1「One Wizard, One Knight」

 駅前から少し離れた小さなウィークリーマンションの一室に彼らはいた。部屋の広さは十畳ほどで天井も壁も、簡素な壁紙で統一されている。部屋の隅には備え付けのキッチンに冷蔵庫、電子レンジにテレビまである。

「どうですか?」

 銀髪を優雅に揺らしながら、ミハエルが唯に聞く。本人は何気ない仕草なのだろうか、その動作一つ一つが、貴族のように優雅に見えると唯は思っていた。

 唯が育てられた神楽の家も、中にいる人間の動作は緩やかで、ゼンマイみたいだと良く思っていた。

 ミハエルの質問から数秒、そんな考えを排除して唯が小さく首を捻る。

「無理っぽいね」

 そう言って唯は硬質のバネを分解された金属の束へと投げ込んだ。紺のシャツに黒いパンツスタイルである。

「しばらく待つしかありませんね」

「しばらくって、いつまでー?」

 外されたトリガーを指で回して、唯が聞く。指を前後に動かし、器用に回転を加えている。今日はピンが一本、頭に付けられている。ベッドの上に、軽く座り、金属の部品を見比べている。

 昼過ぎの太陽は、カーテンで遮られている。テーブルの上には、しばらく前までは銃だったものたちが、無残にもパーツに分けられ、アイデンティティを奪われている。

 ミハエルは、腰掛けた椅子の背もたれを確認しながら背中に比重を置いて、右手で開かれていた文庫本を閉じる。いつも通りの黒服だったが、見ている方が苦しいと、唯によってネクタイが外されてしまった。

「遅すぎ」

「確かに、それは否定できません」

 前回の事件から、既に一週間が経過しようとしていた。その翌日に彼らは次の任務のため東京へ送られたのだが、着いてみれば実際の事件の概要は知らされず、待機を命じられた。

 三日目にミハエルが本部に連絡を入れたが、彼らの連絡員である里見の指示を待て、と言われただけだった。

「里見さんは、何をやってるんだろ」

「さあ」

 明らかな不平の声を、ミハエルは素っ気無く返した。

「評議会がこう言っている以上、待つしかありません」

 評議会、とは、使節全体の意思決定の場だと唯は聞かされている。それぞれの騎士団とエレメンツ、それに幾つかの部門のトップによって構成されているらしい。普段その会議を見ることはなく、従って、唯も彼らを見たことがない。

 使節には、守らなければいけないルールがある。

 それは規律のため、である。

 二人は、使節にとっては駒同然なのであり、駒は自由にプレイヤーの意志に逆らって動いてはいけない。これは、使節の中でも基本をなす規律である。

 この姿勢は、基本でありながら、反発を招きやすい。全体のためには、死ぬことすら命令の内にある。その姿勢に反発をして、使節を抜けたものは、使節の監視下に置かれるか、もしくは、危険を為し、和を乱す存在として、使節に追われる立場となる。

「予備の弾もほとんどないのに」

 唯は、前回の事件で渡された弾を使い切ってしまった。考えて使えば充分に余る量ではあったのだが、誰にお金を払う必要もないと知っているので、無造作にあるだけ使ってしまうのである。唯は、それを悪いとも思っていない。

 唯がトリガーに加速を加え、テーブルの上に力を調節して放り投げる。

 世界中にネットワークを敷いている、あるいは強いていると言っても問題はないだろう、使節でも、この日本では簡単に武器の補給はできなかった。どの政府でも使節に歓迎的ではなく、日本は特に冷遇して、煙たがる傾向が強かった。原因はわからないが、『組織』が政府機関なのでは、と疑う声も多い。

「遅いー」

 唯は、里見への不満を上げる。

「大体さ、里見さんは、何でもかんでも、うるさいんだよね。ミーちゃんもそう思うでしょ?」

「ノーコメント、にしておいてください」

 口元だけで笑い、ミハエルが曖昧に返す。

「弾は使うなーとか、人目に触れるなーとか、人参は残すなーとか」

 ここぞとばかり、いないからこそ言える愚痴を適当に挙げてみる。里見は、唯が使節に入ったときから、いや、あのときから、唯とともに行動をして、何かと教育をしている。あのときに、会ったのが里見とミハエルでなかったら、唯の今はまた別のものだったかもしれない。唯はその点では感謝している。目的が与えられているからこそ、自分を安定させていられるのだ。

