はじまりの夢、おしまいの夢。

小鳥居

第1話

 溺愛。

 タトウに対するマールの愛情は、まさにその言葉がぴったりだった。

 血のつながらない養父マールを、だからといって疎んじている訳ではないのだ。ただ、そのあまりにもてらいのない愛情の注がれ方が、時として十三の少年に気恥ずかしさを覚えさせる。

 マールはこの国、シュレーンでも指折りの織物商だが、最近は仕事を有能な番頭に任せ切りで、何かと言っては、

「タトウ、タトウ」

 と彼の気を引こうと懸命なのである。

「あのさあ、父さん。俺はほっといても育つけどさあ、蚕や麻やらはちゃんと見ておかないと品質にかかわるんだろ?」

 うんざりしてタトウは言うが、養父はと言えば、ただでさえ人の好さげな細い目を糸の

ようにして、

「いや、父さんにとって一番大切なのはタトウだからね」

 と言い切るのだ。あまりに真っ直ぐな心根に、タトウは頭痛さえ起こしてしまう。

 マールが気にしていることなど、お見通しなのに。


 母は高級娼婦だった。お値段が高い分、美しさも賢さも秀でていた。

 娼婦の子であるゆえに、周囲から色眼鏡で見られる。タトウは学問所でも浮いた存在だった。が、豪商の跡継ぎを、表面だって苛めたりする馬鹿はいないのだ。

「父さんはさ、もっとドーンと構えてなよ。父親の権威ってのが感じられないんだよな」

 夕餉をとりながら、タトウは溜め息まじりに言った。生まれた時から屋敷にいる、中年の女が給仕をしながらくすくすと笑う。彼女はこの親子の会話を聞くのが何より楽しいらしい。

「そうしてるつもりなんだけどねえ」

 小柄で童顔のこの男のどこに惚れて、母レイアは嫁いだのか、タトウは知らない。彼女が存命だったなら、タトウは必ず質問したはずなのだが。生憎、彼女はタトウが五つの時に他界していた。

「タトウ様、御主人様は本当に坊ちゃまが可愛くて仕方ないんですわ」

 中年の女……フラムは言うと、デザートの果実がのった皿を差し出した。赤い、薄皮に包まれたはじけるような実が食欲をそそる。

「……うん」

 タトウは低く答えると、デザートに手をつけないまま席を立った。父が気遣うような視線を向けたが、そのまま食堂を辞した。

 静かに閉ざされた扉を、哀しげにマールは見つめた。こんなに愛しているのに、それでも足らないのだ。おそらく。

 マールは無理をしていることは自分でもよく解っていた。こんなかたちを続けようとしているのは愚かだということも。それでも。それでもマールはタトウを手放したくはなかったのだ。

 たとえ、血のつながらない子供でも。


     ※


「今度の祭りに、竜狩人のエダーン様がいらっしゃるそうだよ」

「そりゃあ、ありがたいことだよ。なにしろあの方に救われた町や村は数え切れないっていうからね」

 シュレーンの夏祭りは、その始祖である竜狩人の王を祭るものである。

 彼は、火を吐く竜の一族が蔓延る、この地をそれらを倒すことによって手に入れ、そして治めるようになった。

 シュレーンに住むもの全てが、彼への感謝と尊敬を捧げるのである。そして、その祭りには今も存在する竜族を狩る男達を招待して、もてなすという儀礼があった。

 その待遇の良さに、竜狩人の大半がこの時期にシュレーンに集まる。そして、今年はその中でも特別に腕の立つ男が来るのである。国民の意気も上がるというものだ。

「エダーンって、そんなにすごいの?」

 台所で豆を莢から出す仕事を手伝っていたタトウが、不意に尋ねた。いつも父につきまとわれている少年は、決まって夕方にはここで息をぬくのである。

「そりゃ坊ちゃん、あの方にかかっては火竜も氷竜も何も。まるで歯が立たないっていいますよ」

 かまどを加減しながら、若い下働きの女が言った。

「そんなお方のお顔を拝めるなんて、心臓が破裂しそうですわよ」

「そんなタマかい、あんたが」

 フラムがそう言って笑う。つられて、タトウも笑った。

 竜の脅威をタトウは知らない。しかし、彼らは確実に存在し、一頭もしくは複数で辺境の村などを襲うという。そして、それらを狩る男たちは竜を求め、様々な国を放浪しているのだ。

