5 ジェラドとレイヤ
5 ジェラドとレイヤ
見上げたのは、地上から四十メートルまで伸びる機動城塞――メガロフォート――〝あさひ〟である。
「……反乱軍はここから五日かけて我らの本拠〝みづき〟へ侵攻するつもりでしょう。現在に至るまでの各拠点は短時間で陥落……多くの兵が吸収された模様です」
静かな声で、しかし緊張を伴って戦況を告げたマリー・メーレン大尉は指揮座へと視線を転じた。
「すぐ後方にこの揚城艇〝みぞれ〟があるというのにな」
指揮座から物憂げな声を出したのは、まだ幼い少年だった。ただ、その表情は千年を数えた大樹のように厳かだ。
「攻撃を開始する。全速力であさひへ突撃。俺も出る」
指揮座が後ろへ動き始める。その先にあるのは汎用人型戦闘兵器リベリオンⅩだ。
「ほ、本当に王自らご出陣なされるのですか?」
厳粛で知られるメーレン大尉が躊躇を露わにして問い質した。
「奇襲を仕掛けるとはいえ、機動城塞に対してこちらは三百機……それに、反乱の首謀者はあの、王の……」
「だから、俺が出る」
リベリオンⅩの脇のコックピットハッチへ指揮座ごと移る少年王ジェラドの瞳には狂熱に似た不吉な輝きが宿っていた。
「誰にも俺たちを止められない。止める権利もない……そうだろう、アレ兄」
空席のサブシートを見やり、ゴーグル・ディスプレイを被ったジェラドは嘲笑にも似た息を吐き、リベリオンⅩの右手に長柄の斧槍を握った。
世界が雪砂に覆いつくされて数百年――人類はしぶとくも生き残っていた。
その最中にも技術は進化し続け、次元核エンジンの並列稼動を確立する。そうして生まれたのが動く城塞――メガロフォートだ。
大量の次元核エンジンで得た揚力で地面から数メートルを浮遊する機動城塞はそれ自体が攻撃の拠点であり、守りの要であり、一つの国であった。
僅かな水と食料を分け合い、奪い合う地球で、その大部分を支配したのが苛烈なる少年王ジェラドである。
独裁政治を敷いていた父をクーデターで引き摺り下ろしてより十一ヶ月でほとんどの国家を〝外交〟で支配下に置いた。
少年王ジェラドとは何者なのか――多くの人は知っていた。長い年月が彼を生ける伝説としたのだ。
趨勢はものの十数分で決まってしまった。
「……まったく、だから言っただろう? みぞれはただの揚城艇じゃないって」
指揮座に立つリベリオンⅩから憐れむような視線を送って、ジェラドは破壊し尽くした機動城塞あさひの司令室を見渡した。
「無敵と言われる機動城塞の唯一の弱点は浮遊している城塞と地面との隙間だ。弱点を狙うのも守るのもセオリーだが、みぞれはこれまでの揚城艇を遥かに凌駕するランドクラフトだ」
司令室のメインモニタに映し出しているのは、あさひの真下に滞空している揚城艇みぞれだ。全幅百メートル超のエイにも似た全翼機は次元核エンジンで得た推進力で超低空を飛ぶことにより翼の下に空気のクッションを作る。それに乗って滑るように移動することができる、いわば地面を走る戦闘機だ。最大の利点は巨大化に伴う燃費の悪化を格段に下げ、積載能力を飛躍的に向上できることだ。
『謀反を討つには最強の軍を――とは言うが、まさかご主君御自ら参られるとはな』
ジェラドの目の前で跪いているリベリオンⅩから皮肉めいた声が聞こえた。
「最強の軍を、お前が持って行ったんだからな」
部屋には十機のリベリオンⅩ。その中で立っているのが七機――これがジェラドが直接率いて艦橋に乗り込んだ部隊であり、ジェラドは目の前で膝をついている三機に斧槍の穂先を向けた。
「最強の軍に最強の城塞――これは全てお前の忠誠に期待して与えたもので、すなわち王国の栄誉だ。いったい何が不満で反乱を起こした?」
『不満? 不満などあるはずないだろう?』
