第5話 父さんな、死地に飛び込むんだ


 一次通過した参加者たちの前に、ひとりの男が立っていた。


 片手をポケットに突っ込んで、片手で拡声器を持つその男は、堂々としている。まるで何百回の戦いを勝ち抜いた猛者のようだ。


 しかしその頭には、兎のアニマルマスクをかぶっていた。


 黒崎である。これは愛娘、美咲の親友である梨々香ちゃんに面が割れているため急遽、装着したのだ。


『ようこそ、金の亡者諸君』


 居丈高にものを言う。これが参加者に開会の挨拶をする際の、いつもの黒崎のスタイルだ。


「諸君らは目先の金のために己の命を投げ捨てる、この上なく愚かな者たちだ。だがその愚かさこそが今、この社会においてもっとも必要な資質なのだ。さぞかしバカをやって殺し合い、我々を楽しませてほしい。諸君らはその大切なひとつしかない命を見世物として浪費することを選んだのだから――」


 流れるようにスラスラと言葉があふれてくる。当然だ。黒崎はこの道17年のベテランなのだ。


 参加者から浴びせられる罵声や雑言にも、なんら心動くことはない。こいつらはいつも決まって同じことをさえずる。


 自分の命も賭けずに何百万もの大金を手にできると思ってこんなところに来たと言うのか。ハッ、おめでたい頭だ。


 こちらは慈善事業でやっているわけではない。企業なのだから、営利目的に決まっている。その程度のことすらわからず、なんというゴミ虫の集まりか。


 とはいえ、参加者は大事なお客さんであることには変わりない。あまり怒らせ過ぎると運営への不信感が極まって、他会社のデスゲームに参加されてしまう。その加減が大事だ。


「ふふふ、クズはクズでも価値のあるクズとなれるかは、諸君次第だ。見事、この戦いを勝ち抜いて、人々の目を楽しませるクズになっていただきたい。諸君ができることは、そのぐらいしかないのだろう?」


 黒崎は、はっはっは、と笑う。


 伊藤が舞台裏から「さすが部長、最高の煽りです! くー、俺も早くあんな風に参加者どもをクズ呼ばわりしてえ!」といらない声援を送ってくる。


 良い感じに負の情念が集まってきていたところで、黒崎は参加者たちを見回した。アニマルマスクのために視界が悪いが、その端っこに梨々香がぽつんと立っているのは知っていた。


 彼女の様子は、どれどれ……。


 見やれば、梨々香はしょんぼりとしていた。


 ――しまった、言いすぎた!


 黒崎は慌てて取り繕う。


「……といっても、中には恐らく休日の日にお母さんのお手伝いをしたりする、心優しいやつもまざっているのだろう。人は外見では判断できないからな。うむ、さすがに言いすぎた。私が悪かった」


 そう言った途端だ。えっ!? って顔をしてみんなが黒崎を注目する。


 黒崎は努めて優しい声を出した。


「このゲームは確かに殺し合いの要素が含まれているが、とはいえ、諸君は怪我のないように気を付けて遊んでいただきたい。親御さんが心配してしまうからな。この孤島は森だらけだから、木の葉や枝で手足を傷つけないように。眠くなったらちゃんと寝るんだぞ。夜更かしは美容の天敵だからな。もしなにかわからないことがあれば、そのつど運営に聞くように。私はみんなが無事に帰ってくれれば、これほど嬉しいことはない。みんな、命を大切にな。命を大切に、だぞ! 以上だ」


 言うだけ言って壇から降りてゆく黒崎に、伊藤が慌てて駆け寄る。


「そ、そんな部長、いつもはお前たちみたいなゴミの質問には答えないって一蹴しているはずなのに!」

「いや、そういうのはよくないよ、うん。だってなんか雰囲気が冷たいし……、それじゃあ気弱な子とか、試合が始まる前に委縮しちゃうじゃん。なあ?」

「なあとかじゃなくて!」


 わーわー言ってくる伊藤の声を聞き流しつつ見やれば、梨々香は先ほどよりはちょっとだけ明るい顔をしていた。


 よっしゃ、と拳を握る黒崎はあずかり知らぬことだったが、いつもよりやけに優しいデスゲーム運営の姿に、ほとんどの参加者たちは「今回はあの運営ですら易しい声をかけるほどの難易度なのか……!」と震えあがっていた。




