14「過去5」

「案外粘るな」

 学校の裏庭に美咲がいた。

 美咲の紺の制服はすでに綻び始め、わかりにくいものの、全身に切り傷がついている。

「邪魔が入ることは予想していたが」

 美咲と向かい合っているのは背の低い少年だった。少し高めの声は、いかにも少年らしさを表していたが、言っていることはそれらしくない。

 その少年の背後には、男が立っている。年齢は三十代だろうか、男は無言で立っている。その手にはナイフが握られていた。

「人払いをしてくれたのはこっちにも好都合だな。そういうのは苦手なものでね」

 裏庭にはこの三人しかいない。誰もここを訪れようとはしない。校舎の窓から見下ろせば見えるはずだし、美咲に相対しているのは不審者であることには間違いがないし、生徒が傷を負っているのだから、目撃されれば通報もしくは職員室に駆け込まれるに違いない。

 それを防いでいるのは美咲だった。

 彼女は結界を張り、『まるで見えないかのよう』な空間を作り出していた。

 少年は何もしていない。

 それどころかポケットに手を突っ込んでいる。

 だが、美咲が近寄ろうとすると、『何か』が迫り、全身に切り傷ができる。すんでのところで、美咲は直感で避けていた。

 何をされているのかわからない、というのが美咲の率直な気持ちだった。

 相手は魔法士ではなく、異種であることはわかっている。攻撃される瞬間、何かが起こっていることもわかっている。

「あんたは強いよ、お嬢ちゃん」

 少年は賞賛の言葉を美咲に贈る。

「さすがはかつて日本を束ねていたという家の末裔だけはある」

 美咲の素性はすでに調べられているらしい。

「だが、何かを守って戦うのは慣れていない、そうだろ?」

 少年の言葉は図星だった。

 美咲の攻撃は基本的に大味で周囲まるごと叩きつぶすものが多い。そもそも純粋な戦闘タイプではないのだ。

 これまで敵を退けられ続けていたのは、街ごと結界を張っていたからで、明確な目的を持ってやってくる敵を想定から排除していたからだった。

 美咲が右手を空に掲げる。

「彼は叫ぶ

 もっと甘美に死を奏でろ死は空から来た名手

 彼は叫ぶ

 もっとバイオリンを暗く弾けそうすればきさまらは煙となって空に昇る

 そうすればきさまらは雲のなかに墓がもらえるそこでは寝ても狭くない」

 高速で魔法を詠唱する。

「黎明の泡」

 掲げた手を少年に向けた。

 上空から常人には見えない青い粒が目の前に降り注ぐ。

「上だ」

 少年はそれだけ言った。

 粒は少年の一メートルほど上ですべて弾け飛んでいった。地面には小さな穴がいくつも空いている。

 少年に傷一つつけることすらできない。

「大丈夫か?」

 少年は背後にいる男に声をかける。

「問題ない」

 一方の男は粒を防ぎきれなかったようで、左腕から出血している。

 何度もこの状態が続いていた。

 少年の周りには壁があるかのように魔法が弾かれる。男には攻撃が当たっているが、まるで痛みを無視しているかのようだった。

 近寄るのは危険と判断して、距離を取って戦おうとするが、それも上手くできない。

 なぜなら男がナイフを振るうと、離れているにもかかわらず、空間からナイフが飛び出して、彼女を襲うからだ。美咲の反応速度だからなんとか避けられているだけで、時間とともに傷は増えていった。

 美咲は防戦一方になっていた。

 しかし、防戦結構、という気持ちもあった。退却さえしてもらえば、ここは一旦落ち着く。追い打ちをかけるのはここでなくていい。注意はしていたが、まさか学校のそばで襲われるとは、と油断していた。

「目的はお嬢ちゃんじゃない。わかっているだろうが」

 少年が一瞬だけを校舎の上階に目を向ける。

「しかし、膠着状態も良くないな」

「なにを」

「いや、お嬢ちゃんがいるということは、この近くに目的の第六がいるということは確実なんだ。だから、いっそのこと、この学校ごと破壊するというのも悪くないなと思ってね」

 平然と少年が言い放つ。

 この少年なら確実に実行する、という確信だけがあった。

「やめなさい!」

「選べよ、お嬢ちゃん。第六とこの学校の生徒全員か」

「選べるわけなんか」

 そう美咲が言いかけたときだった。

「おや」

 少年が美咲の肩上の先を見た。

 この場に、誰も入れないはずの結界の中に美咲は気配を感じる。

「唯、どうして……」

 背後に現れた少女に、美咲は絶望した。

 今もっとも、現れてほしくなかった人物だった。

「だって、美咲が、変な気がしたから。美咲、どうしたの? その人たちはなに?」

 唯はその瞳をさらに丸くして、

「結界をすり抜けたのか。ということは『本命』のお出ましか。おい」

 少年が男に命令をする。

「『適度に』破壊しろ」

 棒立ちだった男が、勢いよく飛び出した。

「させない」

「お嬢ちゃんはこっちだ」

 唯と男の間に美咲が割って入ろうとするが、それを少年が阻む。

「前へ」

 少年が何かに指示をする。

「継碧!」

 左手を前に、美咲はその何かを受け止める。彼女の特技である詠唱を省略した魔法では出力不足で、左手が幾重の見えない刃に裂かれて、血が噴き出す。

 刃の束は左腕に達し、左胸に透明な刃が突き立てられる。

「美咲!」

 異変を感じ取った唯が男が迫ってきているのも構わず、美咲に駆け寄ろうとする。

「だめ、逃げて」

 美咲の言葉を無視して、唯は美咲に近づく。

「キャッ」

 唯がその場にうずくまった。

 頭上を空間が現れた男のナイフが通り過ぎていった。

「なるほど、反応は悪くないようだ」

「なに今の」

「ではこれはどうかな」

 少年が美咲から矛先を唯に切り替える。

「こっちも細かい動作は苦手なんでね、すまない」

 少年が唯を指さす。

「束ねろ」

「唯!」

 美咲が丸くなっている唯を突き飛ばした。

 全身で、美咲は少年の攻撃を受け止める。

 突き飛ばされた唯はバランスを崩して両手を上げて地面に倒れ込む。

「残念」

 にやりと笑う少年。

 地面から生えたナイフが彼女の、唯の身体を貫いていた。

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