 ガッシャンという物音に、タトウは顔を上げた。そしてその場にいる者たちと目をあわせる。

「……父さん、また転んだのかな」

 しょうがないな、と呟きながら椅子から立ち上がる。あのちょこまかした父は、よくそういった小さな騒ぎを起こすのだ。

 台所で立ち働く者たちは、微笑みながらタトウの後ろ姿を見送った。

 そして、その騒ぎの度にタトウはそこに一番に駆けつけるのだ。

 父マールは、廊下でへたり込んでいた。傍らで気に入って飾っていた大きな壺が無残に割れている。その破片の真ん中で、マールは座り込んでいるのだ。右手に紙片を掴んだまま。

「……とーさん? 何してんだよ、怪我するだろう。そんな」

 見上げたマールの表情に、タトウは言葉を失った。悲しい……切ない思いが胸に浮かんだ。何故だかは、解らずに。

 父の手の紙切れに目を向けると、マールは慌ててそれを懐にしまった。そして、思い詰めたような口調でこう言った。

「……タトウ、父さんと旅に出よう。長く……そう半年ほど」

「何抜けたこと言ってんのさ。仕事はどうすんの。カリーンが気の毒だぜ、雇われ番頭だってのに何から何までやらされて。ただでさえ迷惑かけてんだから、そういう馬鹿げたことは……」

 タトウは言いながら、マールの衣服の下の、不自然な凹凸に気づいた。

「隠してるつもりかよ、それで!」

 逃げるより早く、上着をひっぺがされて、長くもなく短くもない、中途半端な長さの剣を奪われた。マールは大きく狼狽する。

「それは……」

「これはかーさんが俺に唯一残したもんだぜ、それをどうするつもりだったんだよ」

「ご、ごめん。すまなかった」

「俺は謝罪じゃなくて理由が聞きたいんですけど、とーさん」

「……」

「もしもーし」

 小さく縮めた肩が、タトウの気持ちを萎えさせた。肩をすくめて、タトウは壺の破片を拾い始める。

 マールはしょんぼりとしたまま、うなだれて、その様子を見ていた……。


     ※


「タトウ、お前ん家にあのエダーンが逗留するんだって?」

 始業前の学問所で、同じ年のセイが好奇心たっぷりに尋ねてきた。

「そうらしいな」

 さしたる関心もなくタトウは答えた。実際、彼の関心は今のところ、母の形見を死守することに全身全霊がかけられていた。あれ以来、父が異様な程にあの剣に執着をしめしているのだ。隙を狙ってはタトウの部屋から盗み出そうとする。彼らしくない事態に、タトウはただただ戸惑うばかり……でもなかった。とにかく策を練って対抗している。

 今のところ勝負は九対一でタトウに大きな分があった。マールは、やはり愛する息子に対して強く出られないという点、かなわないのである。

 そんな訳で睡眠不足の生欠伸をし続けるタトウに、セイが重ねて話しかける。

「すげえよなあ、俺もエダーンみてえになりてえよ。うまいモン食って、女にはもてるしさ、皆には大事にされるし」

「竜狩人って、そんなにすげえのか?」

「そりゃあ、竜狩人にもピンからキリまであるらしいけどさ。エダーンは別格だろ」

 うっとりとした瞳で、セイは夢のような世界を思い描いている。タトウは溜め息をついて、机につっぷした。

「今の俺は、そんなことに関係ないんだけどなあ」


 成功した。

 その思いにマールは安堵の吐息をもらした。さすがに学問所にいる時までは、この剣も守れまい。不本意ではあったが、こっそり息子の部屋に忍び込み、目当てのものを持ち出したのであった。

