第2話
朝日がまぶしい。
気分は最悪だった。
昨日の夢は何だったのだろう。
理屈は分かっている。純粋な夢だったのだろう。レムを早く退場したから見た、普通の自分一人で見る夢。
しかし、あの映像は何だ。どうして姉の死に際なんて大事なことを忘れていたのだろう。
最悪の気分で顔を洗い、最悪の気分で朝ご飯を食べ、最悪の気分で家を出ると、最悪をさらに加速させる存在が家の前を歩いていた。
「おはよう、歩。昨日はよく眠れた?レム初日だったんでしょ。」
「おはよう、白鳥。ひさしぶりだな。」
こいつは白鳥沙姫。僕が親しくしている唯一の人物だ。親しくしているというか、親しくさせられているというか。どれだけ関わらないようにしても、どれだけ迷惑そうな顔をしてもこいつは関わってくる。
ただこいつと関わったときは周りからの嫉妬の視線が痛い。かわいいし、性格もいいので男子からも女子からも好かれている。ただ死んだ姉に頼まれたから優しくしてくれているだけだというのに、まわりはどうも根暗ながり勉と美少女が仲良くしているのが気に入らないらしい。
「白鳥、確認したいんだがレムでの容姿設定って初めの時に一回だけだったよな?」
「うん、そうだったと思うよ。容姿設定に失敗でもしたの?」
当たらずも遠からずだな。そもそも容姿設定ができなくて、性別も違うとなったら変な目で見られるに違いない。こいつに限らずリアルの知り合いには絶対にばれないようにしないと。
「まあ、そんなところかな。でも少しだから大したことないよ。レムでは会う?」
「そうなんだ。面白そうだったら会いに行ってもいいと思ったけど少し失敗したぐらいだったらいいや。レムでは会う機会があったらよろしくってことで」
ほっと一息つく。白鳥に面白そうだと思われたら絶対しつこく聞かれるだろう。会いたくないのを匂わせたら絶対会おうと言ってくるに決まっている。
「そういえば今度の日曜日、だいぶ前にあった文化祭の打ち上げ的な集まりをやるらしいけど来る?」
「いや、行かないよ。」
行くわけないだろう。前は仲の良い友達もたくさんいたが、姉が死んでから人を遠ざけるようになり徐々にみんな話しかけて来なくなった。それに、そもそもの問題として文化祭には貢献していないし、文化祭があったのはだいぶ前だ。おおかた、遊びたい奴らが文化祭の打ち上げをやっていなかったから、今になって遊ぶ口実に引っ張り出してきただけだろう。
「そうなんだ。まだ、お姉さんをなくしたショックから立ち直れないの?前はあんなにクラスのみんなと仲良かったのに。みんな心配してるんだよ。」
そういう問題ではない。貴重な休みをそんな集まりに使いたくなかったのは、姉の生前でも同じことだ。でも、くだらないとか言うのも角が立つのでその方向性で行きたくないということにしよう。
「べつにショックでふさいでいるわけじゃないよ。どうせもうすぐ卒業なんだし、その時の寂しさを少なくしようと思って。」
「うーん、卒業の時の寂しさはそれまであった楽しさを損ねるものじゃないと思うけどなあ。まあ、でもお姉さんの生前でも歩はこういう集まりに来なかったよね。じゃあ、また学校で。」
分かっているなら聞くなといいたい。しかし、この白鳥という女は、来るか来ないかよりもクラス全員を誘うということを重要視したのだろう。クラスの奴らなんて白鳥やらそこらの中心人物が来たらそれで満足だろうに、ご苦労なことだ。
「また学校で。」
そしていつもと変わらない日常が始まった。授業を聞き、休み時間は勉強し、昼休みはさっさと冷凍食品だらけの弁当を食べると勉強をする。放課後は図書館に行って勉強。そんな日常。べつに姉がなくなる前と後とでほとんど変化はない。前はバカたちが勉強を聞きに来ていたが、姉が死んだ後に、もうお前らに割く時間はないと言ったら聞きに来ることはなくなった。
