四、『裏路地には懐古主義がある』中
裏路地研究会。
通称、ウラケン…がある学舎前。
さて、土曜日である。
春特有の薄曇りでなんとなくじめっとしている。
藤崎さんは髪を下ろし、黒のニットに茶色のブルームスカートという出で立ち。トートバッグを両手で持っている姿はどこぞのお嬢様に見える。
約束の1時まであと15分ほどあったが、午前の講義は終わっているし、学食でさらっと昼食を食べてしまえば、ちょうどよい時間だ。
「浦辺君が最初に来るなんてちょっと意外やわ」
「ひどいこと言いますね。僕の基本は5分前行動です」
「まだ、15分もあるやん」
藤崎さんは腕時計を見ていた。思えば、この人はいつも腕時計をしている。
そして今日は関西弁だ。
「いいじゃないですか、別に」
「あの~おはようございます」と背後から声がして、俺は飛び上がった。
振り返ると御厨さんがなぜか恥ずかしそうにしていた。
同じ学部と分かってから昨日、一昨日と共通の講義で会い、なんとなく挨拶をする程度にはなっていた。
そして今日はいつもと同じような服装をしていて、カメラを提げていた。
「御厨さん、こんにちは。おはようは、この時間だと仕事的な感じがする挨拶ね」
「あ、すみません。バイトの癖で……」
「じゃ、行きましょ」
「え、田宮さんはいいんですか?」
「時間通りに
「まだ12分前ですけど」
「些細な問題よ、小心者の浦辺君」
ひどい言い方だ。ちょっと傷つく。
京阪電車に乗る。またもや出町柳行き。
藤崎さん曰く、京都は私鉄と地下鉄の街だそうだ。
京都市内には地下鉄、京阪電車、阪急電車、近鉄電車、叡山電鉄、京福電鉄、京阪京津線、そしてJRが加わるというイメージだという。
「バスは混むし、自転車で三条や四条あたりを走るのはストレスがたまって仕方ないんよ。電車が一番やわ」
「へえ、藤崎先輩は京都出身なんですか?」
「両親は関東出身やし、生粋の京都人とはちょっとちゃうかな」
「あ、そうだったんですね。僕はてっきり京都のどこかのお嬢様かと思ってました」
「お嬢様という認識は正しいから、私を永遠に敬っといて」
平然と妙なことを言う。
電車はやがて地下に潜り、三条京阪駅に着くと藤崎さんは「着いた」といって突然降りた。
俺と御厨さんは慌てて、後を追った。
駅の外に出ると、そこは土下座前である。
学生と思われる人達が、スマホ片手に待ち合わせをしていた。
「この銅像の人、なんで土下座してるんですか?」と御厨さんが俺に訊ねてきた。
「さあ?」
ここで藤崎さんが振り返ってにやりと笑った。
「この人は高山彦九郎という江戸時代末期の人。寛政の三奇人と呼ばれた尊皇思想家なんよ」
「かんせーのさんきじん?」と俺。
「そんのーしそう?」と御厨さん。
「あんたらなぁ……」
藤崎さんはちょっと困ったような顔をした。
「まあ、歴史が好きじゃないとわからんかもね。あと、土下座とちゃうわよ」
「え、違うんですか!」
「答えはこの銅像の姿勢と方向。さ、行こか」
俺たちは顔を見合わせてから、もう一度銅像を見た。
そんなことはお構いなしに、藤崎さんは三条通を東に向かって歩き始めたので慌てて後を追いかけた。
三条通は四条通と対照的に歩いている人がとても少ない。
落ち着いた雰囲気で、新しいマンションと古い店が同居し、歩道も広くて歩きやすい。
僕と御厨さんは講義の内容について情報交換しつつ、藤崎さんが時折挟み込んでくる情報に耳を傾けた。
「三条大橋は東海道五十三次の終点」
「あ、知ってます。東京の日本橋からですよね」
御厨さんがちょっと得意気に言った。
「そう。でも、ここが終点になっていないパターンもあるんよ」
「え、そうなんですか?」
「正確に言えば、京街道として繋がって、伏見、淀、
「へぇ…でも、足すと58…59じゃないんですか?」
「浦辺君、なぜ『次』と言われてるんかを考えてね」
なぞなぞのような話だ。
ここでスマホを出せば取り上げられそうな予感がしてやめた。
「御厨さんはわかる?」
