3 シュウとレイン


 3 シュウとレイン


 雪砂が多いと感じたのは、戦地だからだろうか。

 空から降ってくる雪のように白い砂だから、雪砂。世界規模で紛争や大規模テロが増加した二一二〇年から観測され、今では雨よりも親しい気象用語となっている。

 雪砂については、大気圏の中間圏でのみ発生するということ以外、何もわかっていない。今では専門の研究機関が発足しているが、結局のところ何もわかっていない。

 発生の原因は多くの憶測、仮説がある。

 地球温暖化、放射性物質、オゾン層破壊――いろいろあるが、もっとも有力な説は発生当初から変わっていない。時期が符合するのだ。

 次元核。

 世界的ロボット兵器リベリオンⅩに搭載される半永久エンジンの原動力だ。

「おい、シュウ! また同じ参考書ばっか読んでんのか?」

 ややかすれ気味の女の声でシュウは砂避け代わりの参考書をどけた。

「いつまでそんなもの読んでんだよ。そこに書いてあることはこれから全部実地で覚えるんだから、もう捨てちゃえ」

 ひょいと参考書を取り上げると、ぽいと車の外に投げ捨てた。

「あ! 何もホントに捨てなくたっていいじゃん、姉ちゃん」

「いーの! 現場で本に頼るような奴はいつまで経っても本頼みで判断能力が身につかないんだから」

 腰までの長い髪をうなじの上で結わえているシュウの姉、ナミ。

 両親はいない。報道官だった二人は突然いなくなってしまった。たしか四年くらい前。それからは姉のナミと、これから再会する幼なじみがシュウの面倒を見てきた。

「……本当なら、アンタはまだ都内で学校に通ってほしいと思ってんだから」

 これはずっと言われてきたことだ。

「でも、姉ちゃんと暮らすなら、これが一番じゃん」

 返す言葉もいつも一緒だ。その度に、嬉しさと恥ずかしさが同居した微笑みをナミが返す。

「嬉しいこと言ってくれるじゃん。弟のくせに! このー!」

 首を腕で絞められるが、これがいつもの姉弟のスキンシップだった。

 戦争が始まったのは、二人が生まれてくる前だった。今年で三十年になる。

 もっとも、これは世界的に見れば短いほうで、中東付近ではもう三百年近く紛争、テロ行動が続いていることになる。

 日本が中華皇国に宣戦布告されたのは、雪砂が日本海の大陸棚に堆積し、両国を繋いだ時だ。

 既に朝鮮半島、インドネシア諸島まで支配していた中華皇国に対して日本は合衆衆長国アメリカの援助の許、自衛力を行使することになった。

「おぉー! シュウ! ナミ! 久しぶりだな!」

 トラックの荷台から降りた姉弟を派手な声音で出迎えたのは、鮮やかな金髪の幼なじみ、アレクだった。

 アレクは日本人とアメリカ人のハーフで互いの親が友達同士だったため、生まれたときから同じ家族のように育ってきた。

「特にシュウ! お前でっかくなったなー! 何年ぶりだ!」

「一年経ってないよ、アレ兄」

 がしがしと頭を撫でられる。

「アタシは一ヶ月ぶりだかんね、アレク」

 ナミが一緒になってシュウの髪を毟るように掻く。雪砂がぽろぽろと落ちていく。

「おう、一級、受かったのか?」

「もちろん、シュウも三級合格したよ」

「うおぉ! マジか! やったな、シュウ!」と、アレクがシュウの首に腕を回す。

 二人が受験したのは直立型特殊重機整備士検定――平たく言えば人型ロボットの整備の資格だ。

 雪砂による農地減少、泥沼化する戦争により、義務教育は九歳で修了、希望者は専門課程を受講して働けるようになった。

 直立型特殊重機――特機の整備士もその一つだが、現代で特機と言うと、ほとんどの場合は戦闘兵器リベリオンⅩを指す。

「よっしゃ! そんじゃあさっそく俺の機体をチェックしてもらおっかな! もちろん、二人はペアなんだろ?」

「もちろん!」シュウとナミの声がハモる。

 二人は着任挨拶を手早く済ませて格納庫へ急いだ。中では灰色の基本色に黄色と赤をストライプに配色したリベリオンⅩが動いてハンガーにかけられていた。

「オッケーだぜ、二人とも!」

 リベリオンⅩの脇のコックピットハッチからアレクが出てきた。部隊色以外の派手なカラーリングは準A級ライセンス以上に与えられる権利で、アレクはナミの一つ上の十八歳でA級ライセンスを会得していた。

 アレクが地面に降りると二人はまず外部コンピューターと接続するためのケーブルをリベリオンⅩに取り付ける作業に入る。

 ナミが重いケーブルの束を肩に担いで昇降機で機体に近づいていく。シュウは外部コンピューターを監視、調整する役目。三級整備士では機体に直接手をつけることは禁止されているのだ。よって、特機の点検、微調整は基本的に準一級以上と二級以下の二人一組がペアになって行われる。

「頸部AからC、オッケー! 次、場所わかるよねー?」

「わかってる! えっと、左肩……」

 ガタン!

「わっ! ちょっと! もっとゆっくり動かしなさいよ!」空中で揺れる床からナミが叫び、アレクが腹を抱えて笑った。

 一つの機体を二人で点検し、損耗が重大ならば手続きをして工廠送り。軽微ならばその場で処置を行う。

 工廠にはハンガーの接続部に外部コンピューターとの接続端子がついていて便利なのだが、臨時で設置される移動式格納庫では、整備士が直接ケーブルをくっつけていくのだ。

 その数三十八ヶ所。この作業だけで三十分以上が経つ。

「オッケーよ! 一回下ろして!」

 ぴったり三十分、昇降機を操作してナミを下ろす。準一級試験はこれを一時間以内にこなすことが必須となっている。

「はい、アレク、起動確認するから乗って」

「おう」

 ナミと同じ昇降機にアレクが乗って、シュウの操作で上昇していく。

 二人が並んで何かを話しているのを下から眺めていると、何か言いようのない嬉しさが胸に溜まってくる。

 アレクは小さい頃からリベリオンⅩのパイロットにあこがれて、九歳の義務教育修了と同時に特機操縦士の資格に向かって勉強を始めた。ちょうどシュウが生まれる前後のことだ。

 シュウが幼稚園に通うぐらいに、ナミも整備士の資格を取った。

 並んで戦地に赴く二人の背中にシュウがついていきたいと思うのは当然のことだった。

「シュウ! 次元核データの、えーっと……四番、こっち回してー!」

「わかったー!」

 慣れた手つきでコンピューターを操作する。次元核はリベリオンⅩを動かす上で欠かせない動力源だ。百年ほど前に突然現れた同機に搭載されていたこの次元核が月の鉱物――ルナニチウムから再現され、爆発的エネルギーを生み出す新しい資源として各国に取り入れられた。

「シュウ! 動かすからねー!」

「オッケー!」

 合図の後に、青白い光りが点いていく。

 次元核起動のリズムがグラフ化してシュウも確認していく。これは先にナミが指定したデータの線が基準となり、そのズレをチェックする作業だ。

『ここだ、ここのシークエンスがいつも遅いんだ』

『あぁ、なるほどね……ん、もっかい再起動させてみよっか』

 コックピットの会話は優先でシュウにも聞こえる。

「シュウ! もっかいやり直すからー!」

「わかったー!」

 リベリオンⅩの青白い光りが消えていく。

『そんじゃ、見てくから、起動動作見せて』

『あぁ』

 脇のハッチから胸部まで入り込むリベリオンⅩのコックピット内の様子は外からは全く見えない。ぽっかり空いたハッチの入り口からの声に反応するだけだ。

 再度、リベリオンⅩが起動していく――途端、怒声が響いた。

『アンタバカじゃないの! 何でラジエーターの前にブースタースタンバイさせてんのよ! そらシークエンス再チェック入るわよ!』

『でもよ! ブースター先に動かしとかねぇと初期反応が遅くて出撃遅れるんだよ!』

『あぁ! あぁー……! あぁー!』

 姉のポニーテールがコックピットで暴れているのが伝わってくる。

 アレクの言い分では、推進機能を優先して起動させないと、出撃が遅れる。対してナミは推進機能の前に冷却剤の循環をさせておかないと安全上の不全が生じて起動過程に再チェックがかかると言うのだ。

