2「夕方 寂れた町」

 太陽が傾き始めた頃、一台のバスが停車をした。そこから二人が降りる。

 黒いスーツにノーネクタイで銀髪を揺らす男、ミハエル=フォン=シュヴァンデンはゴルフバッグらしき黒光りのする筒を背負っていた。スーツにゴルフバッグである。どこかの出張の帰りにゴルフをしに立ち寄ったようにも見える。しかし、そのゴルフバッグのチャック部分には、妙に目立つように、小さなピンク色のテディベアがミハエルの動きにあわせて揺れていた。既製品ではないようで、ところどころ縫い目がずれているのがわかる。

 その横に立つ若い女、風見唯は修学旅行にでも持っていく大きさの青いメーカー製のスポーツバッグを抱えていた。細身の紺のパンツに軽めの無地のシャツ、動きやすさを重視した飾り気のない服装だ。ピアスはしていないが、左手薬指に装飾のされていないシルバーの指輪をしていた。安そうではないが、決して高級そうでもない、シンプルな指輪だ。

「暑くないのが幸いでしたね」

 ミハエルが西日に目を向けながら言う。

 八月の終わり、残暑というにはまだ早すぎるが夏の気配は既に薄らぎはじめていた。蝉の声は途絶え、包み込む風は乾いている。

「ここからどうするの?」

 唯が口を開き、眠そうに欠伸をした。実際に、彼女はバスにいる二時間、暇を持て余した挙句、ずっと寝っ放しだったのだ。

 ミハエルはその間、手持ちの本を俯いたまま読み続けていた。

「少し歩けばホテルがあるそうです、まずはそこに向かいましょう」

「りょーかい」

 スポーツバッグを下ろし、周囲を見渡しながらミハエルの言葉に唯が同意する。休憩ができそうな喫茶店も、時間を潰せそうな場所もなかった。

 歩道は赤いレンガが敷き詰められている。道幅は広いが、車の通りはない。

「静かな所だね」

 長く直線に延びる道はそのまま海に続いている。太陽がその道に従い、ゆっくりと波間に沈んでいく。二人もただひたすらに道を下っている。道はどこまでも、水平線の果てまで続いているかのような錯覚をもたらす。町の中央にある長距離用のバス停から、延々と道は一本で繋がる。

「少し……。少し……」

 一歩ごとに小声で愚痴を言いながら、一定に進むミハエルの後をついていく唯。ミハエルは規則正しく、機械のように歩を進めていく。

 限りなく海が近づいたとき、二人の前に周囲より高い建物が現れた。

「どうやらあれらしいですね」

 ミハエルが看板と手持ちのメモを見比べて言う。潮風がその長い髪を揺らした。

「あと少し、だね」

 薄肌色で長方形のそれを、遠近法を使って右手で握る。気合を入れ、バッグを半ば引きずりながら動かす足を速める。

 そのホテルの少し手前に少女がいた。

 白いワンピースと麦わらの帽子で、海の方を向き、空を見上げている。彼女の仕草につられ、二人も顔を空に向ける。少女が両手を高く、沈みかける太陽をすくおうとしたとき、潮風が少女の帽子をさらった。少女の手は間に合わず、帽子は宙を舞いながら唯の足元に居場所を得た。

 急ぎ足で少女が来る。唯は屈んで帽子を拾い右手で回した。

「すみません」

 唯の前まで辿り着いた少女が深くお辞儀をする。腰近い黒髪が地面に届きそうになった。

「いいえ、はいどうぞ」

 唯も簡単に返し、少女は手渡された帽子を丁寧に受け取った。

 白い生地がより一層少女の白い肌を浮かび上がらせる。唯が思わず自分の日焼けした腕を少女の肌と見比べた。

 帽子を頭に載せ、少女が位置を調節する。

「あの」

 小さな頭に具合良く収まり、首を軽く振って帽子が落ちないことを確認した少女が、二人に声をかける。

「あの、旅行の方ですよね」

 覗き込むように膝を曲げた唯と少女が顔を合わせる。

「うん、そんなものだよ。どうしたの?」

 唯の曖昧な返事に、少女は俯いて黙り込んでしまった。

「いえ、なんでもないです」

 そうして少女は二人の脇を抜け、歩いていく。ふりむいた二人の目に、一人の老人が映った。短く切られた白髪で、しわのないタキシードを着込んでいる。

 数歩先の老人は二人に軽く会釈をすると、近づいてきた少女の手を取った。

「お嬢様、そろそろお時間でございます」

 少女は何も答えず一度だけこちらをふりむいた後、老人の横に停めてあった黒塗りの車に乗り込んだ。老人は再度会釈をすると運転席側に乗り、そのまま発進して二人が今まで歩いてきた方向へと走り去っていった。

