僕ととうこさんお付き合いの記録、ただし僕の油断を含む 3
僕ととうこさんのお付き合いは、それからも順調に進んだ。
夏休みの間にも、たびたび時間を共にした。
あまり多くはなかったけれど、それでも少しずつ、ふたりの時間を重ねて、ふたりでいることに慣れていった。
とうこさんは隣駅にある本屋でアルバイトを始めた。申し込みには履歴書が必要だったけれど、僕の友人の力を借りて、ネットで拾ってきた写真を編集ソフトでとうこさんの姿に似せ履歴書に添付した。
「なんだか、不正をしているようで居心地がわるいです」
と、とうこさんは話していたけど、アルバイトもとうこさんにとっては必要なことだったので、気持ちの折り合いをつけたようだった。
とうこさんの存在を真の意味では証明してはくれない写真を、とうこさんが複雑そうな表情で見つめていたことが、僕の心のなかになんともいえない印象で残っている。
後期セメスターがはじまり、あたりが秋の様相を深めていったころには、僕ととうこさんはだいぶ、一緒に居ることに慣れた。
哲学の講義は前期で終わってしまったが、僕ととうこさんの興味に合致する教養科目を二つ、一緒に取り、その講義のあとには食事にいくのが通例になった。
出会った頃の新鮮な気持ちが失われていく一方で、一緒にいることが普通になることは嬉しいことで、僕ととうこさんはお互いに、気を遣いすぎずに接するようになっていく。距離が少しずつ縮んでいくのが、僕にはとても嬉しかった。
だからこそ、といえば言い訳だが、僕に気のゆるみ、油断があった。
それは、寒さが徐々に厳しさを増す、十一月の祝日の直前の出来事だった。
僕たちはすでに何度か一緒に訪れている定食屋で昼食をとっていた。
その日のとうこさんは少し体調が悪いらしく、普段よりも厚手の服装だった。
「アルバイト、体調良くないなら、休んだほうがいいんじゃない?」
「ううん、無理をしなければ大丈夫だと思います。シフトを変えてもらうのも悪いし……」
とうこさんはそう言って、食後には市販の風邪薬の錠剤を飲んだ。
大丈夫というけど、ときどき小さく咳をしたり、鼻をすすったりしていて僕は心配になる。
とうこさんは「子どもじゃないですし、自分の体調管理と判断くらいはできますよ」と言って、笑顔で背筋を伸ばした。
定食屋を出て、僕たちは駅まで歩く。
駅前にやってくると、広場がなにやら騒がしくなっていた。
「イベントかな?」
「看板が出てますね。……『街角笑顔写真展』……」
イベントのタイトルを読み上げたとうこさんの声のトーンは、体調のせいもあってかやや元気がなく、僕は沈黙してしまった。
記憶が蘇ってくる。去年も僕はこの場所で同じイベントを見た。商店会だかが実施しているイベント。街を訪れる一般の人々、家族だったり、友達だったり、恋人達だったりを被写体に、幸せそうな笑顔の写真を撮って、それを展示するのだ。
イベントスペースにはたくさんの写真が飾られている。
どれもみんな、幸せそうだ。
僕は横にいるとうこさんの顔色を窺う。とうこさんはイベントスペースの写真を、諦めの混じった複雑な笑顔で見ていた。
記録に残ることができないとうこさんは、このイベントには、どうやったって参加できない。
僕がとうこさんの手を引いて、そこから離れようとしたところで、イベントの係員に話しかけられる。よろしかったら、ご一緒に一枚どうですか。僕はすぐに首を横に振った。
「あ、僕たちは遠慮します。いこっか」
「はい」
僕ととうこさんは、そそくさとその場を離れて、駅の改札へ向かった。
とうこさんは何も言わず、僕は少し、心が痛むような気がした。
「ごめんなさい、気を遣わせちゃって」
とうこさんは、元気のない声でそう言った。
「ううん」
僕は首を横に振る。否定をしたけれど、僕がとうこさんに気を遣ったことは疑いようもない。
「やっぱり……」とうこさんはぽつりとつぶやく。「写真にして残したいって思うときも、ありますよね」
そう言ったとうこさんの顔は穏やかで、だから、僕は少しだけ、気をゆるめた。
僕ととうこさんの距離は、そのくらいには近づいてると、思っていたから。
「……そりゃ、そう思うことがゼロかって言ったら、そんなことはないけど」
言って、二秒の沈黙。僕はすぐに、自分自身の言葉にうすら寒いものを感じて、両手を振って弁解する。
「でも、ちがうから、そういうことじゃなくて」僕はうまく言葉を選べずにいた。「あの、言いたいことは、えっと」
「わかってます」とうこさんは僕の言葉を遮る。「だいじょうぶですから。私、行きますね。送ってくれて、ありがとうございました」
「あ……」
とうこさんはやわらかな笑顔で、でもいつものような元気がなくて、僕は心配になる。
僕が戸惑っているあいだに、とうこさんは「それじゃあ」と言って、改札を通り抜けていった。
僕に手を振りながら、とうこさんはホームへの階段を上がっていった。
僕はその後ろ姿が見えなくなってからも、しばらくのあいだ立ち尽くしていた。
心のなかには、言いようのない焦りがくすぶっていた。
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