反逆者の機体をジェラドは冷静に見下ろしている。灰色の基本色に黄色と赤をストライプに配色した特注機の外部スピーカーから溢れてくるのは感情を押し殺しながらも張りのある嘲笑だった。
『我らが王よ、お前は今、期待していたと言った』
ジェラドのリベリオンⅩは斧槍を背負う以外に上背が大きく膨らんでいる。ウェポンラックを積む重装備型だ。
「そうだ、だからこそ、残念でならない。何故にお前がこのような企みを――」
『はッ! しらじらしい!』
反逆者は不気味に笑った。永い間、胸のうちに秘めてきた感情を爆発させる喜びに満ちて主君を糾弾した。
『王よ、少年王ジェラドよ。お前は次元を超えて輪廻を巡り、何を求めてきた? 俺の一族は貴様一人のために数百年を縛られてきた。俺の剣は貴様一人のために振られてきた。いや、俺だけではない! この世界は今や貴様一人のためにしか機能していないではないか!』
ジェラドの前でリベリオンⅩが目に光りを点し、手に持つ長い鉄棒を杖代わりにして立ち上がった。
『分かるか? 偉大なる王よ! いいや、分かろうはずはあるまい! 貴様はいくらでも時を渡る! しかし俺の! 俺のこの命は! 人生は一度きりしかないのだ! 決して使い捨てではない! 貴様一人が自由にしていい命ではないのだ!』
「そしてこれが、お前の求めた自由か! アレッサンドロ!」
ジェラドは斧槍を頭上で構えた。鉄棒を構えるより速く振り下ろせば、全て終わる。この反乱の首謀者の死でもって――
『そうだ! 俺達に残された自由は〝反抗〟だけだ!』
「!」
落ちたのは、虐殺の刃でも反逆者の首でもなかった。
司令室の天井が突如として破裂し、百六十ミリの重機関銃弾が雨と降り注いだ。
「アレッサンドロ! 悪あがきか!」
掲げていた斧槍の大きな刃が盾となり、ジェラドの機体は致命傷を逃れた。しかし、彼の後方の機体は警戒していなかった天井からの攻撃をまともに受けて砕かれていった。
「ちっ、やってくれたな、アレッサンドロ!」
舌打ちをしてジェラドは鉄棒を構えるリベリオンⅩを睨み付けた。自らを囮にして罠に引きずり込むとは――しかしアレッサンドロの機体は見ての通りダメージを負っている。今すぐ攻撃すれば――
『今です、アレッサンドロ様!』
照準に捉えた機体から女の声がした。
「なにっ!」
驚愕に目を瞠るジェラドの前でリベリオンⅩが鉄棒を上へと投げた。それを受け取ったのは吹き抜けになった天井で重機関銃を投げ捨てた健常なリベリオンⅩである。
『悪ぃな。また、騙されてもらったぜ』
「そうか、通信源を変えていたのか……!」
通信源だけではなく、機体色までも変え、目の前の機体をアレッサンドロ機に見せかけていたのだ。
そして、本当のアレッサンドロは頭上で鉄棒――受け継がれてきた愛刀を鞘から引き出し、跳躍した。
「チッ――!」
一閃――ジェラドが防御のために構えた斧槍の柄をまるで泥のように切り落としたリベリオンⅩは更に踏み込んで斬撃を繰り出す。
『お前が千年を積み重ねた救世主だろうと、俺の家にも千年の武芸がある! かわしきれるか、少年王!』
「…………」
ジェラドは応えず、腰からヒートカッターを抜いて対峙する。
『そんなものが通用しないことぐらい、知っているだろう!』
熱を宿した刃が一太刀で真っ二つに割けた。
『勝機!』
対抗手段を失くしたジェラドにアレッサンドロは猪の如く踏み込んだ。コックピットに擬した刃を一息に突き立て――
「――コア・ディメンジョナル、オープン、アクト・ガンマ」
鋭い死を宣告された少年王の声は、氷を割るかと思えるほどの冷気を伴っていた。
『……ッ!』
『ア、アレッサンドロさま……?』