「……マール様?」

 使用人の訝しげな問い掛けに、慌てて剣を取り落とす。

 フラムがやれやれ、といった風に主人を見ている。マールはへらへらと卑屈な微笑を浮かべ、次いでその間抜けさにがっくりとしたのだった。

「いいんですか? 坊ちゃん、怒りますよ。かっとなって家出するかも。あ、もしかしたらグレてしまわれるかも」

 マールをじわじわといたぶる。しょんぼり、といった表現の似合いすぎる彼は、手のうちの剣に目を落とした。

『これはにせもの。こんな安直な手にひっかかってんじゃねえよ、ボケ親父』

 剣に貼られた短冊に、マールは仰天した。よくよく見れば、それはよく似た玩具であったのだ。いつの間に、こんなものを見つけ出していたのか。マールは一人息子の手腕に舌を巻いた。

 放心しているマールに、フラムがすげなく言った。

「坊ちゃんは御主人様より一枚二枚、三枚も上手ですよ。……ちゃんとお話になってはいかがですか」

「……駄目だ。それは、絶対駄目だ」

 かぶりを振って、まるで駄々っ子のように。マールは幾度も「駄目だ」を連発した。


     ※


 祭りは例年にも増して、一層華やかさを誇った。

 女たちは自分の持てる限りの装飾物を身にまとい、舞い歩く。通りは花と果実と酒に満たされ、日々の仕事に追われる人々に癒しを与える。

 タトウは高揚した気分を味わいながら、ゆっくりと街の大通りを歩いていた。行きかう人々は生き生きとしていて、その熱気が心地好い。

 時折、道ぞいに立ち並ぶ家並みの二階から、花びらの祝福が撒き散らされる。手にした果実酒をなめるように味わうタトウの腰には、件の剣が目立たぬように下げられていた。たっぷりした上着でそれを隠したのだ。

「……その剣を父さんに渡したくないと言うなら、せめて、それを他人には決して見せないでくれ」

 祭りの前夜、思い詰めた顔のマールは夕食の席でそう言った。タトウは、マールを悲しませるつもりなどなかったのだ。一種のコミュニケーション、ゲームのつもりだった剣の奪い合いが、マールをそんな風に傷つけていたとは知らなかった。

「おっと、失礼」

 低い、だがよく通る声が頭の上から降ってきた。考えこんでいたタトウは、慌てて相手に詫び、そしてその姿を見た。

 興味をひかれたのは、その純白。

「それ……」

 男は涼しげな白いマント……それはまさに純白だった……を目深に被っていた。しかしその瞳の強さと顔に刻みこまれた、大小の傷がただでさえ精悍なその表情を余計に強く見せている。

「……そんな布、初めて見たよ。すごいなあ、おじさん。それ、どこで手に入れたのさ。そこまで綺麗に漂白するのって、至難のワザなんだよ。材質も良いもんじゃないと難しいし」

 初めて見る超高品質の織物に、半ば興奮状態のタトウに、男は微笑を浮かべて答えを返した。

「これは、水鳥の羽毛を織り込んで、特別な染料で染めるらしい。西の方に、そういう技術を持った小さな村があるんだよ」

「へええ」

「君は、織物に興味があるのかい?」

「って訳じゃないけどさ。俺、織物商人の跡取りなんだ。知ってる? マールっていうんだ、俺の親父」

 顔中を上気させている少年に、男は曖昧な視線を向けた。

「マール……? では、もしや君は」

 その時、通りの向こうから声がした。

「エダーン様! エダーン様、人目につきます。お早く、こちらへ」

 竜狩人エダーン。

 それが、その人の名だった。


 祭りの喧騒が、遠く近くマールの屋敷にも流れてくる。タトウは、そっと足をしのばせて、屋敷の廊下を進んでいった。幸い、今夜は年に一度の夏祭りである。しかも、最強の竜狩人、エダーンを迎えてマールの屋敷はおおわらわ。タトウのしていることを見咎める人間はいなかった。

