2「Klaxon For Crazy Tomorrow」

 里見から任務の連絡を受けてから数時間後、太陽もようやく沈み始めた時間帯に、二人は行動を開始した。特に準備に戸惑った、というわけではなく、何となく、夕方の方が二人とも動きやすいだろうと思ったからである。

 二人とも装備はなく、手ぶらだった。唯が、胸に里見から渡されたナイフを入れたくらいで、銃は持っていない。

 ミハエルは、そのままノーネクタイで、唯は適当に繕った紺の薄いベストに、鞄の中にあったチェックのキャスケットを浅めに被っただけだった。胸元から桜にもらったクロスペンダントが、人工の光に反射して輝く。

 まずは、駅前に向かい、地図を確認する。

「やはり、こちらのようです」

「みたいだね」

 駅は比較的大きく、いくつかのラインで分かれている。線路が交差しているらしい。多くの人が、北口へと歩いていく。二人のホテルも北口にあった。南口は、どうやら、再開発が間に合わなかったのか寂れてしまっているようだ。

 駅を出ると、そこは立体に入り組んだ歩道橋だった。線路が多いため、駅の出口が地上二階になっていたのだろう。駅を起点にして、道路が分度器を四等分したように、斜めに四本走っていた。更に、歩行者専用と思われる道が何本もある。

 駅前のビルには、大きな液晶ディスプレイが幾枚にも貼られ、歌手のプロモーション映像が流れていた。一年間ヨーロッパにいたおかげで最近の歌手はわからなくなったし、それほど興味がわかなそうな、若い女性の歌だった。

 夕暮れの空は思いのほか重苦しく、得体の知れないものに急き立てられ、人々は無意味に足早になっている。会社や学校から家路に着こうとする人々と、これから夜の遊びの時間を過ごそうと都心部へ向かう人々で、歩道橋はごった返していた。

 道行く人が一瞬二人を見て、そして何事もなく立ち去っていく。日本で外国人は珍しくないとはいえ、ミハエルの相貌は人目を引く。

「ここを、真直ぐですね」

「うん」

駅前から放射状に道が幾つも伸びる、少し特殊な形で街が形成されている。その中心部、駅正面から左へ一本ずれた道を歩く。

 唯が横を見ると、ミハエルのテディベアは、万歳をした体勢らしく、胸ポケットから、両手だけがはみ出していた。指先は、焦げ茶のフェルトで作られていた。もう少し這い出してくれば、いい感じかも、と唯は思う。

「ね、ミーちゃん」

「はい」

「テディベアのことだけど」

 その言葉に、ミハエルの肩がぴくっとびくついた気がした。

「なんですか」

 しかし、ミハエルは揺るがない。

「誰からなの?」

「まだ秘密です」

 唯に向き、諭すように口元を緩ませる。

「もったいぶってー」

「その語法は正確ではありません」

「じゃあ、ヒント」

 気紛れに言ってみただけだったのだが、ミハエルは立ち止まり、考え込んでいる。

「……ヒントですか、そうですね。ではこうしましょう。質問は三つまで、全てイエスかノーだけで答えられるもの、というのはどうですか?」

「クイズみたいだね、オーケー」

 うーん、と唸り、ミハエルの真似をして、顎に手を当てる。

 どのように質問をすれば最も効率が良いのか、質問のタイプを考える。あまりに極端なものは、当たれば効果は大きいが、外れるとほとんど意味がないままになってしまう。

 最初は、無難に攻めるのが良い。

「送った人は、女の人?」

「イエスです」

 まずは一つ目の質問を消費。

 どちらに転んでも、約半分に絞られる。

「なーるほど」

 多分そんな気はしていたが、やはり女の人だった。逆に男の人、という答えの方が意外性があって、面白かったかも、と次の質問を考えずに想像していた。

 ミハエルの知人を、唯はほとんど知らない。唯が会ったのは使節の人間でも数えるほどしかいない。その中で女の人なのは、里見と、使節に連れてきたときに里見に会わせられた、巫女と呼ばれた金髪の女性だけだ。そのときは英語が全くといっていいほど聞き取れなかったので、何を言っていたのかはわからなかった。里見が、驚くほどうやうやしくしていたのだから、上の人間なのだろう、というくらいしか印象がなかった。

