第4幕 それを買ってきたのは




「お前らの力じゃ、荒御魂を散らせないのか?」


 道中、俺はスイに問いかけた。


「できるよ。でも、ちからをいっぱい使うから、みなとがぐちゃぐちゃになっちゃうと思うの」

「ぐ、ぐちゃぐちゃって……」


 意味を考えてぞっとした。



 *****



 まもなく、次の手掛かりが隠されている屋敷へ到着した。

 深紅の目玉が追ってくる気配はない。唸り声も聞こえなかった。どうやら二人がうまく攪乱してくれているらしい。

 花の咲き誇る庭園を取り、屋敷の中へ。

 シンバルを持った猿のぬいぐるみに、胡蝶蘭の鉢植え。ガラスの花瓶には檸檬色の水仙。

 先程の屋敷と同じで、特別様子に変化はない。

 靴箱にはもう関わりたくないので、そそくさと廊下へ進んだ。


「みなとみなと。さっきの手掛かりのところ、もう一度見てみよう?」

「みよう?」

「そうだな」


 服の裾を握ってついてくるスイとイツキに促され、歩を進める。リビングを抜けて入った仏間兼茶室も様子に変わりはない。茶道具は整然と片付けられており、仏壇もいつも通り。異常は見受けられない。


「みなと。ここ、開けて!」

「セーターのところ!」

「ああ」


 また大量のNINATOが? などと考えて襖を引――


「ん? あれ?」


 引けない。


「え? なんでだ?」


 前回は抵抗なく開いたのに。開かない。

 どんなに力を込めてもびくともしなかった。


「イツキ、やっぱり無くなっちゃったね」

「うん。見つかっちゃったもんね」

「見つかったら無くなるのか?」


 襖との格闘に敗北し、二人に尋ねる。


「一度見たら思い出は消えちゃうんだよ」

「だから一回見て無くなったらそれは当たりの手掛かりなの」

「へぇ。だったらこっちは」


 一度目の探索で開かなかった、かくれんぼの襖に手をかけて引いた。


「く、っそ、あー、駄目だ」


 こちらも開いてくれない。


「あのね、おきぬちゃんみたいに言うとね、じきしょーしょー、だよ」

「そーそー。じきしょーしょー、だね。みなとには!」

「言いたいことも意味も伝わるけど微妙に間違ってるからな」


 無垢な笑顔に野暮な突込みと訂正は控えておく。まだ探すべき箇所が残っているのに、無駄に時間を浪費したくない。


「次は冷蔵庫行くぞ」

「はぁーい」

「いくー!」


 纏わりつく二人と共に台所へ行き、冷蔵庫と対峙する。

 台所も変わりはなく、それがかえって不気味だった。何一つとっても同じ。荒御魂が作り上げた空間にはおきぬさんの屋敷しかない。その内部も恐らく全て同じ作りになっている。どう考えても異常だろう。


「何も入ってなかったらここも正解って事なんだよな」

「うん」

「そだよー」


 しかしその前に開けられるだろうか。少し力を込めて、冷蔵室のドアを手前に引っ張る。


「あれ、開いた」


 当たり前のように開いた。だが。


「ない……?」


 あれだけぎちぎちに詰め込まれていた卵もバターも忽然と姿を消していた。代わりに長方形の組箱が、ぽつんと置かれている。


「あぁー! 彩花堂さいかどうのだ!」

「お正月のおかし!」


 おきぬさんの大好きだった老舗和菓子屋の箱が、たったひとつ。

 彩花堂銘菓、葩餅はなびらもち

 正月の前後にのみ販売される、限定商品の和菓子だ。新年の挨拶に行くと、必ずお茶と一緒に出される馴染みの味だった。

 おきぬさんはいつも、私の友達が湊斗ちゃんのために買ってきてくださったのよ。なんて冗談を言って食べさせてくれた。

 一度もその友達が姿を現したことはない。おきぬさんのちょっと洒落たジョークだと、俺も家族も皆思っている。自分が買ってきたのを茶化して言っているのだ。多趣味で寄席も好きだったおきぬさんらしい。


