15「過去6」

「しかしやり過ぎだ。腕と足だけにしないとマズい」

 少年が男に言う。

 二人の攻撃を受けて、美咲も唯も地面に伏せようとしていた。

「ミハエル!」

 里見が叫んだ。

 ちょうど現場に到着した二人が、まさに唯と美咲が崩れ落ちるところに出くわす。

「わかりました」

 静かな声で返し、ミハエルは飛び出して少年へと向かう。

 彼も、相手に追いつけることはできないとわかっているのだろう。その動きには勢いはない。牽制をするだけだ。反射的に右手を左腰に持ってきていた。

「おっと」

 少年が後ろに跳んで距離を取った。

「あんたは使節の騎士様だな」

「そういう貴方は」

「名乗るほどのものじゃないさ。いいね、一度使ってみたかった言葉だ」

 口調はどこまでも軽いが、少年は周囲に気を配っている。ミハエルは隙を探ってみるが、敵の能力がわからない以上、迂闊に踏み込めない。少なくとも、さきほどの男のレベルではない。

「そっちのあんたは、魔法士だな」

 少年が里見に目を向ける。

「貴方は、『組織』ね」

「まあ、そういうことだ」

 あっさりと少年は認める。

「相手が統世のお嬢ちゃんでも二対一なら勝てると思ってたんだが、マズいな、二対三となると話が違う。それに予定外に傷をつけてしまった。俺たちにできる範囲の事態じゃなくなった」

 少年は胸ポケットから一枚の白い羽を取り出した。いつの間にか、背の高い男も少年の背後にいた。

「分が悪い。一旦、退かせてもらう。あとは『姫』の仕事だ」

「待て!」

 ミハエルが少年に詰め寄る。あと二歩で、間合いに入る。

「騎士様、今はまだお互い争う状況じゃない。仕切り直しだ」

 少年が羽を浮かせる。

「じゃあな」

 羽から強い風が発生し、竜巻のようになり少年と男を包み込む。数秒後に風が弱まったときには、二人の姿は消えていた。

 一瞬の沈黙のあとで、美咲が口を開く。

「動いては」

「大丈夫です」

 美咲は身体を引きずり、倒れている唯を抱える。

「貴方は里見ですね」

 唯を抱きかかえたまま、美咲が里見を見ていった。その瞳からは涙が流れていた。

 自己紹介をした覚えはないが、それだけで里見は彼女と同じように彼女の正体を見抜いていた。

「……神楽ね」

「墓守の里見、彼女を貴方に預けます」

「神楽なら、治療を」

 里見の言葉に美咲は首を振った。

「私も唯も、傷が、深すぎる」

「それでも」

 神楽ならなんとかできるのではないか、おそらく、治療に関しては日本でトップクラスの能力を持っているはずだ、という言葉を里見が飲み込む。

 すでに恐れていた現象は始まっていた。

 唯の傷口は閉じ始め、流れる血も止まっている。

「自己再生?」

「彼女の意思ではない」

 美咲が答えた。

「このままでは、暴走の方が早い。唯が、他のモノになってしまう」

 唯の身体が青く光りに包まれ始めていた。

「里見さん、指示を」

 ミハエルが柄を握る。彼は、里見の指示を受け、当初の予定通り、その言葉を受けて唯を切り捨てるつもりだ。今ならまだ、彼の剣の力だけで、彼女を封印して、霧散させることができるだろう。

