初恋JellyBeans

遊月

その日、三十度以上


「あ、浅賀だ」


 弓道場の横を通り過ぎようとした時、一緒に歩いていた千花ちゃんがふと足を止めて呟いた。


「えっ」

「ホラ、あそこ。今度は弓道部の助っ人かぁ。相変わらずあちこち出没してるねえアイツは」

「浅賀君、弓道も上手なの? だってこないだは軽音楽部でギター弾いてたらしいし、その前は陸上部の怪我した先輩の代打で高跳びやったって誰かが言ってたよ?」


 わたしと千花ちゃんは、声を抑えて喋りながら、弓道場の入口からこっそり中を覗き込んだ。


「お祖父ちゃんちが弓道の道場なんだってさ。本人ボケーッとしてんのに、この才能の幅広さは一体何なのかね。意味わかんね」

「……あっ、当た、る?」


 目で追った瞬間、たん、と乾いた音がして、浅賀君の放った矢が的を射った。


「–––射!」


 弓道場に、部員たちの凛とした掛け声が響き渡った。

 浅賀くんは、続けて次の矢をつがえる動作に入る。袴の衣擦れの音や弦を引き絞る僅かな音さえ聞こえてきそうな静寂の中、わたしは息をひそめて浅賀君の横顔を見つめた。



 浅賀君は、いつも教室の真ん中にいるような人だ。浅賀君が笑うとつられて笑い声が上がるし、天然っぽい言動をしてはクラス総出でツッコまれたりして。それに、さっき千花ちゃんと話してたとおり、なんだかいろんな才能にも恵まれているらしい。不思議な人。

 そんな浅賀君だけど、背がちょっと小柄で目元なんかもくるんとしてて女の子みたいに可愛らしいせいもあって(本人は気にしてるみたいだけど)わたしにとっては威圧感を感じずに話せる数少ない男子だ。浅賀君が笑う姿を見ると、わたしは素直に、いいなぁ、好きだなぁと思わずにいられない。


 わたしの見つめる先にいる浅賀くんの顎から、ぽたり、ひと雫、汗が零れ落ちた。



 -----



「あれ、日下さんも部活だったの? 日下さん、確か点訳部……だったよね」


 靴箱でふいに声をかけられて、わたしは心臓を鷲掴みされたくらいに驚いた。だって、それは浅賀君の声だったから。


「う、うん、うちは夏休みは毎週水曜日だけやってるから」

「そっか。じゃあ日下さん、夏休みも水曜日は必ず学校に来てるんだ」


 なんとなく二人で並んで歩く形になりながら(彼氏に呼び出されたーなんて言って先に帰っちゃった千花ちゃんにちょっとだけ感謝)、わたしはそっと浅賀君の横顔を盗み見た。


「そう。もうすぐ大会だからひたすら練習。地味に頑張ってるよ」

「点訳部も大会とかあるんだ? でも地味なんかじゃないよ。日下さんみたいに同じ事をちゃんと続けられるって、偉いと思う。それに日下さん、点訳部と園芸部兼部してるんじゃ《ルビを入力…》なかった? 夏休みも学校来て花壇の水やりしてるの、何回か見かけたよ」

「え、嘘、いつのまにっ」

「俺なんてあっちにフラフラこっちにフラフラ、格好悪いなーって自分でも思うもん」


 動揺するわたしを余所にそう言うと、浅賀君は息を落とすように寂しげに顔を翳らせた。


 途端。


 降りしきる蝉時雨も、野放図に伸びて咲き誇る軒先の凌霄花のうぜんかずらもその緑陰も、そしてわたしも、世界が光を失ってしまうような感覚に陥った。


「そんな事ない! 浅賀君は、浅賀君は……太陽みたいな人だよ!」

「へっ?」


 間の抜けた声を出して、浅賀君が弾かれたようにわたしを見つめた。

 まっすぐな、そう、空を切り裂いて的を射る弓矢のようにまっすぐな浅賀君の視線に、わたしはたじろいでしまいながらも頷いた。


「浅賀君を見かけるとね、なんかわたしまでニコッてなっちゃうの。教室でもキラキラしてて眩しくて、あ、さっき弓道してる時も、ただの助っ人だなんて思えないくらい先輩たちよりずっと目立ってて格好良かったよ!」

「ええ? そうかなぁ……」

「そうだよ!」


 勢いこんで言ってしまってから、これじゃあまるで告白じゃないかと一人で焦って混乱してしまう。

 でも、浅賀君はそんなわたしの心中を知ってか知らずか、くるんと丸い目をきゅっと細めて微笑んだ。


「ありがと、日下さん」


 –––ああ、世界に光が戻ってきた。うん、こうでなくちゃ。浅賀君は、わたしにとってきっと太陽そのものなんだ。

 わたしは答える事もできずに、ただぼんやりと笑顔の浅賀君を眺めていた。


「では、そんな優しい日下さんにはコレを進呈します」

「な、何」

「まだ一口しか飲んでないから大丈夫」


 現実に引き戻されたわたしの手に押し込まれたのは、まだ冷たさの残るサイダーの入ったペットボトルだった。


「あ、俺こっちだから。じゃあまた、来週の水曜日にね」

「……え?」

「ばいばい」


 そう言って横断歩道を渡ってしまった浅賀君の背中を見つめて、わたしは真夏の陽射しを受けて立ち尽くしていた。


 焦げるように熱い背中とは対照的に、ひんやり涼しい手元。


 浅賀君の笑顔や唇の動きや穏やかな声を思い出してはどうしようもなく心が揺れて、わたしはしばらくその場から動けずにいたのだった。




 -END-

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