おやすみなさいのその後で

松下 智樹

第1話

人生なんて死ぬまでの暇つぶし。

そんな言葉を言ったのは誰だったろうか。

暇つぶしのような生活。暇つぶしのような人生。

ため息をつきながら勉強を切り上げ家に帰る。


「ただいま。そして、おやすみなさい。」


誰もいない家の虚空に向かって言葉を投げかけると僕は眠りについた。


……


目を開く。

そこにあるはずの天井はなく、満天の星空が広がっていた。


これは夢だ。なんとなくだがそれはわかる。明晰夢という奴だろうか。

いや、そういえば今日は15歳の誕生日だったな。誰も何も言わないから忘れていた。

この“現象”は現代の日本人なら誰でも知っている。


ここは夢の世界レム。夢でもあり現実でもある世界。簡単に言うと、みんなが同時に見ている夢だ。15歳以上の日本人はみな、眠りにつくと基本的にレムの夢を見る。レムは単一の世界であり、視点は個人によって異なるが、起こっていることはみな同じである。当然、現実世界での知り合いが出てくることもあるし、そこで話した内容などは翌日相手も覚えている。


レムのルールは三つ。

まず、嘘はつけない。

次に、容姿変更は最初に一回だけ行える。

最後に、レムに入ることができるのは15歳以上の人のみ。


今日から僕は15歳だからレムに入ってきたわけだ。


一瞬でそれだけ考えると、あたりを見渡した。

まず、時間は夜。レムではずっとそうらしい。

目の前には湖があり、月を映し出していた。

背後には森。木々の間には背の低い草があるだけで歩きやすそうだ。


ぼんやりとあたりを見渡していると右手で水音がした。誰かいたのか。さっと見ただけでは気づかなかった。


ばしゃばしゃばしゃ。湖の岸には美少女がいた。美少女はタオルで体を隠しながら、湖から上がってくるところだった。

その女の子は黒く長い綺麗な髪で、水が滴っていた。胸はそこそこあるだろうか。少し湿ったタオルがぴったりとくっついている。

普通なら動揺する場面を目の前にして、僕はそんなことを冷静に考えていた。


他の同年代の男子なら通常、ラッキーとか思う場面なのだろう。だがしかし、僕の心は、その綺麗な黒髪の女の子に姉の面影を見た気がして痛みが走るだけだった。


湖から出てきた女の子は男の僕を気にする様子なく服を着始めた。


少しして服を着た少女は言った。


「こんばんは。お姉さん、今お暇ですか。」


その声は明らかに僕に向けられたものだった。どういうことだ。後ろを振り向いても誰もいない。


「お姉さんってどういうことですか?」


「あはは、馴れ馴れしかったですか?お姉さん見るからに強そうだし、私レムに来れるようになってから三日目なのでいろいろレクチャーしてもらおうかと……。」


なんだこいつ。目がおかしいんじゃないのか。僕は男だ。断じて“お姉さん”ではない。そういえば初めてレムに来るときにするはずの容姿設定をしていない。どんな顔になっているんだろう。


