4.とうこさんと僕のお付き合いの記録、ただしとうこさんのいじわるを含む

とうこさんと僕のお付き合いの記録、ただしとうこさんのいじわるを含む 1

 次の日も、僕はとうこさんの部屋の前へ足を運んでいた。

 日曜のお昼前、とうこさんの部屋は相変わらずだった。

 僕は小さく溜息をつく。昨晩、時間をかけて整理したので、気持ちがかき乱れるようなことはなかった。

 それでも胸は苦しくて、僕はドアを見つめて、目を細める――

 そのとき、背後からカートを転がすような音がきこえた。


「どうしたんですか? そんなところで」


 透き通った、高い声。

 僕は、声のするほうを向く。


「ああ……!」


 僕の口から震えた声が漏れた。

 とうこさんが、そこに立っていた。

 白いコートに、グレーのマフラーを巻いて。

 旅行用のカートを持ってる。

 穏やかな笑顔で、僕のほうを見ていた。

 考えるよりさきに身体が動き、僕はとうこさんを抱きしめていた。

 僕の両手に、コートごしでもとうこさんの身体の柔らかさが伝わってくる。

 シャンプーの香りが鼻に飛び込んでくる。

 とうこさんを構成するすべてを、感覚神経を研ぎ澄ませて実感した。


「っ! ど、どうしたんですか!?」

「よかっだ!」僕の声は感極まるあまり、汚く濁った。「よがった、無事で……」

「えっ、ええっ!?」


 とうこさんは戸惑いの声を挙げる。

 僕は決壊してしまったダムみたいに、ただとめどなく感情を漏らしていた。


「うっ、あっ、いなぐなっだかと、思って……」


 僕はみっともなくうめいていた。

 とうこさんはぐしゃぐしゃの顔を見て困ったように微笑むと、僕の背中をやさしくぽんぽんとたたいた。


「大丈夫ですよ、いなくなったりなんてしません」


 ぎゅっと一度僕をだきしめて、とうこさんはゆっくり僕から体を離す。

 僕もようやく落ち着きを取り戻した。

 改めてとうこさんの姿を確認する。

 出会った頃から、セミロングくらいまでのびた綺麗な髪。

 穏やかそうな目。

 少年のような細い手足と、女性とわかるくらいにやわらかな曲線を持った身体。


「帰省していたんです。急に、法事に出なくてはならなくなって」

「そっか……」僕は脱力した。「うん、仕方ない」


 安心した僕とは対照的に、とうこさんは少し申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい、こんなに心配させてしまうなんて……」

「いや、いいんだ、早とちりだったんだから」

「ううん」とうこさんは首を振った。「ちょっと、いじわるをしました。あの日、写真展を見て、写真を残したいと思うこともあると聞いて、ちょっとだけ、嫌な気持ちになりました。きっと、体調が悪かったから、考えもネガティブになって……でも、それは言いわけですね。自分で尋ねたんだから、嫌な気持ちになんてなっちゃだめでした」


 とうこさんはカートを引いて、僕の横を通って、自分の部屋のドアの前へと歩く。


「ちょうど実家から呼ばれたのをいいことに、連絡もしないで家を離れて、電話が来ていたのにも気づいたけど、返さずにいて……へそを曲げてたんです、私。子供みたいに。ごめんなさい」


 とうこさんはぺこりと頭を下げた。それから、部屋のドアを開けて、中へと入る。ブレーカーを上げると「どうぞ」と僕を招いた。

 僕はとうこさんに続いて、部屋へと入り、ドアを閉めた。

 とうこさんは靴を脱いで、僕のほうを向く。


「体調が良くなってから、急に怖くなりました。ひどいことしちゃったって。今更電話で済むような気もしなくて、帰ったらちゃんと顔を見て謝ろうって。それからはずっと、会うことばかり考えてました。今日も、いてもたってもいられなくて、早起きして早い便で帰ってきたんです」


 そう言って、とうこさんははずかしそうに笑うと、僕の胸におでこをつけた。


「だから、こんなにすぐ会えるなんて驚いちゃって。……うれしくて」


 とうこさんはほうっと息をつく。それから、僕の胸から離れて二歩さがって、ちょっと手を横に広げて、僕に笑いかける。


「ね……私の写真、撮ってみてください」

「え……」

「お願いします」


 戸惑う僕をよそに、とうこさんは穏やかに微笑んでいる。

 僕はポケットから携帯電話を取りだして、カメラを起動した。

 画面の中には、とうこさんが映っている。

 記録に残れないことがコンプレックスのとうこさんがなぜ写真を願ったのかが僕にはわからなくて、シャッターボタンを押す手前で躊躇した。

 ひょっとして、急に写真に写るようになったのだろうか?

 僕の心臓がどきんとひとつ跳ねて、僕はおそるおそる、画面の中のとうこさんを見ながらシャッターボタンを押した。

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