 さて、参加者たちは島の各地に配置され、ついにゲームが始まった。


 その様子をチームの面々は事務局にてモニターしていた。


 ついでに、ARモンスターもランダムに配置されるはずだったが。


「あの、部長、これC4エリアにはモンスターがほとんどいないんですけど」


 C4エリアは梨々香の初期配置ポイントだ。黒崎はさもありなんとうなずく。


「そうだな、あそこはいわば緩衝地帯。だが最終的には皆があの場所に集い、戦いが巻き起こるはずだ。いわば最終決戦場。その瞬間を楽しみにしているといい」

「はっ、はい! さすが部長だ……、二手も三手も先を見据えているっ……!」


 チームのメンバーは顔を輝かせてモニターに向き直る。黒崎の思惑などには、微塵も気づいていないようだった。


 モニターには数々の参加者が映し出されている。


 その中でも何人かは今回の『視点』役として、メインで物語をけん引する役目を担う。


 ただ、この視点役は必ずしも善人や平凡な男がやるわけではない。中には殺人鬼が視点役を担い、次々と弱いものたちを殺してゆく姿こそがウケる場合も多々ある。


 今回は後者だった。視点役に抜擢されたのは、一見単なる優男にしか見えないが、その実は過去に二度のデスゲームを完全クリアしている怪物。皆殺しの貴公子、新條しんじょうである。


 彼はピカレスクゲームの特性をうまく理解していた。ARゲームで対戦をしているその間にプレイヤーの背後に回り込み、配置されていたボックスから拾ったナイフで首筋を一刺し。実に鮮やかな殺害手段である。


 新條のARキャラクターは比較的組みやすいと思われる性能を有する、ディフェンス重視のキャラクターである。特殊能力は『絶対防御』。一ターンの間あらゆる攻撃を無効にする。これもまた、戦いを長引かせている間に本人が相手を倒すためのものだろう。大したものだ。


 そんな新條の行動である。彼は参加者やモンスターを殺害しながらも、徐々にC4エリアへと向かっていた。


「なんてこったい!」


 黒崎は思わず頭を抱える。これはまったくの偶然だった。というか、百人近い参加者の行動なんて、黒崎ひとりでコントロールできるはずがないのだ。


 もし新條に見つかれば、梨々香はどうなってしまうのか。不安で心が張り裂けそうだ。


 そうだ、梨々香は今なにをしているんだ。映像を切り替える。


『こ、これさえあれば、うん、怖いものなんてないですよね……』


 長い黒髪の大人しそうな美少女である梨々香は、山荘の中にいた。


 バカデカいアイテムボックスに詰め込まれていた銃器の中から、子どもでも扱えるような小さくて軽いモデルガンを手にしている。


 よりにもよって、なぜそれを! 明らかにショットガンとかアサルトライフルとか入っているのに! 


 黒崎は思わずマイクを引っ掴んで叫びたい気持ちを自重した。


『なんだか金属じゃないみたいに軽いですし、えへへ、ひょっとして私って案外こういうの向いているのかなあ』


 それはただのプラスチックだよ梨々香ちゃん!


 だめだ、これでは新條をどうにかすることなんてできない。あの男ならモデルガンと本物の区別は一目でわかるだろう。


 黒崎の脳裏に、梨々香ちゃんの葬式に出席する美咲の姿が思い浮かぶ。棺桶にすがりついて泣く美咲だ。美咲はきっとこう言うだろう、『梨々香ちゃんはどうして死んじゃったの?』と。


 それに対して黒崎はこう答えるのだ。『それはね、梨々香ちゃんがパパの運営するデスゲームに出場したからだよ。今回は残念だったね、ははは』と。うん。


 もう一生美咲は口を利いてくれないだろう。あるいは復讐のために包丁を握り締めて襲い掛かってくるかもしれない。家庭崩壊だ。つらい。死ぬ。つらい。死ぬ。


 なにか手はないか。梨々香が襲われる前に、自分ができることは。なにか!


 黒崎は思考に耽る。彼は業界で伝説と呼ばれる男だ。今まで数々の難題をクリアしてこの位置にまで上り詰めたのだ。


 そんな彼だからこそ、気づく。一発逆転の奇策を。山荘を金城鉄壁と化すための秘策を!