しかし、今日はいつもと違った。朝のスタートの時点から嫌な予感はしていた。白鳥は比較的関わってこようとしてくるとはいえ、話しかけてくることは少ない。そして、不幸はというものは続くものだ。
一時間目の授業が終わってしばらくしたとき、広げていたノートに影が落ちたのを感じた。上を見ると少し不安そうな男の顔があり、顔をしかめそうになる。不安そうな男の顔とか誰得だよと思ったが口には出さないでおく。
「なんだ、風間?」
男が口を開かないのでこっちから口を開く。
風間はその精悍な顔をさらに不安で曇らせたかと思うと、口を開いた。
「何でもない。」
不安そうな男、風間は分かりやすく動揺していた。しかしいくら何でも「何でもない」は動揺しすぎだとも思うが。何でもないならどっかいけよという気持ちを込めて言ってやる。
「じゃあ、そこをどいてくれないか。お前の体が影になって、手元が暗いんだ。」
「いや、すまない、動揺していた。用はある。今度の日曜日、文化祭の打ち上げがあるんだが来てくれないか。」
またその話か。
「その話だったら、さっき白鳥に誘われて断っている。他をあたってくれ。」
「断られたのはさっき聞いたよ。だけど、どうしても歩に来てほしいんだ。」
なぜこいつはこんなに食い下がってくるのだろう。しかし、何度聞かれても答えは変わらない。NOだ。
「見て分かるように勉強で忙しい。遠慮させてもらうよ。」
「勉強ねえ。いつまでそうやってお姉さんの死から逃げているつもりなんだ?」
「べつに姉の死は関係ない。」
「いや、関係あるだろ。そんな死んだ魚のような眼をずっとしてお前はそれでいいのか。」
「DHA豊富そうでいいじゃないか。頭よさそうで。」
風間はムッとしたようだった。
「そうかそうか。じゃあお前のお姉さんはお前をそんな眼にしてやりたくて死んだんだろうな。お姉さんのほうから身代わりになったそうだしいいじゃないか。そんなに気に病まなくても。みんなで遊んで忘れたらいいんじゃないのか。
目の前が真っ赤に染まった。こいつは何を言っているんだ?姉が望んでいた?死ぬことを?気に病む必要がない?姉を死に追いやった僕が?遊べば忘れられる?そんな軽いことだとでも思っているのか?
気が付くと僕は立ち上がっていて、僕に殴られた風間は机をなぎ倒して吹っ飛んでいた。
チャイムが鳴る。周りは静まり返っていた。
「何をやっている!」
すぐに教師が入ってきて叫ぶ。僕たちは職員室に呼び出され、授業どころではなくなった。本当に今日はなんて運の悪い日なのだろう。
職員室に呼び出された僕はどうして風間を殴ったか尋問された。僕は正直に答えた。カッとなって殴りました、と。なぜ頭に血が上ったのか経緯を聞かれる。そうしたら、姉のことについて触れなければならない。姉のことを口に出した瞬間、教師たちが気まずそうに笑った。それで尋問は終わった。もともと僕も風間も成績が良かったこともあり、教師たちもあまり大ごとにはしたくなかったのだろう。それに加えて、人の死が関係するデリケートな話に誰も首を突っ込みたくはない。
しかし、そうなるとどうしてわざわざ風間は姉のことを口に出したのか。デリケートな話であるのは分かっているだろうし、そこまでバカだとは思わない。昔、成績の悪かった風間に勉強を教えたのは僕だが、そこから努力したのはひとえにあいつ自身の力だ。
「まあ、勉強の成績と、人を気遣えるかどうかは別の話ってことなのかな。」
教室に戻ると白鳥と目があった。何か言いたいことがあるようだったが、今は三限目の授業中なので話しかけてくることはなかった。ちなみに風間は殴られた被害者だったので二限目のうちに教室に戻っていた。
大人しく席に着き授業を受ける。しばらくすると頭に紙切れが当たるのに気が付いた。この方向からして白鳥だろう。さっきのことで教師に目をつけられているというのに勇気ある行動をするものだ。僕はいっさい気が付かないふりをして授業を受けた。
