僕ととうこさんお付き合いの記録、ただし僕の油断を含む 4
くすぶっていた焦りは、どんどん大きくなり、やがて僕の心のなかで大火事になる。
とうこさんと連絡が取れなくなった。
体調不良のままアルバイトに行くとうこさんと別れたあと、なんとなく不安になって電話をかけ、留守番電話にメッセージを残したのがその日の夕方。
翌朝になってもとうこさんからの着信はなく、僕はアルバイトに行く前にとうこさんの部屋を訪れた。
とうこさんの部屋は電気がついていなかった。まだ寝ているのかと思い、ベルを鳴らすけれど、返事がない。
あれこれ迷っているあいだにアルバイトの時間が迫っていたので、僕は焦りを抱えたままアルバイト先へと自転車を走らせた。
途中、もういちど電話をかけてみたけれど、やはりとうこさんの応答はなかった。
アルバイトは散々だった。
とうこさんのことばかりを考えて注意力は散漫になり、ミスを重ねる。
ちゃんと休めとバイト仲間から注意され、アルバイト代をもらうのが申し訳なくなるような一日が終わると、僕は闇夜の中、再び自転車をとうこさんの家へと走らせた。
日はずいぶん短くなり、とうこさんの部屋の前についた夜の六時ころにはあたりは真っ暗になっていた。
とうこさんの部屋は朝と変わらず暗いままだ。
僕は祈るような気持ちでとうこさんの部屋のベルを鳴らし、ノックする。応答はない。
ドアノブをひねってみる。鍵がかかっていた。
ドアの前に立ち尽くす。
「……とうこさん……」
つぶやいた名前が冬の静寂の中に消えていく。僕は寒気を感じて身震いした。
とうこさんが消えてしまった可能性を想像したのだ。
記録に残らないとうこさんがもし、とつぜん消えてしまったら。
まるで、はじめからそんな人は存在しなかったかのようになってしまうのではないか?
そんなことはありえないと、僕は自分の考えを否定するように首を振る。
とうこさんは、特異体質を除けば、いたって普通の人間なんだから。
急に消えるなんてこと、ありえない。
「そうだ、メーターは」
僕はドアから斜め上の位置にある電気メーターを観察した。
待機電源でも、なにかの電気機器が動いていれば、電気メーターは回転しているはずだ。
暗くてよく見えないので、携帯電話のライトを点けて照らしてみる。
「……止まってる」
メーターは微動だにしていなかった。とうこさんの部屋はブレーカーが落ちている可能性が高いということだ。
僕は電気メーターをしばらく見つめたあと、とうこさんの部屋の前を後にする。
とうこさんが言っていた「世界に存在を許してもらっていない」という言葉が、なぜか僕の頭の中に響いていた。
とうこさんは翌日も帰ってきていないようだった。
午前、午後、夜ととうこさんの部屋を訪れてみたけれど、変化はなかった。
僕の焦りはさらに大きくなった。
いろいろな可能性が頭をよぎる。ありそうなものから、冷静に考えればありえないと断定できるものまで。
ちょっと気晴らしに旅行にいっただとか。
急に実家に呼ばれたとか。
なにか犯罪に巻き込まれたり、危険な目にあっているとか。
友人の家に泊まっているとか。
僕に愛想をつかせて、新しい男を作り、そいつのところに行っているとか。
――世界から、消えてしまったとか。
僕は深夜に自分の部屋に戻り、携帯電話に着信がないことを確認すると、手早くシャワーを浴びて布団に転がった。
けれど、とても眠りにつくことができなくて、結局数十分後に起き上がり、近所の自動販売機でホットのお茶を買ってきた。
温まりすぎてやや熱くなっているお茶を喉に流して、僕は自分の気持ちを反芻した。
不安があった。
とうこさんの気持ちをないがしろにしてしまったのかもしれないと思った。
いや、とうこさんと僕は信頼関係を築いてきた。あのくらいで怒ったりはしないという自信はある。
だけど、怒ってはいないことを確認したり、弁解したりする手段がないことが辛い。
メールやSNSでやりとりができる相手なら、連絡に返信がなくても、既読のチェックや、動きの見て無事を確認することができる。
だけど、とうこさんの特異体質では、それもできない。
デジタルとネットワークが当然の時代にありながら、記録されるということができないとうこさんは、こうして距離が離れ、連絡が取れなくなってしまうだけで急に存在が希薄になってしまう。
僕はこんなに心の弱い人間だっただろうかと、自分ですこし驚いた。
離れたら連絡をすることができないなんて、すこし前の時代の人達ならあたりまえだったことだ。
便りのないのは良い便り、ということわざだってある。
人間がずっと置かれてきた当然の環境。
元気だと信じるしかない。
そう頭で納得しようとしても、とうこさんに連絡が取れないことが、とても不安で、寂しくて、怖い。僕は自分の肩を抱くようにしてちぢこまった。
たった一日、とうこさんと連絡がつかないだけでこんなに不安に思っている自分の弱さに、口から自嘲的な笑みがこぼれる。
「もっと、強くなりたいな」
つぶやいた言葉は、暖房もつけずに冷えきっている部屋のどこかに散っていった。
僕は考える。僕ととうこさんの距離はいま、どのくらいなんだろう。
ひとり分あけて座った、出会ったあのときの距離からどのくらい、僕ととうこさんは近づけたんだろうか。
きっととうこさんは帰ってくる。
とうこさんは特異体質でもちゃんとこの世界にちゃんと生きている、僕の大切な人なのだから。
だから――考える。
たとえ世界に存在を認められなくても、僕がその存在を認めるためにどうしればいいか。
とうこさんのために、なにができるだろうか?
僕は心にうずまいている不安のエネルギーを、僕にできることを考える力に転化してみようと思った。
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