16「夜 紙雁家3」

「なんだこれは」

 桜の胸のクロスをつかみ、強く引きちぎる。クロスに反応して男の右手から煙が出た。

「対処のつもりか」

 忌まわしげにそれを握り、唯とは反対方向に投げ捨てる。

 どうすることもできない桜の細い首を締め、男が握り潰そうとする。

 勝利を目前にした男が高笑いをした。

 男が力を込める。

「クズどもが!」

 自分の身の危険がようやく理解できた桜が、本能的に呪縛を逃れようと、手を父親の顔をした男へと突き出す。

 その瞬間、ホールが異様な明るさに包まれた。男が手を振り上げ桜を投げ飛ばす。

 男の周りには桜の花弁が舞っていた。数十、数百にもなる鮮やかな花弁が男を取り囲んでいる。

 そして、刹那のタイムラグが生じ、男の全身が燃えた。

「自然発火能力(パイロキネシス)!」

 ミハエルが身を乗り出して叫ぶ。

 片手で顔を抑え男が咆哮する。

 事物を見るだけで発火させてしまう能力。

 別名『ファイアースターター』。

 物質そのものを直接燃やすのではなく、周囲の大気熱を爆発的に上昇させる、混血の能力の中では、サイコキネシスに続いて、割と知られているものでもある。桜が紙雁家の混血の血を色濃く引き継いでいる以上、何かしらの能力を持っている可能性は高かった。

恐らく父親から貰ったクロスでその体質を封印していたのだろう。男はそれが外から守るための道具だと思っていたが、本当は内に眠る血から桜を守っていたのだ。

血に悩むことより、病弱な身体でいる方が桜のためになると本当の父親が案じてのことだったのだろう。パイロキネシスの能力は、自己の制御が利かずに暴走をすると、自らを一瞬で燃やし尽くしてしまう危険性もある。

 男は身体に纏わりつく炎を何とか振り払おうとしている。しかし、その花弁は男の起こす風に揺らめくだけで、なかなか消えようとしない。

 皮膚の耐久性がヒトより優れていても、生物である限り呼吸をしなければいけない。桜の炎はそのための酸素を根こそぎ奪っているのである。

 桜にとって都合が良かったのは、能力の発揮と同時に気を失ったことだ。もし能力が制御できずに無闇に使い続けてしまえば、自身が燃えるか、そのまま獣になってしまう可能性もあった。

「小賢しい真似を」

 頭の周りの炎は消え去った。呼気を荒げながら男は体勢を整え、桜を蹴り上げようとする。

 男が余裕のない顔で大きく足を振り上げた時、桜の姿が消えた。

 そこには両腕で桜を抱えた唯がいた。

「ユイさん!」

 ミハエルと同等か、それ以上の速度で唯が駆け桜を壁際へと寝かせる。

 虚ろな目で男を見つめた唯が右手で小さく円を描く。

 唯の指輪が軌跡を描く。指の軌跡は光の円を作る。

「彼は呼びかける。

 それは驚き立ち止まる」

 小さく、しかしホール全体に唯の声が響く。唯の身体が二重になり、その声も誰かの声が混じっているようだった。

(ゆっくり、ゆっくり、自分を信じながら)

 自分の声に重なりながら、確かに唯はもう一人の声を聞いていた。

「何が立ち止まったのか

 それは他なるもの。

 彼ではない全てのもの」

 唯の意識ははっきりとしている、明瞭だからこそ、自分のしている行為が悔やまれた。

 円から浮かび上がってきた光を握り、人差し指と中指を伸ばし床に触れる。粘着性のある液体のように光がその場に残る。

 光の正体は、魂魄と呼ばれる自らの精神の力。

「存在するものとなる

 にして存在の全体は急いでできた顔を振り向ける

 より以上の顔を」

 言葉が考えるよりも早く、胸の内から自然と溢れてくる。彼女が唯に埋め込んだ、言葉。

 スカートの裾が床に擦れるその体勢を保ったまま男を取り囲むようにホールの床全体に円を描き始める。

「魔法か!」

 男が咄嗟にその場から離れようとするが既に遅い。最初の点から光がうねりながら、まるで蛇のように床を走り男の足に絡みつく。

(使おうと無理に意識は込めない、ただそうなるように願うだけ)

