五、『裏路地には懐古主義がある』後
裏路地研究会。
通称、ウラケン。
藤崎さんと田宮さんはまだ来ていない。
俺と御厨さんがとっていた講義が休講になったため、写真の選別をすることにした。
ウラケンの部室でしようと思ったのには理由がある。
決して、御厨さんと2人きりになりたいとか、もうちょっとお近づきになれだろうという希望的予測を考えたわけではない。
わけではないが、結果としてということもあるかもしれない。
かもしれないというだけで、なにもないと思うわけだ。
いやいやいや、違う。
ちゃんとした理由はある。
ウラケンに関わることはウラケンの部室であれば、なにかヒントがあると思ったからだ。
裏路地研究会は、古ぼけた学舎にある。
古いゼミ教室を利用した十畳ほどの広さに、長机が2つ、パイプ椅子が5つほど、入口から見て右側には小汚いソファがあり、左側にはこれまた小汚いロッカーとカラーボックスが置いてあった。
部屋の一番奥には、木製の長机が壁に沿って置いてあり、上には小型の液晶テレビ、型落ちとも言えるノートパソコン、長机の横には小型の冷蔵庫が鎮座していた。
その木製の長机の前にあるパイプ椅子が、我らが部長、藤崎志織の定位置だ。
御厨さんは物珍しそうに部室内を見回した後、「この古い感じ、新聞部よりも年季があるかも」と呟いた。
新聞部の部室は、この学舎がある敷地とは道を隔てた部室棟にある。
大学側から真っ当な認可を受けたクラブ、サークルだけが部室棟に部室を構え、それらを監督するのは学生中央委員会というお役所みたいなところだ。
部室棟にいるクラブ、サークルは、活動の許可を学生中央委員会に届け出なければならないが、裏路地研究会やこの学舎に巣くう有象無象の魑魅魍魎のような無認可サークルは、その限りではない。
藤崎さん曰く、「そんなもんはどうせ学生課に許可貰えば問題なし」ということらしい。
つまり、学生中央委員会は単なる中継ぎ役として存在し、その立場は限りなく「偉そうで腹が立つ」というのが藤崎さんの見解だ。
それはさておき。
御厨さんはカバンからタブレットを取り出して、画像フォルダを開いた。
「土曜日に撮ったのは現像して、フィルムスキャンにかけたんだ。結構、綺麗に撮れていると思うんだけど、どうかな?」
俺はタブレットを持って、写真を見た。
フィルム特有の解像度の甘さが見られるが、ピントはちゃんとあっており、どの写真も概ね綺麗だ。構図やアングルがどうこうと聞かれると、正直言ってよくわからない。
土下座(正確には違った)の高山彦九郎の写真はあおりで迫力あるし、大将軍神社の公孫樹も大樹感が良く出ている。
商店街の薄暗さはノスタルジックな雰囲気を感じさせ、白川の流れは曇天の合間に見えた太陽の光を煌めかせていた。
コロッケを口に運ぶ藤崎さんの写真は、妙にアップになっていて……なんだかエッチな感じがしてしまう。
そのことに気がついたかどうかはわからないが、御厨さんはさっとタブレットを取り上げた。
「どうかな?」
「あーうーん、そうだなー」
確かに良く撮れていた。
でも、何かが違う気がする。
それを正直に言うべきか。
取り繕って、なんとか褒めるべきか。
「なんか違う気がする」と思わず口に出た。
御厨さんは、大きな目で俺を見つめてから「だよね」とだけ呟くと、大きく溜息をついた。
「ごめん」
「別に謝ることないよ。私だってそう思ってたんだ。これだと京都のおもしろスポット紹介しますって感じじゃない?何が違うのか、具体的に分かればいいんだけどね」
俺は考えながら、部室内を改めて見回した。
“必然的に私たちが目にするもの中に昭和の情報ある”
なぜか藤崎さんの言葉が突然、頭の中に浮かんだ。
俺はロッカーを開けた。
確か、この中にあったはずだ。
「どうしたの?」
「あ、あった。これだ」
ロッカーにはいくつかのクッキー缶がある。
フタがぱかんという軽い音と共に開くと、中には古い写真が束になって仕舞われていた。
「昔の写真?」
「うん、それもかなり昔だと思う」
写真の束をばらした。正直言うと、紙焼きの写真に触ることはほとんどない。高校時代にはポラロイドが流行って何度か撮ったことはあるが、デジタル以外の写真自体が珍しい。
さらにロッカーを見ると、奥の方に小さいアルバムがあった。
フジカラーと書かれた表紙のそれらは思ったより重く、分厚い。写真がきれいに入れられ、写真の右下にはデジタルで入れられた日付が入っている。
もちろん、映っている人達に見覚えはない。
「こうやって見てみると、アルバムっていいかも」
御厨さんはおもしろそうに、アルバムをめくったり、写真を何枚も見比べたりしていた。
写真に映っている人物の髪型、服装が年代ごとに変わっていく。
平成の初め、昭和の終わり、さらにその前。
