過去 「現在、という観念を生じさせることが既に過去であるという過去の観念について」
それは遠い昔の話だ。
幼い少女は、長い髪を束ねて廊下を歩いていた。
周囲の大人達はどこか一風変わっていて、大きな屋敷に一族で住んでいるのに、お互い顔を合わせることがほとんどなかった。
彼らは、魔法使いだったのだ。
少女は『普通』の人達とは違う事実を、ごく普通に受け止めていた。彼らは魔法を使うことなど滅多になかったし、彼女には触れる機会もなかった。
彼女は誰に何を言われるでもなく、自分もいずれは彼らと同じ『魔法使い』というものになるのだと確信していた。
彼女は、生まれつき他の人よりも目が良かった。
それは、見えるというよりは、見えてしまう、という表現の方が適切だったのだろう。
得体の知れないモノに怯え、毎日を恐怖で過ごした。奇怪な触手を伸ばす黒い泥、歯を見せず笑う顔の崩れた生首、いつまでもついてくる影のない人間達、そういうモノが彼女の日常だった。
誰も助けてくれず、また彼女自身も、これは自分の問題だと割り切っていた。
それが、魔法使いになる道だと信じて疑わないかのように。
倒せない敵に向かって、ただ耐える日々が続いた。
彼女は、体中を傷で覆っていった。
見える傷、見えない傷、彼女にとっては何も変わらなかった。
ほどなくして、彼女は魔法を学び始める。
彼女が想像していた華々しさは欠片もなく、同じ作業の繰り返しだった。いや、むしろ遊んでいると見間違えてしまうくらいだった。
彼女は、来る日も来る日も、ただひたすら粘土をこねていた。
作らされるのは決まって一つ、小さな自分の人形。
両手で余るほどの大きさで、自分を彼女は黒色の粘土で模っていく。鏡などを使って自分を確認してはいけない。自分という形を理解し、それを自分の手で再現していく。
作っては壊し、また作っては壊す。
彼女は文句も言わず、一人で人形を作って誰にも見られずまた壊す。
完成も失敗も言われない。
ただ『つくれ』と大人の命じるままに。
変化のない作業が繰り返されること二年間、彼女の髪は伸び続けていた。
事態は一向に好転することもない。
多分、何も言われなければ、彼女はまだ粘土をこねていただろう。
しかし、今や彼女は粘土に触れていない。
ある寒い夜、その日も彼女は黒い粘土をこねていた。
彼女の前に数人の大人が集まっていたことも知りながら、気にも留めず、粘土で手足をつくっていた。
大人達は周りで相談事をするような小さな声で話し合っていた。
「チャンネルが見当たらない」
だとか、
「現実干渉の能力を環境把握に使用している」
だとか、
「土に対して適性がないだけだ」
だとか、彼女にはまるで無関係であるようなことを言っていた。
胴体を作って、手足をつける。
頭は最後に、ボールみたいに乗せる。
へらは与えられていないから、指先で優しく力を込めて接合面の傷跡を埋めていく。
そして、誰かが言った。
「アレは、欠陥品だ」
と。
その意味を、彼女はもう少し後で理解することになる。
落胆では済まされない、自分の存在自体を否定された言葉であることを。
彼女は結局自分自身の似姿さえ、一体も『創る』ことができなかったのである。
最低レベルの自己複製もできない彼女は、彼らの求める技能が習得不可能であること、そればかりか、魔術の基礎原理も行使できないという結果を出してしまった。
彼女は、魔法使いとして、最も大事な部分が欠けていたのである。
彼女にとって辛かったのは、何よりも、そのことを自分が理解してしまったということだった。
目の前の事実を無視するには、彼女の目は少しばかり良すぎたのだ。
そして彼女はもう人形を作らない。
それは遠い昔の話だ。
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