『あー、こりゃそうね。これずっと議論されてたことよ。いわゆる現場とデスクの見解の違いってヤツだわ』

 この問題については確かにシュウも聞いていた。

 そしていまだに解決しないままに放置されているとも。

 なにせ、リベリオンⅩの設計図は百年前から全く変わっていないのだ。

 装甲や電子機器など素材のマイナーチェンジは改良が重ねられているが、組み立て――次元核エンジンやモーター位置などはほとんどいじられていない。リベリオンⅩは誕生した時から機械として完成されていたのだ。

 しかし、機械として完璧でも、実戦でその過程が横着されれば、異常が起こるのは当然だった。

『とにかく、ラジエーターの起動が先! じゃなきゃ熱にやられて機内損耗率が上昇するんだからね!』

『カタパルトがあればいいんだけどなー……』

『贅沢言わないの! 陸射橋の設備に何ヶ月かかると思ってんのよ……』

『でも、その何ヶ月で戦闘が終わらなかったら、ダメじゃん』

『もう、そういうことは私に言わないでよ……』

 アレクと話しながらもナミはすごい量のデータをシュウに送りつけてくる。その処理に手一杯で割り込んでいくことが出来なかった。

 俺だってアレ兄と話したいことはあるのに――と、思いながらも、やはり二人の声がハモるのを聞くとうきうきとしてくる。

 シュウだって、二日後に十一歳になる。男女の何たるかはそこそこ解っているつもりだ。

 姉が整備士になった理由も解る。

 しかしシュウは、二人がどこかシュウの全く追いつかない場所に行ってしまうような気がした。

 それが、シュウをここまで連れてきた。

 同時に、二人の助けがなくても俺はやっていけると見せたかった。

 二人に離れてほしくないのに、一人でやれることを見せたい。

 なんだかもう、シュウはよくわからないのだ。

 警報が鳴り響いたのは関節部の稼動チェックをしていた時だった。

「――出せるのか?」

「一分で」

 昇降機上のナミとアレクの短いやり取りでシュウはアレクをコックピットハッチへ運んだ。ナミを下ろす間にコックピットへ乗り込んだアレクがリベリオンⅩを起動させる。

「どいて、シュウ」

 外部コンピューターの操作を代わるナミの張り詰めた横顔と緊張した声。しかし表情とは裏腹にキーを叩く指は正確で速い。

『悪ぃな。また、行かせてもらうぜ』

「……帰ってきなさいよ」

 がこん、と音がしてリベリオンⅩを引っ掛けたハンガーが前に傾く。傾斜のついたレールの上でリベリオンⅩの足の裏にローラーが下りて発進体勢が整った。

「カウントするわよ、大丈夫?」

『OKだ』

 アレクは既に兵士の声になっている。

「通達! J9号、アレク機出撃可能! ……了解! 三、二、一、発進!」

『発進!』

 空気の抜ける音がして、勢いよくリベリオンⅩが飛び出した。レールの上を滑って、格納庫から外に出ると数秒後には見えなくなった。

「シュウ、行くわよ」

「えっ?」

 ばさりとジャケットを羽織って身を翻したナミにシュウは戸惑った。

「整備士にとって、機体は一つじゃないのよ。ここにある全てのリベリオンⅩが私たちの仕事」

「あ、そ、そうか」

 作業を記録するミッションディスクを抜き取り、ナミを追う。

「姉ちゃん、帽子! 帽子!」

 風が強いと雪砂が多く舞い上がるため、帽子や眼鏡が欠かせない。

「ありがと」

 ナミが渡されたキャップを被り、サングラスをつける。目深に被るのは高い位置で後ろ髪をまとめているからだ。その高さが好きな人がいるのだ。

 外に出ると、大地を震わすような音がして、実際震えた。

 ナミとシュウは遠くに戦場の怒号を聞きながら隣りの格納庫へ走った。

「一級、三級、ペア入ります!」

 出入り口で敬礼するが見る人はほとんどいない。ハンガーに並んでいる三機は傷が軽い順に並べられ、整備士たちが取り付いて応急処置をしていた。

「シュウ、こっち!」

 もっとも傷が軽いリベリオンⅩには既に十組近いペアが張り付いて作業している。そこに割り込む余地はなく、二番目の機体も充分な数がいる。ナミは瞬時にそれを見切って追いやられたように端にいるリベリオンⅩへ走っていった。

 シュウはそのリベリオンⅩを見て愕然とした。

 まず、装甲板のほとんどが赤銅色になっている。これは耐熱効果のある第一装甲が剥げているということだ。

 身を屈めて敵の弾丸を弾く肩のハードアーマーはその役割を果たすための第二装甲までなくなっていた。膝や胸部のセンサーなどは剥き出しになっている。おそらく常に誤作動して動きを限定させているだろう。

 地面に滴る潤滑油は黒く澱んでいて、強烈な臭いを発していた。

 何よりも驚いたのは、こんな状態の機体が戦線に復帰させられることだ。

 火炎放射を浴びればセンサーが焼き尽くされるし、一度弾雨を浴びれば防弾層も突き抜けるはずだ。

 本来なら精密検査、解体して根本からパーツを取り替えていく作業をするために工廠に送られて一ヶ月は出てこられないはずだ。

 しかし、ナミ以外にも既に取り付いている整備士たちは外の弾着の爆音にも負けない大声で修理をしている。

「ほ、ホントにこんなの使えるの?」

「使えなきゃここにないわよ」

 ナミはリベリオンⅩの左膝の下に潜っていき、腕ぐらいはありそうな大きさのドライバーをネジにぶっさし、ハンドルでぐるぐる回していく。

「ほら、コレ回収しといて」

 ごとん、と馬鹿でかいネジが落とされる。それを拾って近くの箱に大きさに分けて入れる。

「でも、こんなの一発喰らったらおしまいじゃん」

「……アンタねぇ、前に出るばっかりがリベリオンⅩだとでも思ってるの? これだからマニュアルしか知らない坊っちゃんは……」

 あっという間に六本のネジのうち四本を抜いてシュウに投げ渡すナミ。部品を投げるのも厳禁だ。

「そりゃこんな機体を前線に出すまでに直すのは無理だわよ。だったら前に出さなきゃいいだけじゃない」

「あ、そっか」

 そこまで言われてシュウも気がつく。

「後方からミサイル撃つとか、負傷して退がってきた味方を助けるとか、まあ、支援行動だって立派な任務よ」

 ネジを外すたびに黒い風がナミの顔にかかる。土や血、油の混じった風だ。ゴーグルとマスクをつけていても、ナミの顔はたちまち油で照り、土で黒くなっていく。

 六本のネジを全て外すと、大腿部の蓋が取れる。中華鍋代わりにすれば二十人分のチャーハンが作れそうな蓋の奥にはマッスルパッケージと呼ばれるリベリオンⅩの筋肉が六つ入っている。

 マッスルパッケージのハンドルを掴んで思いっきり振り下ろすと、てこの原理で格納されているマッスルパッケージの本体が落ちてくる。

「シュウ! シリンダー持ってきてる?」

「あぁ!」

 落ちてくるマッスルパッケージは大腿部の蓋が嵌まっていた箇所で引っ掛かり、宙吊り状態でぶら下がっている。ナミが蓋の脇からワイヤーを取り出し、マッスルパッケージに括り付けている間にシュウはマッスルパッケージを六つずつ保管するためのマッスルシリンダーをナミの真下に用意する。

「降ろすよー!」

「了解!」

 シュウはシリンダーに登ってナミがメーターを制御して少しずつ降ろしてくるマッスルパッケージのハンドルを捕まえ、シリンダーのソケットに落とす。それからパッケージ本体をソケットに嵌めて、栓を抜けば空気が抜ける音と共にマッスルパッケージがシリンダーに収まる。

 マッスルパッケージ自体が非常に大きくて重いのでゆっくりやらなければ揺れるパッケージに顔面を潰されることもある。二十分ほどかけて全てのパッケージをシリンダーに収めてハンガーから運び出すと、大声が飛んできた。

「一番空けるぞぉぉ!」

 出入り口に正対していたハンガーの整備、修復が終わり、出撃するのだ。

「シュウ! こっち! 掴まって!」

 昇降機を操作して降りてきた姉の手を握ると、ぐぃっと引っ張られた。

 直後、リベリオンⅩが格納庫から出て行った。

「動かすぞぉぉぉ!」

「しっかり掴まってろよ!」

 言われるまでもなくシュウは昇降機の手すりにしがみついている。

 どかん! と、昇降機が揺れた。いや、昇降機ではなく、リベリオンⅩを括っているハンガー全体が動いているのだ。ハンガーは回転式で、整備が終わって出撃していくと、次に待機しているハンガーを出入り口の正面に移動させて流れをスムーズにしているのだ。