「人参は、また別だと思うのですが」

「だって、あんなの食べなくたって健康にはなれるでしょ」

「確かに、そうですが」

 何かを言いかけたとき、キッチンの付近に置かれていた電話が、呼び出し音を鳴らした。一定のリズムで鳴り続ける電話機に、ミハエルが向かう。

「フロントからですね」

 内線であることは、音の種類でわかるようになっているのだ。受話器を取り、ミハエルがフロントと短い会話をしている。唯は、背伸びをしながら、ミハエルの会話の邪魔にならないために静かにしていた。

 ミハエルの相づちが唯に聞こえる半分以上を占め、受話器を丁寧に置いたミハエルが一つ息を吐く。

「何だって?」

 唯はベッドに転がり、マットの弾力を確かめている。

 前にいたホテルの方が、まだふわふわだったと比較をしていた。寝る分には適当だろうが、もう少し、豪華な柔軟というものを楽しみたい。

「荷物が届いているそうです」

「誰から?」

 反射的に唯は言ったが、それは無意味なことであるのはわかっている。彼らがここにいることを知っているのは使節だけだろうし、荷物を送ってくるような人物は一人しかいない。

「サトミさんからです。行ってきます」

 その返答不必要な質問にもミハエルが律儀に答え、出ていく。

 ドアの閉まる音を聞いて、一人残された唯は、そのまま両手を広げてマットに全体重を預けて沈み込んだ。天井の壁紙の小さな傷模様を視線でなぞっていると、眠気が襲ってきた。最近は特に、気を抜くと眠ってしまいそうになる。前から睡眠は長い方だったが、今ではミハエルに起こされなければ八時間は優に越えてしまう。

 シーツの触感を指で触れ、ゴロゴロと髪が乱れるのも構わず回る。

 昨日も、また同じ夢を繰り返していた。

 血に染まった月と、霧のように辺りを埋め尽くす桜の花の中で、美咲が命を失う夢。

 死に際に、彼女が小声で謝る夢。

 何も変わらない、普段通りの夢の内容だった。

 ただ、一つ違っていたことがある。

 少しずつ、唯の中で、彼女が消えかかっていた。

 夢の中ではなく、現実に引き戻されてから、何度もそう感じさせられていた。夢の内容は簡単に思い出せるのに、その夢を、夢として受け止めている自分がいるのである。

 忘れようとしてる。

 きっと、魔法を使った反動だ。

 その事実が、唯の頭の中を駆け巡る。夢となって消えることを望んでいるようで、自分の心が許せなかった。許せない、というのは、既に消えていくことを認めていることだ、と唯は思っていた。

 今の自分は、一体何をしているんだろう。

 どうして、自分は生きているのだろう。

 消えてしまった彼女を、夢の中で追い続けているに過ぎない。

 後悔、と言えば簡単なのかもしれない。

 あのとき、美咲は、自分のことを庇ったのだ。何にもできなかった、自分を守るために。

 私があの場所に行かなければ、結果は違っていたのかもしれない。

 美咲が人と少し変わっていることは、薄々知っていた。同じ家に住んでいても、姿が見えないときが何度もあったからだ。それに、神楽の家が何をしているのか、一度も追及をしなかった。今自分がいる、そういう世界に神楽の家と美咲はいたのだ。美咲は、きっと自分を心配させないために、何も言わなかったのだろう。

 なぜ、美咲は、あのとき私に謝ったのだろうか。

 美咲は、唯に、継承者としての力を渡した。

 そのことを、美咲は言ったのだろうか。

 これから、唯が、自分がいた世界に存在していまう、ということを、美咲は謝りたかったのだろうか。唯は、どこか抜けているようで、人のことを気遣ってくれる美咲の性格から、そう思って美咲が言ったのだろうと、思っている。

 だが、今の唯は、この力自体は受け入れている。美咲がくれた、数少ないものであって、彼女の一部分であったものなのだ。渡したことに、謝る必要などなかった。

 唯の心には、自分が謝ることができなかった、ということが、引っ掛かっていた。

 柔らかな笑顔が、唯の中で形成され、そして春の雪のように、融ける。


 ノックの音が三度、響く。

 その音で、唯は、夢と現実の境界線から体を引き剥がす。

「どうぞ」

「失礼します」

 ここはミハエルの部屋なのに、礼儀正しく、ミハエルは入ってきた。右脇には白いダンボール箱を抱えていた。唯が立ち上がり、テーブルから銃の部品を取り除く。空いた空間に、ミハエルはダンボールを置いた。

「なんだろう」

「開けてみましょう」

 白い箱に白いガムテープが貼られている。送り主には、『里見愛』と書かれているだけで、住所も中身についても全く書かれていなかった。小包など送ったことのない唯は、これだけで荷物が送れるのだろうかと不審に思っていた。

