その日、蟬時雨降って


 夏休みも折り返し地点。豪雨のように降る蝉の声を聞きながら、わたしは園芸部の仕事である水撒きにいそしんでいた。それも、もうあと一息だ。朝早いうちにと心がけてはいるけれど、終わる頃にはすっかり陽が昇りきってしまっている。


日下くさかさん、ご苦労さま。次の当番の日もお願いね」


 職員室の窓から–––園芸部の庭のちょうど前が職員室なのだ–––顧問の先生に声を掛けられて、わたしはため息混じりに返事をした。園芸部員、来年はもう少し増やさなきゃなぁと思いつつ空を見上げる。……あ、飛行機。くっきりと青い空に、まっすぐ伸びた翼が白銀に煌めいた。



「あっつい……」


 ふと、制服のスカートのポケットで携帯が振動した。千花ちかちゃんからメールだ。


『部活終わったー?

 終わったら、前話してた

 スムージーのお店行こ!

 バイト代入ったから

 おごってあげるしっ◎』


 ……だって。このまんまじゃ汗だくだし恥ずかしいかも、でも千花ちゃんの奢りだったら気が変わらないうちに行っちゃおうか、なんて考えながら胡乱うろんに伸びたホースをクルクルと巻き取る。そして、首に巻いていたタオルを外して額や顎を流れる汗を拭った時、後ろからつんと肩をつつかれた。


「ひゃあっ!?」

「うわあゴメン、俺! 俺だって!」


 聞き覚えのある声におずおずと振り返ると、同じクラスの浅賀君が決まり悪そうに笑って立っていた。


「あ、浅賀君!? どしたの? ……今日は何部の助っ人?」

「今日はバド部。1年の子が熱出して来られなくなって、練習試合の人数足りなくなっちゃったらしくて。日下さんは今日は水曜日なのに園芸部なんだ。水やり、終わった?」

「うん。もう汗だく。……ごめんね、なんか見苦しい格好で」

「なんで謝るの。この暑さで汗かかない人なんていないって。そんな人いたらそっちのが心配だよ」


 そう言うと、浅賀君がにっこり笑った。向日葵みたいだなあ、と、わたしは素直に思う。青い空を背に、凛と面を上げて咲き誇る黄金色の向日葵。眩しさに、思わず目を細めてしまう。


「あ、えっと、それで……?」

「そうそう。これ。これ渡そうと思って持ってきたんだ。前に日下さんが聴いてみたいって言ってたから」


 きょとんとするわたしに、浅賀君が紙袋を差し出す。とりあえず受け取って中を覗くと、CDが何枚か入っているのが見えた。


「ネットで検索すればすぐ聴けるとは思うんだけど、俺がCD貸しちゃった方が手っ取り早いかなって」

「それでわざわざ持ってきてくれたの?」


 –––それは、夏休みに入る前、ほんの少し交わしただけの会話だった。テレビの音楽番組で流れた曲が気になってるんだけど、タイトルもアーティスト名もうろ覚えなんだよね、という、わたしのこぼした一言。すると浅賀君は「俺、そのバンドめっちゃ好き!」って、大きな瞳をくるんと動かすようにして笑ったのだ。