 ハンガーを動かす時、リベリオンⅩから離れるかどこかに掴まっていないと、振り落とされて轢き殺されてしまう。

 ハンガーの移動が完了すると、二番手に待機していたリベリオンⅩは一番手に変わり、わっと整備士が集まっていった。シュウとナミがいた三番手も二番手に移動され、あぶれた整備士が集まってきて、次々と不良パーツを解体していく。

 二番手以降に整備を待つ機体は、とにかくまず解体される。ハンガーを少しでも軽くするためだ。

 現に今、一番手に移動されたリベリオンⅩはぼこぼこに穴が空いたようになっている。そこに次々と整備士たちが群がってパーツを取り付けている。

「――シュウッ!」

 よそ見は厳禁――教わっていた当たり前のことは振り返った視界にケーブルが飛び込んできた時に思い出した。


 ――注目されている月地層ボーリング調査のニュースです。日本時間二時に行われたアメリカ、NASAの発表によると、リチウムの一種と見られる新種の鉱物が発見されたとのことです。詳しい調査は地球へ帰還の後、専門機関に持ち込まれて行われます。暫定として〝ルナニチウム〟の呼称が与えられています。

 ――激化する中東問題にアメリカ国防省が兵士搭乗型機甲兵器を投入する意志を明らかにしました。いわゆる巨大人型ロボット兵器であり、動力源には九年前に発見された月面資源ルナニチウムを利用した新エネルギーが活用されているとのことです。

 ――本日未明、現地時間十六時五十五分、南米より長距離弾道ミサイルが最低でも五発発射されたと報道がありました。南米では十五年ほど前から中東問題を中心に米軍軍事行動を批判する世論が急上昇しており、アメリカ政府はこれを無視する方針を示していました。

 ――現地報道員からの中継です。アフガニスタンの戦線においてゲリラがロシア製リベリオンⅩを使用していると公式発表されました。

 ――各国を悩ませています雪砂現象において、研究を続けている英国研究員がリベリオンⅩに用いられている次元核エンジンが原因であると発表しました。これに対してアメリカ政府は暴論であるとし、調査機関の受け入れを拒否する構えを示しています。

 ――長距離弾道ミサイルの先制攻撃から始まりましたアメリカ大陸間南北戦争について、アメリカ政府はチリ、ブラジルを制圧し、南米大陸の三分の二を解放したと発表しました。また、アメリカ大統領は合衆衆長国建設の旨を公式に発表し、議会の承認を得ると発言されました。

 ――中国当局は周麗華を皇位と定める議決案を発表し、国名を中華皇国と発表しました。麗華第一皇位は二代前の中国大統領である周先明氏のご息女であり、在学中にオリンピック馬術競技の代表に選ばれたことなどから、国民人気が高く、皇位に関しても好印象の支持が得られています。

 ――日本時間十四時、中華皇国が日本にある米軍基地への攻撃宣言を行いました。中華皇国は明鈴第二皇位が定められてから、アメリカの対外政策に強く反発しており、先の東南アジア戦線において両国部隊が衝突し、その責任の追及を取り合っていました。

 ――日本政府は沖縄米軍基地突破の報せを受けて、非常事態宣言を発令しました。国防省は雪砂堆積により繋がった日本海陸にリベリオンⅩを中心とした特機師団を配備し、中華皇国軍の侵攻に対し自衛力を行使するとの決定です。


 温かい空気とまろやかな匂いで目が覚めた。

 天井に吊ってあるランタン。毛布に包まれているのに気づいて身じろぎすると「おっ」と声がした。

「シュウ、起きたか、平気か?」

 少しだけ頭を上げると、幼なじみの兄貴分であるアレクが持っていた携帯用ゲーム機を放り投げて寄ってくる。

「大丈夫か? 頭痛くねぇか? 気分は?」

 言いながらアレクはペンライトをシュウの目に照らして瞳孔を覗き込む。

「おい、俺のこと覚えてるか?」

「あ、うん」

「おい! ナミ! シュウ起きたぞ!」

「ん……」

「おーい、ナミ?」

「んん……触ったらぶっ殺すから……」

 物騒なことを言うナミは眠っているようだった。

「あーぁ、さっきまで起きてたんだけどな。シチューいるか?」

 鼻をくすぐるまろやかな匂いはクリームシチューだったのだ。携行ガスバーナーと野戦用の頑丈そうな鍋の蓋を開けると、ニンジン、ブロッコリー、鶏肉がごろごろと入ったシチューがシュウを眠りから引き起こす。

 ここはアレクの個室らしかった。準A級ライセンス以上は四畳程度のプレハブ個室が与えられる。

「ご飯はいるか?」

「うん」

 アレクは飯盒で炊かれていた白い飯を半分取って残りをシュウに渡した。シチューをすくってご飯にかけると、より一層甘く香り立つ。

「姉ちゃん、牛乳入れすぎなんだよな」

「お、聞いてるぜ、シュウ。お前、料理めっちゃ上手いんだってな」

 ナミもアレクも家にいなくなるのが多くなった頃、シュウは自分で食事をすることが多くなった。

 それまではナミが主に作っていたが、大雑把な性格の姉は調味料も具もどばどば入れる。スプーンですくったジャガイモもピンポン玉ぐらいある。

「そういえばアレ兄……戦争は……?」

「ん、あぁ、そうだった……停戦になった」

「えっ……?」

 アレクは飯盒を傾けてがつがつとシチューとご飯を飲み込み、

「今までは一ヶ月条約だったけど、ちょっと早めていくんだとさ。お前も着任したばっかだけど、すぐ家に帰されるかもな」

 一ヶ月条約とは、日本と中華皇国が三十年もの戦争を続けていく過程で自然と出来上がった暗黙の了解のようなものだった。戦線が一ヶ月以上膠着すると停戦し、極端な消耗を避けているのだ。

「まあ、一番いいのは不可侵条約締結させることだけどな……これはその歩み寄りってやつになるのかな」

「あ、じゃあ、戦争終わりなの?」

 やわらかいニンジンが舌の上で潰れて甘みが溢れる。だが、アレクは渋い表情のままだ。

「うーむ、実際、両方とも飽き飽きしてる感はあるけど、面子とかそういうヤツがなー……それに、中国は地下資源ほとんど枯渇してるって話だし……ってか俺、ぶっちゃけそこんとこの話詳しく知らねーし……」

「アレ兄は、町に戻ってこれるの?」

「……わからん」

 アレクはクーラーボックスからビールを出してぐびりと飲み込んだ。

「俺は兵士だからな……整備士は待機がかかれば町に戻れるけど、俺たちは備えなくちゃならねぇ……なんだかんだ三十年も戦争やってるんだ……自衛隊は半分ぐらいまで減っちまって米軍から兵隊を借りている有様だ」

「そっか……」

「だけど、そうだな…・・・やっぱり終わりかもしれねぇな……」

「シュウ……? 起きてたの……?」

 もぞりとナミが起き上がってくる。

「あ、うん」

「頭、だいじょうぶ……? 怪我ない?」

「大丈夫だよ、ありがとう」

「そ」

 ナミは「頭いてー、寝違えたー」と言いながら口元を手で隠すようにしてテントを出ていった。

 足音。気配が消えるのを待って、シュウは思い切って訊ねた。

「姉ちゃんと結婚しないの?」

「ぶっ!」

 シチューと米が撒き散らされた。

 喉には詰まってないようで、一杯水を飲むとアレクは叫んだ。

「んなぶぁっか! なんでお前にそんなこと気にされなくちゃいけねぇんだよ!」

「じゃあ、するんだ」

 手ぬぐいで拭きながら、シュウは笑みをこぼした。

 やっぱり、俺がどうこうしても、結局落ち着くところに落ち着くんだ。

「……でもよ、シュウ」

 飯盒を下ろしてアレクは頭を掻く。

「俺ぁ、兵隊なんだよ。兵隊で生きるって決めちまったし、やっぱりリベリオンⅩが好きなんだよ。だから、ナミが、よ……ナミがどうとか……あぁ! もう、面倒くせぇんだよ! 俺は前線に残るんだっての! 生きるか死ぬかだっつの!」