装甲を貫く衝撃に、アレッサンドロは喜びはしなかった。彼の剣が突き刺さっているのは、いつの間にかジェラド機の前に出現した別の機体――アレッサンドロになりすましていた一機――だったからだ。
『な、なにが……アレッサンドロさま……』
アレッサンドロの剣は正確に胸を――コックピットを貫いていた。急ぎ引き抜いた刃には赤くぬめる液体がついていた。
『リ、リミエッタ……貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 何をしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
「次元核から次元力を少し引き出してやっただけだ」
誇りを捨てた獅子の如く絶叫するアレッサンドロにジェラドは尚も静かに説明してやった。
「そもそも、リベリオンⅩで用いている次元核のエネルギーは次元力を低次元下で安定させて使用できるように変換されたものだ。本来の次元力を使えば、低次元世界も高次の領域に進化させることができる。有り体に言えば、瞬間移動も可能ということだ」
『貴様ぁぁーっ!』
瞬間移動――そう聞かされたアレッサンドロは脳が沸騰せんばかりに熱くなった。
仲間の機体を飛び越えて怒りの斬撃を放つ。
しかし、ジェラドの機体がただ左手をかざすだけで、まるで吸い寄せられたかのようにアレッサンドロ機の右手首が捕まえられてしまった。
「アレ兄の子孫だ。教えてやる、アレッサンドロ。俺がこの世界に君臨し続けられる理由は、どこかの俺がこの次元力で生み出した高次領域に過去の俺を閉じ込めた結果だ」
『なに……?』
「目的は変わっていない。レイカを輪廻の呪縛から解放すること。それがこの世界に必要なことになる。だから俺は生まれ変わり続けているんだ」
『てめぇ……そいつは結局……』
動きを封じられたリベリオンⅩの中で反逆者が唸りをあげた。今からすることに決心を抱くための声音だった。
『……結局、てめぇ一人の勝手じゃねぇかぁっ!』
激昂にリベリオンⅩの腰部が膨らむ。
「――! アレッサンドロ!」
ジェラドが気づいた時には収容されていたミサイルが至近距離で爆発した。
『俺には、世界を手に入れたい未来のてめぇが、その地ならしをしているようにしか見えねぇ!』
「ぐっ……!」
損傷した右脚を持ち堪えさせるが、すかさずアレッサンドロが突っ込んでショルダータックルをぶちかます!
「貴様ッ!」
『この距離でも次元力とやらは使えんのか! 見せてみろよ!』
アレッサンドロは長刀を逆手に持ち替えた。刃を肩口に押し当てると、一挙に引く!
「ちぃぃっ!」
『逃がさねぇ!』
どぉっ! アレッサンドロが再びミサイルを発射した。先ほどもそうだが、これほどの距離で爆発すれば、自機も危うい。
「最初から自滅覚悟か!」
『づあああああっ!』
粉塵を切り裂いて、白刃が襲い掛かる。必殺の袈裟斬りをジェラドは辛うじて避けるも、左腕部を代償にした。
『うおおおおおおおおおおおおっ!』
主の咆哮に応えるように、リベリオンⅩが突進した。長刀の突きと同時にミサイルを撃つ。先ほどと同じ手を使っても、この時間差攻撃は防げまい。
「ちっ、命を粗末にする奴はッ!」
刹那の声が涙で滲んでいたと、アレッサンドロは直感した。その時にはウェポンラックだと思われていたジェラド機の上背が弾け飛び、丸太のような腕が四本飛び出し、主を脅威から救ったのだ。
『この程度か!』
副腕持ちのリベリオンⅩなど、いくらでもいる。世界最強の剣士は僅かに二度、愛刀を振るうだけで四本の腕を叩き斬ってしまった。
『この程度がお前と次元力の限界かッ! ジェラドォォォォッ!』
「ならば見せてやる!」
――ッ!