「開ける」

 唯が手を伸ばし、爪を軽く立ててテープの端を浮かせる。充分に浮いたのを確認し、反対側へと勢い良く引く。ダンボールの紙がテープによって剥がれ、一部は無残にもパルプの色を露にしてしまった。

 蓋を開けると、緩衝のための細く切られた紙の中に、布に包まれたものと、その布の下には数日分の新聞が置かれてあった。

「なんだろう」

 新聞をミハエルに手渡し、一枚の布できつく縛られたものを解放していく。次第に姿を現したそれは、カーテンから漏れる微かな光に反射して、青白く光っていた。

「ナイフ?」

 長さは三十センチ弱ほどの、継ぎ目のない、青白色に輝くナイフだった。持ち手とわかるのは、丁度握れるほどの半分が、平らになって、装飾がされているからである。装飾は、曲線ではなく、直線で刻まれた文字がいくつか連なっているように見える。刃は、ペーパーナイフをもう少し砥いだ程度で、あまり実用的だと思えない。刃には、先端から根元まで、アルファベットで何か記されている。

「魔術用のナイフですね」

 魔法の前提であり、魔法を形作る、研究としての学問、それが魔術である。

 魔術ナイフには、魔術を訓練し、それらを行使する手助けをする個々人が必ず一つは持っているという特別な道具である。昔は剣が主流であったらしいが、持ち運びに便利なナイフを使う魔術師や魔法士が増えているのだと、そういえば里見が教えていたのを唯は思い出す。

 魔術道具とは、魔術を行うものの証であり、また個人を表す表徴なのである。

「それじゃ、ミスリルかな」

「そうでしょうね」

 ミスリルは、一種類ではなく、微量の希少金属の配合を変えることによって、能力や効果を大きく異ならせることができる。唯の弾丸に使っていたような一般的なものから、ミハエルの剣のように安定して存在する硬質なもの、また魔術で広く使うようなものなど、細かく別れているのである。

「ミーちゃん、なんて書いてあるか読める?」

 唯が刀身の文字面をミハエルの前に突き出す。

「ラテン語、ですね」

 ミハエルが光に浮き出ている文字を、何度か読み、考えている。反射した光が、更にミハエルの銀髪を映えさせる。

「『我を見よ、我は汝である』」

 刻まれる文字そのものに特別の効果はない。多くは持ち主の意思であり、意志の記号化であることが多い。

「さっぱりだね」

 抽象的な意味で、唯にはそれが何を意図している言葉なのか、理解できなかった。自分で、もう一度目の前に持ってきて文字を眺める。大きな瞳が、刃に映っていた。

 ミハエルが、手にした新聞を広げようとしたとき、一枚の紙が音もなくひらりと落ちた。二つに折られた葉書大の紙を、ミハエルが腰を屈め持ち上げる。左手に持った新聞の上にその紙を置き、開いて読んだあと、一瞬苦笑をした。

 そういえば、ミハエルが声を上げて大笑いをしたのを見たことがない。ひょっとして、あの口元を僅かに歪ませるのが大笑いかもしれない。今度、何かで笑わせてみようかな、と無駄な思考をしていた唯に、ミハエルが紙を渡す。

 それを読んだ唯は、ミハエルとは反対に、口元と丸い目がくっつくのではないかと思われるほど顔をしかめた。

 理解不能、といった気持ちである。

 その紙には、一言だけ

『おみやげ』

 と四文字で書かれていた。

 妙に角張った字で、犯行声明さながらの定規で引いたかもしれないような文字のつくりは、間違いなく、普段指令書を書いている里見のものだった。おみやげ、が表している対象は、恐らくこのナイフのことだろうが、一体のどこのお土産のつもりなのだろうか。ナイフと犯行声明のセットでは、異常犯罪者みたいではないのか。

「ミスリルのナイフ、相当貴重なもののはずなのですが」

 呆れた声でミハエルが言う。

「それで、新聞」

 唯の催促を受けて、ミハエルが新聞を広げた。唯が覗きこんで、何か変わった点がないかどうか探す。まさか隙間を埋めるために入れたわけではないだろう。

 新聞は思ったよりも薄く、一日のうちでも数ページしかない。

「んー」

 奇妙な点は、唯が先に見つけた。

 新聞には、三面記事もいいところの小さな記事にペンで囲まれた箇所があった。他の日付についても同様で、適当に丸印がつけられている。

 それらは、全てこの近辺であった交通事故に関する記事だった。

「今時、交通事故なんて珍しくないよね」

「そうですね、ですが」

 印がある、ということは、何らかの意味がある、ということである。二人に意味があることなのだから、それはすなわち指令である、ということだ。

「どーいうことだろう」

 記事の一つを唯は目で追ってみたが、トラックに男性が轢かれた、という簡単な文章で、合わせても原稿用紙四分の一にもなりそうにない。

「事故現場が似通っているようです」

 簡潔すぎる記事に書かれた文面をミハエルが読み取っていく。どの事故も大通りに面した、車の往来が激しい道路だ。場所は全く同じではなさそうだが、同じ一本の道路かもしれない。