「じゃあ、戦争終わったら、しなよ」

「……シュウ?」

 手ぬぐいをたたみながら、兄貴分の訝しげな視線に冷や汗を流す。今、言っておかないと、もう間に合わない気がする。

「俺、さ……最近、なんかよくわかんないけど、なんか、どっか行かなくちゃいけない気がするんだ……」

「なんだ、シュウ? 中二病か?」

「ちげーよ! なんか夢とか見るんだよ! さっきもなんかそんな感じだったし! なんか全然知らねぇ昔のことが夢とか、昼間にもふっと出て来るんだよ!」

「シュウ……たぶん疲れてんんだよ」

 アレクは空になった飯盒にもう一度シチューをよそうとシュウに差し出す。

「お前、三級取るために必死こいて勉強したんだろ? ぶっちゃけいねぇぞ、お前ぐらいで合格する奴なんて……ナミだってやっぱ心配してたしさ」

「そんなだったら姉ちゃんだっていつもアレ兄を心配してるよ!」

「うっ……」

 二人は互いの言葉を咀嚼していく。その中心にいるのは姉であり幼なじみ。

 しかし、二人がこの話題についてそれ以上言い合う機会は失われる。

 永遠に――

「!」

 腹に響く爆音と強風がプレハブ小屋を揺らした。

「こ、これ……っ!」

 シュウが壁にひっつかまる間にアレクは小屋を飛び出していた。連続する爆音と震動に慣れてから後を追うと、月下の空が赤く燃えていた。

「シュウッ!」

 すぐ傍にナミが駆け寄ってきていた。

「ね、姉ちゃん、これって……」

「皇国軍だ! 停戦はウソっぱちでこの奇襲のためだったんだ!」

 奇襲? 停戦はウソ?

「そんな……だ、だってアレ兄だって……」

「アレクはもう出撃するよ! あたしたちも急ぐよ!」

 ナミは扉を壊しそうな勢いでプレハブ小屋に入り、道具を揃える。呆然とするシュウの遥か前方で、黄色と赤をストライプに配色したリベリオンⅩが走っていく。アレクの機体だ。

「奴ら、今日明日でこの前線を突破して攻め込むつもりだ。国際協定なんてどうでもいいみたいだ」

 中国は地下資源がほとんど枯渇しているって話だし――ほんの数分前にアレクが言っていたことを思い出した。日本は採掘できるメタンハイドレードなどがまだ百年単位で残っている。アメリカが高い費用をかけて日本を守るのもそのためだ。

「長距離ミサイルも撃ってるよ。ホントに強引にでも終わらせるつもりだ」

 重いザックを背負ったナミがシュウの肩を押す。

「今頃向こうの空はミサイルの嵐だよ。まさかこっちのほうが安全になるなんてね」

 それは苦笑のようだった。


 中華皇国の奇襲で始まった決戦は十五時間を超えた。放送が言っていた。シュウはもう時間の感覚がなくなっている、

 それは他の整備員も同じようだった。

 ハンガーには常に一杯の六機が吊るされて、外にも待たせている。

 格納庫は油と汗と、倒れた人間の血反吐の臭いが充満している。最初から中にいるシュウたちは平気なのだが、外から担ぎ込まれた兵士が強烈な臭気で嘔吐した。吐瀉物を落とす水路は汚水と混じって地獄の川のようである。

 十歳のシュウも体力的な限界はとうに迎えていたが、基本的にコンピューター作業であることと、自分に声をかけ続ける姉がいるおかげでまだ立っていた。

「完了ぉぉぉぉ!」

「動かすぞぉぉぉぉぉぉ!」

 慌ててコンピューターにしがみつく。大金鎚でぶっ叩くような音が連続で鳴り、ハンガーが回転する。シュウのいるハンガーが一番手になった。

 教科書には、三級整備士は一番手ハンガーで作業してはいけないと載っているが、そんなルールは戦闘が始まって二時間後になくなっていた。

 シュウが一番手ハンガーで作業するのはもう十回以上だ。こうなってはどこで作業しても変わらない。ただ姉の声を聞いて言われたデータを入力するだけだ。

 姉は凄まじかった。ちょっと前に水を投げ渡した時、顔が男か女かの判別もできないぐらいまっ黒に汚れていた。着ている物もあちこち破れて上着は油で重くなって捨てていたし、Tシャツの裂け目からスポーツブラが見えていた。それすらも脱ごうとしたが、絶対にやめてくれと懇願した。この殺伐とした状況では誰も気にする余裕などないだろうが、アレクと自分以外に姉の肌を見せたくなかった。

「がぁぁぁぁっ! 腕ッ! 腕がぁぁ!」

 悲鳴が聞こえた。ちらりと見れば関節部に腕が巻き込まれて肘から先がちぎれたらしかった。「シュウ! VF19!」ショックを受ける事さえ許されない。アーム操作で送電ケーブルを渡す。

 目の前がくらくらしてくる。しかし倒れる訳にはいかない。

 あともう数十分でシュウは十一歳になる。果たしてそれが迎えられるのかどうかはわからない。

 パッ、と頭上で音がした。

 直後、天井が落ちてくるような強烈な重みがシュウの肩にのしかかってきた。格納庫全体も縦に揺れているようだった。この格納庫のちょうど真上でミサイル同士がぶつかったのだ。

 いっとう、激しいサイレンが轟いた。

「こ、後退……!」

 誰かが叫んだ。つまり、中華皇国軍に押されているのだ。

 そのサイレンさえ遅かったことに気づいたのは、射出口の左の壁が破裂した時だ。

「あぁっ――!」

 誰かの悲鳴。烈風の中、シュウは格納庫に飛び込んできたものがリベリオンⅩだと確認する。

 時間は夕方に近い。オレンジ色の光りが格納庫に差し込み、破壊されたリベリオンⅩを照らしている。

「撤収だ!」怒鳴り声、大班長。

「逃げろ、逃げろぉぉ!」奇声じみた悲鳴、大班長の相棒。

「シュウ! シュウ!」

 ナミがワイヤーに掴まって落ちてくる。その時、シュウはナミのほうなど見ていなく、乱入してきたリベリオンⅩの更にその向こう側を見ていた。

「アレ兄……」

 射出口から見える外では二機のリベリオンⅩが争っている。灰色の基本色に黄色と赤をストライプに配色したリベリオンⅩ――A級パイロット、アレクの乗機だ。

 だが、エースパイロットの機体はぼろぼろになっていた。

 装甲は第二層すら剥げかかっているし、手持ちの武器も熱切断するだけのヒートカッター一本のみである。

 対する中華皇国のリベリオンⅩ――側頭部に国旗がマークされた敵機は背中に対戦車ライフルを残したまま、右手にチェインソウを握ってアレク機を追い回していた。

「アレクが押されるなんて……」

 シュウの首にしがみついてナミはヒートカッターの横腹でチェインソウの連結刃をかわすアレクを見上げる。

 アレクが持つ特機操縦士資格にて、A級ライセンスへの昇格には準A級以下にはない条件がある。

 それは、生存率。

 単に帰還してくるだけではなく、如何にリベリオンⅩに損傷を与えずに帰ってくるかが重要なのである。百年以上、基本的なスペックが変わっていないリベリオンⅩ同士の戦いはどれだけ多くの敵を倒すかよりも、どれだけ損害を避けられるかに重点が置かれる。撃破数が同じでも一機ごとの損耗が少なければ少ないほど、戦線に復帰できる機体が多くなる。

〝戦上手は逃げ上手〟――という言葉通りである。

 そのA級パイロットであるアレクが押されているのだ。それも最前までは二対一で戦っていたというのに、跳ね返されて今、窮地に陥っている。

「……姉ちゃん?」

 首にかかっていた重みが解けたと思って振り返ると、そこに姉はいなかった。

 揺れるポニーテールの端を整備途中のリベリオンⅩの脇から見ることができた。

「む、無茶だよ、姉ちゃん!」

 マイクを通して呼びかけるが、返事は予想した通りだった。

『ぶっつけるぐらいは出来るわよ! それでアレクが逃げられたらあたしも逃げる!』

 チェインソウがアレク機の脇腹を削っていった。あの動きはひょっとしたらコックピットを狙っているのかもしれない。

 ナミが乗ったリベリオンⅩが動き出す。レールが傾斜をつけ、出撃準備を整える。

 その間、シュウはぼうっと二機の戦いを見ていた。

 見なければいけない気に駆られたのだ。シュウの頭の片隅で何かが息づいた気がした。

 敵のリベリオンⅩの戦いは美しかった。A級パイロットを追い詰めるほどの技量は確かだが、それ以上に戦いを超越した何かを感じさせられた。

『行くよっ!』

 ナミの声がして、リベリオンⅩがハンガーから落ちた。足裏のローラーがレールに噛み合い、速度を得る。

『アレクーッ!』

 シュウの目の前を灰色の機体が横切り、雪砂を巻き上げていく。

 レールの勢いのまま、ナミのリベリオンⅩは敵機に激突する――が、敵は予測していた。

 背中の対戦車ライフルを左手に持ってコマのように回転するだけだった。それだけでアレクにチェインソウが、ナミにライフルの銃身が襲い掛かる。

 どぅっ。

 ナミが本職のパイロットではないことが幸いした。リベリオンⅩは本来はこうならないはずのみっともない動き方で倒れ、そのおかげで敵機の撃った弾丸は左肩をかすめていくこととなった。

