第2幕1章 遺された思い出




「久しぶり!」

「いつぶり?」

「お葬式ぶり?」

「背、伸びた?」

「髪型変わった?」

「ちょっと太った?」

「ねえ!」

「ねえ!」

「ねえねえ!」

「ねえねえみなとー!」


 どちらが喋っているのか分からない質問攻め。

 きらきらした無垢な瞳に困惑する。


「あー……俺の上から降りて、せめて肌着だけは着て、状況を説明してくれたら答えるわ」


 若干情けなかった口調に、二人は首を傾げる。


「説明?」

「みなとに?」

「どうして?」

「知らないの?」


 ああ、知らないさ。と言いかけると、二人の首から下がバスタオルで包まれた。背後から朱音とユメが掛けたのだ。何処から持ってきたのか。恐らく浴室のラックからだろう。


「殿方の前でその格好はみっともありませんよ」

「あっちでお洋服着ようねー」


 優しく諭された二人だが「えぇー! もっとみなととお話したいのに!」とむくれる。しかし肩を掴まれて、強制的に襖で遮られた別の部屋へと消えていった。


「何なんだよ……」


 呟いてから、やっと身体を起こせた。打った頭を撫でていると朱音がぴしゃりと襖を閉める。これで四人の姿は俺の視界から完全に消えた。


「パンツはねー、下から二段目!」


 あちら側から楽しそうな声が聞こえる。どっちの黒猫か知らないが俺の聞こえる範囲でパンツって言うなよ。一応俺は男だぞ。でもまぁ、あの年ならまだ恥じらいもないの、か?

 いや、あんな子供のパンツに心を動かされはしないけどさ。


 さて。


 四人のキャッキャを聞きながら、俺は室内を見渡す。

 大画面の薄型テレビの周りには硝子細工の猫。テラスへ続くガラス戸の頭上にはエアコン。戸棚には様々な猫の人形や置物が所狭しと並ぶ。中央のテーブルには、新聞と園芸雑誌に虫眼鏡、リモコン二つと老眼鏡。

 昔からずっと変わらない見慣れた物ばかりだ。

 テーブルに近寄り新聞紙を見ると、日付は今日、八月十四日。

 仏壇には馬と牛を模したきゅうりと茄子が並び、白玉団子が食べられる。そんな日だ。

 手掛かりがあると朱音は言っていたが、変わったところは見当たらない。毎年おきぬさんと墓参りしていた日々と何ら変化は無かった。


 だが、違和感だけは感じる。

 エアコンがついていないのに暑くもないし、逆に寒くもない。気温が感じられないのに、漂う空気は重苦しく淀んでいる。

 照明もついていないが、暗くはなかった。明るくもないのだが、自分や家具が発光しているような不思議な明かりが室内に充満している。

 更に本日、遺品の整理に屋敷へ来た時には、室内はある程度片付けられていた。新聞紙も園芸雑誌も老眼鏡も、無かった筈なのだ。

 俺の記憶が間違っていなければ、主人を亡くした屋敷はがらりとして物悲しい状態だった。


 現実から乖離した空間。

 あの化け物が創り上げたから、なのだろう。

 手掛かりを見つけて、俺を飲み込んだ理由とやらを探らなければここから出られない。

 理由など皆目見当もつかないし、荒御霊といきなり言われても受け入れ難かった。あまりにも突拍子もない経験の連続に疲労は蓄積されつつある。だからと言って信じてやるものか! と突っ撥ねられる状態でもない。目の前で起こった現象の数々が、夢にしては生々しすぎたからだ。