「え、あはは~」
御厨さんは嘘くさく笑って、後頭部をボリボリと搔いた。
なんだよ、その下手くそな誤魔化しは…とツッコミたいが、女の子に嫌われるのは避けたい事柄である。
「さて、最初の目的地」
駐車場があるT字路を右に曲がると、左手に神社が見えた。
駐車場脇にある建物に貼られた看板には『大将軍神社』と書いてあり、その向かい側には焼肉屋が軒先に提灯を掲げていた。
「神社、ですか?」
御厨さんは空を見上げた。
神社の敷地内からは巨大な樹木が大きく枝を伸ばし、道路側までせり出している。
境内にも巨大な公孫樹がそびえ立っていた。
「東三條大将軍神社。京都には大将軍と名のつく神社がいくつもあるんやけど、ここは一番来やすくて、なおかつこの人の少なさ」
人が少ないというより、人がいない。
「何か見どころがあったりするんですか?あと、逸話があるとか」
「ふふふ~あえて言うなら、そこにある牛と馬、そしてこの境内に所狭しとある小さな社の数々やね」と言って、藤崎さんが銅製と思われる牛と馬の置物や小さな社を指した。
「ね、浦辺君。これって見どころかな?」
御厨さんの疑問はもっともである。正直に言うと、わざわざ案内してもらわなくても……という気がする。
「冗談はさておき」
冗談かよ!と俺はツッコミたかったが、御厨さんもそんな顔をしている。
「さて、御厨さん。この位置から
藤崎さんはちょうど神社外の建物が入らないアングルを示し、御厨さんは微妙な顔をしながらそこで一枚撮影した。
「もっと木と地面がわかるように何枚か」
地面?
御厨さんはもう言うがままに何度かシャッターを切ったところで、藤崎さんは満足げに頷いた。
「その写真が活きてくるタイミングが来たらちゃんと教えるから、捨てたらあかんよ」
「あ、はぁ」
「さて、次」
藤崎さんは俺たちの疑問なんて意にも介さずに歩き出した。
三条通に戻ると藤崎さんは再び、東に向かい、大きめの交差点が見えると「東大路通」と教えてくれた。
道を渡ってすぐ、藤崎さんは立ち止まって振り返る。
「さて、今日の目的地はここ」
実に趣のある……まさに懐古主義が実体化したかのような、それは商店街の入り口だ。
商店街の入り口にはなんとも雰囲気のある八百屋、アーケードの屋根は瓦風で、道幅は1人半といったところ。
「あの……商店街で何をすれば…」
御厨さんが動揺している。
「それはね……」
「ここは京都で東の錦と呼ばれた商店街やぁ……ででで」
現れたのは置いてきぼりをくらったはずの田宮さん……が、藤崎さんに間髪いれずに鼻を思い切りつねられた。
「ガンプラのくせに私のセリフをかっさらうなんてええ度胸しとるやないの!」
それはバンダイです、藤崎さん!とツッコミたかったけど我慢した。
「それはバンダイやで……」
だが、田宮さんは鼻をさすりながらツッコんだ。
「田宮さん、なんでここに?」
「部長は古いもんが好きやからな。そのカメラを見てビビビッっと来て先回りしたんや」
なんかもう色々とアレだが、スルーしよう。
「ちっ、余計なことしくさって」と藤崎さんは悪態をつきながらも、説明してくれた。
「この商店街は昭和30年代後半から発展してきたんよ」
藤崎さんは御厨さんのカメラを指した。
「前にも言ったけど、ニコマートは1965年発売のカメラ。65年は昭和40年頃のことで、時代的背景を見ても、この商店街ほど撮影に適した場所はないと思うわけ」
さらに話が続く。
「さっきバンダイが言うたけど、ここは東の錦と呼ばれていて、寺町通にある錦市場と並ぶくらいに繁盛してた。で、その理由は、はい、御厨さん」
「え、え、わ、私ですか!?」
突然ふられた御厨さんは困ったような顔をして、俺を見てから……あ、バンダイになってしまった田宮さんはスルーした。
「答えはもう出とるけどね、まあ、考えておいて」
俺たちは商店街に足を踏み入れた。
入り口は狭いが、アーケード内の道幅は徐々に広がっている。