「私が会ったことある?」

「私の知る範囲では、ノーです」

「それって、答えてないんじゃない?」

「今のが三つ目の質問ですか?」

 少し微笑んでミハエルが唯を見る。

「わ、違うよ。さっきの質問、完璧なイエスかノーか、じゃないなら質問数は減りません」

「そう言いましたか?」

「む、言わなくても」

 唯の理不尽な要求に、ミハエルはもっとな答えを返したが、まだ唯は納得していない。ミハエルは上を向いて、何か、別な言葉を探している。

「そうですか。それならばサービスで、彼女の兄には会ったことがあるはずです。それで二つ目の質問としましょう」

「うーむ」

 彼女には会ったことはないが、兄には会ったことがある。しかも、ミハエルの範囲で、ということは、ミハエルとも知り合いなのだろう。

 会ったことがないのだから、最早人物の特定をすることはできない。唯はそう判断した。ならば、残された質問をどう使うか。

 その個人の特性についてか、それともミハエルとの関係か。

 どちらも唯にとって、非常に興味のある内容である。

 恋人、かな。

 いや、それはどうだろうか。

 ミハエルとともに行動するようになって一年あまり、そのような素振りを唯は一度も見たことがなかった。むしろ、ミハエル自身、全くそういったものに興味がなさそうであった。

 その線は、捨てても構わなそうだ。

 なら、家族の誰か。

 それが、最も普通の答えだろう。

 だが、ミハエルには妹も姉もいないと聞いている。ミハエルの言葉が嘘でないなら、母親か、そのくらいだろうが、それならミハエルが隠す必要性が見当たらない。

 関係について質問するのは、意味がないかも。

 渡した人が、どんな人か。

 テディベアを渡すくらいだから、人形が好きな人だろう。

 そういえば、それが手作りかどうか、それも判明していなかった。手作りらしい、誤解を避けずに表現すれば、商品としては不恰好な感じがする。

 それを確認した方が良いだろう。

 唯は質問を決め、ミハエルの言おうした。

「う、わ」

 そして、ミハエルの背中に思い切りぶつかってしまった。

 ミハエルが歩みを止めていたのだ。

「着いたようです、質問の続きはいずれということにしましょう」

 歩いて十分ほどの、真横に横切る片側一車線の道路が、事故現場らしかった。歩道の上にはアーケードがあり、雨を防げるようになっている。車線は少ないが、車の往来は激しい。中でも、大型のトラックが多いのが特徴的だろう。角が銀行になっている通りの十字路に二人はいた。駅前に比べ、人影は疎らである。見渡してたが、娯楽施設がないためかもしれない。

 車が歩行者を避けようとしたのだろうか、ガードレールが大きく歩道側に曲げられていた。道路側を唯が覗き込むと、ガードレールの白い塗装がはがれ、また、汚れが目立っていた。二人の足元には、小さな花束が申し訳程度に添えられている。被害者の遺族か、それとも知り合いだったのかはわからない。

 事故があったのは二日前、被害者は若い男性で、十代後半だったらしい。加害者はトラックの運転手で、時刻は夕方と記されていた。唯が空を見上げる。今と同じくらいの時間だったのだろう、空はまだ闇よりは光に満ちている。記事は、トラックのわき見運転を疑っているらしい。この直線的な道路だ、よほどのことがない限り見過ごすなんてことはないのでは、と唯は思っていたが、車を運転しない彼女には今ひとつピンと来ない。

 特に不自然な点はないと思う。

 目の前に横断歩道があるのだから、被害者が赤信号なのに無断で渡ったか、それともトラックの運転手が信号無視をしたのか、そのどちらでさえあれば事故は起こったのではないだろうか。

