二、『裏路地には哲学がある』

 裏路地研究会。

 通称、ウラケン。


 講義が終わった俺は、古ぼけた学舎の古ぼけた講義室に巣くう裏路地研究会にいた。

 目の前にいるのは、とある美少女ゲームヒロインの名前を持つ藤崎志織会長である。

 

 長い髪を下ろし、春物のワンピース、カーディガンを羽織った藤崎さんはどこぞのお嬢様に見えるのだ。

「浦辺くん、講義は大変かもしれないけど、研究会にはちゃんと来ないとダメよ」と妙に落ち着いた声で言うから、戸惑ってしまう。

 ここ2日ほど来なかったのは事実だ。

 昨夜にこの人から呪いめいたメールが届いたので、結局来た俺は小心者となじられても仕方がない。

「あの、先輩……?」

 それにしても、前に見たのシュッとしたイメージとなんか違う。

 田宮さんが俺の肩を叩いた。

「浦辺君、今日の彼女はお嬢様や」

「なんですかそれ……」

 戸惑う俺を尻目に、ふっ、と田宮さんは首をふって、藤崎さんに話しかけた。

「藤崎のお嬢様、今日はどのようなご予定でしょうか?」

「あら、プラッチック田宮。今日は随分と殊勝な心がけね」

 ホホホ、とでも笑い出しそうな藤崎さんを見て、俺は身震いした。

 もしかして、この人は多重人格とかそういう類の人なのか?

 そんな心配をよそに、2人は何事かを話し始めた。


 そうそう、田宮さんについて説明しよう。

 プラッチック田宮はもちろん本名ではない。

 下の名前は知らない。男の価値なんてそんなもんだし。

 田宮さんは、オシャレだ。

 某文学賞を獲った芸人と演技派になった元仮面ライダー俳優を足して5くらいで割って、そこに俺には到底わからないようなオシャレセンスを追加して、顔を整っているのでイケメンと言えるだろうみたいな感じの人である。

 しかし、田宮さんは自分でオシャレだろ?なんて言わない。

 彼が来ているのは古着である。

 三条だかどこかにある、400円程度の古着を適当に買ってきて、着ているという。

 彼には天性のセンスがあり、そこそこ女の子にもてる。

 羨ましい限りである。

 そんな彼が藤崎さんという美女を口説かないのは不思議でならない。


「では、決まりですね」と、先ほどから妙なイントネーションの敬語を使っている田宮さんは、振り向いた。

「決まりや。浦辺君、出掛けんで」

「あの、どこに?」

「心配いらん。変なところちゃうよ。ああ、電車代くらいは持ってるやろ?」

「そりゃまあ」

「では、行こか」

 かくして俺は初めての『裏路地』研究に行くことになった。


 京阪電車の伏見稲荷駅から出町柳行きの電車に乗る。

 京都に来た当初、出町柳と淀屋橋という3文字の行き先に惑わされた。

 四条に行くはずが大阪方面の淀屋橋行きに乗ってしまったことを話すと、大いに笑われた。

「まあ、関東の人間やからしゃあないな」

「そんなもんですかね」

「あせることないのよ、浦辺君。男の子はそうやって一歩ずつ大人になるのよ。慌てんぼさんは女の子に嫌われるわ」

 ほとんど関連性のないツッコミを真顔で言われると照れてしまう。

 電車はガタゴトと揺れながら、やがて地下に入り、祇園四条に着いたところで俺たちは降りた。


 駅の階段を上って、地上に出ると少し肌寒い風が吹いていた。

 鴨川沿いには桜が咲き乱れ、春特有の少し霞がかった空がなんともいえない雰囲気だ。

「こっちや」田宮さんは八坂神社方面を指した。

 平日の夕方とはいえ、四条通りは観光客でごった返している。

 それはもう年齢層問わず、皆が八坂神社に向かっていた。

「凄い人ですね」

 京都に来てから何度か四条から三条の繁華街に来たが、老若男女に加えて外国人だらけだ。

 それにしても、歩く人々の多くが八坂神社を目指しているが気になった。

「春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪、京都にオフシーズンなんてないわ。さらに今は新歓コンパの時期だもの。八坂さんで花見という名の宴会よ」

