6「黄昏 坂道」

「ユイさん、その服装を変える気はないんですか?」

 ロビーに来た唯を見てミハエルが言う。

「似合ってない?」

「いえ、そういうわけではないんですが」

 いつもの紺色のセーラー制服に着替えて来た唯にミハエルが漏らす。ミハエルが振り返ると従業員が怪訝そうな顔をしていた。

「じゃあいいでしょ、私はこれで行くことにしてるの。ミーちゃんはちょっと地味かな」

 一方のミハエルは黒のスーツを着込み、同じく黒のネクタイを着けている。

「仕事着ですから地味でいいんですよ」」

 ミハエルが小さく笑って返す。

「じゃあ、私もだね」

「それでは行きましょうか」

 白く細長い包みに剣を巻き、歩き出す。ライフルが収められたバッグを両手に持ち、唯がミハエルについてロビーを出る。

 乾いた風が頬に冷たく触れる。山から吹く風は秋の気配を運び始める。

「さっきのことだけど、その人が犯人だって決め手はあるの?」

「断定は出来ませんが」

「他の人が犯人かもしれないよ」

 肌寒さを感じ、唯がリップクリームを塗る。唇を数回合わせ、潤いを確かめる。

「外部犯の可能性は低いですね、今回は被害連鎖系なのはユイさんもわかっていると思います」

 異種がヒトをただ食うのであれば、それは特筆すべきことではないだろう。彼らにとっては人間がそうであるのと同じように、単なる食事なのであり、数少ない嗜好品なのである。しかし、一部のマンイーターは更にその食べた残りカスを再利用し、自らの下僕とする。昨日二人が戦っていたのもその残りカスである。それらは死してもなお戦うグールと呼ばれ、こういった影響を及ぼす異種を使節は最優先で処分している。放っておけば、それらはねずみ算的に増えていってしまうからだ。

「外部から来ているのであれば、あれだけの量を一度に用意することは出来ません。もし内部の住民の犯行であるのなら、唯一の狩り手であるその家が処分に回るでしょう。自分の住処を汚される狩り手はいませんからね。協力関係にないはずの組織が出てくるのも好まないはずですし」

 二人の脇を車が通り過ぎていく。片側一車線の道路だとしても、何とも物寂しい。二人は海に背を向け、長い上り坂を進んで行く。

「何か引っ掛かるんだよね」

「何がです?」

 唯が左手にバッグを持ち替え、首を傾げる。

「何ってわけじゃないんだけど、こうパズルのピースが埋まらない感じ」

「何でしょうね」

「うーん、まあいいか」

 丁度昨日、二人が戦っていた通りを過ぎる。古めかしい街灯が早めに点き、明かりがこれからの闇を示していた。

「前から聞こうと思っていたんだけど」

「何ですか?」

「どうして血を吸われるとグールになるの?」

 ミハエルが一瞬止まり、顎に手を当てる。

「血を吸うときに相手にマクロウィルスを注入させるため、と言われていますが今のところ実証はされていないようです。グールを生け捕りにするのは難しいですからね」

 グールの動きを止めるためには確実に脳と心臓を破壊しなければならない。そして弱体化した皮膚に日光を当てるか聖水を掛け完全に消滅させる。

「原因がウィルスなら治す方法もあるんじゃないの?」

「それは難しいですね、ウィルスだとしても、感染した段階で相当な部分を破壊されていますから」

 グール化したものは本来人間が備えているはずのリミッターを強制的に外してしまう。たとえ人間に戻ったとしても、脳細胞は死滅し筋繊維は焼き切れているだろう。人間としては致命傷だ。