「ごめんなさい、僕は今日が初めてだからレクチャーはできません。初対面でこんなこと頼むのも申し訳ないのですが鏡持ってませんか?」


「え、そうなの。じゃあ同学年ね。私は、サキ。よろしくね。」


サキは言いながら湖に向かい、水に手をかざすとブツブツ言い始めた。


「鏡だから、表面はなめらかに、かつ光を反射するように……っと。」


サキが少し黙って集中しだしたと思ったら水が浮き上がり、表面が光を反射し始めた。

すごいな。これが魔法か。驚いた。夢の世界であるレムでは想像次第で魔法だって使えると聞いたことがある。制約はいろいろあるようだけれど。

レムで魔法が使えるという知識は持っていたが、実際に見るのは初めてだった僕は少し驚きながら鏡を覗き込んだ。


そして、鏡を覗き込んだ僕はそれ以上に驚くことになる。

もう写真でしか見ることはないと思っていたものがそこにはあった。


……鏡に映っていたのは僕の姉の顔だった。


言葉に詰まる。視界が暗くなっていく。

思い出さないようにしていた。思い出せばつらくなるから。

しかし、顔を見ればどうあったって思いだしてしまう。

僕は思い出す。

姉は優しい人だった。

享年18歳。


……


「弟君の目標はなんなのかなー。」


まず、思い出すのは幸せだった時の日常。姉にある日そんなことを聞かれた。覚えている。その後の答えも。


「僕の目標はお姉ちゃんを守れるぐらい強くなることだよ!!」


姉は照れ臭そうに笑った。


「弟のくせに生意気だぞー。まだまだその日は遠そうだからしばらくはお姉さんが守ってやろう。」


事実、そうなった。

次に思い出すのは“あの日”。最も思い出したくない悲劇の日。しかし、思い出す。


幸せだった時だけを振り返るなんて姉を犠牲にした僕には許されない。


あの日。あの日は晴れた日だった。雨など降りそうにない良い天気だった。

だから周囲への注意が散漫になっていたのかもしれない。

信号は青だった。しかし、気づいた時には突っ込んできたトラックが真横に迫っていた。

死んだと思った。走馬灯も見た。最期に思ったことは、姉は涙を流して悲しんでくれるだろうか、ということだった。

覚悟は決まらないままに運命の時が来た。強く、強く引っ張られる。


次に僕が見た光景は、僕の身代わりになって血まみれで道路に転がる姉だった。


後から聞いた話では雨予報だったのに傘を持たないで出かけた僕に傘を渡すために後ろから追ってきていたらしい。

そのあとすぐに雨が降り出した。


何度、後悔しただろう。何度、神を恨んだだろう。僕が死ぬべきだった。姉が死ぬべきではなかった。どれだけ悔やんでも、どれだけ神に祈っても、姉が帰ってくることはなかった。


あの日から僕の暇つぶしのような退屈な人生は一歩も前に進んでいない。


……


気が付くと僕の目からは涙がこぼれていた。


「ちょ、ちょ、ちょ。いきなりどうしたの?大丈夫?」


「いえ、すみません。この顔は姉に似ていて、若くして亡くなった姉のことを思い出したもので。私の名前は歩(あゆむ)です。よろしくお願いします。」


自分が本当は男性だということは伏せよう。さっき裸に近い姿を見てしまったのもあるし、男性なのに女性の顔をしているということは通常一切ないらしい。例外は体と魂の性別が異なる人たちだけらしい。要するに性同一性障害の人たちなどがそうであるそうだ。そういった方々を否定するつもりはないが、そうでないのにそう誤解されるのはつらいものがある。何より男性だと伝えた時の反応に対処するのが面倒くさい。


サキはうんうんと納得したかのようにうなずいていた。


「そうだったんだ。それはつらいね。歩ちゃんはこれからどうするの?」


「え、図書館でも行って勉強しようかな、と。」


「じゃあ、一緒に街まで行こうよ。六時間はかかるけど。」


「え?魔法でパッといけないんですか?」


「いやいや、魔法はイメージを具現化する方法だよ。行ったことない場所をどうやってイメージするつもりなの?」


そうだった。夢の世界では魔法は基本的に万能だ。例外は二つ。そもそもイメージできないことは行えないということ。もう一つは他人のイメージと拮抗する場合だ。みんなが一つの夢を見ているわけだからそのあたりはややこしいらしい。


「そうですか。でも今回は遠慮しておきます。またご縁があればよろしくお願いします。」


人とは関わりたくない。結局最期に悲しくなるなら最初から関わりなんてない方がいいじゃないか。どんな人も死には勝てない。所詮いま生きているのも死ぬまでの暇つぶしなんだ。


「え、でも街までの道分かるの?」


言葉に詰まる。


「ゆっくり道を探しながら行きます。別にすぐに勉強をしたいわけではないので。」


それだけ言うと僕は踵を返してサキから離れた。

後ろから呼び止めようとする気配がしたけれど気にせず僕は森に踏み入った。


森ではフクロウの声がしていた。

僕は黙々と歩く。結局サキはついては来なかったようだった。僕が姉の顔を見て動揺していると思ったのかもしれない。これは好都合だった。動揺したのは事実だが、動揺していようがしていまいがサキの同行は断っただろう。あの日以来、人とのかかわりは限りなく断ち、悲しみをできるだけ減らそうとしてきたのだから。


森は薄暗く、月明りを頼りにゆっくり進んだ。方向があっているかはわからないが、まっすぐ歩いていればいずれ森を抜け、街にも着くだろう。レムでは、僕たちは魂だけの存在になっているらしく、飲食の必要がないらしい。つまりたどり着くまでひたすら歩けばよい。


歩いている途中で確認したところでは服装は上下黒のジャージだった。顔だけでなく体も完全に姉のものだった。どうやって確認したかは伏せておく。


三時間ぐらい歩いただろうか。木々がまばらになり僕はついに森を抜けた。

目の前には雄大な平原が広がり、地平線あたりに城壁のようなものがぽつりと見えた。

僕は大きく息を吸い込む。思った以上に薄暗い森を進むのに集中力と体力を使っていたようだ。伸びをして体の緊張を取る。


ドスッ。

同時に背中に衝撃が走り、まわりにも何本もの矢が付き立った。


どうなっているんだ。まず訪れたのは混乱。

次第に理解が追い付いてきた。どうやら弓矢で後ろから撃たれたようだ。


「ギャッ、ギャッ、ギャッ」


耳障りな声が聞こえる。これがおそらく音に聞くゴブリンなのだろう。高い知能を有し、社会を形成し、武器を使う。レムにおいて最も厄介といえる魔物。


森から撃ってきたということは、森にいるときから目をつけられていて、弓矢が効力を発揮する平原まで待っていたのだろう。他にも平原に出て油断したところを狙う意味もあったのかもしれない。