「もしかして、ゴーストかな」

 苦々しい顔で、唯が言い、

「かもしれません」

 反対にミハエルが微笑した。

「うわー」

 大げさに手を振りながら溜息とともに肩を落とす。

「異種よりは、よほど楽でしょう」

「わかってるよ、でも」

 使節が対抗するのは異種だけに留まらない。他に害を及ぼす異端の魔術師、自然に発生した歪み、ゴーストと呼ばれる死者の思念が作用する事件、これらも使節の管轄対象となる。

「それは存在しないものです」

 魂魄から発せられた想い、それが擬似質量となって、その場にしがみ付く。直接的な攻撃力を持たず、弱々しい波長だけを発するゴーストは、ミハエルにとっては落ちている画鋲ほどの意味しかないのだろう。

「うん、でも、そういうの、ちょっと悲しいよね」

 唯は実力としてゴーストが苦手なわけではない。昔なら正体不明のものとして、小さい頃は天井が軋むだけで怯えたものだったが、存在が見えている以上、排除するのに苦はない。しかし、それを理解していても、唯にはゴーストが人間にしか見えないことも多いし、何よりも、それを消すということは、当人の想いを消すということに他ならないと思ってしまうのである。

「ゴーストは、殺すのではありません。『解放』するのです。死んでしまった人間は、生きているもののために存在しなくてはいけないのです」

「ん」

 頭では理解している。言葉でも復唱できる。

 だが、それを思い出すたび、消えてしまった美咲のことを思い出してしまい、胸が詰まる。

 ふいに、ダンボールからオルゴールみたいな音楽が流れ出した。曲調はワルツのようでもある。

 唯はミハエルと不思議そうに顔を合わせ、ダンボールの中を探る。紙束の下に、黒いものを発見し、唯が取り出す。

 それは携帯電話だった。

「ケータイ?」

「そのようです」

 とりあえず、唯は着信箇所が公衆となっているのを見てから、ミハエルに渡した。

 ミハエルが通話ボタンを押し、耳元に当てる。その仕草はビジネスマンそのものである。

「はい、ミハエルです。ええ、お久しぶりです」

 ミハエルが電話の声に応対をする。

 唯は、ナイフを眺めながら、ベッドの上にまた腰を降ろした。

「それは構いません。ですが、ええ、ありません。そうですね、拒否をするつもりはありません」

 丁寧な言葉の中に、多少の苛立ちが見える。唯に対してはそんな口調は使わない。

「それは評議会の意向ですか、それとも貴方自身の意見ですか」

 声のトーンが下がり、冷たい声へと変わっていく。

 しばらくの沈黙が訪れる。相手が一方的に話しているからだろう。

「いいでしょう、そのように理解します」

 唯が知らない、知る必要のない話だ。

 ミハエルは、半分は唯の護衛として付き添っているのは、唯も知っていることだ。最初に会った騎士もミハエルだった。しかし、そのときは知らなかったが、ミハエルは、騎士団の一つである、シュヴァンデン騎士団直系の人間であり、総長の第一候補なのである。そのことについてはいつもはぐらかしてばかりで、そのような人間が、何故細々とした任務についているのは答えてはくれない。

「はい、今回の件ですね、ええ、読みました。そちらからの情報次第で、ええ、わかりますが」

 ミハエルの声が少しだけ和らぐ。

「そうですね、換わりましょう」

 電話を耳から離し、唯の胸元へと優しく手渡す。

「サトミさんからです」

 口元は柔らかだったが、その目は笑っていなかった。

「もしもし」

「あ、唯ちゃん」

「うん」

 普段通りの、慣れてしまった早口だ。

「ごめんね、連絡が遅れて」

「うん、いいけど」

 少しも悪びれていない里見の声に、何も変わっていないと安堵する。もしかしたら何かあったのでは、と心配をしていたのだ。

「こっちも大変だったのよ、やらなきゃいけないことが急にできちゃって。連絡しようと思っていたのよ」

「それは、わかってるよ」

 里見は、大雑把に見えるが仕事を疎かにしたことはない。いつも、彼らの任務先では万全の態勢を準備してくれている。そのお陰で、あまりトラブルには巻き込まれていない。と思ったが、結構細かいミスがあるような気もしていた。