「みなとー!」

「みっなとー!」


 ぐだぐだ考えていると、ぴしゃっと襖が開いた。

 すぐさま黒い耳を立てた二人組が勢いよく飛び出し、俺に襲い掛かる。二人とも大人用のTシャツをワンピースのように身につけていた。


「よしよし、どーどー」


 名前も知らない、初対面の妖にえらく懐かれているみたいだ。



 *****



 抱き着き攻撃を思う存分楽しんでから、二人は正座をして横一列に並ぶ。これからやっと色々と話してもらえるらしい。

 朱音達は屋敷内の探索に行くと言い残して姿を消した。時折聞こえてくる物音が無事である証拠だ。


「スイとイツキはねー、おきぬちゃんのお友達なの!」

「うん、友達なの! あのねー、おきぬちゃんがまだ、じょがくせーだった時に初めましてしたの!」

「でねでね、おきぬちゃんと一緒にずっとずーっとミコトのお仕事をしてたの! じょがっこーを卒業して、だんなさんと結婚してからもずっとずーっと一緒でね、子供がいっぱいになっても一緒!」

「みなとが産まれるずっとずーっと前から一緒なの!」


 大袈裟な身振り手振りで語られる馴れ初め。

 若い頃は知らないが、おきぬさんは晩年までしっかりした淑女だった。背中も曲がっていなかったし、記憶力も会話も問題なかった。ただ、梅の花が花開いた頃、九十九歳の誕生日を迎えてすぐに体調を崩した。入院後一時的に回復したが、老いには勝てず。夏の初めに、安らかに息を引き取ったのだ。