 歩き出してから四十分程経ち、周囲が開けてくる。なだらかに山へと続いている道を唯が振り返る。眼下に弓状になっている砂浜が見えた。

「ミーちゃんまだ?」

「もう少しですよ」

 疲れてバッグを下ろしかける唯にミハエルが返す。ミハエルは全くペースを崩さない。

「またもう少し……」

 重心を変えながらバッグの重さを逸らし、先へ行ったミハエルに追いつこうと駆け出す。

 唯を待ちながらミハエルが空を仰ぐ。太陽は傾き始めその色に陰りを見せていた。

「あ、里見さんが日本に来てるって言ってたけど、ミーちゃんは何か聞いてる?」

「いえ、聞いていません」

 躊躇いもなくミハエルが答える。

 二人の前に彼らの影が伸びる。

「私、椅子に座っている里見さんしか見たことないよ」

「ああ、そう言えばユイさんは知らないんでしたね。サトミさんは昔魔法士だったんですよ」

「あの人が?」

 思い出したように何度か小さく頷いたミハエルに、驚いた顔で唯がミハエルに聞き返す。

「ええ」

 ミハエルが何故か含み笑いを漏らす。

「そう、だったんだ。私はてっきり騎士かと」

 彼らの所属する使節には、大きく分けて使節員と呼ばれる二通りの直接戦闘員がいる。

 騎士、主にミスリルを加工した武器を装備し、三つの騎士団と無所属に分かれ、異種を狩るもの。

 魔法士、四つのエレメンツと同じく無所属に分かれ、人類が異種を狩るために創り出した魔術を駆使するもの。

 魔法士は騎士に比べ絶対数が少ない。それは騎士よりも実戦に出るまでの訓練に時間がかかり、かつ直接攻撃に対する防御が騎士よりも遥かに劣ってしまうからである。

「あー、魔法士ね」

 笑いながら唯が言う。彼女の想像の中に長い髪を振り乱して戦う里見がいた。

「それがどうして引退しちゃったの?」

「さあ、今はデスクワークが良いと言っていますから」

 騎士とは違い、魔法士は肉体が衰えても知識の蓄えさえあれば充分に戦うことができる。まだ二十代である里見が引退をする理由は本来ないはずなのだ。

「強かったの?」

「今も、ですけどね」

 唯の質問に、ミハエルは微笑を浮かべながら答えた。

 夕暮れとともに雲が広がり、暗さに拍車をかける。お互いの顔が認識し難くなる。

「それで、私のこと庇ってるのかな」

 風に流される程の声で唯が呟く。

「どうでしょうね。そうでなくても彼女は過保護ですから」

 ミハエルが里見に言われたことを彼女に対して反復する。

 スーツの胸ポケットから、奇妙にピンク色の布が飛び出ている。

「ねえミーちゃん?」

「何でしょう?」

 二人が足を止めずに、顔を合わせて会話をする。

「前から聞こうと思ってたんだけど、それ、何?」

 唯が不審そうにミハエルの胸ポケットを指す。

 ミハエルは何事もなく、軽く右手でピンクの布を引き出す。そこからは、青い目をしたテディベアが顔を出した。

「テディベアだと思います」

 あまりに当たり前の返答に、説明を変えようと唯が手をあたふたさせる。

「いや、そーいう意味じゃなくて」

 そのテディベアがミハエルには不自然すぎる、という言葉をギリギリのところで飲み込んだ。

 唯の困った顔を見て、ミハエルも質問の意図を少し汲み取る。

「お守り、だそうです」

「誰にもらったの?」

 曖昧な返答に、それがミハエル自身で選んだものでないことがわかり、唯が質問を上乗せする。

 顔を出した熊を丁寧にポケットの中に入れて、ミハエルは自分の口に人差し指を当てた。

「それは秘密です」

 あからさまにからかわれているのを唯は感じ、お決まりの頬を膨らませて下唇を突き出す。

「えー、どうして」

「さあ、着きましたよ」

 追求の構えを完全に防ぎ、ミハエルは正面を見る。

 道の突き当たり、そこに門があった。ミハエルの長身が隠れるほどの高さの塀に囲まれた家が建っていて、鉄柵の門から遠いところに荘厳な雰囲気の漂う玄関が見える。古びた洋館を思わせる造りで、この町でも相当の年月を経ているのが見て取れる。三階付近に幾つかの窓があるが、全てカーテンが閉め切られていて内部の様子はわからない。日光の侵入を許さないつもりらしい。

 門の側、木で作られた『紙雁』という表札が掲げてあった。

「どうするの?」

 頭が越えるかどうか軽く唯が跳ねてみた。

「折角ですから正面から行きましょう」

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