 新歓コンパ……と聞いて、大学のゼミで知り合った何人かに誘われていたのを思い出した。

「その顔はコンパに行きたいって顔やな?」田宮さんはにやりと悪い顔をしている。

「はぁ、何人かに誘われたので……」

「ええんちゃうか?せやけど、ウラケンに入ったことは内緒にな。色々と悪評があるんや」

「悪評?」

 雑踏の騒がしさに紛れて、これ幸いにと田宮さんは小声で言った。

「部長の顔の広さはいろーんな意味で、あかんのや」

「こっちよ」

 田宮さんの会話もよそに、藤崎さんは右に曲がった。

「京都には道ひとつひとつに名前があるの。ここは大和大路」

「なるほど。それでどこに向かっているんですか?」

 大和大路は車一台と人2人が並ぶくらいの幅しかなかった。道の両側には店が並んでいるけど、飲み屋なのか料理屋なのか、判別は難しい。

 なにせ、京都に来てまだ2週間と経っていないのだ。

「浦辺君、路地裏と裏路地の違い、わかるかしら?」藤崎さんはいたずらっぽく、小首をかしげた。

「え、言い方が違うだけじゃないんですか?」

「それは浅薄な知識やな」と田宮さん。

「はぁ」と答えてみたものの、違いなど知るわけがない。

「同じ意味なら、言葉が別々である必要なんてないのよ」

 なるほど、と思った。

 こういう場合、スマホで調べるべきだろうか……と、スマホを出したところで、藤崎さんがそれをひょいと取り上げた。

「浦辺君、歩きスマホは良くないわ。それに、安易にウィキを使って調べるなんて、考えるという行為を捨てているのと同じよ」

「え、でも……」

「別に正解せんでもええねん。考えるのが大事なんや。しばらく歩くからその間に考えてみたらどうや」

 意外とまともだ。

 

 お世辞にも歩きやすいとは言いがたい道を、テクテクと歩いて行く。

 裏路地と路地裏。   

裏の路地、路地の裏?

 そもそも路地ってなんなんだ?

 裏というからには……と、思わず来た道を振り返った。

 四条通りといえば大通りだ。それに対しての裏路地というならイコール裏道なんだろうか?

 じゃあ、路地裏っていうのは、道の裏ってことか?