そこは古い映画から切り取られたかのような、不思議な空間で、人通りはそれほど多くはない。しかし、ひとつひとつの建物自体がそれほど古いわけではないのだ。
入り口の八百屋につづき、金物屋、和菓子屋、精肉屋に魚屋、総菜屋、加えて定食屋や電器店などが建ち並び、それらの合間には真新しいゲストハウスなどがある。
お店の人々は中高年層が多いが、ゆったりとした空気が流れ、昭和という空気を知らない俺でもそれが何か特別なものであるかのように感じた。
「コロッケ買おうや!コロッケ!あ、おばちゃん、4つ頼んます、あ、ども、ありがとう~」
田宮さんはマイペースに、肉屋でコロッケを人数分買って配ってくれた。
「ま、食べ」
俺と御厨さんはお礼を言って、コロッケにかぶりついた。衣がさくさくとしておいしい。
御厨さんは行儀悪く、口にくわえながらも、藤崎さんが持っているコロッケにシャッターを切った。
少し歩くと電器屋が見え、そこにはいつの時代かわからないような古いテレビが置いてあった。
「こういう場所って来たことないんですけど、なんで懐かしく思うんでしょうか」
御厨さんは、商店街の中を撮影しながら呟いた。
「それは……まあ、夢のない話をすれば刷り込みやろうね」
「刷り込み?」
「そう。私たちの親はまだ昭和世代で、さらに上の世代も昭和生まれ。情報のほとんどは昭和世代の名残があるから、必然的に私たちが目にするもの中に昭和の情報あるってことね……というのが私の持論なんやけど」
「それは例えば、映画の三丁目の夕日を見るとか、ですか?」
「簡単に言うなら、そういうことやね」
「あ、なるほど。それであの、藤崎先輩、私はこの商店街を撮っていますが、新聞の記事として成立するんでしょうか……」
「さぁ?」
藤崎さんはとぼけた顔をして、わざとらしく肩をすくめた。
「え、そんなぁ……」
「御厨さん、情報というのはね、あちこちに転がっているんよ。例えば、さっき歩いてきた三条通。実は歴史的な史跡があったのを気づいとった?」
「え!」
わからない、という顔をして俺を見る御厨さん。
申し訳ないけど、俺だってそんなものに気がつかなかった。
「私が教えられるのは、きっかけやから。石ころもアホちゃうから、あなたをうちに寄越したんやと思うわ」
「自分で探せってことなんですね……」
「ふふ、そうやねぇ」と暢気な言葉で藤崎さんは笑った。
商店街を出ると、風情のある川が流れていた。
水位がとても浅く、川底には石が敷き詰められているように見える。
「これは白川。今の時期は花見ができる四条方面に人が集まってるんやけど、ここはその橋がポイント」
欄干のない橋がかかっていた。
観光客が狭い橋の上で、自撮りしていた。
「さて、この川沿いを歩くと……」
「なんかあるんですか?」
「部長のお気に入りや」と田宮さん。
御厨さんにスルーされたせいか、ちょっと元気ない田宮さん。
俺たちは三条通に向かって歩き出した。
川沿いに立ち並ぶ柳が、春風にあおられてゆらゆらと揺れているのが心地良い。
道が斜めに続いているせいか、商店街を歩くよりも遙かに長かった。
「あの、裏路地研究会って結局、よくわからないんですが……」
御厨さんの素朴な質問を藤崎さんは聞こえないふりをして、田宮さんはというと「そうやろうなぁ」などと頷く。
「それは研究会最大のタブーじゃないんですか?」
「なんでやねん」
こっちがなんでやねん、だよ。
三条通に出て信号を渡り、橋から川を見ると蕎麦屋の看板のようなものが見えた。
御厨さんが何枚か写真を撮るのを待って、川の左側にある細い裏路地に入ると、なにやら良い匂いが漂ってくる。
狭い道だというのに、数人が右側にある建物の前に並んでいる。
「ここ、ここ」藤崎さんが小走りして列に並ぶ。
「饅頭?」
外観は古い町屋で、志んこ、桜餅などと書かれた紙が貼られている。
入り口付近はひと一人が通れるほどで、どうやら饅頭工場の店頭販売らしい。
「ここがうまいんよ」
順番が来ると、藤崎さんは「志んこ、桜餅!」といくつかを買い込んだ。