 アレクはチェインソウをかわしていた。だが、そのために機体の脚に無理をさせてしまったらしい、仰向けに倒れて最後の武器だったヒートカッターも落としてしまう。

 きゅい、と敵機の眼光が紅く輝き、肩から長いノズルが出てきた。

 火炎放射だ。第二装甲まで失いかけているリベリオンⅩを撃破するのには最も有効な手段である。高熱で包み込めば中にいる兵士を蒸し焼きにすることができるからだ。

 しかしアレクもA級パイロットである。立つことができなくても転がることは可能だ。果たしてどちらが速く命を捉えられるか――

 噴水のように立ち昇る炎の壁を前に、シュウは十一歳を迎えた。


「!」


 それがなんなのかを、一瞬で全て理解した。


 一つめは、シュンヤだった。

 二つめは、ショウタ。

 三つめは、ジュドー。

 四つめは……


 何人もの自分が、そこにいた。

 何人もの自分が、生まれた。

 そのたびに、自分は彼女を――


「レイィーンッ!」

 シュウは叫んだ。それがここでの彼女の名前だった。


 呼ばれたリベリオンⅩがこちらに反応することはなかった。アレクの機体が炎の壁から逃れて、片足と両手を器用に操って応戦距離を取り直したからだ。

「レイン!」

 シュウは駆け出す。向かう先はもう一方のリベリオンⅩ――ナミが乗っていた機体だ。

 ナパームの炎は粘つくように火勢を維持していた。

 更に飛び交う銃撃の流れ弾があった。左肩をかすめただけで済んだのは奇跡に他ならない。

 シュウは倒れっぱなしのリベリオンⅩをよじのぼった。慣れた手つきで梯子を上り、ハッチを開けて中を窺う。

「姉ちゃん……!」

 リベリオンⅩは基本的に二人乗りである。ナミは前のシートで気絶していた。

 後部操縦席にシュウは座った。ゴーグルを被り、レバーを握ってマウスホイールを指で動かす。


〈MEETING〉

〈SIMULATION〉

〈OPERATION〉


 青一色の中に三つの文字列が並んだ。

 会議と試験と行動。

 画面操作はレバーで出来る。一番下の〈OPERATION〉でボタンを押す。

 青一色から、赤一色に変わり、〈OPERATION〉の文字だけが残った。

〈オペレーター・チェック……サンプル・ジャパニーズ――言語モードを日本語に変更しますか?〉

 耳の後ろに当たっているゴーグルのバンドから骨伝導で声が聞こえる。

 シュンヤは画面に表示される日本語表示・ON/OFFをONにした。

〈了解。以後の現行操縦者搭乗時は言語モードを日本語表記に設定します。搭乗者設定を行います。あなたの名前は?〉

「……シュンヤだ、識別番号002」

 それは魔法の言葉だった。

 それは呪いの言葉だった。

「起きろ、リベリオンⅩ――俺たちの地獄、次元の反逆者」

 ディスプレイが虹色の光彩を放つ。

 今まで、何人もの自分がやってきたことだ。あれから自分は何機ものリベリオンⅩを操ってきた。十一歳から十二歳の間のたった一年ずつ――そのたびに自分は……

「今度こそだ……今度こそ……」

 祈るように呟き、シュウはマスターコントロールを自分の手に宿した。慣れた手つきで立ち上がらせる。同時に機体状況をチェックする。各部の稼働率、左腕以外は七十パーセントを保っている。再出撃間近まで回復させられていたようだ。

 ゴーグル・ディスプレイに敵機が映る。どうやら倒したと思っていた機体が起き上がったことでわずかに動揺しているようだった。

 だが、すぐに姿勢を正す。特機において姿勢を正すと言えば、次の行動の準備に備えるという意味だ。次の行動とはもちろん、攻撃である。

 シュウは手持ちの武器を確認するが、やはり何も持っていない。しかし落胆した様子はなかった。

 敵のリベリオンⅩが対戦車ライフルを左腕で持ち上げた――瞬間、シュウはリベリオンⅩを滑らせた。

 慌てたようにライフルが火を噴くが、目測を大きくずらされているために当たらない。右手のチェインソウが旋回するより速くシュウのリベリオンⅩが手首を掴んだ。

「最強の兵器って言ったって、所詮マニュアル通りの動きしかしねぇんだよォッ!」

 ごぉっ!

 掴んだ敵の右手首をがっちりと片腕で制して、もう一方の手は顔面を捕まえる。そして右足を引っ掛ける。

 機械同士がもみ合うようにして倒れた。敵機の左手がへし折れてチェインソウを落とす。

「こっちも!」

 ライフルに肘を叩きつけて銃身を潰す。瞬く間にシュウは二つの武器を無力化した。

『シュウ……お前、ホントにシュウなのか……?』

 通信で聞こえる声。アレクだった。

『お前、何で動かせる……いや、何でそんな動き……』

「アレ兄、俺……」

 シュウはリベリオンⅩを立ち上がらせた。敵機が離れて体勢を立て直す。その間に中破したアレク機に寄り、ハッチを開ける。

「俺、言ったじゃん……やらなくちゃいけないことあるみたいだって……思い出したんだ。俺が何者かとか、そういうの……」

『シュウ……?』

 アレク機をリモート・コントロールして、ハッチを開けさせた。そして、まだ気絶しているナミの体をメインシートから引き離す。

「アレ兄、姉ちゃんを頼むよ……俺みたいに、ならないように、守ってくれよ……」

 傾けたリベリオンⅩのハッチからナミの体を落とした。アレクのリベリオンⅩの手が格納庫の血反吐にまみれた女体を受け止める。

 姉を渡して、シュウは自機を奮わせた。翡翠色に光る眼差しは紅旗を印した敵にまっすぐ向けられている。

「レイン……」

 敵機は新たな得物を手にしていた。近接戦闘用の電磁ムチだ。

「聞こえていないのか、レイン……?」

 回線を開いて問いかけるが、応えはない。

「俺たちは、いつまで争うんだろうな……悔しいよ」

 シュウの声は十一歳の少年の歯噛みだが、数十年の年を重ねた老人のようでもあった。

 しかし敵機は言葉の応酬をするつもりはないようだった。電磁ムチで一度だけ空を切ると、シュウの左側へ回り込むように滑り出した。

「だけど! 何度でも!」

 機体を旋回させ、敵機と正対しつつシュウはアレク機から離れていった。敵はこちらの左腕が不完全であることを見抜いて弱点を突いてこようとしているのだ。

「見えているか! そうだ! 見せているんだ!」

 次の瞬間、風を切るムチは神速を超えてシュウの左腕に絡みついた。

 が、熊でも即死させるほどの電撃が襲い掛かるより先にシュウは自機の左腕を切り離している。

「レイン……!」

 裏をかかれた敵機がショックから立ち直るまでにシュウは全速で地面を駆けて雪砂を巻き上がらせた。白い粒が霧のように視界を埋めていく。

リベリオンⅩのセンサーはこんなものに騙されるものではない。正確にシュウの居場所を見定めてムチを構える。

世界が白に染まったのはその時だった。

 雪砂が僅かながら光りを反射することは知られている。大気中に舞う姿を一つ一つ見ることが出来るのも、それが理由だ。

 濃霧のような雪砂にシュウがリベリオンⅩの頭部に標準装備されているストロボライトの光量を最大にして当てたのだ。

 真っ白い光りは雪砂に反射して周囲をホワイトアウトさせ、

「レイィーンッ!」

 シュウが叫ぶ

 当然、シュウのゴーグル・ディスプレイも白く塗り潰されているが、敵機の位置はしっかりと記憶している。回りこみ、手刀を叩き込んで電磁ムチを落とさせると、胴をがっしりと掴んで全速で走りだした。