「あの、里見さん」

「何?」

「お土産って」

「ああ、あれね、私のお古だけど、唯ちゃんにあげようと思って。結構良くできてるでしょ。私のお気に入りよ。お守りだとでも思って」

「え、でも、どうして」

 確かに、唯が知る限り、あまり里見は物に執着がない。本を良く読むが、読み切ると捨ててしまう。里見曰く、中のデータが必要なのであり、紙自体はどうでもよいらしい。

「それは……。魔法を使ったご褒美よ、ミハエルから聞いているわ」

「私はっ」

 そんなもの使いたくない、そう言いかけた言葉が喉でせき止められた。里見が、宥めるでもない、強い口調で言う。

「前に言ったわね、使わなければいけないときが来るって。それは唯ちゃん、貴方が貴方でいる限り、必然として起こり得ることなの」

 里見の言っていることに間違いはないはずだ。

 それは唯も否定できない。銃だけでその身を守れるほど生易しい世界ではないし、そこから逃げようとしても、異種が見逃してくれるわけでもない。

「ともかく、これから唯ちゃんは魔法士として生きる」

 辛辣なのではない、状況を冷静に述べているだけだ。

「……うん」

 唯は、了承とも拒否ともとれない曖昧な返事をした。

「唯ちゃん」

 里見が静かに言う。

「私は、唯ちゃんを死なせない」

「里見、さん?」

「ミハエルも同じ。私は誰も死なせない。私の命を引き換えにしても、私は私の護るべきものを、護りたいものを護るわ」

 ゆっくりと、里見が宣言するように唯に語りかける。

「それは貴方が『継承者』だからじゃない。貴方が貴方だから、私は私として貴方を護る」

 誰しもが口には出していないが、唯は、自分が継承者だから護られていると思っている。実際、ミハエルや里見以外はそう思って保護の対象としているのだろう。

「それに、私は彼女に貴方を護るように依頼されているわ。その約束を忘れたわけでもない」

「美咲が」

 あの現場に里見とミハエルがいたというのを知ったのは病院で目を覚まして少し経ってからだった。

「だから、私の意見を聞いて」

 その声は、妙に弱気に聞こえた。

 しかし、それ以上の言葉はなかった。

「わかったよ」

「よし、良い子ね」

 きちんと手を洗った子供を褒めるみたいに、里見は言った。唯は里見に子供扱いされて頭を撫でられている気分がした。

「むー。それで、今回は何?」

「ああ、そうそう、新聞が届いているでしょ?」

「あ、うん」

「丸印があるから、それについて調べて頂戴」

「え? 事故の?」

「あ、もう見たの?」

「今見たよ」

「そういうこと。何もなければそれでいいわ、何かあったら連絡。ミハエルにはさっき話したけど」

 それは裏を返せば、自分達で原因を見つけろということである。可能性が高いからこそ、調べるのであり、そうでなければ里見や使節は動かない。

 里見は、任務としての基本的な行動と遂行できるだけの実力を、主に唯につけさせようとしているのだ。

「それじゃ、私はまだ仕事が残っているから」

「仕事?」

 里見が、別件で動いている。それは、何だか唯には奇妙だった。

「そう、ちょっと厄介なのがね。それが終われば貴方達と合流できそう。あと三、四日ってところね」

「うん、待ってる」

「頑張ってね。美味しいものを食べさせてあげるから」

 まるで餌を与える親鳥のようだ、と唯は思ったが何となく言わないでおいた。

「はーい」

「あ、たまには、アレを言いなさい」

 アレと言われてから、唯が言葉を探す。

「しく。おむねす、うぃれす、ぷろ、かえろ、すんと?」

 使節における任務受諾の合図を、うろ覚えで言う。自分の知らない言葉なので、あっているかどうかもわからない。横を見ると、ミハエルが少し笑っているように見えた。

「良くできました、それじゃね」

 それだけを言って、電話は切れた。無音になったケータイを眺め、下からミハエルに向かって投げる。通信役は、ミハエルに限定されているし、本部に電話するのは苦手だからだ。

「そういうことみたい」

 ミハエルが左手で受け取ったのを見て、唯が同意を求めるよう首を傾げて言う。

「では、そのようにしましょう」

 ミハエルが両手を軽く挙げて肩を竦めるポーズを取る。

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