「悩める青年よ」

 田宮さんの声に我に返った。

 昔から考え出すと周りが見えなくなってしまう。

「こっちや。考えながら歩くと危ないで」

 いやいや、考えろと言ったのは田宮さんじゃないか……などと、心の中で少し毒づいておいた。

 道を左に曲がると、両側にお寺独特の塀が長く伸びていた。

「ここは建仁寺や」田宮さんが右側を指した。

「はあ、どんなお寺なんですか?」

「京都五山のひとつで第3位のお寺よ」と藤崎さん。

「きょうとござん?」

「いいわ、説明してあげましょう。お寺にはよくナニナニザンって書いてあるでしょう」

「そういえば…総本山とかそういう奴ですか?」

「簡単に言えばそういうことね。ただし、京都五山というのは全て臨済宗のお寺なのよ」

「りんざいしゅう……」

 どこかで習ったような気もするが、宗教には興味がない。

 藤崎さんはそんなことを気にもしていないようで、話を続けてくれた。

「臨済宗の中に格があるの。順番に別格の南禅寺、第1位の天龍寺、第2位の相国寺、第3位の建仁寺、第4位の東福寺、第5位の万寿寺となっているわ」

「6個ありますね」とツッコんでみた。

「別格といったでしょう?順位をつけられない最も高い格なのよ」

「はぁ、なるほど」

 ふと気がついた。

 建仁寺のベージュ色の塀には白いラインが水平に5本入っている。

 左手にある小さなお寺にはそれがない。

「これはなんですか?」

「定規筋や」

 今度は田宮さん。

「じょうぎすじ?」

「格式の高さを表すんや。3、4、5本とあって、数が多いほど格が高い。歴史で習ったやろ、天皇家の人がお寺に入るとかなんとか」

「ああ、そういえば」

 歴史で誰々が出家したとかは良く聞いた。

「そういう人がおった寺にはこうやって線が入るんや。全部が全部、そういうわけでもないけどな」

「ちなみにラインが入ったお寺で門跡寺院とあるのは皇族が出家して入ったお寺のことを言うのよ」 

 ははぁ、なるほどと頷きながら、なんとなく京都という街が不思議に思えてきた。

藤崎さんは右に曲がった。

 今度は左にしか曲がれない道に入り、そこを曲がってほどなくすると十字路に行き着いた。

 右手に石の鳥居があった。

「到着」

 鳥居から続く道を見ると、奥に赤い鳥居が見える。

「神社?ですか」

「そう、ちょっと特殊な…ね」

「特殊……丑三つ参りするとか」と冗談で言うと、藤崎さんと田宮さんは顔を見合わせて笑った。

「惜しいけどちょっとちゃうなぁ」

「行けば分かるわよ」

 先に進むと、左側にラブホテルがあった。

 地理的なことはよくわからないが、神社の側にラブホテルというのは……と思う。

 神社の名前は『安井金比羅宮やすいこんぴらぐう』とある。

 思ったより境内は広い。

「ここはな、縁切り神社や」

「縁切り?」

「そうや。縁を切りたい奴はここに来て、縁切りしたい人間の名前を書くんや」

 神社は願掛けをするところだよなぁ、と思ったが縁切りという願掛けというのはなかなかにシュールな気がする。

 本殿の横に白く巨大なものがある。半円形の形をしていて、白い御札がみっちりと貼られていた。

「なんですかこれ?」

 なんかもう見た目が異様だ。

「縁切り縁結びいしや」

「え、ちょっと待ってください。縁結び?」

「そうよ。ここに来る人は誤解しがちなんだけど、ここは縁結びの神社でもあるの」

「はぁ?」

 よくわからないまま、御札を見るとこれがまた恐ろしい。

 

『あの人とあの●●が別れますように』

『離婚できますように』

『浮気相手と夫が別れますように』

『●●と●●が別れて、私と一緒になれますように』


 切りがないくらいに、人々の欲望が貼り付けてある。

「うわぁ…」ちょっと引いた。

 そもそも他人の縁を切りたいと願うのは正しいことなのか!?

「もはや呪詛の域ね。浦辺君も誰かと縁を切りたいなら、その穴をくぐって御札を貼るといいわよ」

「遠慮しておきます……」

 今のところ、縁切りしたい相手はいない。藤崎さんと田宮さんは変だけど、いい人だし。

「そんなら、俺がやるわ。良縁が欲しいところやからなぁ」

 いそいそと田宮さんが本殿を参って、御札(形代かたしろというらしい)になにやら書き付けると、碑の穴をくぐり、今度は反対からくぐってきた。

 それを見計らったように、藤崎さんは穴の出口で待ち構えると田宮さんの首根っこを掴んで御札を取り上げた。

「あ、なにするんや!」

「ほう、女の子の名前が2つあるなんていい度胸してるわね。1人と縁を切って、もう1人と縁を結びたいなんて」

「か、返してくれませんかね、藤崎様」

 懇願するような田宮さんの顔を見つめた藤崎さんの口の端がいびつに上がった。

「奇遇ね、プラッチック。この2人の名前に見覚えがあるのだけど」

 ひぃぇええ!というよく分からない悲鳴を出した田宮さんは、穴の来た道に蹴り返された。境内にいた人達が何事かと見ていたけど、藤崎さんの剣幕に誰もが目を反らす。

 ついでに俺も。

 田宮さんの御札は半分にちぎられ、碑に貼られた。

 どうやら田宮さんが縁を切りたかった女の子の名前だけのようだ。

 

「ひどい話や。悪縁切って良縁やで…」

「田宮くんの可哀想な被害者の女の子の縁だけ切ってあげたのよ。あ、私もあなたと縁を切ろうかしら?」藤崎さんがドスの利いた声で威圧すると、田宮さんは口を閉じてしまった。


「あの、この神社と研究会の活動って関係が……」

「浦辺君。裏路地の答えは出たかしら?」と、俺の質問は遮られる。

「いえ、あ、表通りに対しての裏道ってことでしょうか?」

「間違ってはいないってところね。裏路地は表通りに対しての道そのもの、路地裏は場所を指すのよ。道と場所の違い」

 藤崎さんはそういって神社の側にあったラブホテルを指した。

「あの、藤崎さん?」

「縁切り神社の側にラブホテルなんてシュールじゃない?」

「いやその……」

 きれいな女性がラブホテルなんて……自分の顔が赤くなるのを感じた。

「あん中ではいろんな意味で繋がっているんや……」

 ばちぃっという激しい音とともに田宮さんが額を抑えてうずくまる。

 藤崎さんはデコピンも強烈なようだ。


「裏路地には哲学があるの。表通りは広くて大きい。真っ直ぐ見れば目的地がハッキリとしている。でもね、裏路地は違うわ。浦辺君、あなたは私達と一緒に来ていくつかの質問をした。もちろん、表通りを歩いても質問をしたでしょうね。でも、表と裏の質問では意味が異なるの」

 よくわからない。

 表と裏で質問の意味が異なる?

「それはあなたの求める哲学として、考えてみてね。スマホを使わずに」そう言って、藤崎さんは俺の手を掴んで、手のひらにスマホを置いた。

 藤崎さんの手はとても温かくて柔らかい。


 裏路地には哲学がある。


 俺はとりあえず、この妙な2人(だと思う)の研究会に付き合ってみることに決めた。

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