そこまで理解して、僕は体の力を抜いた。


どうせ勝てないということもある。それだけこの奇襲は完ぺきで、打てる手は全くなかった。

しかし、それ以上に感じたことがある。


この痛みを受け入れればあの日、姉を身代わりにしてしまったことが許されるのではないか、と。こんな痛みを受け入れた所で実際に死ぬわけでもなし、許されるわけがないのだがこのときの僕は痛みの中、妙にさえた頭でそんなことを考えていた。


突然手を引かれる。

血の気が引いた。その引っ張られる感触はあの日、最後に感じた姉の手のひらを思い出させるものだったから。


「逃げよ!!風の加護を今ここに」


僕は森から走り出てきたサキに手を引かれて逃げ出した。


少し走るとサキは止まった。


「ここは夢の世界だから背中に矢が刺さった程度じゃ死にはしないよ。ただ、治すなら早く治さないと魂が死を感じてレムから強制退出になるかもしれないから傷が治っている自分をイメージして、魔法で治して。」


「いや、いいです。この痛みを受け入れることで死というものが感じられるならこのままにしてください。」


これはあの日僕が受けるはずだった痛みで、実際には姉さんが受けてしまった痛みだ。


サキに目をやると少し残念そうな顔をしていた。


「死ねば何かが解決するわけじゃないんだよ。」


そんなことは分かっている。ただこれは僕の贖罪なんだ。


「じゃあ、私が治すね。」


サキが手をかざす。僕はその手を払いのけた。


「ほっといてくれ!僕は死なないといけないんだ!」


厚意を無碍にしたのに、サキは怒ってはいなかった。無表情で表情が読めない。いや、むしろ少し悲しそうな顔をしていた。


サキは静かに言った。


「死なないきゃいけない人なんてこの世には存在しないよ。そんな無気力に独りで生きていたら死にたくなかったのに死んでしまった人たちが悲しむよ。

そんな何もかも諦めたような目をしないで。その姿がお姉さんに似ているのならこのレムではその姿に恥じないように生きて。」


それだけ言うとサキは森のほうに引き返していった。


ああ、静かになった。星が瞬いている。もうすぐレムで僕は死んで、強制退出させられる。また、いつもと変わらない日常をおくり、夜になればまたここに戻ってくる。その繰り返し。


……ああ、もうすぐ死ぬのか。それでも心は凪いだままだった。生きたいと強く思えない。これで終わりを感じられると思うと少し満足感すらあった。


姉は僕を恨んでいるだろうか。そりゃ、恨んでいるだろう。身代わりになったことを後悔しているだろう。才色兼備な姉と、これといって長所のない僕とではどちらが生き残るべきか誰の目にも明らかだった。


僕は目を閉じ、息を引き取った。


……


誰かの泣き声が聞こえる。これは……僕だろうか。だけどこんな状況記憶にない。事故の記憶の続きだろうか。姉の顔を久しぶりに見たせいで忘れていた記憶が掘り起こされているのかもしれない。


姉の声がする。

事故の直後、茫然とするだけの僕に語りかけていた。

姉は血まみれで声を出すのも辛そうだった。


「そんなに絶望した顔しないで歩。人生なんて所詮死ぬまでの暇つぶしだから。」


この言葉は聞き覚えがある。人生に絶望していた僕が、言い訳のようにはいていた言葉。


「暇つぶし?」


「そう、暇つぶし。生きているときには人生という壮大な空白が目の前に広がっていて、その空白を埋めていくそんな暇つぶし。私の人生がどんなものだったか、今、死に際して振り返ると分かる。」


姉の人生。そばで見ていた僕からすると充実していたの一言に尽きた。彼氏こそいなかったが、容姿端麗で、勉強もでき、みんなからの信頼も厚く、生徒会長を務め様々な改革を行っていた。小耳にはさんだことではこのレムでも何か大きな集まりのトップだったらしい。


しかし、そんな充実した生が奪われるというのに姉は笑った。血まみれの顔で笑った。大きな声で死を笑い飛ばした。


「私の人生には、退屈なんてしている暇、一瞬もなかった。全力で空白を埋めてきたから。後ろを振り返れば見える。私の歩いてきた道が、そこで出会った人たちが。最期に歩も守れたし、満足だよ。人生を締めくくる言葉は決めてあるんだ。だから笑って、歩。この言葉は周りがみんな笑顔でこそ、意味があるから。」


僕は口角を必死で釣り上げた。そうでもしないと笑顔なんて作れっこなかったから。


別れの時が訪れる。


姉は笑っていった。僕の目は涙であふれていたから、笑う姉の目からこぼれた涙はきっと見間違いだったのだろう。


「ああ、楽しかった!!」


僕は飛び起きた。

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