 抵抗する敵機を押さえ込みながらシュウは数十秒を走り抜いて、雪砂を掘って作られた塹壕へ突っ込んだ。

「ぐっ、うっ……!」

 人間が入るために作られた壕リベリオンⅩをすっぽりと包む。二機は抱き合った姿のまま両手両足を動かせなくなった。

「レイン!」

 すかさずシュウはコックピットから出ていった。

 僅かな隙間を縫って敵機のハッチを開けて中に入る。

 そしてシュウは拳を強く打ちつけた。

「……畜生ッ!」

 コックピットには一人の少女がいた。

 ゴーグルを被ったまま、レバーを握っている――全身を拘束された状態で――

 両手足と首に鋼鉄の枷がかけられ、それはシートに溶接されている。操縦している少女はおろか、他の誰も容易にはシートから離れることはできない。

「……ッ! ……ッ!」

 少女は何かを叫ぶような息遣いで、ひたすらレバーを動かしていた。シュウがコックピットに入っていることさえ気づいていないらしい。

「……やめろ!」

「ッ!」

 手首を掴まれ、ようやく少女は自分に近づいている何者かに気づいたようだった。

 シュウは乱暴にゴーグルを取り外し、隠されていた姿を見た。

 シュウの表情は矛先を見つけられないまま怒る子供と絶望を悟った老人を重ね合わせて崩れた。

「レイン……」

 少女は明らかに脅えて口を開閉させている。それを見てシュウは唇を震わせた。

「まさか……しゃべれないのか……?」

「……」

 こくりと、小さく頷いた。

 シュウはうなだれた。

「だんだんと、ひどくなっているのか……そして俺は……」

 ばつっ、と音が手元からした。

 脅える少女からもぎ取ったままにしていたゴーグルから、通信の声がしていた。

『――しろ! 応答しろ! レイン!』

 だみ声に少女の肩がびくっと震えた。シュウの手のゴーグルを取り返そうともがくが、四肢は数センチも動かせない。

「……皇国軍だな?」

 少年の返答に向こう側から驚きの気配が伝わった。相手に考える隙を与えないうちに言葉を続ける。

「お前らの人形は既に制圧した」

『……』

 スピーカーは沈黙を保っていた。

「お前ら皇国軍じゃないだろう? 西欧のピグマリオン、皇国軍に肩入れして米中対立を煽るのが目的か」

 少女は自分のゴーグルで何事かを話している敵を呆然と見つめている。

「うまく皇国軍に紛れていたが、あいにくこっちはインチキ使ってるんでな。あちこちの国で――」

『くっ……くくくっ……』

 不意に遮ったのは不気味な嘲笑だった。

『わかってるぜぇ……てめぇが出てくんじゃねぇかってことぐらい……えぇ? シュンヤ』

「……なんだと?」

『思えばそこにいるレインも不憫なやつだよなぁ……ただ、俺のガキってだけで運命決まっちまってんだからよぉ』

 沸き立ってくるものを抑えきれなくなってきた。

 正確に声を覚えている訳ではない。いわば、本能だ。

『なぁ、どんな気分だよ? 百年生きて何にもできないってよぉ?』

「……ッ!」

 衝動的にシュウはゴーグルを投げ捨てた。

「っ……!」

「あっ」

 すぐ傍の少女――レインが身を竦めて、シュウは激しく後悔する。

 しかしシュウの頭はパンクしていて、とても一つのことに焦点を合わせられない。

 その間にも、ゴーグルの向こうから声が届いていた。

『なぁ? おーい……どうしたぁ? シュンヤぁ?』

 だんだんと声が大きくなってくる。向こう側で音量を上げているのだろう。やがてコックピット全体にだみ声が響いた。

『ホントはよぉ、いつもいつもどこでおめぇに教えてやろうか迷ってたんだよ。おめぇ、かっこよかったぜぇ……くくくっ、いつも俺の目の前でぼろぼろのレイカを連れてくんだな……ひひっ、それまでの間、レイカはずーっと俺のもんでよぉ、いっつもいっつもどうしてやろうか、どんな傷つけておめぇにくれてやろうか迷っちまうんだよ……今回も楽しかったぜぇ……レインを椅子に座らせてからルナニチウムで溶接してやったんだぁ……火花がバチバチって散ってなぁ……』

「うあぁぁっ!」

 耐えられなかった。ゴーグルを踏みつけて破壊した。

「レイン……」

 食らいつくようにレインの足――拘束されている下の肌を見た。破いたように色の違う皮膚が連なっていた。

 どうやって彼女をこの呪われた操縦席から引き離そうか――思案を始めた直後、コックピットが前後に揺れた。

「!」

 両手を突っ張って倒れようとする体重を支える。壊れたゴーグルが飛んで目の端に転がった。

『出てこいよぉ、シュンヤぁ! 捻り潰してやるよクソガキがぁ!』

 全身の血を沸騰させる声は壊れたゴーグルからではなく、このコックピットの外からであった。

 急ぎリベリオンⅩから外に出たシュウに暗い影が落ちる。

「こ、これは……!」

 塹壕の傍に立っていた機体は四十メートル超――リベリオンⅩの倍以上はあった。

 だが、歴戦の記憶を持つシュウはすぐにこれがリベリオンⅩであることに気がつく。

「追加装甲か……! それもこんなに巨大な!」

『くくく……わかるだろう、こいつが持つ圧倒的な制圧力! 完成したリベリオンⅩ用動甲冑〝グリズリー〟で踏み潰してやるよぉ!』

 リベリオンⅩがその形を変えることは今後ないとは言われるが、それはあくまでも本体の形状である。

 長距離砲からチェインソウまで持つことが出来るように、服を重ね着するように重装甲にすることもできる。

『さっさとレインを返してもらうぜ、シュンヤぁ。そいつにはまだやってもらなくちゃならねぇことが多いんだからよぉ』

 グリズリーが肩に構えていた大鎚を勢いよく振り下ろした。かろうじて避けることができたのは偶然か、敵手の嗜虐心かはわからない。

「ぐぁっ!」

 直撃は免れても、実体さえ伴った風圧に十一歳の軽い身体は簡単に吹き飛ばされた。塹壕は大きく崩れ、シュウとレインのリベリオンⅩは転がって離れる。

『おぃレイン! 起きねぇかぁ! てめぇの仕事はまだまだ残ってんだよぉ!』

 グリズリーがうつ伏せのリベリオンⅩの首を掴んで持ち上げる。

「ぐっ……」

 起きようとするシュウの前でグリズリーはレインの機体を無理やり立ち上がらせようとする。

『ったく面倒くせぇなぁ、おぃ! 声が聞こえなくても歩くぐらいできんだろうがよぉ!』

「やめ、ろ……」

 痛む肺から制止の声を絞り出すが、聞こえるはずがない。雪砂を多く含んだ血の痰を吐き出し、グリズリーを見上げる。

「レイン……!」

 抵抗の無意味さを悟っているのか、リベリオンⅩは非常に緩慢な動作だが脚を動かして地面に立った。だが、先ほどの戦闘が祟っているのか、がくりと膝が折れてしまう。

『ちっ……』

 グリズリーが舌打ちする。四つん這いになったリベリオンⅩだったが、その間、さりげない仕草で懐に手を入れたのをシュウは見逃さなかった。

『さっさと起きねぇかぁ!』

 ずん、と地面を踏みつけるグリズリーが身を屈める――瞬間のリベリオンⅩはまさしく俊敏であった。

『!』

 驚愕がスピーカーから漏れた。

 四つん這いの姿勢から独楽のように回転したレインは懐から取り出したヒートカッターをグリズリーの脇に突き刺していた。

『こ、こいつぁ!』

 憤怒を孕んで繰り出された裏拳がしたたかにリベリオンⅩの顔を打つ。しかし、先ほどまでの緩慢さとは比べ物にならない素早さで姿勢を正し、グリズリーとシュウの間に立ちはだかった。

「レイン……?」

『かっ! あぁ? はッ! はははっ! 面白ぇじゃねぇかぁ、レイン! 連れて帰る手間が省けるってもんだぜぇ!』

 グリズリーが再び大鎚を持ち上げる。

『それによぉ……おめぇ、やっぱバカなんだなぁ。シュンヤを守るつもりでいるみたいだが、それじゃおめぇ動けねぇじゃねぇかよぉ……あっはははぁっは! まさか受け止めるって言うんじゃねぇだろうなぁ!』