授業が終わると白鳥が席に来た。
「なんで、無視するの。」
「なんでもなにもあの状況で反応してたら絶対教師に怒られてただろ。」
白鳥は少し考え込むと、
「それもそうだね。」
といった。
「じゃあ、話したいことがあるから昼休み屋上に来てもらってもいい?」
確かにこの学校の屋上は解放されている。しかし、行けるというのと行きたいかというのは別問題だ。解放されているがゆえに人がいっぱいいて、座る場所があるかもわからない。しかも、空調設備がないから夏は暑いし冬は寒い。正直に言うと確実に席があり、空調設備もある教室を放棄して屋上に行くやつらの気持ちが分からない。
当然僕は答える。
「嫌だ。」
白鳥が少しイラッとした気配がした。しかし、少し考え込むと、今度はこんなことをのたまった。
「じゃあ、放課後一緒に帰りましょ。」
確かに白鳥の家は近所だし、一緒に帰るのは理に適っているように見えた、が、僕にはいく場所がある。
「いや、放課後は図書館に行くから。」
いよいよ、白鳥の額に青筋が浮かんだ。しかし、首をぶんぶん振るといった。
「もういいわよ。ここまで来たら乗り掛かった舟よ。私も今日は図書館で勉強するわ。」
何がこいつをそこまで駆り立てるのか。おおかたこいつの用事なんてさっきの風間のフォローとかそんなところだろう。チラッと風間の席のほうを見るとあからさまに目をそらされた。
ため息をつく。これ以上拒否しても白鳥の機嫌が悪くなるだけだろう。
「ああ、分かった。じゃあ、授業が終わったら一緒に図書館に向かおう。」
こっちに聞き耳を立てていた風間がホッと一息つく気配がする。
そこでチャイムが鳴り授業が始まった。
そこから放課後までは何もなかった。今日は厄日だと思っていたのでやっと一息つけてほっとした。まだ、最も面倒そうなイベントが残っているわけではあるが。
放課後、図書館に向けて白鳥と歩く。ずっと黙々と歩いていると白鳥が口を開いた。
「風間のこと許してやってくれない?」
「許すも何もなんとも思っていないよ。」
実際に言われたときは我を忘れてしまったが、そんな大したことを言われたわけじゃない。
「いや、風間がビビっているの。自分はまた歩を怒らせてしまったのではないか、ってね。それなら自分で謝ってって言ったんだけど、彼はあんなガタイをしてビビりだから。これ以上歩に嫌われるのが怖くて近寄れなかったんだと思う。昔、歩に、お前らに割く時間はない、と言われたときの風間の顔、覚えてるでしょ?」
しばし黙する。確かに覚えている。
「確かに風間の言い方は問題があったけど、風間が歩のことを思って言っているのは分かっているよね。」
「ああ。」
短く答える。これで話は終わりだろうか。ちらりと横を見る。白鳥の要件は風間のフォローでこれ以上要件はないはずだった。しかし、話は予想に反して続いた。
「でも、風間も言っていたけど一体いつまで下を向いているつもりなの?そんな風にずっと無気力な目をしていても何も始まらないと思うけど。前はあんなに頑張り屋で、人にも勉強を教えたりしていたのに、あの頃みたいには戻れないの?」
「……人間、成長するんだよ。それをみんなして前のほうが良かったなんて、なんでそんなこと思うんだ。」
「成長、ねえ。それは前の歩のほうが私が好きだったからかな。」
「そんな理由で僕の今を否定していたのか。」
「そんな理由って私にとっては重要な問題だよ。私は人間は感情で動く生き物だと思っているから。私が気に入らないと思ったら改善するために全力を傾けられる。」
「感情って。人間は論理で動く生き物だろ。」
「論理が先か。感情が先か。私は論理なんて感情を理由づけるためにあるものだとしか思わないけれど、この際このことについて議論するのはやめておきましょう。結局結論なんて出ないし水掛け論にしかならないから。お望みなら論理で以て歩が前のように戻った方がいい理由を言うけど聞く?」