 ミハエルが唯に視線を移し、場所の移動を目で告げる。唯もそれに同意して頷いた。何も言わないところを見ると、ミハエルにも不審さは感じられなかったらしい。

 右へ曲がり、五分ほど歩く。

 次の事故は、さっきの事故よりも前にあったらしく、置かれた花束は排気ガスの影響で枯れかけていたし、包んでいた紙は雨に打たれたのかボロボロになっている。この花束はあとどれくらいこの場所にいて、誰が片付けるのだろうか、と無意識に考えていた。

 別段、変わったようには思えない。

 唯は、調査の経験が浅く、空間エーテルの流動さえ、まともに把握できていない。唯が今できるのは、それぞれのものが持っている、魂魄の存在を確かめるくらいである。魔法士としては、初歩の初歩だ。魔法士の力量はあるのだが、この一点だけを取ってみれば、経験が深い騎士のミハエルの方が長けている。何となく感じるものはあるが、それは普段とさほど変わっているものではないと思う。恐らく死亡事故の影響で、エーテルが不安定に揺れているだけだろう。

 今こうして道路を見ていても、花束にはまるで無関心に赤信号で横断している人は何人もいる。そこまでして急ぐ必要がどこにあるのか唯は本人ではないからわからないが、あれなら轢かれても文句を言える立場ではないだろう。

 車は、単純に、移動もできる大型の凶器と変わらない。

 里見は何故この事故を調査しろと言ったのだろうか。

 それならば、何か原因があるはずである。本当に原因がないという可能性もないではないが、指令なのだから、あったと見て探すのが里見の思惑なのだろう。もしこれでただの事故だったら、里見の嫌がらせと思って諦めるしかない。

「ねえ、ミーちゃん」

 帽子を深めに被り直して唯が振り返る。後ろには天を仰いでいるミハエルがいた。

「太陽が、落ちる」

 ぼそりと、一人で呟いていて、唯の呼びかけは聞こえなかったようだ。

「ミーちゃんー」

 こっそりと後ろに回って、ミハエルの膝の内側目掛けて足を入れようとしたが、ゆっくりと紙一重でその動きを避けられてしまった。足のやり場がなくなってしまった唯は、不自然に右足を伸ばしている。

「何ですか」

 慌てて直立不動になり、気を付けの姿勢になる。

「あ、え、やっぱり、おかしいところはないと思うんだけど」

「ええ、同意見です」

 ミハエルが即答する。

「それにしてもさ」

「はい」

 憂いを帯びた瞳で、ミハエルが唯を見る。

「あ、えー、うん、どうみても、事故だよね」

 一瞬、ほんの一瞬だが、不覚にも頬を赤らめてしまいそうになった唯がいた。その心を立て直し、言葉を発してみたが、気が付かれたかどうかはわからない。

「まだ、わかりません」

 ミハエルが落ち着いた声で返す。

 唯からみても、ミハエルもどう理解していいのか、考えあぐねているらしかった。

 現象だけを取ってみれば、単なる事故である。二人が関わりを持つにしては、明らかに瑣末すぎる出来事だ。今この瞬間でも、どこかで発生しているのだろう。

「変なところはないよ」

 そもそも、この事故が何らかの影響によって起こったとしても、それが一体なんだというのだろうか。

 唯は、里見の真意が掴めない。

「否定する証拠もありません」

 つまり、ミハエルも、現象がこちらよりだと肯定する証拠を見つけていないということになる。ミハエルがわからないことが、唯にわかるとは、自分でも思っていない。

「そうだけど、何も感じないよ」

「もし魔法だとしても、二日も経過すれば、痕跡を消すことは可能です」

 人為的なエーテルの行使は、自然界との軋轢を必然とするため、違和感が残ってしまうのだという。唯にはまだそこまで把握はできない。

 唯よりも、ミハエルの方が経験が多い。ミハエルも魔法の修行を中心的にしたことはないが、いくつか身体能力を向上させる簡単な自己暗示クラスの魔法なら使いこなすことができる。