 黒崎の目がギュィィィンと輝いた。


「……」


 黒崎はその場にあったサングラスを引っ掴んだ。


 さらに黒革の手袋をぎゅっぎゅとはめながら、彼は告げる。


「山羊山くん、ここは任せてもいいかね」

「構いませんが、部長はどちらへ」


 黒崎は振り向かずに歩き出す。


「少し、野暮用でな」


 その背中に山羊山は静かに一礼をした。


「どうぞ、お気をつけて」





 ふたりは夜の山荘の前にて、向かい合っていた。その距離、十メートルといったところだろう。


 新條は拳銃モデルガンを突きつけられながらも、ニヤついた笑みを浮かべていた。


「だから、ほら見てくれよ、僕のARキャラクター。な? 防御タイプなんだよ、僕。このままじゃモンスターに襲われても、逃げるだけで立ち向かえないんだ」


 それは事実であった。新條はそう言いわけするために、自分のキャラクターをカスタマイズしているのだから。


「……」


 梨々香はこわばった顔で彼を見つめている。


 新條は黒いシャツを着ていて、梨々香は中学校の制服だ。デスゲームに参加する際には制服が望ましいとなぜか書いてあったからだ。(そのほうが見物している人が喜ぶからである)


「なあ、だからさ、生き残るために組もうって言っているんだよ。僕は防御タイプで、キミは攻撃タイプだ。ほら、ちょうどいいだろ?」

「……ど、どうして私なんですか?」

「キミみたいな女の子をひとりにしていたら、すぐ死んじゃうだろ。だからせっかく捜し回っていたんだぜ。ほら、そんな物騒なものを下ろしてさ。仲良くやろうよ」


 梨々香は迷っていた。いったいどうすればいいのかわからない。


 このときのために本屋さんで買って熟読しておいたデスゲームのマニュアル本には、親切そうに近寄ってくる異性は確実に殺せ、と書いてあった。


 ただその後に、まれにすごいお人好しの主人公っぽいやつがいて、彼らの仲間になれたらラッキー、クリアは間違いなしです! とも書いてあった。


 今の彼はどっちなのか。もう梨々香の頭はパンクしそうだ。


 だって今まで人生で一度もデスゲームなんてやったことなかったから!


「な、ほら。僕の名前は新條しんじょうともって言うんだよ。ほら、これで僕たちはもう知り合い同士だろ?」

「わ、私は……、青山、梨々香です……」

「お、やった、梨々香ちゃんか。仲良くやろうよ、な?」


 新條は不用意に一歩を踏み出してきた。


 梨々香にとって自己紹介した相手を撃つなど、もはや考えられない事態だった。


 もはや近づいてくる男が善人であることを祈るより他ない。梨々香はゆっくりと銃を下ろしてゆき……。


 これだから女子中学生なんてチョロいもんだよな、と舌なめずりをしながら近寄ってくる殺人鬼の手にかかってしまうかと思えた、その時である!


「そこで止まれ」


 闇の中から鋭い声がした。思わず新條は弾かれたようにそちらを見る。


 それは殺人鬼としての本能であった。警戒せざるをえないほどの力をもつ相手が近づいてきている。


「――だ、誰だ!」


 新條は腰だめに構えてスマホを取り出す。ARキャラクターで足止めだ。


 だが、目を剥く。暗闇の中から現れたスーツの男が所持しているキャラクターはとてつもなく強大で、防御に全振りした新條のキャラクターですら一撃で粉砕されてしまうほどの攻撃力を有していた。


 黒服の男と、その後ろに立つ巨大な怪物の組み合わせに、新條の目がくらむ。


「バカな……、僕はしっかりと下調べしたんだ……。こんなやつが事前にいたら、すぐにでもわかったはず……」


 新條のこめかみから流れる汗がとまらない。


「なんなんだお前は! この僕になんの用だ!」

「私はお前のような小物に用などない」


 男は暗視ゴーグル機能のついているサングラスをくいと持ち上げ、狩人を狩る化け物のような口調で告げた。


「だがそこにいる娘に手を出そうとしているのならば、私はどんな手段をもってでも、お前を叩き潰すだろう」


 そう言い放つ男から、新條は後ずさりをした。なんだかわからないが、こいつはやばい。早くここから逃げたほうがいい。格が違う。


 だがその一方で、梨々香は主人公が現れたかのような憧れのまなざしで、男――黒崎を見つめていたのであった。







「あの、山羊山さん」

「なんですか、伊藤くん」

「俺、今回ばかりは黒崎部長の考えがよくわからないんですけど」

「……大丈夫ですよ、わたしもわかりませんから」

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