『…………』

 ゴーグルを壊されてマイクのないリベリオンⅩは無言のままだったが、その制動はシュウと戦っていた時よりも静かだ。

『避けてみろよ! っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』

 悪辣な気合とともに大鎚を振り下ろす。この一撃、受け止めればリベリオンⅩの上半身は果物のように潰れる。避ければシュウが死ぬ。

しかし、シュウが迷うことはなかった。

「避けろ、レイン!」

 それが至上の優先順位だ。何においても取り違わない。

 だが、レインは避けなかった。それが彼女にとっての最優先事項だからだ。

『――ふぅっ!』

 小さな気迫が分厚い風鳴りに重なった――倍以上の身長差を持つ敵にリベリオンⅩは右拳一本を繰り出す。無謀だ。例えリベリオンⅩの状態が万全であっても大鎚の一撃には耐え切れない。ましてここまで消耗している機体ではどうしようもない。

 互いの武器がぶつかりあい、豁然と火花が散る! 幻視したのは、大鎚に踏み潰されるレインの姿――

『なにぃ!』

「なっ……!」

 リベリオンⅩは潰されなかった。それどころか、敵の手に握られていた大鎚は先端が弾け飛び、長い柄だけになっているではないか。

 大鎚の破片が落ち、雪砂が煙る。それが晴れた時、リベリオンⅩの右拳からは鈍色の釘が突き出しているのが見えた。

「ショットバンカーか……? しかし、どうやって……?」

 撃ち出し式釘打ち機は確かに正面から捉えたときの威力は他の武器を上回り、グリズリーの大鎚も破壊し得るだろうが、その前に亜音速で圧し掛かる巨大な質量に押し潰されるはずだ。

 積み重ねた知識を総動員しているシュウの前にごとん、と円柱状の物が落ちてきた。それは射出されたショットバンカーの釘である。

 その瞬間、シュウは電流を浴びたように身を強張らせていた。

「まさか……! 突いて――撃ったのか……!」

 ショットバンカーは対象を貫いた後、射出することのできる二段構えの武器だが、迎え撃つだけでは振り下ろされる大鎚は貫けないし、動きを止めることもできない。射出しても弾かれるのが落ちだ。

 レインが狙ったのは、衝突した瞬間――先端の角錐部のみが埋まった刹那――だ。最もリベリオンⅩの力が強く、最もグリズリーの力が弱まるその一点だけを観極め、精確に射出したのだ。瞬きも成し得ない世界でショットバンカーの釘は大鎚を螺旋状に穿ち、役目を貫き通した。芯を抜かれた大鎚は本来の力の百分の一も出せないまま分解することになったのだ。

『シュウ……おはよぅ……』

 日の落ちた戦場に立つリベリオンⅩから粗雑で、詰まり気味な声がシュウの無事を祝福していた。

「レイン……いや、レイカ……か……?」

『どっちでもいいよ、もう』

 ややぶっきらぼうにリベリオンⅩがシュウに背中を向けた。その先では大鎚だった棒を振るグリズリーがいる。

『ちぃ、てめぇら本当に面倒くせぇな……ガキのくせぇしやがって!』

「レイン!」

 忠告は意味を成さず、グリズリーが振った棒はリベリオンⅩの横面を殴打した。圧倒的なパワーの差に倒れる。

『てめぇらもう殺す』

 だみ声は冷静さを湛えて響き、余裕も慈悲もないことを教えていた。

『俺ぁまだやることが残ってんだよ。この星を俺の王国にする。せっかく人生繰り返せんだからなぁ、じっくりたっぷりやろうと思ってんだがぁ、やっぱてめぇら邪魔だわ。一年ぽっちの寿命だがよぉ、邪魔は邪魔なんだよなぁ。それとも、ここで俺が潰しとけば完全にゲームオーバーなんじゃねぇのかなぁ、おめぇはここまでヒーローだったがよぉ、ホントの主人公は俺って訳だぁ、真打ちは後から登場するってなぁ』

 逆手に持った棒切れを突き下ろす。

『うぐっ!』

 大腿部を貫かれて搭乗者が苦鳴を洩らす。舌なめずりをするほどに格好の獲物だが、これ以上に嬲るつもりはない、凶器を引き抜き再度照準を合わせる。

『ちゃんと仲良くあの世に送ってやるからよぉ、往生しろよぉ!』

『そいつぁ、許せねぇな!』

 グリズリーの後ろから明朗だが野性味を帯びた声が、文字通り飛んできた。

『がぁっ!』

 フライトユニットの滑空から体をぶつけたリベリオンⅩの肩にはシュウの馴染みの黄色と赤をストライプがある。

「アレ兄……!」

『悪ぃな、シュウ。こんなバカでけぇもんが暴れてんのはわかってたんだけどよ、ヒコーキ取り付けんのに時間かかっちまった』

 シュウの幼なじみが乗ってきたリベリオンⅩはほとんど新しいパーツに換装されており、左手には長い鉄の棒を握っていた。

『シュンヤ! てめぇ……!』

 距離を取って体勢を立て直したグリズリーから怨嗟の声が轟く。決死の体当たりも背中の盾に防がれてしまったらしい。

『バケモンのくせしやがってぇ! いっちょまえにお友達つくってんじゃねぇぇぇ!』

 大鎚だった棒の先端――ソケットを投げ捨てたグリズリーは背負っていた盾を落とした。いや、盾ではない。円形の刃だ。穂首に棒を突き込み、捻るとかちりと嵌まり、大鎚だった物は斧槍へと変貌した。

『小僧ぉぉ、おめぇはそこのガキがなにもんだか知ってんのかぁ? 死ぬことのねぇバケモンなんだぜぇぇ……』

『知らねぇな』

 返答ははっきりとしていた。鉄棒を旋回させると、二歩踏み出して二倍差のある敵へと向かう。

『知ってても関係ねー。バケモンだろうが悪魔だろうがシュウは俺の嫁の弟だ。義弟守るのに理由がいるか』

『くくっ、いいアニキ持ったじゃねぇかぁシュンヤぁぁぁぁぁぁ!』

 斧槍の長柄を両手で構えたグリズリーの影が輪郭をぶれさせる。雪砂を蹴った重装機甲が縦横の利く虎のように猛進を開始したのだ。

『そして残念だったな小僧ぉぉぉ! シュンヤのアニキに生まれてよぉぉぉぉぉ!』

 嘲笑を放った時には、グリズリーの斧槍は唸りをあげていた。新造の機体であろうとグリズリーには敵うまい。

『……ふっ!』

 気合と共に鉄棒を振り、重い一撃を受けて流した。エースは倒すことより生きることが条件だ。こと一対一の生存率ではアレクは国内で一、二を争う。

 轟刃が落とされるたびに雪砂が舞い上がる。白い霞の中を歩いてシュウはレインのリベリオンⅩへと上った。

「レイン!」

 溶接されたメインシートからレインは首だけをこちらに向けた。

「シュウ……来たね」

 薄い笑み。シュウはその後ろのサブシートに座った。

「アレ兄がいる。とにかく奴を倒すことだけ考えよう」

 話したい事はいつもある。十年、お互いを忘れて生きていたのだ。しかし、それはいつも半分も叶わない。

 奴がいるから――いつも奴が邪魔していたのだ。

「武器は残っているか?」

「ショットバンカーが一発とカッターが二本、あとガトリング」

「不十分だ」

「全部関節に撃ち込んでも……倒せるかどうか」

「少なくとも、無駄撃ちしている余裕はないな」

 予備のゴーグル・ディスプレイを出し、レインに被せる。自分も被り、サブシートで情報を共有する。

「レイン、操縦、いけるか?」

「うん、出力、火気管制、お願い」

 ゴーグル・ディスプレイ内でジェネレーターからヴェトロニクス、センサーをチェックする。特に姿勢バランサーを入念に――膝関節、大腿部に穴が空いているが、姿勢制御の基本数値を変えれば、二足歩行で立つことはできる。左肩が前のめりになって不恰好だが、ロボットの中で外見のことなど気にする必要はない。要は正常に動き、敵を粉砕すればいいのだ。