「生命反応が消えました。危険です」

「待ちなさい、いえ、待って」

 そう言ったのは、里見ではなく神楽だった。

「貴方の言葉など聞けません」

 ミハエルは唯ににじり寄ろうとするが、その足はピクリとも動かなかった。

「なにを」

 美咲の細い人差し指が、ミハエルを指していた。

 多少は耐性のあるミハエルに、彼女はいつの間にか魔法を掛けていたのだ。

「里見さん!」

 まだ動けるであろう里見に、ミハエルが叫ぶ。しかし、里見は動こうとしなかった。

「どうしてですか」

「神楽、貴方は何をするつもり?」

「私を、『継承』させます。継承の能力で上書きをすれば、この暴走は止まるはず」

「……貴方は『継承者』なのね」

「神楽の家は、代々が継承者です」

「そう、そうなのね」

「でも」

 継承が何を意味しているのか、里見は知っている。それが、美咲にとってどういうことを意味しているのか。

「今はそれしかありません、唯を、救うためには」

 唯を継承で救うということは、代わりに美咲の命を差し出すということだ。元々は、魔術師が死の間際に行うことなのだから、それは当然だった。

「私は最初から、最終手段として覚悟をしていました。いつかこのときが来るのではないかという予感がなかったわけでもありません」

 美咲が里見に言うでもなく、ぽつりとこぼした。

「もう少し、時間がほしかった」

 首を美咲が振る。

「だから、貴方も退いて」

 そう、美咲が下を向いたまま呟く。

「な、なにを、これは」

 ぞぞぞ、という悪寒を感じてミハエルが空を見上げる。

「この、プレッシャーは」

 ミハエルも感知できないうちに、何者かの気配が空を覆っていた。その気配だけで、捺し潰されそうになるほどだった。

「今は、お願い、退いて」

 美咲の声で呼応するかのように、覆っていた気配が消えていく。

「ありがとう」

 美咲が去りゆく気配にお礼を言う。

「今のは……」

「わからない」

 ミハエルの疑問に里見が返す。

「神楽、今のはなに?」

「大きな意志」

「意志?」

「それより、唯のことの方が大事。継承の儀をします」

 美咲がそれ以上は言わず、話を切り替える。

「全エネルギーを使うために私の結界を解きます。里見、人払いの結界は張れますね?」

「え、ええ」

「お願いします」

 ミハエルと里見の耳に、パキリという音が届く。美咲が結界を解いたのだ。

 それと同時に里見が自身のペンを取り出して地面に紋様を描き結界を作る。

 唯を抱きかかえた美咲が、溢れ続ける自身の血を左手の指を通して唯の口に流し込む。気を失っているであろう唯はその血を飲み込むことはないが、喉を通して少しずつ染み渡っていくようだった。

 血が漏れ出る口から美咲が魔法を紡ぐ。

「抑えられ

 空の青さに叫びをあげようにも

 枝や蔓にひろがらず

 幹ばかり

 閉じられた形ばかりが

 高々とふるえていて

 一つのカーブ

 

 かりんの実は逃げる

 種子殺しの木よ

 そして稲妻の祝福の破壊の手が

 私の軸を巡ってざわめき

 かつて木であった存在の

 その統一を分断し

 ばらばらに分かつのいつ?

 そしてポプラの森を見たものがあるのだろうか?」

 唯に語りかけるような穏やかな声だ。

 美咲の身体から淡い光が発せられて、唯の青い光を打ち消すかのように大きくなって包み込む。

「はなればなれに

 樹冠のひたいには叫びの傷痕をとどめ

 その傷は夜も昼もやすみなく

 庭々の

 においレセダの香に染み込んだ

 甘美な

 裂けゆく終末の上に揺れ

 その根が吸いその樹皮が喰うものを

 死んだ空間の

 あちらこちらへさしのべる」

 光が完全に二人を包むと、張り詰めていた空気が軽くなっていった。

「ごめんね、唯」

 美咲が一層身体を屈め、唯に口づけをする。

 唯が、ビクンビクンと震えた。

「成功しました」

 目を閉じて、美咲が重々しく言葉を吐いた。

「貴方に、唯を、預けます」

 先ほどと同じ言葉を、里見に対して美咲が繰り返す。

「彼女が継承を使いこなせば、恐らくは、彼女は彼女でいられるはず」

 美咲が唯の短い髪を撫でる。

「貴女がたの考えはわかります。でも、だから、どうか、唯を、守って」

 言葉は終わり、美咲から力が抜けていき、だらりと唯に覆い被さる。

 それと同時に、コホコホと唯が咳をする。

「……心臓が動き出しました」

 唯の全身から発せられていた青い光も消えている。

「……美咲」

 彼女を抱きかかえている、すでに人形となってしまった美咲に、目を閉じたままの唯が呼びかける。

「……美咲、どこにいるの、怖いよ、美咲」

 そうして、彼女は夢を見始める。

 いつか、この悪夢が醒めてくれるのを期待しながら。

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