「……ぜひお願いしたい。」
「まず、問題なのは高校で友達ができないことかな。勉強ばっかりしていて人付き合いをしないとクラスで孤立しちゃうよ。」
「友達なんて必要ない。何かと思ったらそんな理由か。」
「歩にとってはそうかもしれない。でも、勉強ができると妬みも買いやすいのはわかるよね。今のまま不自然に人を遠ざけていると嫌な奴と思われちゃうよ。」
「べつに他人にどう思われようとどうでもいい。」
「そうかな。私はそうは思わない。他人をどうでもいいって扱えば、逆に他人からはどうでもいい存在として扱われるから。他人からの好感度は頼み事をするときなんかに顕著に差を生むよ。」
「他人に頼み事なんか……」
「他人に頼み事なんかしないから大丈夫っていうならそれは間違っているよ。する、しないじゃなくて頼み事をできるかできないかで普段の自分の行動の自由度も変わってくる。そのことは分かるよね。あのお姉さんを見ていたら。」
姉は生徒会長時代さまざまな改革を先生方と調整して行っていた。とても精力的に活動できていたのは傍らにいつも生徒会の面々がいたからだと思う。もし失敗があっても生徒会の皆が助けてくれる。そんな信頼があったからこそ一歩踏み込んで改革を行うことができたし、安心して行動できたのだろう。実際に失敗をケアする場面はなかったそうであるが、頼れる存在というのは後ろに立っているだけで力になるものだ。
僕から反論がないことを見ると白鳥は話を続けた。
「次の問題は、大学、社会人になってから人に嫌われることかな。」
「おい、それはさっきとほとんど同じじゃないか。思いつかないならそう言えよ。」
白鳥は握りこぶしを作ると自分の頭にこつんと当てた。
さっきまで真面目に話していた分だけ非常にむかつく。これで話は終わりかと思うと白鳥が口を開いた。
「似たようで全然違うよ。歩は人の負の感情を軽く見すぎじゃないかな。さっきまでのはメリットがなくなることの問題。今回のはデメリットに関してだよ。上司からの覚えが悪くなったら出世は遅れるし、自分の要求が通りにくくなるわで悪いことづくめだよ。」
僕は言い返さなかった。白鳥の話には確かにそうかもしれないと思われる部分もあった。本当にそんなことになるかは分からない。分からないが、白鳥はその可能性をわざわざ犯す必要はないと言いたいのだろう。
僕が黙っていると白鳥はさらに続けた。
「最後の理由は、今、歩が言い返さないことだよ。こんな話、今までに大量に議論されているし反論材料なんてたくさんある。私は私の意見に反論してくる人に対してさらに反論はするけど、わざわざこうしろとは言わない。そういう考え方だって個人の自由だし、私が口を出すことじゃないからね。でも、歩はその反論をやめた。それは反論したいなら言うべき言葉が、論理が自分の中で成り立っていないからだと思うよ。だから自分に嘘をつくのはもうやめなよ、歩。お姉さんのことで十字架を背負っても何も戻ってこないし、それはただの自己満足だよ?人生なんて死ぬまでの暇つぶし。いくらでも悩んで、迷って、立ち止まってもいいけど、最期に振り返ってがらんどうなんてことにならないように頑張ってね。」
そうやって言いたいことだけ言うと白鳥は帰っていき、後には考え込む僕だけが残った。
結局、そのあと図書館での勉強も集中できず、一日を終えた。
……
目を開けるとまたレムにやってきていた。満天の星空が輝き、そよ風が草原をなでる。
これからどうしよう。選択肢は二つほどある。
一つは地平線付近に見える街まで歩いていくこと。もう一つは森のほうに引き返していったサキを追いかけることだ。
一つ目は非常にシンプルで分かりやすい選択肢だ。対して二つ目は本当に必要なのか疑問に思う。ただ、昨日ゴブリンに遭遇して思ったがやはり、レムで生きる知識が足りない。それに僕と同じく街に向かっていたはずのサキが引き返していったことが謎だ。この平原には何かあるんじゃないだろうか。そんな考えが頭をよぎった。
