三、『裏路地には懐古主義がある』前
裏路地研究会。
通称、ウラケン。
曇り空に向かってそびえ立つ古ぼけた学舎は、どことなく懐古主義の趣がある。
自分で言ってみたものの訳が分からない。
いつも通り、古ぼけた廊下を歩き、目的地である古ぼけたゼミ教室まであと少し、というところで妙な人を見つけた。
おかしな話だ。
妙な人達は古ぼけたゼミ教室にいるはずなのだ。
その人物、もとい女の子は廊下に所狭しと置かれた会議机の陰に隠れて、俺の目的地を窺っていた。
首にストラップ、その先には大きめの……多分、古いカメラ。
髪型はショートボブ、少し濃いめのブラウンで根元から綺麗に染められている。
ということは、最近美容室に行ったんだろうな、と想像がついた。
パーカーにデニムのパンツ、黒のストッキング……なんというかあれだ、ファッション雑誌に出てくるような服というかなんというか。
と、観察していたら、女の子が振り返って目が合った。
「……」
「……あの、すみません!」
カメラを抱えて走り去ろうとした女の子は、所狭しの机に脚をとられて思い切り転んだ。
カメラを頭上に掲げたのはファインプレーだ。
「大丈夫?」
思わず手を差し伸べてみたがスルーされ、半泣きになりながらふらふらと立ち上がった。
「その部屋に用があったり……とか?」
ウラケンの部屋を指すと、彼女は静かに頷いた。
なんだか、小動物のようなとてもかわいい子だ。
「どうもです」
部屋に入れば、田宮さんがにやけ顔でスマホを見ては何かを打ち込んでいる。きっと女の子とラインでもしているんだろうけど、正直見ていて気持ちの良い顔ではない。
そして、いつもの上座となる場所に我が研究会会長にして某美少女ゲームのヒロインの名を持つ藤崎志織部長。
黒のカーディガンに、ベージュのロングスカート。
濃い緑のチェックのストール、長い髪をまとめて左に流している。
書店のカバーをした文庫本から目を離して、顔を上げた。
「浦辺君、ちょっと遅いわね」と藤崎さん。
日によって言葉が変わるのはいつものことなので気にしない。
「はぁ、講義の時間は変えられないので仕方ないんです」
「まあ、いいわ。で、その子は?」
俺の後ろにいた女の子がびくっとした。
「あ、あの、私はその……新聞部の……」
「新聞部?」
女の子と聞いて田宮さんが顔を上げると、目が輝いた。
「おお、自分、めっちゃかわいいやん!」
田宮さんははじけ飛ぶようにして、女の子の前にやってくると「うん、ええわぁ、かわいいわ~」を連発しはじめる。
「あ、あの、あの……こ、こま、困ります」女の子は田宮さんの勢いに押されている。
「田宮さん、この子困ってますよ」
「それはなぁ、浦辺君。この子がかわいいからあかんのや。な、なまぇへげぇえ」
「たみやぁ~」
藤崎さんのアイアンクローが田宮さんの頭をがっちりと掴み、そのまま握り潰すんじゃないかという勢いだ。
田宮さんの身体が前後に振られると、そのまま開いた扉に向かって放り出された。
廊下を滑る田宮さんはそのまま、所狭しと並んだ机の脚の角に頭をぶつけて、悶絶したところで扉は静かに閉められた。
「ごめんね、怖かったでしょ?」と藤崎さんがにっこりと微笑んだが、むしろ女の子が怯えたのはどう考えても田宮さんじゃない……というツッコミはいれないことにした。
「それで新聞部が何の用かしら?」
藤崎さんの質問はとても柔らかい口調だが、女の子は小さくひっと声をあげた。
「あの、藤崎さんは怖いけど、怖くないような人だから」
「浦辺君、それは聞き捨てならないけど?」
「藤崎さんはとっても優しい先輩です」
「まあ、いいけど。それであなたは?」
「わ、わたたたたしは……」
噛んだ。真っ赤になってうつむいた。
「……」
「……」
「部長の黒崎君は元気かしら?」
藤崎さんが聞いた。
「あ、はい……ご存じなんですね」
ようやく落ち着いたようだ。
「まあ、知人の端くれみたいなものだし」
「そう言うだろうって、部長も言ってました」
「それで、あなたは?」
「あ、はい。私は春から新聞部に入った
ということは俺と同じ学部だ。
「私は部長の藤崎。さっきのエロザルはミニ四駆、で、彼は浦辺君」
「あの、ミニ四駆って……」
「あだ名よ。プラッチックでもいいけど」
「は、はぁ」と困惑する御厨さん。
「あの人は田宮さん。御厨さん、社会学部なら俺と同じだね」
「あ、はい。多分、何度か見かけたこと、あります」
「え、そうなの?」
まったく気がついてなかった。
女の子の知り合いは貴重なので、少しでも仲良くしておこう。