「サトミさんがああ言っている以上、調べなければいけません」

「でも」

 唯が口を開く。

「里見さんは、全部わかっているんでしょ?」

 ミハエルが、何かを言いたそうに目を細めたが、唯は無視をする。

「それに、おかしいと思わない? 里見さんは、どうやってこの事故に……」

 里見が来たのは一週間ほど前だ。何か仕事をしているとは言っていたが、少なく見積もっても、調査に数日かかるはず。偶然居合わせたとするのは、少し都合を良すぎる解釈だと思う。

「ユイさん」

「それじゃ、まるで誰かが教えてくれているって」

「それ以上は、口にしてはいけません」

 ミハエルはその言葉に全てを込める。

「私達は私達の仕事をしましょう。サトミさんにはサトミさんの仕事があります」

「ん」

 ミハエルの言うことは、当たり前のことだった。

「とにかく、もう一度見てみましょう」


 トクン

 唯がミハエルと前の現場に戻ろうとしたとき、違和感が過ぎった。うなじを逆撫でされたような、思わず首を竦めたくなる感触だった。無意識に服の上から、ベストの裏側に隠してあるナイフに手を当てた。硬質感は、柔らかな胸を押し付ける。

 ミハエルに向いたが、彼も同じだったようだ。今は剣は持っていないが、体が自然と半身になり、左手が腰に位置している。攻撃の予感、そんなものを感じ取ったのだ。

 何が原因か、唯はまだ気が付いていない。ミハエルもまだ、特定できていないようだ。

 キキー

 異質で、甲高い音が響く。

 方向は、二人が今まで調査していた場所から二十メートルほど離れた交差点の辺りだ。

 唯がその音に視線を向ける。

 バン

 鈍い音は、唯が焦点を合わせるより早く、そこで生じた。唯が見たのは、空中を舞う、スーツの人形だった。胴体が背中で二つに折れ、えびぞりをしている。腕は万歳なのか、おどけたように真後ろにある。それが、人形ではなく、本物の人間だと認識すると同時に、それは、地面へ叩きつけられた。

 それを轢いたのは、白い乗用車だった。その車も、人間が踊っている間に下をすり抜けて、半回転をし、ガードレールに衝突をした。急ブレーキを踏んだせいだろう。

 合わせて、後続の車が急停止し、ぎりぎり落下してきた人間をまた轢くことはなかった。

 次々に車が停止する。白い乗用車は、斜めにフロントを唯達に向けていたが、ガラスは粉々になっている。ボンネットが大きく、曲げられていた。

 地面にうつ伏せになっている彼は、自らの血で円を描いていた。

 最初のブレーキ音がしてから、十秒後、ようやく事態が飲み込み始めたのか、歩行者が声を上げて騒いぎ出す。

 しばらく、唯はその光景に目を奪われていた。見入っていた、というほうがいいかもしれない。状況を把握しようとする思考が、経験が浅いせいでブランク状態になってしまっている。

 血。

 画面がモノクロになり、血だけが強調されて真っ赤に彩られる。見えない自分の腕が、透明で血に濡れている景色が見える。

 吐き気は起こらなかったが、足の力が抜けていく。

「ユイさん」

 ミハエルが唯に声を掛ける。

 唯が振り向くと、ミハエルは、駅の中心部へ急ぎ足で歩き始めていた。


 男が空中を舞っていることは、ミハエルにとってはどうでもよかった。地面に落下とした段階で、恐らく死んだのだろう、くらいにしか思わなかった。感情の欠落か、思考の切り替えが早いだけのどちらか、あるいは両方だろうか。ミハエルは、見える範囲の全員の顔を、もちろん車の運転手まで、瞬時に見渡す。

 誰かが、やった。

 視覚としての情報と、感覚としての情報を、集める。そして、二次的に発生する思考を制御する。

 あの違和感は、空間エーテルの乱れだ。今は、人々が騒いでいるせいで、周囲のエーテルはざわつき始めている。空間エーテルは、感情、つまりは人間の意識に左右されやすい存在だ。それが、発生源の特定を不可能にしてしまった。『誰か』は、それが狙いだったかもしれない。

 相手は、魔法士か?