「ほう、じゃあ二人の方が俺よりずっと長生きなんだな」

「そうなの!」

「そうなのそうなの!」


 妖の年齢は見た目では計れない、と。


「で、どっちがスイでどっちがイツキなんだ?」


 彼女らに違いがあるとすれば、左右のこめかみ辺りに飾られたリボンくらいだ。どっちがどっちなのか、教えられないまま話が進行するのは避けたい。こっちが混乱する。


「えーっとね、縹色はなだいろのおリボンがスイで」

「若草色のおリボンがイツキだよ!」


 各々リボンを手で揺らし、名を名乗ってくれた。

 容貌も髪型も髪色も声音も一緒。リボンのみが判別基準らしい。よくよく見れば、色以外にデザインも僅かに違う。とてもハイカラで大正浪漫漂うリボンだ。


「じゃあよろしくな。スイ、イツキ」

「うん!」


 二股の尻尾を揺らしながら同時にぱっと笑い、頷いた。首が取れそうだ。


「スイねー、みなととお話できてうれしい! ずっとずーっと、話しかけても知らんぷりだったんだもん!」

「イツキもうれしいよ! だってね、イツキたちね、みなとがちーっちゃい時から知ってるから! これくらい、小さいときからだよ!」


 これくらい、と人差し指と親指で大きさを表す。精々二センチほどの隙間に「いや、小さすぎるだろ」と突っ込むが華麗に笑顔のみで返されてしまった。


「ねえねえ、みなと! みなと覚えてる? スイとイツキねぇ、一緒にお風呂も入ったんだよ!」

「へ? そうなのか?」


 尋ねると今度は若草色のイツキが喋り出す。


「うん! イツキね、お背中流してあげたの! 覚えてる?」

「お背中……あぁっ!」


 思い出した。小学生時代、ここに泊まりに来ていた夜の出来事を。あの日、お風呂に入っている間不審な物音がしたり急にシャワーから冷水が出たりしたのだ。


「お前らか……」

「うん!」

「気持ち良かったでしょ? イツキはいい子だからね!」

「ああ、本当にな……」


 こっちは死ぬほどビビったんだよ、とは言えない雰囲気にため息が漏れる。完全なる善意を否定したくない。

 昔から怪奇現象は日常茶飯事だったが、どうやらこの子達が一端を担っていたらしい。

 深夜に響く足音やポルターガイストも多分、悪戯好きの黒猫の仕業だ。長年の疑問が、ここでやっと腑に落ちる。


「それで、二人も荒御霊に飲み込まれたのか?」

「ううん。みなとがごっくんされたからついてきたの」

「スイもスイも!」

「でもね、妖力が足りてなかったからこっちの形になれなくてね」

「だからね、ずっと本当の形でみなとのそばにいたの」

「でねでね、ちゅーちゅーしたからふっかーつ! したの!」

「ふっかーつ!!」

「成る程。指を吸った意味はそれか」


 俺には妖力とやらがあるのか。おきぬさんの血のお蔭、かな。一切の実感は無いが。


「スイがみなとを護るからね!」

「イツキも護るからね! だから、一緒に帰ろう?」

「だな」


 こんな小さな子に護られるのは些か情けない。だが今この空間で最も力を振るえるのは妖であろう。ただの人間では敵わない力に、こちらは縋るしかない。


「湊斗。ちょっと来て」


 二人の頭を撫でていると、襖越しに朱音の声が飛んできた。

 隣の茶室から物音がすると思っていたが、案の定である。嫌々返事をしつつ、俺達はそちらに移動した。先程スイとイツキが着替えた部屋でもあり、仏間兼茶室の六畳間だ。


 おきぬさんは薄茶を点てて嗜むのが趣味だった。屋敷では、お茶菓子つきのお茶会が頻繁に開かれていた。俺も物心ついた頃から一緒に味わっていたため、すっかり苦味に慣れている。点て方もちゃんと教えてもらった。紫垣むらがき湊斗は今時珍しい、お茶の点てられる男子高校生でもあるのだ。

 付け加えて言うと、着物の着付けも出来たりする。


「はいはい、何の御用ですか」


 二人を連れて中へ進む。が、ここも何ら変わりはない。仏壇と、嫁入り道具の桐箪笥があり、床の間には掛軸が飾られている。茶道具一式は整然と片付けられた状態で部屋にあり、やはり違和感は感じない。


「ここ、開かない?」

「ここ?」


 朱音が指したのは、押し入れの戸だった。

 確か茶道具や骨董品が収められていた場所で、まさに今日整理していた。普段は抵抗なく開き、かくれんぼの際には大活躍した隠れ家だ。しかし、手をかけて横に滑らせようとしても全く動いてくれない。


「あれ? 開かない……」

「おしい。次はこっち。こっちも私じゃ開かないの」

「よし」


 化け物が出て来ない事を祈りつつ、戸を引く。すると今度は抵抗なく引き戸は開いた。

 開いたのだが。


「うわっ!」

「ひゃぁっ!」

「スイもひゃぁー!」

「イツキひゃぁー!」


 開けた途端、大量の衣服が雪崩れ落ちてきた。

 驚きと雪崩の威力で俺は尻餅をつく。距離の近かった朱音も目が真ん丸だ。

 走り回る黒猫に関しては完全に悪ふざけである。


「んだよ……びっくりしたぁ……」


 埋もれながら数枚広げてみる。


「あ……これ、おきぬさんが編んでくれたセーターだ」


 おかしな事にどれも同じ柄の子供用セーターだった。リボンをつけた黒猫の頭上に『NINATO』と入った手編みのセーターが、何百枚も詰め込まれていたのだ。

 散々笑われたから忘れていない。

 五歳の冬に貰ったプレゼントだ。


 おきぬさんの屋敷へは、我が家から車で三十分ほど。なので休日には頻繁に行き来していた。毎回必ずプレゼントやご馳走が用意されており、心が躍ったものだ。

 初雪の日に渡されたそれも、最初は自慢してやろうと意気揚々だった。母さんが名前のミスに気がつくまでは。

 料理も裁縫も園芸も得意なおきぬさんだが、アルファベットには疎かった。


「第一の手掛かりね」

「これが?」


 セーター如きが手掛かりになるのだろうか。


「ええ、間違いなくね。これを着ていた時の出来事で、普段と違った事は?」

「些細な事でも思い出してください」


 朱音とユメに畳み掛けられるように問われる。

 あのセーターを着用したのは、おきぬさんと会う日くらいだ。恥ずかしくてあまり着なかったから着用期間はかなり限られる。


「あー……確か、正月の挨拶に行くからって無理矢理着せられたんだよなぁ」

「その日に特別な出来事は?」

「いやぁ? 特に大きな事件や異変はなかったと思う。挨拶して、お抹茶を飲んで、おせちとオムレツを食べて……」

「おきぬちゃんのオムレツ! イツキも好きだよ!」

「スイもスイも! おきぬちゃんのオムレツね、とぉーっても美味しいの!」


 唐突な割り込みに、ユメが静かに苦笑した。


「朱音様もお好きでしたよね」

「え、ええ。まあ、そうね」


 おきぬさん特製のバターたっぷりオムレツ。ふわふわとろとろの半熟で屋敷だけで味わえる限定品のご馳走だ。ケチャップなんかつけなくてもバターの香りだけで幾らでも食べられた。