 あらかじめ確かめておいた通り、父の部屋には鍵がかかっていない。扉を開けて、室内に滑り込むと、タトウは迷いなく進んだ。

 壁に飾られた、母の肖像画の額をひっくり返す。マールは昔から、大切なものはこの『母』に預けるクセがあるのだ。

 案の定、その裏には例の紙片があった。マールを狼狽させ、あろうことか出奔させようとまでした原因とおぼしきモノ。

 取り上げて、見る。

 それは手紙だった。タトウは文面に目を走らせた。

 ただ、何ということもない内容。商業組合の長からの、竜狩人エダーンをそちらでもてなしてくれまいか、という要請。

「……?」

 なぜ、こんな手紙にマールは脅えたのか。

 タトウは溜め息をひとつついてそれを懐に入れた。

 質問する権利はある筈だ。自分は、マールの跡取り息子なのだから。

 そう思って踵を返して。

 タトウは驚きに目を見開く。

「……とーさん」

 戸口に佇んで俯いているマールは、とても、とても悲しげだった。

「……お前は、賢い子だから。だから、気づいてしまうだろうね。どんなに懸命に隠したって」

 そして、思い切ったように顔を上げる。

「タトウ、実は……」

「とーさんっ!」

 タトウに大声で遮られて、マールは戸惑っている。

「待ってくれよ……何を言うつもりなんだよ?俺は、俺はそんなことが聞きたかったわけじゃなくて……」

「じゃあ……正解は自分でお捜し、タトウ。その、母さんの剣に答えはあるはずだから」

 傷つけてしまった、という後悔がタトウの胸に湧き上がった。そんなつもりではなかったのに。ただ、何事かで悩んでいるマールを、黙って見ていられなかっただけなのだ。

 無意識のうちに腰に下げた剣をさぐった。

 鞘に収まっていたそれは、相当のわざものだった。刀身は薄く冷たく反り返り、しかも何の装飾も施されていない。実用に値するものなのだ。

 それでいて鞘と柄には青い宝石が埋めこまれ、ぜいたくに金の彫刻があしらわれている。ちょっとやそっとの身分のものが使う代物でないことはタトウにも解った。

「これに……何があるって?」

 タトウの漏らした呟きに、マールは沈黙しか返してはくれなかった。


     ※


「……マール様! 大変ですっ、三地区に竜が現れて、あの辺り一帯が破壊されて!!」

 祭りの二日目。賓客エダーンを迎えた翌朝、急の使者のもたらした情報にマールは腰を抜かした。

 寝間着姿でベッドから転がり出て、使者を迎える。騒ぎにタトウも目を覚まし、階下へと行きかけた。

 気配に振り向くと、エダーンがいた。逞しい上半身をあらわにし、下は武道着をつけている。おそらく、早朝から鍛練をしていたのだろう。思わず感心したタトウである。

 訝しげにエダーンが尋ねた。

「三地区とは?」

「……うちで新しく開発した麻を育ててる畑があるんだ。でも竜が出たんじゃ、もうどうしようもないな」

 タトウは澱みなく答えて、大人ぶって肩をすくめる。こんなことは……珍しくはないのだ。気候やその他の条件でマール達の努力が水泡に帰するのを、タトウは何度も目にしてきた。何度も。