 夢の続きが今の映像と重なる。

「ユイさん!」

 ミハエルの声は唯には届かない。

 彼女の耳には今、彼女が一番望んでいた人物の声が聞こえている。

 ミハエルが使うような簡単な肉体の限界外しのための魔法ではない、長く歴史の力を吸収して育った魔法である。それはただ唱えるだけで機能するレベルのものではない。

 それは魔法士だけが使いこなせることができる魔法である。

「おお魔術師よ

 耐えよ、耐えよ、耐えよ!」

 唯が男の真後ろへ、これで半円が完成する。

 二つ目の光の蛇が絡みつき、男の足の感覚を奪う。

 魔法とは、ある程度の才能と辛く長い途方もなく地道な修行によって成り立っている。

 唯にはその経験は全くない。経験のないものはどれだけ才能があっても使いこなすことはできない。

 それが魔法の原則である。

 魔法とは、魂に刻み込まれた知識そのものなのである。

「平衡を創れ

 静かに秤の上に立て」

 三本目の蛇が男に纏わりつく。

 男が蛇を取り払おうとするが、実体のないそれは寄生虫のように内部に潜り込んでいる。

 ある、魔術師の家系があった。魔術師とは、他者への攻撃のためではなく、ただひたすらに真理を得んがため研究を続ける者達の呼称である。その魔術師の一族は古今東西ありとあらゆる魔術、魔法を極めんとし、誰とも交わることなく研究を続けた。それは血ではなく、盟約により繋がれし古い家系。

(私は、いつもここにいるよ)

「秤のこちらにはお前と家が

 向こう側にはあの増大したものが載るように」

「何を!」

 合計四本の蛇が男の足元から這い上がり全身を舐め回している。

足を固定され、その原因の蛇も取り除けない男には悪態をつくことしか残されていない。

「これが『継承者』の力」

 ミハエルが呟く。

 彼には感嘆こそあれ驚きはない。これが何かを知っているからだ。

 その一族の知識と能力は、魔術師が死を迎える際、全てを弟子に受け継がせる。そしてその弟子が研究し、また一歩前へ進む。それをひたすら繰り返す。何代も何代も、何を望むでもなく、経験を積み重ねていく。

 それが『継承者』。

 円が完成し、唯が元の位置に戻る。二本の指を男に向け、それから拳を握る。

「決定が下される

 結びつきが創られる」

 光の蛇が男から離れ、床に伏せた。男は蛇が去った今も幻影のようにそれをむしりとろうとしている。

(いい調子)

唯の中で綺麗な声がする。

 唯は継承者の家系ではなかったが、その家系に美咲はいた。

 美咲は異種との交戦中、居合わせた唯を守るために命を落とした。

 彼女は、死を代償にして、その継承者としての力を託した。

「彼は知っている

 呼びかけが拒絶を上まわったことを」

 光の蛇が男の足元を回る。互いの尻尾をくわえ、くるくると回転を始める。

 唯が継承者のことを知ったのは、彼女が死に、気を取り戻したあとでミハエルと里見に会ってからである。

「だが、彼の顔には

 覆われた指針のように

真夜中がある」

 光の蛇が弾け、今度は漆黒の蛇が数十も床から這い上がり男の姿を黒一色に埋め尽くしていく。自分が好むはずの闇に包まれた男は、真の暗黒に発狂したかのようにうめき声をあげ、自分の右腕で皮膚と肉をむしり取っている。

 使節の周囲が期待を向けているのも唯にはなんとなくわかっている。彼女の身には彼らが数百年とも言える年月を掛けて習得した、無数の魔法の知識が修行なしに宿っているはずなのだから。きちんと修行をし、攻撃に転じれば最強の魔法士にもなり得る逸材なのだ。

 しかし唯はそれを拒否し続けている。

 内に秘められた魔法を使うたび、彼女が消費されて、いつかなくなってしまうような気がするからだ。

(これで、最後)

 彼女の声に唯が頷く。

「彼も結び付けられたのだ」

 だから唯は魔法を使わない。

彼女から受け継いだものを、『使わない』ことで彼女を『忘れない』ために。

 全ての句を読み上げる。

(それじゃ、今はバイバイ)

 唯を背中から抱きしめていた彼女の白い幻影は、霧となって消えていった。

 最後まで、彼女は笑顔を崩さなかった。唯にしか見えなかったそれは、もしかしたら唯があの日以来見ている夢の延長なのかもしれない。

 唇を噛み締め、唯が自分の拳を血が出るほどに強く握った。彼女にもらった指輪が唯の指の骨に痛みを与える。

「ミーちゃん!」

 術による捕縛の完成とともに唯が俯いたままミハエルに叫ぶ。それは自分に対する怒りと情けなさのために震えていたが、いつもの唯の声だった。

「はい!」

 ミハエルが了承、二階から跳ぶ。床に降りると同時に駆け、突き刺さった剣を瞬時に引き抜き、頭を抱え意味不明な叫び声をあげる男へと爆ぜる。

 青白く光る剣を横一線に振るい、男の胴体と足を斬り離す。二つに分かれた男の身体が落ちるより早く、そのまま男の後ろに回ったミハエルが振り向き様に下から斬り上げる。

「おやすみなさい」

 四つに分割された男は、跡形も、灰すらも残らなかった。

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