないわ」

『私個人としては聞きたくない言葉ですね」

 ミハエルが里見に対して、当然のことを言う。里見も、自身が駒なら許せようが、他人をモノのように扱いたいとは思っていなかった。

「私だって個人としては言いたくない言葉だわ。だけどこれは事実、真実でなくても変えようのない事実なのよ』

 しかし、思ったよりも切羽詰った今、唯が望まざるに関わらず、彼女の能力を少しでも起こしておく必要がある。それは、彼女にとっても大切なことだと里見は思っている。

『シュヴァンデン騎士団の名に賭けて、可能な限り意に添うようにしましょう』

「お願いね、出来れば彼女を悲しませないように』

 監督者、としてではなく、一人の知り合いとして、里見は唯のことを気遣っていた。

『また難しい注文ですね」

 苦笑するように、ミハエルが溜息にも似た声を出した。

「だから貴方に頼んでいるのよ、ミハエル」

 会話を締め、電話を厚みのあるベッドに放り投げる。三度電話は跳ね、その動きを止めた。

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