 箱を手に取ると、ずっしり重みがあった。

 きらきらとした黒猫達の目に、俺は蓋を取る。


「ふあぁ……」

「おいしそう……」


 円形に形成した求肥で、桃色のお餅と細く切った牛蒡、味噌餡を包んだ冬の味が五つ、収まっていた。

 二つ織りの求肥から薄っすらと桃色が透け、耽美な色彩を醸し出す。子供の頃は挟まれた棒状の牛蒡を、変だ変だと馬鹿にしてよく笑った。


「やっぱり、あの日に?」


 綴りの間違ったセーターを着たあの日、俺は薄茶と葩餅をご馳走になった。

 あの冬の日に関係のある妖が、荒御魂に変化してしまったのか。それなら茶道具にも手掛かりが紛れ込んでいるのではないだろうか。

 僅かだが、糸口が見えた気がする。もう少しだ。


「茶室に戻ろう」

「はーい」

「もどろー」


 冷蔵庫を閉め、再び茶室へ戻る。

 釜に、水差しに、小型の茶棚。おきぬさんの生前と何ら変わりない状態で保たれたここも、もしかしたら。

 畳に直置きされたものに、変化はない。ならばと俺は茶棚を疑った。

 漆塗りの黒々とした棚には、一部の茶器とおきぬさんお気に入りの茶碗がしまわれている筈だ。代々、家に伝わる家宝の茶碗や、展覧会に赴いて買い付けた煌びやかななつめなど。蒐集の鬼である、おきぬさんが惚れ込んだ品ばかりだった記憶がある。


「イツキとスイもね、おきぬちゃんといっぱいいっぱいお抹茶のんだんだよ」

「お菓子もいっぱい食べたの」

「みなともそうでしょ?」

「屋敷に来たらまず抹茶と和菓子、だったからなぁ。どうせお前らも近くにいたんだろ?」

「うん」

「スイね、みなとのお菓子食べて怒られたことあるよ。みなと泣かせちゃ、めっ! って」

「悪行の限りを尽くしてるな……」


 この手の話は聞かされると、どっと疲れる。気が抜けそうになっていけないからあまりしないでもらいたい。二人の事だ。未来永劫やめないだろうが。

 茶棚に手を伸ばし、観音開きの戸を開ける。

 変わった点は……。


「ん?」


 金の装飾の施された棗がまず一番に目に飛び込んでくる。 鮮やかな色の袱紗ふくさやお気に入りの茶碗もしっかり並んでいた。記憶と照らし合わせても相違点は無いように思う。

 しかし何かが引っ掛かる。


「みなと?」

「きになる?」


 ここは、今日遺品整理中に見ていた。骨董品や着物は、譲るか売るかしてしまおう。残しても誰も使わないし、興味のない親族が持ち帰っても宝の持ち腐れになるだけだ。正しい知識と嗜好を持つ人の手に渡る方が、着物も茶骨董品も幸せだろうから。と、母さんと話しながら仕分けしていたのだ。茶道具も例外ではない。

 深緑の茶碗も、棗も一式出せばきっと誰かが買ってくれる。もしかしたら軽自動車一台分くらいの金額になるかも。などと邪な会話が繰り広げられていた。


「気のせい、か?」


 分からないが、引っ掛かる。

 おきぬさんが大事にしていた茶碗はこんなに暗くくすんだ緑だっただろうか。赤い斑点がこんなに散っていただろうか。まるで血を流しているようなおどろおどろしい模様だっただろうか。


「うーん……」


 これだけでは辿り着けない。


「ミシン部屋も探してみるか」

「みよう!」

「イツキも!」

「おきぬちゃんね、ミシンでみなとのお洋服たくさん縫ったんだよ」

「いっぱいもらったな、そういや」

「編み物もいっぱい!」

「知ってる知ってる」


 廊下を玄関側に進み突き当りに、ミシンなど裁縫道具だらけの部屋がある。茶室では、手掛かりらしき違和感はあったがピースが足りない。まだそれらを集めなければ絶望を突き止められない。

 また三人団子になって、ミシン部屋へ向かう。

 黒猫達は、ととと、と軽妙な足取りで廊下を駆け、先にミシン部屋へ入っていった。俺も続こうと半開きの襖に手を伸ばす。

 その時、気が付いた。

 梨地硝子の玄関ドアに浮かぶ、二つの人影に。


 反射的に身体が動く。二人が化け物をまいたんだ!

 希望を抱き、俺はスニーカーを引っ掛け、玄関を、開けた。


「――え?」


 朱音はいなかった。ユメも、いなかった。

 戸の前に佇んでいたのは、流動を繰り返す闇と、一対の深紅。


「ひっ、た、たすけ――」



 闇色は瞬く間に数多の腕を伸ばし、俺を飲み込んだ。



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