『ウッ、グ!』
ジェラドの宣言のすぐ後、アレッサンドロの機体がくの字に折れた。倒れ掛かってくるアレッサンドロへジェラドは渾身のストレートを叩き込む! それが決定打となり、反逆者は刃を落とし、王の前で顔を地面に着けた。
『何、が……?』
視点を上げたアレッサンドロの前でリベリオンⅩが立っている。
屹立したリベリオンⅩの周囲に手のひら大の何かが浮遊していた。
『ビ、ビット……だと……っ』
無線の小型誘導兵器の開発が〝ビット兵器〟と名づけられて計画されていたのをアレッサンドロは知っていた。しかし完成していることまでは知らなかった。
『それが、次元力の力だってぇのか……? 随分とせこいもんだな……』
「技術の進化レベルに合わせているだけだ。形も証拠も残らなければ――」
リベリオンⅩの左手が白く発光した――かと思えば、そこにアレッサンドロの長刀が握られていた。
「武器を取り上げるくらい、朝飯前だ。まあ、さっきみたいに距離を詰められれば、いささか苦しくはあるけどな」
『……ちくしょう』
滴る循環剤で出来た泥濘の中、アレッサンドロの声が虚しく響いた。
『わかってたんだよ……お前が間違ってないってことぐらい……』
外では戦闘の喧騒は静まっていた。この司令室もそうだ。ここにはもはや二人しかいない。彼の部下だった三機のリベリオンⅩも先ほどのビット攻撃でコックピットを潰されている。
『それでも……それでも俺たちは……!』
アレッサンドロの、地を這うリベリオンⅩの手が握られる。
『俺たちはお前に――』
「逆らうしか出来なかった、か」
最後の力を振り絞ろうとした右手は無惨に潰された。
「なぁ、アレッサンドロ」
長刀の刃を突き刺したジェラドは淡白に、哀れみだけを舌に乗せて語りかけた。
「人の関係なんて、言ってしまえば従うか逆らうかしかないんだよ。同調とか同志だとか言っても他人の意見に従うだけだし、別の方法を提案したって、結局は元の意見に逆らっているだけなんだ」
『……殺せ』
どんなことを喋っても、ここにいるのは王と反逆者だけだ。
勝算がなかった訳ではなかった。最強の機動城塞を運用し、ジェラドに対して威力を見せるだけならば負けることはないだろうと思っていた。王政に不満を持つ領主に共和制を持ち掛けて味方に引き込めば、新たな勢力を築けたはずだ。
『全ては、夢幻だっただけだ……』
ゴーグル・ディスプレイでは次々と情報が更新されている。どうやら機動城塞あさひは完全に制圧されたようだ。死ぬ前に、せめて兵士と領民たちの命乞いだけでもせねばなるまい。
「お前が死ぬことはない、アレッサンドロ」
その声は、神の宣告の如く穏やかに響いた。
浮遊していたビット兵器はリベリオンⅩの背中に集まり、元のウェポンラックの形に戻った――と、同時に司令室に四機のリベリオンⅩが乗り込んできた。
「アレッサンドロだ、捕らえろ」
命令に四機が従い、アレッサンドロ機を起き上がらせる。司令室には更に兵士が群れを成して押し寄せ、アレッサンドロ機を包囲する。
『どういうつもりだ……殺せ。さもなければ――』
「俺がいない世界に、お前は必要だ」
『なんだと……?』
少年王はあくまで感情を表情に表さなかった。獅子に力を見せた巨象のように、揚々と身を翻す。
「お前は獄に繋ぐ。俺はどうせあと一月の命だ」
ジェラドは自虐的に苦笑した。
「その後、また俺が現れるまで、お前が好きにやればいい。一年天下に十年天下……けっこうな響きじゃないか」
『ジェラド……お前は……』
コックピットハッチを開き、自ら降りて見上げるリベリオンⅩは、既に大股で司令室を後にしていた。
「猿芝居だ。人間のやること成すこと全てな」
ワイヤー一つで機動城塞あさひから、揚城艇みぞれへとジェラドは降下した。
みぞれの乗組員は歓声をあげて出迎えつつも、あまりにも力量差のはっきりした戦闘にどこか浮き足立っているようだった。
「まさか、本当に制圧してしまうとは思いませんでした」
素直な感想でマリー・メーレン大尉はジェラドがコックピットハッチから降りるのを手伝う。
「しかし、何故に王はこのみぞれの存在をこの時まで隠しておられたのですか?」
揚城艇みぞれは今回の反乱に際してジェラドが突然用意したものだった。開発計画さえ重臣たちの誰も知らなかった。正式な作戦として経費を捻出すればもっと早く完成させて諸勢力との戦闘に投入することも出来たはずだ。
「新たな兵器を開発するのは難しいが、模造するのは非常に容易い」
