17「朝 ホテル前」

「それでは行きましょうか」

 二人の滞在するホテルのロビー、足元にはそれぞれの荷物が置かれている。

「折角だからもう少しゆっくりしていっても」

「駄目です」

 ミハエルが断言をする。

 あれから夜が明けた。

 気を失ったままの桜を藤堂に預け、二人は早々と自分達のホテルへと戻った。

 唯は慣れない魔法のため体力と精神力を消耗し、ホテルに着くなりすぐに寝入ってしまった。疲れのためか、それとも魔法を使ってしまったからか、彼女に夢は訪れなかった。

 翌日の目覚めは筋肉痛以外快調だったが、身体の痛みなど唯にとってはどうでもよかった。

 ミハエルは夜のうちに使節に事後報告をしていた。

 里見にも連絡が行き渡ったが、彼女はそれについては何も触れずにミハエルに次の任務先の連絡をしただけだった。

「それにしても急ぎ過ぎじゃないの?」

 予定では任務期間は一週間を目安にしていたが、実質三日で別任務に当たるため東京に飛ぶように連絡が来たのである。

「サトミさんが呼んでいるんです、それ以外に理由がいりますか」

「はい、いりません」

「諦めてください」

 久しぶりに溜息をついた唯に笑みをこぼしながらミハエルがなだめる。

「バスが来ますから、もう出なくては」

「はーい」

 二人が荷物を持ち、ロビーを抜ける。

 外には優しい風が吹き、太陽が町全体を暖かく照らしている。何も変わらない、二人がいた痕跡すらこの町には残らない、それが二人の存在する意味なのである。誰かに褒められることは決してない。

だが、彼らは自分達の目的のためにその力を振るい続ける。

 歩き出した二人、ホテルの玄関に黒い車が止まっていた。藤堂と桜が姿を現す。

「もう行ってしまわれるのですね」

「ええ、案外忙しい仕事なもので」

 ミハエルが苦笑を漏らす。

「これから、どうするんですか?」

「紙雁の血筋の者は私とお嬢様だけになってしまいましたし、この家業もお終いになるでしょう」

 藤堂は全ての経緯を桜に伝えたらしい。

 彼らに流れている血のこと、生業としていたもののこと、彼女の能力のこと、そして、父親のことを。

「そうですか」

「昔、旦那様は仰っておりました。お嬢様にはこの仕事を引き継がせないように、と。幸い蓄えは充分すぎる程ありますし、生活に困ることもないでしょう」

 桜が右手を唯に向ける。

「ん、どうしたの?」

 唯がその小さな手を握ると、金属の擦れる音がして、冷たい感触が手の中に滑り込んだ。

「持っていてください」

 それは桜が物心ついてから肌身離さず身につけていたクロスペンダントだ。彼女の能力を抑えるために、父親がくれた数少ない贈り物である。

「いいの?」

 唯が戸惑いながら桜と藤堂の両方に目を向ける。

「これから能力を制御できるように訓練を致します。そうすればもう必要がなくなりますから」

「でも今は」

 感情が高ぶってしまったり、体調を崩してしまったりすればどうなるかはわからない。

「私は私なりに頑張ってみようと思います」

 桜が付け足す。能力が制御できれば、前よりも健康的に過ごせるはずだ。

「それにお嬢様が良いと言っているものを咎める権利は私にはございません」

 そう言って藤堂が笑った。

 桜をもう一度見ると、彼女は小さく頷いていた。

「ありがとう、大事にするね」

 強めに、確かにその手を握り締める。

 唯はそれに鎖を通し、自分の首につける。

「どう? 似合う?」

「ええ、とても」

 ミハエル。

「大変お似合いでございます」

 藤堂。

「うん」

 そして桜。

「嬉しい」

 素直に唯が喜ぶ。

 太陽の光を浴びて深く、優しく輝く。

「そろそろ」

 ミハエルが時計を見る。

「そうですか、それではお元気で」

 ミハエルが荷物を持ち上げる。バッグを持とうと屈んだ唯の裾を桜が引く。

「もし、近くに来たら、必ず寄ってください」

「きっと、ね」

「私も、必ず、いつか会いに行きますから」

 桜の頭を優しく撫でる。唯にとって、それは力を託した彼女が死んでから使節以外の他人とする、初めての約束だった。

 荷物を持ち、二人がバス停へと歩き出す。

 数歩歩き、唯が残っている二人に手を振る。桜は力強く手を振り返していた。

 空が明るい。

「次、いつか休暇ができたらサトミさんと来ましょう」

「そうだね、何にもなくて文句言うかもしれないけど」

 もう一度後ろを見る、桜はいつまでも手を振っていた。自然と唯の顔がほころぶ。

「ユイさん」

「何?」

 ミハエルが慎重な声で言う。

「あれ、バスじゃないですか?」

 バス停の横、長距離用のバスが停車している。

 今にも出発しそうな雰囲気で。

「多分」

 二人が顔を見合わせる。

「走りますよ」

「はーい」

 風が、全てを包む。

 夢は未だ醒めない。

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