 そんな話、浅賀君はとっくに忘れちゃってるかと思ってた。だってそれ以来、夏休みに偶然会えた時だって、そんな話ちっともしなかったし……。


「そうだよ日下さん、感謝してよ? 水曜日は点訳部の方だと思って図書室行ったのに、日下さんだけいなくてすげえ焦った」

「探させちゃったんだね、ごめんなさい」


 謝ってはみたものの、どうしよう、すごい、嬉しい。嬉しすぎてかあっと頬が熱くなるのを自覚しながら、わたしはガバッと頭を下げた。


「浅賀君、ホントにありがとう!」

「どういたしまして。日下さんも好きになるといいなぁ、このバンド」

「帰ったらすぐ聴く、聴きますっ」

「次会った時にでも感想聞かせてね。あ、返してもらうのは急がないからゆっくり聴いて。じゃあ俺、体育館戻んなきゃ」


 浅賀君はそう言ってひらひらと手を振ると、心臓が破裂しそうなくらいドキドキしているわたしとは裏腹に、軽やかに身を翻して行ってしまった。


 手の中に残る、紙袋。浅賀君が、わたしのためにわざわざ家から持ってきてくれたなんて。だめだ、嬉しくて手が震えちゃう。

 わたしは緩む頬をペチンとはたいて頭を振ると、紙袋の取っ手を強く握り直したのだった。


 -----


「……で、浅賀が珠央のために家からCDを持ってきてくれた上に、それを渡すために学校中ウロウロ珠央を探し回ってくれた、と」

「べっ、別に学校中じゃないしウロウロなんかしてないよ浅賀君は!」


 あの後、待ち合わせ場所にそのまま直行したわたしを見つけた千花ちゃんがニヤニヤしながら最初に言ったのが「その紙袋は何かなー?」だった。千花ちゃん曰く、その紙袋は『珠央が絶対に行くはずのないメンズファッションのセレクトショップのショッパー』だったらしい(ショッパーって何? この紙袋の事かな?)。

 それで早速、スムージーを飲みながら千花ちゃんに今日の出来事を話した、という訳だ。


「しっかし珠央も浅賀ものんびりしてるねぇ。さっさと付き合っちゃえばいーのに」

「はぁっ!? なんで突然そうなるかな!?」

「話してて気が合うなーとか居心地いいなーって思ったら、とりあえず付き合ってみればいいじゃん。付き合ってみて『ダメだコイツ』って思ったら別れればいーんだし」


 《マンゴーとピーチの夏色スムージー》なるものを、ズズズとすすって千花ちゃんが言う。


 –––確かに、周りのみんなはそうやって、短いスパンでくっついたり別れたりを楽しんでいる、ように、見えなくもない。中には、他校の会った事もない相手とメールのやり取りだけで付き合っちゃう子たちもいるくらいだ。


「でも、浅賀君はそういうんじゃなくて、なんというか」

「わかってるって。珠央がそういうタイプじゃないって事ぐらい。でもウカウカしてると知らない間に奪われちゃうかもよー? 浅賀、女の子みたいな顔してるけど意外とモテるんだからさ」

「……別に意外じゃないもん」


 わざと口を尖らせて言うと、わたしも千花ちゃんを真似て、《キウイと小松菜の爽やかスムージー》をストローでズズッと飲み干した。


「どっちにしても、あたしは珠央の味方だからさ。浅賀が変な女子とくっつきそうになったら全力で阻止してあげる!」

「……頼りにしてます」


 -----


 家に帰ると、わたしはバタバタとシャワーを浴び、濡れ髪もそのままに部屋に入ってベッドの上に正座した。深呼吸。浅賀君から渡された紙袋からCDを取り出す。壊れ物を扱うように慎重に、デッキにCDを乗せる。

 やがて流れ出す旋律。鋭いギターの音色と、柔らかなボーカルの声。ズシンとお腹に響くベースの重み。


 けれど、わたしの心にあるのは。

 『日下さんも好きになるといいなぁ』と言った時の浅賀君の笑顔。どうしてこんなにドキドキするんだろう。


 ……好き、だから、かな。認めてしまうとまともに向き合えなくなる気がして怖いけど。でも、他の誰と話したってこんなにドキドキしないのが、わたしが浅賀君を好きだという何よりの証拠だ。


 わたしは、照れくささにひとりで真っ赤になりながら枕をぼふぼふ叩いた。しばらくそんな不毛な事をやって少し冷静さを取り戻すと、今度は、次に浅賀君に会った時ちゃんと話せるようにと、歌詞カードをじっくりと眺めてみるのだった。




 -END-

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