先の戦闘で雪砂が濃くなったらしい。地表を埋め尽くして久しい雪砂の上で人は生まれ、死ねば雪砂の下で眠る。
「本当なら、みぞれは次の戦争で使う予定だった。その予定が早まっただけだ」
「次……やはり南米も制圧されるおつもりですか?」
優秀な大尉には躊躇がついてまわっている。何故なら雪砂で埋没する前、かつて南米と呼ばれていた土地は現在、本来の閉塞的な民族性を増長させて独自の共同体を作り上げたのだ。
長く戦争が続いた地球でも南米は合衆衆長国アメリカからの大独立戦争を起こして以降、各国は腫れ物に触るかのように接してきた。ジェラドはそこへ強行的に侵攻すると言っているのだ。
「……南米の民族には神子が現れたらしい」
大槌の如き重みの声を細い喉から出してジェラドは指揮座に着いた。
「十年前に生まれた神官の娘を無理やりに仕立て上げたそうだ」
「十年前……まさか……?」
生ける伝説となっている少年王ジェラドにはもう一つの伝説がある。それは、彼が常に捜し求めている少女の話だ。
「俺の目的は最初から南米だった。ただそこに集中するには大国を統一する必要があっただけだ」
指揮座の制御卓を操作して立体映像を出す。びっしりとモニターを埋め尽くす光りの粒が囲んでいるのは南アメリカだ。
戦略戦術はもはや大きな意味を為さなくなっているこの情勢下、機動城塞とリベリオンⅩによる圧倒的物量差を叩き込めば数日のうちに南米大陸を併呑できるだろう。
「世界は統一しておくに越したことはない。人類の目標はまだあるのだからな」
ジェラドは制御卓の引き出しからクリップボードを出して、メーレン大尉へ差し出した。
「今回の反乱で推移した人員と日程を修正しておいた。後の処理は頼む」
書類の先頭には『レッドマーズ・プロジェクト』とあった。それをメーレン大尉が受け取った直後、モニターが通信を求める点滅を放った。反逆者アレッサンドロを護送しているミッツァー少尉だ。
「どうした?」
『はっ、アレッサンドロ中佐が王に直接伝えたいことがあると』
禁欲的な顔つきの少尉に許可を与えると、あの皮肉的な微笑を浮かべるエースを祖先に持つとは思えないアレッサンドロの引き締まった表情が映った。
『直接ではないが、顔を見合わせるのは久しぶりか、ジェラド王』
「少しやつれたな。悪いが、談笑の暇はないぞ」
画面の中のアレッサンドロは眉一つ動かさない。一度唇を噛むんで逡巡を表すと改めて口を開いた。
『俺は今回の決起に当たって南アメリカにも協力を要請した』
その情報は得ている。成果は芳しくなかったらしいが。
『こちらへの呼応は断られた。連中は連中なりの戦略があるらしくてな』
「その程度のことを言うために顔を見せたのか?」
『違う。遣わしたリミエッタが気になることを拾ってきた』
親密だった部下のことへ複雑な思いを抱いているのだろう。僅かに翳りを落とすが厳かに情報を吐き出す。
『聖なる戦を前に、神殿は神子の血肉を分け合うと――』
その先の言葉はメーレン大尉には聞こえなかった。気だるげな面持ちであった少年王が血相を変えて制御卓を叩いたからだ。
アレッサンドロにとってその反応は予想の範疇だったらしく、表情を変えないまま続けた。
『神子の欠片を戴き、戦士は神の力を得る』
「王!」
メーレン大尉の声があがった時、既にジェラドは指揮座を動かしていた。
「アレッサンドロ、軍を返すぞ」
『!』
「お、王! それは……!」
それは玉座の放棄であった。同時に、戻らないという意志の表れだ。
「結局、俺は自分一人の力じゃ何もできやしないんだ。千年を渡ろうとも、この地球を統一することもできない。それは俺の使命、器ではないということだ」
ジェラドの姿が再びコックピットハッチへと消えていった。
「あぁっ……! ジェラド……!」
マリー・メーレン大尉がぽっかりと空いた制御卓の前で泣いた。
機動城塞あさひの王専用陸射橋から勢いよくリベリオンⅩが飛び出した。
「コア・ディメンジョナル、オープン、アクト・デルタ」
次元力を解放する。自身の位置座標と時間座標を算出し、目的地を決めて命令すると、灰色のリベリオンⅩが染められたように白くなる。二つの現在地と目的地を高次領域で結んだワームホールに突入し、ジェラドは瞬間移動を完遂した。
リベリオンⅩを纏っていた白が、まるで皮のように剥がれ落ちる。非常に質量の小さいそれは更に高い空へ舞い上がる。
それが、雪砂の元だった。
大気圏まで舞い上がった雪砂の元が強力な太陽光線と濃厚な空気と交じり合うことで、雪砂となって大地に降り注ぐのだ。