 取り残された二人はその場で顔を合わせる。

「旅行で来られれば良いのですけどね」

 ミハエルが皮肉交じり呟くが、唯は無言だった。


 ホテルの受付で案内をされ、二人はそれぞれの鍵を受け取ると一旦自分の部屋に荷物を置き、五階のミハエルの部屋に入った。

「さて、今回の任務ですが」

 唯はベッドの上に、ミハエルは備えつけの飾りのない椅子に腰を下ろす。

「あの子……」

「ユイさんの考える通りです」

 ミハエルが唯の声を遮り、関心を示さずバッグから出した手元の紙をめくる。

「ですが今は見ないことにしましょう」

「うん」

 真っ白なシーツを手で巻き取りながら唯が返す。ベッドの位置が高いのか、つま先を薄青色のカーペットに押しつける。

「ユイさん」

 落ち着かない様子で、唯は自分のバッグから持ってきた長方形の箱を開ける。箱の中には銀色に輝く弾丸がダースごとに収められていた。

「なあにミーちゃん」

「いい加減、ソレに頼るのはやめた方がいいと思います」

 詰められた一つを取り出し、照明に当てる。

 銀色の鋭い反射光。ある者にとってはこの光だけでその精神を蝕むという。

 銀様物質、ミスリル。

 正確には銀を主な構成とする、チタニウムと稀少土類金属との合成金属である。

「どうして?」

 唯が手に持った弾丸を軽く握る。

 ミスリルは人の形でありヒトでないもの、対立異種と呼ばれる人以外の者達を滅ぼすために人類が長い年月をかけて生み出した、ミハエルと唯達が使う汎用的な金属である。聖水と魔術によって作られるミスリルは、異種が触れると組織崩壊を起こさせる特徴を持っている。

「ユイさんはそんなものに頼らなくてもいいはずですから」

 一部の人間が金属アレルギーによって皮膚がかぶれるのと同様に、ミスリルはより激しく異種の肉体を腐食させる。

 理由など詳しいことわかっていない。どのようにそれが誕生したのかも明らかにされていない。わかっているのは結果のみ、この金属は『使える』ということだ。

「わかってるよ」

 唯の弾丸は大量生産ができないミスリルを効果的に使用するために考案された加工方法を用いられ、ミスリル皮膜と名付けられている。ミスリルの薄い膜を専用弾に加工することで普通の人間でも能力の高い対立異種に多少なりとも立ち向かえるようになる。

「ユイさんの決心は認めます、ですがミサキさんは」

「それ以上は言わないでミーちゃん」

 唯がミハエルの言葉を早口で止める。

「ミーちゃんだってその剣に頼ってる。それを銃に替える事だってできる。それでもミーちゃんは剣にこだわる、それと一緒だよ」

「いいえ、私はユイさんと違ってこれしか能がありませんから」

 そう言ってミハエルは剣を取り出す。古びて赤茶けた鞘で刀身は見えないが、何度も変えられているはずのその鞘でさえ年代を感じさせる。

 レイディアントと呼ばれるこの剣は、唯の持つ弾丸と同じミスリルで造られた剣である。しかも刀身全てがミスリルでできている。ミスリルは単体で固定することが難しく自己崩壊を起こしてしまうため、純ミスリル製の武器は数が少ない。それだけ貴重なものなのである。

「それに私はこれを使わなければいけない理由があります」

 ミハエルが鞘を抜くことなく柄を握る。力は込めていないが、かすかに気迫が伝わってくる。

「私もこれを使う理由がある」

「思い出したくないんですか?」

「ううん、反対。私は『使わない』ことで『忘れない』ようにしているの」

 頭を振った唯に、ミハエルは諦めた顔で剣を置いた。

「……話の続きをしましょう。事件の発端は三年程前です。毎年、この桜下町に訪れる人間が数名ずつ行方不明になっています」

 ミハエルが手元の紙をめくりながら続ける。

「しかも、その消え方が異常に自然です」

「消え方?」

「ええ、前後に目撃証言が全くありません。二十、いえ我々が数えられた限りですが、二十人以上の人間が同じように誰にも気がつかれずに行方を絶っています。どうしました?」