 白い割烹着にしゃんと伸びた背中が記憶に刻まれている。鼻歌を歌いながらフライパンを振る姿はどこか優雅で貴族的だった。

 俺や、ずっと一緒だった黒猫が知っているのは頷ける。だが……。


「どうして朱音が食べてるんだよ」

「悪い?」

「いや、悪いとか良いとかそういうのじゃなくて」

「私、おきぬさんの愛弟子だもの。別に食べていたっておかしくないでしょ」

「愛弟子!?」


 無い胸を張ってふんぞり返る朱音。

 だからこの二人はおきぬさんを知っていたのか。


「そうよ。三年前にミコトの才能を見出されて弟子入りしたの。あんたみたいなぼんくらと違って優秀な弟子だったんだから」

「ぼんくらってお前……」

「おきぬ様は心優しい嫋やかな方でした。私達にもよくお料理を振る舞ってくださったんですよ」

「そうですか……はぁ」


 ぼんくらに対してユメからも否定が入らなかったのが若干痛い。徐々に感情が煮え上がりつつあった。


「あぁっ、冷蔵庫! ユメ、台所にあったわよね」

「はい。普段通りの場所に」


 急にひらめいた朱音は台所へと向かう。セーターをかまっている黒猫を残して、俺はその後ろをついていった。一度リビングへ戻り、仏間と対角線上にあるガラス障子を引けば台所だ。


「試してみなきゃね」


 台所も、お絹さんの生前の状態のまま保たれていた。

 六人掛けの大きなテーブルの上には八朔はっさくと調味料が。窓に面して設置されている、最新式のシンクとコンロはピカピカに磨かれている。食器棚の先には、電子レンジや炊飯器と並んで緑色の冷蔵庫が鎮座していた。


「湊斗、開けてみて」

「ああ」


 頷いて、取っ手に手を掛ける。

 猫のマグネットがついたドアは、抵抗無く手前に口を開けた。


「……えげつない量だな」


 中に入っていたのは、大量の卵とバターだった。他の食材は一切入っていない。何処を見ても、卵とバターだけ。現実では勿論、こんな事はなかった。


「これも恐らく手掛かりでしょうね」

「はい。間違いなく」

「手掛かりって言われても、来る度に食べてたしなぁ」


 頭を掻く俺に朱音が目を剥く。


「あーもー! まどろっこしい! 思い出しなさいよこの役立たず! 時間の浪費も甚だしいわ!」

「なっ!」


 喚かれた台詞で、流石に堪忍袋の緒が切れた。


「俺だってこんなとこ、さっさと出たいに決まってるだろ! でもな! ここに引き摺り込まれるまで妖とやらの姿も見た事なかったし、話した事もないんだよ! 恨まれるような行いだってした記憶もない! 人違いじゃないのか!?」

「はぁァ!? そんなワケないじゃない! あんたが絶望させたの! 間違いなく確実にあんたが! あんたしか原因を知らないんだから、こっちだってあんたに頼らざるを得ないのよ!」


 耳元で黒板を引っ掻いたような耳障りな声だった。

 更に煮え上がり反論しようとしたところへ「朱音様も湊斗様も落ち着いてください!」とユメが仲裁に入る。


「仲間内で争っても何一つ解決しません! ここから脱出するためには全員が力を合わせなければならないんです。あの方荒御魂を鎮めるためにも、私達が無事生き延びて帰るためにも」


 諭された言葉があまりにも正論過ぎてぐうの音も出ない。

 結局、睨んでいた朱音がそっぽを向いて言い争いは終息した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る