よし決めた。僕は立ち上がった。昨日の傷は完治している。服装は上下黒のジャージ。破けてはいない、っと。
突如すごい吠え声が聞こえた。昨日、撃たれた直後に聞いた声だ。あのゴブリンの群れに襲われている人が他にいるのだろう。どうしようか。ここで襲われている人が死んだところで現実に影響するわけじゃないし、人と関わりたくないし、という考えが浮かぶ。しかし、レムに来る前に図書館で暇つぶしに調べた情報を思い出して考え直す。ゴブリンの厄介なところはその知能もだが、捕まった場合奴隷にされることにある。他の人たちがゴブリン駆除などをすれば助かるらしいが、それまでレムに来るたび馬車馬のようにこき使われる。
少しだけ様子を見てみようか。もし襲われている人が強かったりしたらゴブリンの対処法なんかを参考にしたい。
走って森と平原の境界に行く。吠え声が大きくなってきた。小型の人型が多く見えた。あれがおそらくゴブリンだろう。思ったよりも身長が高く、がっしりしている。
巨大なフクロウも数羽見える。その上にも小型のゴブリンがいて矢を射かけていた。森で聞こえていたのはこのフクロウの声だったのだろう。
そして射かけている先には……サキがいた。何やっているんだ、あいつは。逃げられないのだろうか。昨日使っていた魔法を使えば逃げられそうであるが何か対策がされているのだろう。そうでなければ知能の高いゴブリンがあの魔法が効力を発揮する平原を戦いの舞台に選ぶとは思えない。
おそらくゴブリンたちに認識されているとあの魔法は使えないのだろう。そうであれば昨日サキが僕を助けられたのに今魔法を使わないことの説明がつく。
昨日の魔法は分かっている。ただ足を速くするという単純なものだろう。しかし、僕はまだ魔法を使ったことがない。それにここでサキを助けるのは本当に必要だろうか。
僕は行動するときにメリット三つとデメリット三つを考えてどちらを優先させるか決めることにしている。
メリットとしては、サキに感謝される。情報が手に入る。実戦での経験を得られる。
デメリットとしては、ゴブリンに奴隷にされる可能性がある。これから先、サキと行動を共にする可能性が高くなる。こんな実戦でいきなり魔法を使うのは適切ではない、といったところだろうか。
こんなの秤にかけるまでもないだろう。メリットは成功するのが大前提であることに対し、デメリットは成功した時も失敗したときも存在する。それに実戦経験を得られるといってもこのレムで街で暮らしていればゴブリンと対峙することなんてまずない。ゴブリンたちはゲーム気分を味わいたい若者たちが討伐するのにちょうどよい存在として配置されていると聞いたことがある。つまり、ゲーム気分を味わいたくなければもうゴブリンたちとは会わないということになる。
それでも僕は結論を出せずにいた。
「僕は、どうすればよかったんだろうか、姉さん。」
ぽつりとつぶやく。そんな独り言、返す人間はいないというのに。
風が吹き抜ける。姉なら今の僕に何と言っただろうか。
「自分の気持ちに正直に生きて。失敗したらお姉ちゃんが助けてあげるから。」
フッと笑う。本当に姉には助けてもらってばかりだったな。信頼できる人はそばにいるだけで力になる。もう姉はいないけどそんな存在がいたという事実だけでも僕の力になるようだ。僕はいいのだろうか。一歩を踏み出しても。
「ああ、楽しかった!!!」
姉の最期の言葉が頭をよぎる。
姉ほど自分の気持ちに正直に生きた人も少ないに違いない。自分のしたいことに努力を惜しまず挑戦し、成果を上げてきたその姿は輝いていた。あの言葉は全力を尽くして生き、周りを笑顔にしてきた人だからこそいえる最期の言葉だったのだろう。
それでは僕は?
