僕ととうこさんお付き合いの記録、ただし僕の油断を含む 2
とうこさんは、実家に帰っているあいだ、僕が普段の生活や、旅先で撮影した写真をみたいと言った。写真に写らないのはコンプレックスだけれど、写真そのものを嫌うのは違うと思うし、なにより僕の撮った写真をみてみたいと、とうこさんは言ってくれた。
僕は写真を投稿するSNSサービスに、日常の生活――食事だったり、買ったものだったり――や、実家や旅行先の風景をアップロードしていった。
電話をしたときには、とうこさんは僕の写真や、実家での生活についていろいろ話してくれた。とうこさんは、地元で家族がつきあいのある家のお子さんの家庭教師のアルバイトをしているらしい。特異体質にも理解のある人で、お金を貰うが気が引けるくらいだと話していた。証明写真を作れないとうこさんは、履歴書が必要なアルバイト先へはそもそも申し込みをすることができない。
とうこさんは気にしないと言ってくれたけれど、それでも僕の撮る写真は、どうしても人の写らないものばかりになっていた。とうこさんに気を遣ったというより、フレームのなかに人が写っていると、僕はシャッターを切る気にはなれなかったのだ。
ときどき電話で話したりはするものの、会えないのはやはり寂しさが募った。精神的な距離が近づいたからこそ、物理的な距離が離れているのが辛いのかもしれないと僕は思う。
いっぽうで、なにかを楽しみに日々を過ごすのは、明らかに生活にハリを与えた。去年と同じようなスケジュールの夏休みなのに、今年は目に映る景色もすべてが輝いてるように思った。
「私もそうなんです、すごいですね、効果てきめん」
とうこさんがそういって電話の向こうで恥ずかしそうに笑ったとき、僕はいまからでもとうこさんの実家がある四国に行きたいと思った。八月の末頃だった。九月が二週目に入るころ、とうこさんは実家から戻ってくる。
そして、待ち遠しい一カ月が過ぎた。
とうこさんが戻ってくる日は、とうこさんの部屋でお互いの地元のお菓子を食べる約束をしていた。とうこさんの部屋に入るのは初めてなので、僕は二倍、楽しみだった。駅の改札から出てきたとうこさんは、シャツにハーフパンツの動きやすい姿で、一カ月前よりも少し日に焼けていて、髪もすこし伸びていた。
顔をみたとき、思わずお互いに頬が緩んでしまう。
「久しぶり」
「お久しぶりです、やっと会えましたね」
とうこさんはにっこりほほえむ。
「うん。電話ではいっぱい話してたのにね」
「電話では不足する成分があるんです、きっと。行きましょう」
「うん」
そうして、僕ととうこさんは自然に手をつないで、とうこさんの部屋へと向かった。
はじめて訪れたとうこさんの部屋は、すっきりと片付いていて、とうこさんの性格をよく反映して無駄がなかった。
ベッド、テーブル、小さな棚はどれも飾りのないシンプルなもので、部屋の適切な位置に家具がおさまっているせいか、六畳間だけど空間が広く見える。床に物が散らかっていたりすることもなく、服や小物なども全て仕舞われて目につかないようになっている。カーペットも汚れているところはみつからない。
部屋からは思ったよりもとうこさんの香りがしなかった。一カ月も空けていたのだから当然かもしれないと僕は思う。
「ご飯作りますので、待っててください」
そういってとうこさんはキッチンに立ち、道中で買ってきた材料で冷やし中華を作り始めた。手伝いを申し出ようかと思ったけれど、ワンルームのキッチンは小さく、かえって邪魔になってしまいそうなので黙っていることにした。
きゅうりを切る包丁の音がひびく。ただ料理を待っているのは手持ち無沙汰で落ち着かなかったけれど、料理をつくるとうこさんの後ろ姿を眺めているのは幸せな時間だった。
とうこさんの作った冷やし中華を食べて、お互いのお土産のお菓子を食べて、それから、離れていたあいだの報告をした。最初は向かい合って話をしていたけれど、携帯電話に保存した写真を見せるときには、となりに座って肩を寄せて二人で画面をのぞき込んだ。僕は髪が触れそうなほどすぐ近くにとうこさんの顔があることと、鼻をくすぐる少し甘いような匂いに内心で緊張していて、それを悟られないように必死だった。
しばらく経ったころ、とうこさんが小さくあくびをした。
「あ、もうこんな時間か」
携帯電話の時計は二十三時すぎになっていた。
「ほんとですね、夢中になっちゃってました」
「明日、朝からバイトあるから、そろそろ帰らないとな」
「……そうですね」とうこさんはほんのすこしだけ声のトーンを落とした。「そのほうがいいです」
「うん……」
と、返事をしたものの、とうこさんの肩と触れている自分の肩を剥がすのは、すこし決意が必要だと僕は思った。
でももう夜も遅い。名残惜しいけど、そろそろ――と、とうこさんのほうを見たとき。
とうこさんが、こっちをみつめていて――
僕はなにかを考える間もなく、とうこさんに口づけしていた。
吸い込まれるみたいに。
唇が触れたとき、僕の胸はひとつ大きく鼓動して、とうこさんは驚いたように目を見ひらいてびくりと肩を震わせ、それからゆっくりまぶたを閉じた。
僕も目を閉じて、とうこさんの唇の感触に集中した。
右手をそっととうこさんの肩に添える。
数秒たって、とうこさんがゆっくり僕の胸を押し、僕たちは体を離した。
お互いになにも言えずにうつむいてしまう。
普段とうこさんのあらゆる姿をこの目で観て記憶したいと豪語している僕も、このときばかりは恥ずかしくて、とうこさんのことを見ていることができなかった。
「……遅く、なっちゃうから」
僕の口から出たことばは、自分でもいくじなしだと思うけれど、そのときはそうしないと、自分がどうなってしまうかわからなくて怖いと思っていた。
僕ととうこさんの距離をゼロにするのは、まだ僕にとっては、勇気のいることだった。少しずつ、慣れていこうと思った。
「はい」
とうこさんと僕はそれぞれ立ち上がり、僕は自分の荷物をとる。
まだ、ドキドキしている。
「次、っ……。次は――」
「あ、週明けの火曜はどう?」
「はい、大丈夫です。また、前の日に電話を、えと、次は私からでしたよね。電話します」
「うん、待ってる」
話しながら、玄関まで行き、靴を履く。
「それじゃ」
平静を装って、そう声をかける。
「はい、気を付けて帰ってください」
とうこさんは穏やかな目で僕をみている。
「うん」
「あの」
「ん」
僕はとうこさんの求めているものが自分と一致したと思って、とうこさんの頬に手を添えて、もう一度口づけした。
今度はとうこさんは先に、目を閉じていた。
二秒くらいで、顔を離す。
「……またね」
「はい、おやすみなさい。また今度」
ほんのり上気した顔で、とうこさんは僕にそう微笑みかけてくれた。
そうして、この日はとうこさんの部屋を去った。
帰り道、都会の夜は明るすぎて星は全く見えなかったけれど、僕はそれでも上を向いて、上機嫌で歩いた。
見えなくても、星は確かに、あの空に存在している。
見えるか見えないかなんて、今の僕にとっては、些末な問題だった。
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