むしろ、ここに来るのが目的だったんじゃないかとさえ思ってしまう。
僕らは橋に戻って白川を眺めながら、しばし饅頭のひとときを過ごした。
「さて、御厨さんはウラケンがどういうものか知りたいんやね?」
藤崎さんは指先をぺろっと舐めながら、唐突にきりだした。
「あ、はい。部長からは、裏路地研究会と付き合うにはそれなりに……」
「それなりに、勇気がいる?」
「あ、はい」
「では、ここでひとつ。アメリカにジョセフ・ルフトとハリー・インガムという2人の心理学者がいたんやけど、知っとる?」
どこかで聞いたことがあるような、無いような感じだ。
「いえ、知らないです」御厨さんは素直に答えた。
藤崎さんは俺も見たが、同じく知らないので首を振った。
よろしい、では……といった感じで、藤崎さんは続ける。
「彼らは四角を描いて、中を4つに分けたんよ。簡単に言うなら田んぼの“田”やね。まず、右上がopen self、解放の窓、左上がblind self、盲点の窓、右下がhidden self、秘密の窓、そして左下がunknown self、未知の窓。これを2人の名前をとってジョハリの窓と言うの」
「はぁ、なるほど??」と、うそぶけない俺。
「浦辺君、生返事は誤解を生むから直すべき癖やね」
「すみません」
「その、どういうことなんでしょう?」
「今言った通り。ウラケンはある意味、“ジョハリの窓”として存在している」
ビシッと格好良く人差し指を突きつけられたものの、まったく見当が付かない話だ。御厨さんも同じようで、?マークが顔と頭全体を覆うのが見えるかのように考え込んでいた。
「僕にはわからないんですけど」
「勉強不足やな」
田宮さんはにやりと笑って、藤崎さんの手から最後の饅頭を掠め取った。
電光石火とはこのことである。
田宮さんは両目を押さえ「目がぁ~目がぁ~!」などと、アニメ映画の名台詞を履いて欄干に頭をぶつけた挙げ句、うずくまってもがいた。
もはや、言うまでもない。
「私から饅頭を奪おうなんてアホにもほどがあるわ!」
まったくもって、この2人の関係は謎だらけである。
「あの……その、ジョハリの窓っていうのを調べればいいんでしょうか?」
「可能性のひとつやねぇ」藤崎さんは意味深に微笑むと、饅頭を口に放り込んで鴨川方面に向かって歩き始めた。
「私、どうしたらいいんだろ」
途方に暮れる御厨さんの言葉に、俺は適当に何かを言うべきことも見つからない。
ただ、思うのは裏路地は表とは隔絶された何かしらの懐古主義が存在しているという事実のみだ。
「正味な話な……」と田宮さんが欄干に背中を預けて、言葉を繋いだ。
「意味ないんやわ、裏路地研究会に」
「え?」
「えぇ!?」
それはさすがに驚いたけど、なんとなくそんな気がしていたような気もする。
「こうやって、適当に京都の街歩いて、地元の人しか歩かんようなところはいって、たまにああやって古い商店街見つけたり、おもろそうな店見つけたりが全てや。ま、どう受け取るかは自分ら次第やけどな」
「そ、それじゃあ、今まで撮った写真って無駄になるんですか?」
御厨さんが困ったような、泣きそうな顔になる。
「いやいやいやいや!無駄ってことはないやろ。あんなぁ、部長は別に意味なくこの辺りを案内したわけちゃう」田宮さんは大慌てだ。
「じゃあ、どういう意味が?」
「それを考えるんが、自分らのやることや。ま、とにかく材料はなんぼでも揃ってる。意味があるものになるか、ならんかはどうにかしてみることやな。あ、俺デートやから」
田宮さんはスマホで時間を確認しつつ、手を振って去って行った。
懐古主義にあふれた写真ができあがり、俺がそのことについて御厨さんと話したのは月曜日になってからである。
裏路地の懐古主義は、まるでスルメイカのように、深い深い味が染みこんでいたのだ。
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