「ねぇ、ウラケンって何年前からあるの?」
写真の量の多さに、御厨さんは驚きを隠せない。
というか、俺も驚いていた。
「さあ。調べたことも聞いたこともない」
アルバムをめくりながら、気がついた。
昔は当たり前のように、写真を現像して、アルバムに入れて、ふと思った時に見られる。ネガがありさえすれば、何枚でも写真はできるし、配ることもできた。
今はどうだろうか。
パソコンの画面やタブレットに表示されるサムネイルはそれほど大きくなく、アルバムを開いてこれは誰、ここはどこだっけ?なんてことはあまりしていない。
もちろん、スマホ、タブレット、PC、インスタグラムのようなクラウド的なもののサムネイルは大きくして見ることができる。何百枚も写真を入れて、フォルダ分けして、日付ごとに並べられる。
失敗写真だって何枚もある。
でも、それは「便利さ」という括りだけでしか見ていないのかもしれない。
「御厨さん、フィルムって何本撮ったの?」
「二本、現像代も部費から出てるから無駄遣いできなくて」
「これ、アルバムにしてみない?」
「えー!だって、もう見られるんだし……」
彼女は何を言ってるの?という顔をした。
「僕も興味があるんだ。アナログだからこそ分かることもある気がする……と思わない?」
「うーん、まあ、そこまで言うなら。新聞部にカラープリンターがあるから、出力してみる。写真選ぶよね?」
「いや、全部だよ」
「全部!?」
「そう。失敗も含めて。用紙代とインク代は出すから」
「悪いよ、それは。なんとか掛け合ってみる」
ということだったが、石ころもとい黒崎部長からの許可は、用紙代を負担なら…ということでOKが出た。
夕方、再び部室に来ると藤崎さんがおもしろそうにアルバムをめくっていた。片付けるのを忘れていた。
「あら、浦辺君。ここであんまり卑猥なことをしてはダメ」
顔は笑っているが、目つきは久々に僕をゾクゾクさせる。
シンプルな白のカットソーに、細身のダメージジーンズが藤崎さんの体のラインをくっきりとさせていた。
「な、なんてこと言うんですか!」
そんなこと、少しも考えてないとは言わないが……。
「あら、そう。でも、御厨さんと2人きりになるなんて、あなたもなかなかのスケベね」
「な、な、変なこと言わないでくださいよ。なんで、あの子がここに来たってわかるんです?」
「君は意外と鈍いのねぇ」
彼女はクククッとおかしそうに笑った。
「こんにちは~」
部室のドアが開いて御厨さんが入ってきた。
突然の事で、僕は少なからず飛び上がった。
「そして小心者の浦辺君」
素敵な微笑みをされたって、ちっとも嬉しくない。
「何の話ですか?」
「特に何でもないわよ。御厨さん、写真見せてくれる?」
「あ、はい」
御厨さんはその答えを予想していたかのようにカバンから、写真の束を出した。
24枚撮り2本分の48枚。
僕たちが子供の頃、まだこの手の写真はちゃんと現役だった気がする。
「なんで写真のことを……」
「私の言ったことをちゃんと理解していれば、結果はわかっていたわよ」
藤崎さんが机に向かって前屈みになると、カットソーから胸元が少しばかり見えている。その一瞬、彼女はチラリと俺を見た気がした。
バレている!?というより、今のは不可抗力だ!と言い訳したいところだが、御厨さんの前でそんなことを言うわけにもいかない。
「これ、新しいアルバム。新しいと言っても昔の残り物だけど」
藤崎さんがどこからか出してきたアルバムに、写真を入れていく。
この作業がなかなかに手間がかかるものの、ちょっとばかりワクワクしてきた。
全て入れ終えると、御厨さんがアルバムをめくった。
「……」
突然押し黙った御厨さん。
「そういうことだったんですね」
「さて、どうかしら。御厨さん、あなたの見解をぜひ聞きたいわ」
藤崎さんの挑戦的な目がきらりと光る。
御厨さんは顔を上げた。
その顔は妙に納得がいったという表情だが、俺にはわからない。
「理解できていない浦辺君に懇切丁寧に説明してあげるといいわよ」
「え、いやぁ……」などと訳の分からない答えをして、俺はアルバムを見た。アルバムを作ろうと言い出したのは自分だが、その結果まではあまり考えていなかった。
タブレットの画面よりも小さい、印刷された写真達。そこに映った古い商店街、俺たち、白川の流れ、そんなものがパラパラとめくるだけで目に飛び込んでくる。
田宮さんがおごってくれたコロッケ、白川の欄干のない橋でセルフィーしていたカップル、川沿いに立ち並ぶ柳、三条通の橋から見た蕎麦屋、藤崎さんが喜び勇んで買っていた饅頭。
そのどれもがアルバムをめくると、色々と思い出されてくる。
もっとも、たかだか数日前の話だから当たり前だ。
でも、そうじゃない。