 その度にタトウはやりきれない怒りや憤りを感じた。けれど、マールは何でもないような笑顔で言うのだ。

「大丈夫。こんなことは、大したことじゃないんだから」

 大丈夫なわけは、ないのだけど。

 マールはタトウとエダーンに気づいたのか、あいまいな笑みを浮かべた。

「ああ、起こしてしまいましたか。すいません、こんな朝早くから騒ぎ立てて」

「行かなくて、よろしいのか?」

「……大丈夫です。下手に人を遣って、怪我でもしたら大変ですし」

「私が、参ろうか?」

 エダーンの唐突な提案に、その場に居た者達は息を呑んだ。

「私は竜を狩る者。竜が現れたと聞いては、黙って祭りを楽しむ訳には行かない」

「……ですが、今は年に一度の祭り。それも、竜狩人の方々の憩いの時です。そのようなことを、お願いする訳には」

 問答を繰り返す大人を尻目に、タトウは部屋に駆け戻った。動きやすい服に着替えて、例の剣を掴む。

 今までに感じたことのないくらい、激しい衝動が胸を灼く。

 ……行きたい。たとえ、どうすることが出来ないにしても。

 一瞬の間を置いて、タトウは部屋を飛び出した。階下では、まだ大人たちが三地区の竜について揉めている。

「エダーンさん」

 彼らが振り返ると、少年は階段の半ばに佇んでいた。片手には、剣室に収められた剣を持って。

「……その剣は」

 ふとエダーンは懐かしげに目を細めた。

 マールの顔から、血の気がひいて蒼白と化す。

「君は、やはりレイアの」

 言いかけた言葉を、マールの声が打ち消した。

「エダーン様!」

 エダーンはまだ物言いたげであったが、マールの悲痛な表情に押されて、黙り込んだ。

「僕と、第三地区まで行ってくれませんか? 手遅れかもしれないけど……麻畑を守りたいんです」

 タトウがやっとのことで絞り出した台詞に、竜狩人は静かに頷いた。

「タトウ。そんな、危険な真似は」

 許さない、と言いかけて、マールはタトウの眼差しの強さに口ごもる。

 マールは、タトウとエダーンが出ていくのを止めることができなかった。ただ、ただ見送ることしか許されないような気がして。


     ※


 広大に連なる麻の畑は、青い葉をしげらせていた。

 その中央の部分は見事に押しつぶされて、円を描いている。そこに、真っ白な竜がまどろんでいた。ふつうの家一軒ほどの体だ。

「あんなド真ん中に。なめてんな、あの竜のやつ」

 タトウの洩らした呟きに、エダーンが苦笑する。

「あれは……幻夢竜だな。珍しい」

「幻夢竜? 火とか吹くのでなく?」

「あれは……特殊な呼気でエモノに夢を見せるんだ」

 それならば、攻撃を受けても命には別状はなさそうだと、ほっと息をつくタトウにエダーンは続けた。

「ヒトの記憶を引きずり出すのだ。思い出したくないと感じるようなことまで。大抵の人間は、あのブレスを受けると精神を病む」

「それって……やだなあ。他の竜よりタチ悪いじゃないか」

 勢いでエダーンと共に来たものの、竜など見るのも初めてなタトウは戸惑い気味であった。

「……レイアは」

「え?」

 黙り込むエダーンに、タトウは焦れた。

「レイアの死因は?」

 その問いに、こともなく答える。

「病気で、肺を患ってね。でも、最期はすごく綺麗だったよ」

 忘れない。あの、安らかな、あたたかな眠りについた彼女の表情。

「レイアは……」

 さらに尋ねかけた時、巨大な影が二人の上に落ちた。

 エダーンがとっさにタトウを引き寄せた。が、間に合わない。

「うわっ!」

 思わず頭上に剣をかざしたタトウを、竜の吐息が包む。

 甘い、白い蒸気がたちこめた。



『あい……る』

 愛している。男は言う。だが、自分は行かなければならないと。

『……なら』

 さようなら、あなた。女は微笑む。本当は、すがりついても引き止めたいのに。でも、男の前でみっともない自分をさらしたくはなかった。

『これを』

 男はひとふりの剣を差し出す。一目で高価な品と解るもの。手切れ金だと言うのか、女は複雑な気持ちでそれを受け取る。

『さようなら、エダーン』

 そして……

 男は女のもとから旅立って行く。


     ※


 女は自分の変化に気づく。孕んだ事実に喜びながら、それでも不安をかき消せない。

 彼女は娼婦だった。高級娼婦。子供を産んでは、どうやって生きていけると言うのだろうか。

『心配いらないから』

『君を守ってあげよう、その、お腹のなかの子供ごと』

『君を愛しているから』

 あたたかな……あたたかな想いが流れ込んでくる。途方に暮れた迷子のように、行く道を見失った彼女は……そして決心する。

 この人にすべてを託そうと。

『愛しているから……レイア』

 レイアは、織物商の男に嫁ぐ。