「行こう、アレ兄だってそろそろ限界だ」

 シュウの言葉にレインは操縦で応じた。ディスプレイの中、レーダーが捉え続けている二つの反応へブースターを噴かせる。

 シュウの予想以上にアレクは耐えていた。計算されつくされた斧槍の連撃を鮮やかなステップと鋭い棒術で牽制している。その攻防はまさに巨熊と戦う武芸者だ。

「レイン、目を狙えよ!」

「わかってる!」

 左腕が上がり、手首のカバーが水平にスライドしてガトリング砲が現れた。

「シュウ、機体を!」

「おぉ!」

 メインシートより操縦権を預かってシュウは機体に片膝を突かせる。その間にレインはガトリング砲の照準を合わせていた。

「片目だけでもっ!」

 カチリ、と引き金の音がして、ディスプレイ端の数字がカウントを始める。毎秒二十五発の弾丸が込められた弾倉は九十秒で空になる。

 頭部に弾雨を浴びたグリズリーだが、重心が下部に割かれているためか、よろけることさえなかった。

『てめぇぇ……ッ! シュンヤかぁ! レイカかぁ!』

『よそ見すんなオッサン!』

 巨熊の憤怒は顎下から突き出された鉄棒の一突きで中断させられた。

『おぉぉっ!』

 追撃でアレクは大きな腹にタックルを決めて押し倒そうとする――が、

『そんなに死にてぇぇんかぁ小僧ぉぉっ!』

『なっ! こいつ……動かせ――ッ!』

 グリズリーは更に腰を落として相撲取りのような姿勢でリベリオンⅩを受け止めると、力任せに張り倒した!

『望みどおり地獄を味合わせてやるぜぇぇぇ!』

「アレ兄ィィィィィ!」

 両手で握った斧槍を振り下ろす――間隙を突いてシュウはグリズリーに突撃した。手にはヒートカッターを持ち、膝にぶつかる。

「これ以上! 好きにさせっかぁぁぁぁ!」

『うるっせぇぇぇハエガキどもがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』

 激怒で横薙ぎに払われた斧槍の柄を首に喰らって、シュウたちの機体は硬い頬を地面に擦りつけられる。

「ぐっ……!」

「うぅ……っ!」

 仰向けのカメラが捉えたグリズリーは顔の右半分をガトリング砲で削られていた。異常を喫した眼球のライトが赤く点滅している。

 隻眼になった巨熊は斧槍を担ぎ上げる。

『てめぇの相手は俺だろ!』

 今度はアレクが動き、もう片方の膝にヒートカッターを突き刺した。

『くそがぁぁぁぁ! この程度でグリズリーがやられるかよぉぉぉ!』

 咆哮しながらもグリズリーは後ろへ跳んだ。まだ冷静な判断力は残っているらしい。

『あの手この手奥の手全部持ってんだよぉぉぉ!』

 厚い胸板が開いた。そこに無数に空いている穴は――

「まずい……! 隠れろ、レイン!」

「……くっ!」

 近くに塹壕があったのは全くの偶然だった。かろうじて潜り込んだ半秒後、頭上で無数の炸薬弾が破裂した。

「! アレ兄は……!」

「シュウ!」

 どうなったか分からない兄貴分の心配をしている暇はなかった。敵は二人がこの塹壕に逃げ込むことまで予想していたのだ。

『ひゃっはっはっはぁ! 最終奥義ってやつだぁ!』

 前後以外に逃げ場のない塹壕の上からグリズリーが突進してくる。両膝にヒートカッターが刺さっているにも関わらず、その機能にはいっぺんの狂いも生じていないらしい。

『観念しろやアバズレどもがぁぁぁ!』

 グリズリーは頭上より迫り、ドブさらいのように斧槍を塹壕に向けて振り下ろした。

「レイン!」

「やってみる!」

 シュウの修正した筋稼働率にレインは即座に合わせた。二本目のヒートカッターの腹で斧槍を受け止め、後退。ギリギリで直撃を免れたが、

「!」

 既にボロボロのリベリオンⅩ。損傷していた左膝が関節から黒い煙を吐き出し、倒れてしまった。

『きったぁぁぁぁ! 俺様の時代ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!』

 跳躍したグリズリーの手の中で斧槍が刃を下に向けている。コックピットに突き刺せば、この因縁ともおさらばだ。

「どうだっ!」

『なにぃ!』

 シュウにはグリズリーのコックピット内での仰天がはっきりイメージできた。後退した際につけた斜面を滑り、見事グリズリーの脚の間を取ったのだ。

「死ね!」

 残った武器――ショットバンカーの照準もあらかじめ設定してある。人体を模したリベリオンⅩも弱点は同じ、脊髄を一直線に貫ける場所――股間に釘の先端を押し当てる。

 ぎゃぎぃっ!

『ぐっ! おっ! うおおっ!』

 鋼を砕く音。釘がグリズリーの股間に突き刺さった。下半身のマッスルシリンダーに次元核エンジンのパワーが伝わらなくなり、くずおれる巨体――では、なかった。

『ってなぁ!』

「!」

 グリズリーがよろめきを見せていたのは芝居だった。くるりと機体を反転させると、斧槍を旋回させ、リベリオンⅩへと振り下ろす!

「うあぁっ!」

「かぁっ!」

 グリズリーの刃は確実に胸部を狙っていた。それが左肩にずれたのは運が良かっただけに過ぎない。

『終わりだぁ! シュンヤぁぁぁぁぁぁ!』

 轟くだみ声。振り上げられる斧槍。リベリオンⅩは――動かない。

『ようやく隙を見せたな、化け物め』

 澄んだ声と共に小さな金属音がした。

『……ぁ?』

 異変に気づいたのはグリズリーだった。手に持っていた斧槍の長い柄が鮮やかな切り口を見せて断ち切られていたのだ。

「ア、アレ兄……!」

『て、てめぇぇぇぇ!』

 激昂するグリズリーは頭上に現れたリベリオンⅩについて少し考えるべきだった。何故にただの鉄棒しか持っていない奴に斧槍の長柄が切られたのか――

 そう、ただの鉄棒ではなかったのだ。

『死ねよぉっ!』

 唸りをあげて繰り出された一撃を、アレクは眼前にかざした鉄棒で受けた。だが、グリズリーの左手から伸びた刃が首を狙っている。逃げ上手のエースパイロットもこの波状攻撃からは逃れられまい。

『それが奥の手か?』

 アレクのせせら笑いは変わらなかった。鉄棒を握った右手が小さく動くや、金属と金属の擦れる微かな音が響く――と、同時に鉄棒に細い裂け目が開いた。そこから漏れだしたのは、ぞっとするほど白い光り――

『スケールが小せぇ!』

 大気そのものが裂けたがごとき異音と共に、赤黒い花が咲いた。その時には、グリズリーの両手は宙に浮いている。噴水のように迸る皮下循環剤を見たとき、グリズリーはようやく自分の身に何が起きたのかを悟った。

『か、カタナだとぉぉ!』

 上った月に照らされる機影――リベリオンⅩの右手に鋭い光りが反射している。優美な曲線を描いたそれは、信じられないほど薄い刃を備えた一振りの長刀だった。

『悪ぃな。また、騙されてもらったぜ』

 刃が吸い込まれるように巨熊の首を貫く。リベリオンⅩは小さく跳躍して塹壕へと滑り落ち、長刀が泥のようにグリズリーを縦に斬り裂いた。

 断末魔は無く、引き抜いた刃に混じった真紅の血が勝利を祝福する月に掲げられた。


「それで……そのままシュウは行っちゃったの?」

 塹壕の上――回収されるグリズリーを見下ろしながらナミはアレクに問い質した。

「その……レインって子と一緒に?」

「あぁ、俺のリベリオンⅩからパーツを根こそぎ持っていってな」

「何で止めなかったのよ!」

 胸ぐらをつかまれてアレクは一瞬、呻いた。

「仕方ねぇよ。あの子は身体をメインシートに拘束されてるんだ。しかも催眠教育の実験体でもある。うわべだけの保護をされて、どうなるかは予想できるだろ」

 歯軋りするナミの頬が赤くなっていく。ぶつけ先のわからない怒りに震えているのだ。

「辛いなら祈れ。お前がいつも俺に祈ってくれているように、あいつらの無事を……」

「そんな権利……あたしらにないじゃん……!」

 胸ぐらを掴む力が緩んだ。

「こんなの、簡単に受け入れられる話じゃないよ……!」

「シュウは言っていた……因果は巡るものだから、俺たちはそれを回収しているだけだと……」

「何よ……因果って……?」

 アレクの手はナミの手を下ろさせ、地平の果てを睨みつける。

「……親を殺した」

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