灰色に戻ったリベリオンⅩが静かに下降していく。両手首に対人機関銃がつけられる。これからジェラドが行うのは、虐殺だ。一方的な暴力。殺戮。
地面が見える。長い階段の神殿も、それに群がる人間も――祭壇に括りつけられた神子も。
「急げ……! もっと速く! 速く落ちろ! リベリオンⅩ!」
まだ距離が足りない。ただ撃つだけならできるが、それでは神子に当たってしまう。精確な射撃を行うには目標を完全に目視しなければならない。数千の目標、全てを照準に捉え――
「レイヤァァァァァァァァァァァッ!」
咆哮する。
神殿に驟雨の如く弾雨が降り注いだ。左右十二の銃口からばら撒かれる九ミリパラベラムバレットがまず祭壇の周囲を血の池に変えた。だというのに、神子が身を竦めている祭壇には一滴の血飛沫もついてはいない。
「逃がすかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
祭壇へ落下しながらジェラドは掃射を続けた。祭壇から転がるように階段を走る神官へ向けて、血の池は川となり、滝となって大地へと流れ、それに沿うように機関銃弾が牙を剥き、人を喰らっていく。
「頼むぞ、リベリオンⅩ」
後の始末を自動操縦に任せ、ジェラドはコックピットハッチから躍り出た。血の上を走り、祭壇へ駆け寄ると、そこには古い泥と血で汚れた装束を着た少女がいる。
「レイヤ!」
薄い肩を掴み、名を呼ぶ。千年繰り返したことだ。
「レイヤ!」
そして、一徹した千年がついに、無に帰す時がきたのだった。
「あ……ぅあ……」
「レイヤ……?」
違う。そのことはレイヤの表情を見、声を聞いた瞬間にわかった。
太陽の光りでギラつく金髪、窪んだ腰、薄汚れた神子装束の線と細い足。
怯えた、顔。
ぴちゃ――と、音がした直後、ジェラドの右手には拳銃が握られ、身を翻すと同時に発砲した。
「ウブッ!」
鮮血の祭壇に新たな雫を落としたのは、一人の神官だった。見覚えのある顔。レイヤの父親。
「答えろ」
祭壇の遥か下からはまだ機関銃の音が響いている。ジェラドは銃口を相手に向けて問いを放った。
「お前はレイヤが……神子が生まれてから何をしてきた?」
脚を撃たれた神官は血の上を這いながら、どうにか体を安らげる姿勢を見つけ、とどまった。
「何も……してねぇ……そいつが神の日に生まれたから、俺は神官になれただけだ。俺とそいつは関係ねぇ……」
「そうか……」
相変わらず、父親の顔には嗜虐心が溢れていた。その額を銃で撃ち抜き、ジェラドは天を仰いだ。
「ようやく……輪廻が巡ったか……」
ジェラドに影が差した。彼の許にリベリオンⅩが戻ってきたのだ。
陽光を被るリベリオンⅩは白金のごとき輝きを放つが、膝より下は赤黒い血で染まっていた。
「レイヤ……」
その少年の声音に込められる大老のようないたわりの声調で神子をリベリオンⅩの手に誘う。
「あ、あぅ……」
神子として生贄にされるだけの存在だった彼女は言葉すら覚えていないらしい。おそらくは久しく使われていなかった声帯を精一杯震わせて応えようとする。
「う、ぅ……ず、じ、じぇ、じぇらど……?」
「……そうだ」
手を引き、リベリオンⅩの手のひらに乗ると、反逆者の寄る辺は祭壇から飛翔した。
「自ら親の庇を壊し、酷薄な太陽の下を歩き続けた贖罪がようやく終わった……」
レイヤは格好こそ薄汚れてはいるものの、髪も肌も傷一つついてはいない。
ここにいる彼女は生まれたままの身体で死ぬことができるのだ。
長かった。千年、レイヤは罰を受けたのだ。
「次は、俺の番か……」
ジェラドは手のひらの隙間から大地を見下ろした。真っ白な雪砂の大地に染みる深紅の湖。
「ジェラド……」
はっきりとした声で袖を掴まれた。
「あぁ、俺はここに来るまでに随分と無理をしてしまった。お前が失い続ける一方で、俺は恵まれていた……そうか」
過去の凄惨な苦悩を振り返る少年がふと目を開いた。
「だから、アレッサンドロは裏切ったのか……」
長い旅路の果てに生まれた躓きに、ジェラドは薄く笑った。
「俺は既に罰を受け始めている……レイカの罪は前の命で消滅し、今の俺の生からが、俺の罰なのか」
ジェラドはレイヤの骨張った手を握った。
「俺の罪もまた、千年を数えるかもしれない……頼むぞ、レイヤ」
「ん、ジェラド……」
雪砂の中、覚えたての合図でレイヤは応えた。
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