 そして、レイアは幸福になったのだ。わずかな間でも。


 蘇る。夢に引きずられてタトウは思い出す。

『ねえ、タトウ。あなたの父さんはね、本当は別の人なのよ』

 答えるのは、まだずっと幼かったタトウ。

あどけない口調で。

『うそだよ、とーさんはとーさんだよ』

 レイアは、ほんのり睫毛を伏せる。

『そう、そうよね。ごめんね、タトウ。でもね、タトウ。お願い、何があっても父さんに、マールに悲しい思いはさせないでね。約束よ』

『うん、約束する』

 微笑む、レイア。甘やかな笑み。

『ありがとう、マール』

 死ぬ間際、彼女はそう言い残した。


     ※


 ふっと我に返ると、辺りは静かだった。

 タトウは起き上がると、周囲を見回す。土に植えられていた麻は、無残になぎ倒されていたが、幸い被害は少ないようだった。

「エダーン、さん?」

 状況を飲み込めずに、とりあえず少年は竜狩人の名を呼んだ。

「……大丈夫だったか」

 がさがさと麻の林をかきわけて、大柄な体躯が現れた。身につけた鎧には、血とおぼしきものがところどころについている。

「幻夢竜は?」

「……逃げられた。が、とりあえず致命傷は与えた」

「強いんだね」

 エダーンは手の大剣を鞘に突っ込むと、あいまいな微笑を見せた。

「先刻、レイアの夢を見た。無様だが、あれに動揺してね。いつもなら、きちんと止めを刺す主義なんだが……剣が鈍った」

「その夢は、俺も。あれは……多分、この剣の記憶だと思う。だから俺無事だったんだ。第一、とーさんとかーさんの馴れ初めなんて全然知らなかったし」

「それは……どちらの父のことかな」

 何げない中に、ためらいがあった。彼としても、薄々感じていたのだ。タトウが彼の『息子』ではないかと。

 マールに問い質そうかとも思った。

『あれは、私とレイアとの間の子ではないのか?』

 と。だが、それはとても残酷な行為に思えたのだ。マールからタトウを奪うことになりかねないのだから。この義理の親子の絆を断ち切るのは、理不尽だとも思えたから。

「……俺の父さんは、いっつもドジばっかしてて、どうしようもないひとなんだ」

 ぽつりと言うタトウに、エダーンは目を丸くする。かまわずに少年は続けた。

「でも、無条件に、いちばん俺を愛してくれているひとなんだよ。俺は、そんな父さんがすごく不思議で、すごく好きなんだ」

 タトウは、にっこり笑う。

「だから、俺。父さんの跡を継いで立派な織物商になるのが夢なんだ」

「……そうだな」

 それ以上聞かなくても、『父』には解った。タトウは、『父』を愛していることを。

 不意に、タトウは真顔になった。

「さっき……何て聞きたかったの?」

「ああ……レイアは幸福だったろうか、と。だが、そう聞く必要はなさそうだな」

 全部、あの剣が見せてくれたから。

「では、戻ろうか」

「うん」

 少年は元気良く頷いた。


     ※


 二人がマールの屋敷に戻ったのは、すでに日の落ちかける時間だった。

 マールは静かに二人を出迎え、タトウから麻の様子を聞いた。

「そうかい、半分は無事か。それはよかった」

 そう答えたきり、何も尋ねようとしない。タトウはマールの気づかいに胸を痛めた。

 マールは、タトウが気づいたことを知っている。エダーンがタトウの実の父であると、本人が知ったことも。

 その上で、何も聞かないのだ。これから、どうするのかと。

「私は……お暇したいと思うのだが。あの幻夢竜の行方が気になる」

 鎧姿も解かないまま、エダーンは言った。マールもあえてそれを引き止めようとはしなかった。

 立ち去ろうとする間際、思いついたようにエダーンは、タトウにあの白いマントを渡した。

「これ……いいの?」

「ああ、未来の大商人にあげるのが一番よいのではないかと思ってね」

「ありがとう」

 タトウは礼を言うと、丁寧にそれを押したたんだ。竜狩人はそんな少年を微笑ましげに見守る。

「では」

 入り口から一歩も入らぬまま、エダーンは別れを告げ、従者たちも荷物をかきあつめてその後を追った。

 しばらくして、ぽつりとマールが言った。

「……行かないのかい?」

「……どこへ?」

「エダーン様は、お前の……」

「父さん、俺さあ」

「?」

「きっといい織物商になるよ。もっともっと店もでかくしてさあ」

「……うん」

 きっと母さんも喜ぶよ。

 マールが小さくそう言ったのを、タトウは聞き逃さなかった。



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はじまりの夢、おしまいの夢。 小鳥居 @cotry7777

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