「タブレットで写真を見たとき……」御厨さんが話しはじめた。
「なんか違うって思ったんです。それは浦辺君も同じ感想でした。でも、こうやってプリントしてアルバム入れて、めくって見ていくと、デジタルで見ているのとは違うと思うんです。藤崎先輩は、それがわかっていたんですか?」
藤崎さんは椅子に腰掛けて、腕組みをしながら言った。胸が強調されて、目のやり場に困る。
「私があの商店街に案内したのは、話した通りの意味でしかない。それをどう理解したかは君たちの答え……というのはダメかしら?」
「よくわかりません」
俺はアルバムが藤崎さんの謎かけにどう結びつくのかがよくわからない。
「石ころのオーダーは“おもしろいものを撮ってこい”だったかしら」
「はい」
「おもしろいものって具体的にはどんなこと?」
「それは……」
「御厨さん、浦辺君。おもしろいっていうのはね、笑うって意味じゃないのよ」
あ、と思った。
確かにそうだ。
御厨さんも腑に落ちたという感じで、目を輝かせる。
「このアルバム、私はおもしろいと思う。古いカメラで古い街を撮って、古い方法で写真を見る。そこのロッカーには昔ながらのアルバムがいくつもあって、それが当たり前だった。でも今は違うでしょ。物事は絶えず進化しているし、フィルムですらデジタル化できる……でも、今はそれが当たり前で、昔とは違う。でもその違いは違和感ではない。それこそが“おもしろさ”なのよ」
「先輩、それはつまり……」
御厨さんは言葉に詰まった。
彼女の疑問は大体が想像できる。
では、このアルバムで新聞記事をどうすればいいか、ということだろう。
「浦辺君、今こそ助け船を出す時じゃない?」
そんなこと言われても……と言いたいところだが、俺にはわかってしまった。
「新聞自体をWebにしたのに、記事の内容をアナログなアルバムの話にするってことですよね」
俺の答えに、藤崎さんはおかしそうに笑った。
この人は本当に意地が悪い。
***
「なんか、うちの部長がごめんね」
俺と御厨さんはなんとなく二人で部室を出た。
「ううん、なんというかおもしろかった。それに、やっとジョハリの窓の意味がわかったし」
「え?」
「ウラケンはジョハリの窓。その通りじゃないかな……浦辺君は思わなかった?」
「つまり?」
「open selfは今の私、blind selfは藤崎さんから見た私、hidden selfはウラケンに来た私……unknown selfはウラケンでしか得られなかった私かもしれない」
ウラケンに来た私?
hidden selfは他人に見せない自分という意味だったと思う。
御厨さんは新聞部の部長に紹介されてここに来た筈だ。
「ウラケンに来た私って……」
御厨さんはそんなことを聞き返されるとは思っていなかったのか、突然顔を真っ赤にした。
「今のは無し!あ、ありがとう、色々。それじゃあね!」
彼女は慌てて走り出した。
今度は廊下に置かれた机には躓かなかった。
ただ、唖然とその後ろ姿を見送った。
***
部室に戻ると、藤崎さんは古いアルバムをめくっている。
俺はなんとなく話しかけづらくて、小汚いソファに腰掛けた。
プショホッと妙な音がして、どこからか空気が抜けたようだが、座り心地に関して文句を言うつもりはない。
ほどなく田宮さんがやって来た。
「むっ!むむむ!」
田宮さんは部屋中を見回して、鼻をひくひくさせる。
「これは真琴ちゃんが来てたやろ!」
「え、なんでわかるんです?」
「匂いや。この香りは間違いなくあの子や」
犬か、あんたは!
「浦辺君は気がついてなかったけどね」
藤崎さんが冷ややかに言う。
「マジか。君もまだまだやなぁ」
匂いなんてまったく気にしていなかった。
確かに御厨さんからは良い匂いがしていた気もするが、それは藤崎さんも同じだ……って、これでは田宮さんと同じじゃないか。
「会いたかったわーなんで呼んでくれへんの」
「田宮君、それ本気で言っているなら、鼻を引きちぎるわよ」
藤崎さんの言葉に、田宮さんは慌てて鼻を押さえた。
「冗談やて。さて、そろそろ浦辺君も裏路地探しを一人でせなあかんなぁ」
「そうね」
藤崎さんはアルバムをパタンと閉じると、ロッカーにしまった。
「裏路地探し?」
「そう。ウラケン部員たるもの、自分だけのマイ裏路地を見つけなければならないの」
「意味が分かりません」
俺の答えに、藤崎さんと田宮さんは顔を見合わせた。
「ウラケンに意味なんてないのよ、浦辺君」
根拠がまったく見えない、自身に満ちた声で藤崎さんは素敵な笑みを浮かべた。
京都の裏路地には哲学がある イトー @syosei
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