「浦辺君、自己紹介はそこまで。御厨さん、これ書いてくれる?」
それは、俺が騙された例のノート。
何も書いていないページを広げて、御厨さんの前にさりげなく差し出す藤崎さん。
「あ、それは……」
「浦辺君」
「はぃぃ」
「優しい私のこと、好きでしょ?」
ネタをばらしたらわかってる?という目つきで、俺はぞくぞくした。
「も、もちろんです」
脳裏には田宮さんの数々の悲惨な状況がフラッシュバック。
「あの、これって入会届けですか?」
御厨さんは当たり前のようにノートの表紙を見て言った。
「むっ、バレたじゃない!」
「部長が気を付けろって。ここに入ったら、ペンを持つな、何も書くな、同意するなって……」
なるほど、前に田宮さんが言っていた悪評とはこのことか。
「黒崎くんは相変わらず失礼な男ね、だいたい、彼は少しは痩せたの?体調管理をしない人間に私達の文句を言う筋合いなんてあるわけないし」
関連性の無いことをさも当然のように言ってのけるのは、藤崎さんの危ない特性だ。
「知人の端くれから、路傍の見知った石ころ程度の認識に変更ね。それで、あの石ころはなんて?」
「あ、はい、このカメラです」
藤崎さんの悪態に慣れたのか、元々度胸があるのか、御厨さんは淡々と話し始めた。
うちの大学の新聞部は3年ほど前まで、文字通り新聞の体裁で年6回から7回発行していたそうだ。しかし、ネットの普及により、新聞自体を作っても部の予算を食いつぶすだけなってしまったという。
そこで、石ころもとい黒崎部長は、新聞自体の発行を減らしてデジタル媒体、つまりインターネットのホームページに注力することにしたのだ。
元々、新聞部の活動は学内行事の告知やまとめ、全国区で活躍しているクラブやサークル活動のピックアップにあった。それはそれとしても、インターネット上の新聞は紙媒体の焼き直しでしかない。
もっとインターネット独自の色を出すために、石ころはなぜか過去の備品を漁り、一眼レフのフィルムカメラを発掘した。
フィルムカメラの操作にはそれなりの練習と慣れが必要だ。
白羽の矢が立ったのは、写真に興味があると言った新入部員の御厨さん……というわけだ。
「それで、石ころ風情が私に教われ……と、言ったわけ?」
「いえ、カメラ自体の操作はマニュアルがあったので覚えたんです。現像もフィルムだけにして、デジタルスキャンします。ただ、部長は最初の仕事として、このカメラを使って面白いものを撮ってこいって。それで、そういうのが得意なのは……」
「ウラケンってことか。まったく、あの石ころはとんだマキャベリストね」
「ま?まきゃ?なんです?」
「ウィキで調べたらいいじゃない」
この前と言っていることが違う。
「ちょっとそれ、見せてね」
藤崎さんは御厨さんの持ってきたカメラを受け取ると、ふむふむと頷いた。
「保存状態がよかったわね。きれいなニコマート」
「なんです?」
「ニコンが1965年に発売したモデル」
机に置かれた半世紀前のそれは、懐古主義を連想させる。
鈍く光る重そうなシルバーボディに、黒い革が巻かれ、中央の三角形に出っ張った部分が特徴的で、Nikomatとあった。レンズ自体は黒い半光沢だ。
持たせて貰ったが、かなり重い。
多分、レンズのボディも金属なんだろう。ひんやりとした手触りが心地良かった。
それにしても、半世紀も前のカメラがよく動いたものだ。
「藤崎先輩はカメラに詳しいんですか?」
「カメラに詳しいというよりは、写真が好きってとこかしら」
「それにしては、カメラの年代と名前を……」
「浦辺君。この程度のことはただの常識。ウラケン会員として、常識の基本の基礎のスタンダード」
ちょっと何言っているかわからない。
「御厨さん、今週の土曜日空いている?」
「午後は大丈夫です」
「浦辺君は?」
「空いてますよ」
「俺も空いてる」
と、いつのまにか田宮さんが満面の笑みを浮かべていた。顔になにやら縦筋が入ってるけど。
「どうでもいいのが1人混ざっているけど、それじゃあ、土曜日の1時頃、この学舎の前に来て」
「わかりました。ありがとうございます」
御厨さんの言葉に、藤崎さんはにこっと微笑んで頷いた。
いつもそうしていれば、とても美人なのに。
御厨さんが出て行く間際、藤崎さんが一言付け加えた。
「そこのろくでなしに連絡先を聞かれても教えちゃだめだから」
指された田宮さんは、なんでやねん!と抗議したが、「もちろんです!」という元気な彼女の声に撃沈した。
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