「いつかまた俺たちに勉強を教えてくれよ!」
遠ざけた日の風間の言葉がよみがえる。あの時点で風間の成績はほぼ僕と同じだった。あいつが僕のことを気にかけているのは、たまたまあいつがつらいとき、伸び悩んでいた時期におせっかいを焼いただけだというのにあいつは未だにそれを恩義に感じているらしい。今にして思えばあれはただのおせっかいで、風間はそんなのなくても調子を取り戻していたに違いないのに。
僕はあいつにそう気にかけてもらえるほど価値のある人間なのだろうか。
「人生なんて死ぬまでの暇つぶし。いくらでも悩んで、迷って、立ち止まってもいいけど最後に振り返ってがらんどうなんてことにならないよう頑張ってね。まあ歩なら大丈夫だよ。」
さっき言われた白鳥の言葉が頭をよぎる。
伽藍堂。まさに僕の人生は伽藍堂だった。外身の部屋だけ整えて中身は空っぽ。白鳥はそれを分かっていたのだろう。べつに中身も埋まっているのであればあいつは何も言ってこなかったに違いない。僕が空虚な気持ちだけを抱えていることにあいつは気づいていたのだろう。そんな白鳥に最後聞こえるか聞こえないかの声量でいわれた言葉に僕はふさわしいのだろうか。
「そんな何もかも諦めたような目をしてないで、その姿がお姉さんに似ているのならこのレムでは恥じないように生きてね。」
サキの言葉が頭をよぎる。
でも、僕は姉にはなれない。姉みたいに周りの人たちを笑顔にするなんてことはできないんだ。
姉は僕に自分の気持ちに正直に生きることを望んだ。
風間は僕に再び元気に生きることを望んだ。
白鳥は僕に信頼を以て生きることについて説いた。
サキは僕に姉の姿に恥じないように生きろと言った。
では、僕は?僕自身は僕にどう生きてほしいのだろうか。
「僕の目標はお姉ちゃんを守れるぐらい強くなることだよ。」
思い出すのは遠い遠い昔の記憶。幼い頃の僕の目標。もうそれが叶うことはない。しかし、守る対象がいないとしても強くなるのはよいことだろう。いつか守りたい人ができた時のために。現代では、単純な強さなど必要とされていないが。
では、今は?
……
人生死ぬまでの暇つぶし。少し前まで自分が言い訳に使い、姉の最期の言葉に含まれ、白鳥に言われた言葉。その言葉が再び頭をよぎった。
ちょっとだけ。ちょっとだけ手助けしてみようか。
魔法を使ってみて発動しなかったら諦めよう。
確かあいつはこう言ってたな。
「風の加護を今ここに。」
一陣の風が吹いた。速い速い速い。速すぎて死にそうだった。ゴブリンの矢をかわしつつサキの元まで駆け抜ける。周りの世界が止まって見えるほどの速さ。ゴブリンの矢なんて当たる気がしなかった。
サキのそばまで来たが速すぎて通り過ぎそうになる。必死でサキの手を握る。相対速度の関係ですごく重く感じるかと思ったがそんなことはなく、問題なく手を引くことができた。一目散にゴブリンから離れ平原に向けて走り出す。
ドスッ。平原に向けて反転したとき背中に矢が突き刺さった。どこまでも知能の高いやつらだ。それでも僕は平原に向けて駆け抜けた。
十分に離れた、そう判断したときに僕たちはやっと一息ついた。
「じゃあ、私が治すね。」
前、僕が手を振り払った時と同じセリフを言い、サキが背中の矢に手を当てる。僕は今度は振り払ったりしなかった。サキは満足げに笑っていた。
「風の加護を今ここに。」
傷が癒えていく。死が遠ざかっていくのが感じられる。
「ありがとう。」
ずいぶん久しぶりに人に感謝の言葉を伝えた気がする。サキは笑っていった。
「こちらこそ、ありがとう。」
人に感謝されたのはもっと久しぶりな気がする。助けに走ってよかったと思えた。サキのためでも他の人のためでもなく、他ならぬ自分のために。
「結局また前を向くんだね、歩。」
サキの言葉に嫌な汗が背筋を伝った。この言い方、それにサキという名前。絶対に認めたくない。もし僕が今考えていることが事実なら何年からかわれるだろうか。いや、何年というスパンではなく一生言われ続けるに違いない。
「……白鳥か?」
「ピンポンピンポン!」
「最悪だ。」