 手を払い、立ち上がった唯にミハエルが声をかける。

「飲み物」

 部屋に備えつけの冷蔵庫を開く。上部がコインを入れて扉が開く簡易型の自動販売機になっている。

「そこで私達の出番ってわけね」

「ええ、というわけで今回の任務状況は以上です。何か質問は」

「え、と、烏龍茶」

「はい?」

 コインの音。

「私、烏龍茶にする。ミーちゃんは?」

「……同じ物をお願いします」

 唯が冷たいペットボトルを、上着を脱いだミハエルの胸に向けて投げる。

「ありがとうございます」

 唯が自分のペットボトルを頬に当てながらベッドの上に戻る。

「質問はありませんか」

「質問っていうほどのものじゃないんだけど」

 ボトルの中の窒素が抜ける音がする。

「本部はこれがマンイーターの仕業だと判断して私達を派遣してきたわけでしょ?」

「ええ」

 マンイーターとは、対立異種の中でも人を捕食する存在の総称である。人を丸ごと食べるものから心臓のみを食べるもの、更にはその種族が持つ特殊能力によって多種多様に分類されている。

 対立異種といえども、すべてが人間を食べるわけではない。

「三年間に二十人が行方不明になっただけで。何か変だよ」

 対立異種は有史以来、いやそれよりも前から存在していた。そしてその時から彼らと人間達の争いは始まっていたのである。

「どうしてです?」

「私達が出てきているんだよ? それも日本に、わざわざ」

 ミハエルが溜息をつく。窓から差し込む光が薄れ、暗闇が浸食を始める。

「ミーちゃんも気がついていたんだ」

「ええ、まあ。私達を、いえ、『使節』を派遣したのにはいくつかの理由があると思います」

 争いが始まり能力の差が歴然であることがわかると、人々は自然と集まり、彼らを狩るための集団を作った。現存するうちで最古の歴史を誇るのが、二人の所属する『使節』である。

 使節は世界中に拡がる独自のネットワークにより、彼らが関与していると思われる事件を捜査、対立異種を掃討する。彼らはそれを千年前から続けている。

 何故他の人間がこの事実に気がつかないか、それは対立異種が決定的な影響を与えてしまうまでに世界に溶け込み、闇に紛れて捕食作業を繰り返しているからである。

「日本はほぼ全域が『組織』の管轄に入っています。しかしそれは私達には具合が悪い」

「私はそれでも構わないと思うけど、結局やっていることは一緒でしょ」

「外見からすればそうですが質が違います」

 単に対立異種を狩る、という行為においても集団が違えば当然ながら主義主張も異なる。結果として同じ立場を取りながら、それ故利権や思想のため対立することもあるのである。

「恐らく本部は管轄を拡げたいのでしょう」

「今になって日本を管轄に入れる必要はないと思うんだけど。それに、どうして日本なんかの情報が使節に入ってくるの?」

「情報部のことですから、私達にはわかりませんし、それを調べても私達には関係ないでしょう。いずれにせよ推論の域を出ません」

 ミハエルが手渡されたペットボトルの蓋を回した。温度差で生じた水滴が裾に滴る。

「それで、今回の事件について、ミーちゃんはどう思っているの」

 拳銃を取り出した唯を見て、ミハエルが苦い顔をする。

「まるで住民が見て見ないふりをしているようです」

「だってさ、やっぱりそれを知られたら人は来なくなっちゃうわけでしょ」

 大きな観光資源もない小さな町、避暑地としての僅かな定期客さえ失ってしまえば町の存続さえもあやうくなってしまう。

「そうです、確かにそうですが、どこかそれだけでは足りないような気がします」

 ボトルを置いた手で資料を取り、何度も紙をめくる。事件の概要から被害に遭ったと思われる人々の顔写真と詳細が並ぶ。

「要するに敵を見つけてやっつけちゃえばいいんでしょ」

 唯が銀色に光る拳銃を構えて、真直ぐに腕を伸ばし感覚を調整する。丸い瞳が焦点を捉える。

「まあ結論はそうですが、しかし」

「考えすぎるのはミーちゃんの悪い癖だよ」

「ユイさんは行き当たりばったり過ぎです」

 拳銃を置き、ベッドに倒れ込む、清潔なシーツに絡まり伸びをした。

「そうかな。あ、ところでミーちゃん今何時?」

 首を傾げながらミハエルが銀色に輝く古い懐中時計を取り出す。

「八時二十分ですが、見回りにはまだ早いですよ」

 夜は彼らの時間、彼らが主に活動をする深夜の見回りは必須である。

「そうじゃないの!」

 繭から抜け出して唯が飛び起きる。乱れた髪で唯が無邪気な笑みを浮かべる。

「下のレストラン九時までだって言ってた」

「行きましょうか」

 ミハエルが口元を緩める、唯は返事をしながらベッドのスプリングを利用して宙に浮く。

 彼らが人でないモノと出会う、約四時間前の出来事である。

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