1「夜 住宅街」
月が、輝いている。
赤い赤い、誰かの返り血を浴びた月。
全てを飲み込む月に背中を押され、二人の人間がいた。そして、そうではない者達も。
閑静な深夜の通りに規則的に銃声が響いていた。乾いた音に何かを潰す鈍い音が重なる。二つの音は、互いに独立し、奇妙な音楽を奏でていた。
「ユイさん!」
男が自分の真後ろにいる女に叫ぶ。肩を越える銀色の髪を揺らし、ステップを踏む。その身に黒い、闇に溶け込むようなスーツを着込んでいる。ネクタイも黒で統一し、喪服のようにも見える。
しかし彼は誰かの通夜の帰りではない。今まさに引導を渡しているのだ。
その証拠は、彼が左手に握る得物だ。手からすらりと伸びる細い刀身は、テンプルナイトと呼ばれる剣の一種だ。流曲線の紋様と文字らしきものが、隙間なくびっしりと一メートル以上の刀身に描き込まれている。反射の影響からか、紋様が浮かび上がっているようにも見える。力を込めれば簡単に折れてしまいそうな細身の剣が、彼の髪と同様月光で銀色に照り返している。
彼は、剣を華麗に、舞うように、円を描きながら大立ち回りをしている。そのたびに、彼の髪の毛は、さらりと風になびいている。
それは彼のために舞台が用意され、軽やかなワルツが流れているかのようだ。
代わり、彼の口は固く閉ざされ、しかし追い詰められている表情ではない。顎を少し上げ、その作業が煩雑だとでも思っているような視線で剣を振るう。
標的は人、否、正しくは以前ヒトであっただろうモノ達である。
性別の区別もつかない程に皮膚が崩れているヒト型が、奇怪な雄叫びをあげながら彼に襲いかかる。あるモノは関節などお構いなしで腕を鞭の如くしならせ、またあるモノは四足で這いつくばりながら銀髪碧眼の男に喰らいつこうとしている。
男は二十は下らないだろうヒト型を、斬りつけ、蹴飛ばし、頭を踏み潰す。
「こっちは大体終わり!」
男の言葉にそう返した女が男の二十メートル後ろから、ヒト型を確実に銃で仕留めながら近づく。小型のG36ライフルを背負い、右手にはオートマティックの拳銃を持ち、シューティングゲームの要領で躊躇いもなくヒト型を撃ち抜いていく。
男よりは若いだろう、まだ二十歳にも達していないように思われる。髪の尖った先端が頬を過ぎるくらいで、頭と顔の丸さを強調するかのような髪型だ。頭の左上には銀色のピン留めをしている。どこかの学校の制服に見える紺色のセーラー服を着ていた。下は紺のプリーツスカートに黒のハイソックス、崩れかけた化け物が跋扈するここでは、場違いも甚だしい。
「弾丸もただではないんですよ! 無駄使いの分だけ上司に文句を言われるんです」
「いいじゃない、どうせ支給品だよ。それに上司ってサトミさんでしょ」
「あの人は小言が」
「もちろんその役目はミーちゃんが」
ユイの言葉を聞き、ミーちゃんが剣を腰の鞘に戻す。
二人の背中が合わさる。身長差のためユイの頭がミーちゃんの肩に当たった。ユイが軽く呼吸を整える。その時には全てのヒト型は地に伏していた。
「それでは、仕上げと行きましょう」
ミーちゃんが胸元から握り拳大の透明なガラス瓶を取り出し、空に放り投げた。
重力に負けた瞬間にユイが引き金を引く。中に収められていた液体がシャワーとなって周囲に飛び散る。そしてその液体に触れたヒト型は灰になり、風に吹かれ道の埃と化した。
「お見事」
ユイが自分で撃ったのにも関わらず、楽しそうに左手で拳銃を叩く。
「隅に寄れ
片寄れ、片寄れ
古箒、古箒
汝本来箒の性
汝に霊力授けて
使役しうるは
ただ熟練の師あるのみ」
男が蒼い目を瞑り祈るように呟く。
「何?」
「『魔法使いの弟子』の一節です。ある弟子が魔法で箒を召使いにして水汲みをさせるんです。水汲みが完了した後、弟子は箒を戻す文言を忘れ、部屋中水浸しにしてしまう。そして帰ってきた師匠に弟子は泣きつき、今の文言を唱え箒の動きを止めてもらうのです」
ユイがライフルの位置を調整しながら首を傾げる。ミーちゃんが言ったことの意味が良く取れなかったようだ。
「要するに、能力のない者は出すぎた真似をするなってことですよ」
「ふーん、で、熟練の師匠になれなかった親分さんはどこにいるの?」
「それを見つけるのが私達の仕事です」
そうだった、と言わんばかりの表情のユイにミーちゃんがまた溜息をつく。
「少し気にかかる事があるので後で本部に連絡をしておきます。ですがその前に」
ユイはスライドを引き、装填されている一発を抜いた後、マガジンを胸から出した空のものと交換した。
「その、ミーちゃんという呼び方をやめてもらえませんか」
腰を屈め、ミーちゃんが地面に転がるコルク栓を拾う。
「いいじゃない、ね、ミーちゃん」
片目を閉じながらユイがミーちゃんの方を向き、懐に拳銃をしまう。意味もなくくるりと一回転をし、スカートが揺れる。ミーちゃんはそれを見て苦笑いしながら肩をすくめた。
「さあ戻りましょう。夜更かしは美容の大敵ですよ」
「はーい」
赤く大きな月を背に二人はその場を後にした。
戦いの余韻は既になく。
この物語の始まりは、もう少し前に遡る。
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