白鳥と姉は面識がある。そんなに会ったことはないはずだから昨日すぐは気付かなかったと思うが朝起きてアルバムなどで確認したのだろう。それで歩という名前から僕が本人だと確信した、と。
「いやー、まさか歩の心が女の子だったなんてね。」
「それは違う!!」
「うんうん。わかってるよ、わかってる。」
「その言い方は絶対わかってない!!」
「いや、わかってるよ。お姉さんの魂の影響を受けているんだろうね。歩のお姉さんはこのレムでは4人しかいない『神』の名前を冠する存在だったから、死ぬ前に歩に仕込めたんだと思うよ。」
「……その話は初耳なんだが、どういうことだ。」
「みんなで一つの夢を見るといっても基本の形がないとカオスな状況になるからね。レムは4人の『神』の見ている基本の夢にみんなが入っていくっていう形をとっているの。神は風、土、火、水の4人でそれぞれ夢に見ていることが違う。お姉さんは元『風神』でレムにおけるお金の動きを司どっていたの。あとは土神が世界自体を。火神が夢人って呼ばれるこの世界で私たちがやりたくないような仕事や、できない仕事をやってくれる存在を。水神が夢魔と呼ばれるゴブリンたちの仲間や、家畜なんかの動物を司っているの。それと他の人の想像と拮抗する場合に魔法を唱える場合には『○○の加護を今ここに』って唱えるんだけど例えば風だったら自分の所持金を消費して効果を発揮するし、水だったらそれまで自分が倒した夢魔や、食べた家畜をエネルギーとして効果を発揮する感じかな。」
「じゃあ、さっきの魔法の効力が強かったのは……。」
「お姉さんは元風神だからね。持っているお金の量も相当なものなんでしょう。念じてみたら加護の量が分かるわよ。」
言われた通り加護が見たいと念じてみる。
頭の中に数字が浮かんできた。
風:96783567856784
土:56780
火:100000
水:87396287
目安が分からないからいまいちピンとこない。
「ちなみに、風の加護はほぼ日本円と同等の価値で、他の加護もそれを基準に見ればいいよ。」
ひっ。変な声が出た。つまり僕は今レムでは約96.7兆円という国家予算に匹敵する金額を自在に扱えるということだ。これは絶対に秘密にしておこう。
それより今問題なのは風間に今日の出来事を謝ることだろう。あいつの言ったことは許せないが殴ったのはやりすぎだったし、僕のことを思ってくれていることもわかる。
「今度風間に会うとき仲を取り持ってくれないか?」
「うん、いいよー。でも、あの風間が歩のレムでの姿が女の子だなんて知ったらどうなるかな?前まであんな歩に心酔しているみたいな態度をとっていて、レムで歩が女の子だなんて知ったら襲われそう。」
サキのセリフにたじろぐ。確かにあいつはガタイが良くて、イケメンで、今では勉強もできる癖に、僕に異常なほど執着している時期があった。
……まあさすがに大丈夫だろう。ただ怖いので言っておく。
「現実の知り合いには秘密だ。」
これで大きな秘密を二つ抱えることになる。
一つはこの身体の性別の違いについて。
もう一つはこの大量に持ってしまったお金について。
これらの秘密を守り切れるだろうか。ため息をつく。ストレスで現実逃避してしまいそうだ。
「あ、でもあの街に風間も来てるからすぐ会うことになると思うよ。」
その言葉で目の前が暗くなりそうなのを必死で意識をつなぎとめる。
しかし、そんな努力もむなしくサキが意識を刈り取りに来た。
「風間×歩かあ。絶対、歩×風間だと思ってたんだけどな。」
この言葉がとどめとなり、めのまえがまっくらになった。
……
おやすみなさいのその後に来た世界は僕に変わるきっかけをくれた。
おはようのその後でもその記憶は引き継がれ、日常を彩ってくれるだろう。
……それ以上の災厄がもたらされそうではあるが。
これからも僕はこの夜の世界を姉の姿とともに、昼の世界をみんなと協力して、生きていく。
おやすみなさいのその後で 松下 智樹 @gamigamigamio
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