 だが、感覚として、さほど距離は離れていないはずだと考える。だとすれば、目で確認できる可能性は高い。時限式の魔法なら、今まで調査をしていた最中でも気が付きそうなものだったからだ。

 一体、何のために?

 男は、車に轢かれて死んだように見える。少なくとも、目で追ったところからはだが。男を殺すのが目的か、事故を起こすため、何のために今動いた。

 関係ない。

 理由は、探索の際に邪魔をする。推論を並べても、一般論の域を越えるわけではない。

 思考を、排除する。

 スイッチを切る感覚で、何を考えるか、その最優先事項を選択していく。

 ガードレールに車が衝突する音が聞こえていた。音もいらない。聴覚を遮断する。五官の機能を停止させることで、他の感覚を鋭敏にする。その調整は、気の遠くなる修行で会得したものだ。

 唯に気を止めず、シャッターを押す気持ちで、映像を記録する。数コンマ秒ずれて、その映像を思考の一部が検討していく。思考の時間が撮影よりも長めになっているため、徐々にその写真は溜まり始める。

 記憶では、二十人を越える人数を記録したとき、十二人目で、奇妙な少女を見つけた。男とミハエルの間くらいに立ち、男を見ていたようだった。背中を向けているので、顔は見えない。髪は長く、肩を越えて胸元を過ぎていた。黒い艶のある髪の毛である。薄緑色のブレザーだ。身の丈は唯と変わらないだろう。その少女は、恐らく、事故が起こる前からそこに視線を合わせていたのだろう。他の映像を比較しても、その瞬間に男を見ていたのは、唯が一番速い。

 写真のイメージを消して、現実にコマを合わせる。少女に注意点を向けると、彼女もミハエルの視線を感じたのだろう、一瞬こちらを見た。

 その顔を、ミハエルは記録する。

 少女は、些か慌てた表情を浮かべたが、それを直し、駅へ向かって歩き出す。野次馬はまだ多くなく、人に埋もれることはなかった。

 間違いない。

 方法はともかく、彼女が関与していたのは明白だ。連続で撮影した写真を一枚一枚見ていく。拳を握りしめていたのは、何故だろうか。

 気が付けば、ミハエルの足は彼女を追いかける形となっていた。

「ユイさん」

 唯がついてこられるように、声をかけて彼女を追う。人込みでも見つけられる自信はあったが、電車に乗られると探しようがなくなってしまう。ミハエルの記録はあくまで、自分自身だけのものであり、復元できない。

 唯は、小走りになって横にいた。

「ちょ、ミーちゃん、どうしたの」

 彼女は、事故に集中していたせいで、彼女を見つけられなかったのだろう。もし、見ていたとしても、彼女を疑ったかどうかはわからない。ミハエルも、明確な証拠があったわけではなかったからだ。

「彼女を見てください」

 横に追いついた唯にミハエルが聞く。目の前にいる少女は、次第に足を速めていた。自分が追いかけられていると自覚しているのだろう。

「あれ、瑛緑(えいりょく)学園の制服だよ」

 唯が、彼女の後姿を見て言う。

「知っていますか?」

 ミハエルは彼女から目を離していない。

「ううん、良くは知らないけど、ああいう制服の学校がある、ってくらい」

「そうですか」

 唯が知っていたことは、情報としては価値が低い。

「彼女が、『何か』したの?」

「何がかはわかりません。ですが、『何か』をしました」

 状況が読めていない唯に、ミハエルが返す。

 追いながら、彼女の顔を頭の中に出す。あれは、攻撃的ではなく、今にでも自殺をしてしまいそうな、絶望感が漂う瞳だった。端正な顔立ちなのだろうが、そのために、全体の雰囲気がぼやけてしまっている。

 彼女は、駅に向かわずに、細い路地を進んでいる。扇状になっているせいで、道の造りが歪になってしまっているのだ。

 彼女を袋小路に追い詰めるのは、時間の問題だった。

 ミハエルが、彼女の表情を思い出して、心の中で苦笑をする。

 あれに、そっくりな表情をしていた人物を知っていた。

 それは、昔の自分そのものだった。

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