2.とうこさんが僕を受け入れてくれるまでの記録

とうこさんが僕を受け入れてくれるまでの記録 1

 僕が構えた携帯電話のカメラの画面の中で、とうこさんは泣きそうな顔をしていた。

 僕は信じられなくて、もう一度シャッターボタンを押した。

 やっぱり、とうこさんは写真の中には写っていない


「なんで……?」


 僕が携帯電話ととうこさんを交互に見比べていると、とうこさんはいびつな笑顔で僕に微笑みかける。


「……ね?」


 諦めたような声で、とうこさんは僕にそう言った。

 とうこさんと僕の距離は数歩。あいだに恐ろしくぶ厚い壁を感じる数歩だった。


 とても食事に行ける雰囲気ではなくなってしまい、僕ととうこさんは陸橋の下にある公園を訪れていた。陸橋の下の公園は薄暗くて、周りにあるほかの公園よりも人が少ない。

 とうこさんは公園に入ると、無言で空いているブランコに腰かけた。僕も隣のブランコにすわる。整備のされていないブランコの鎖は、ギギと不快な音を立てた。

 気まずい沈黙が流れる。とうこさんは唇を結び、足元をじっと見つめて動かない。僕はいったいなにが起こっているのか、どうしたらいいのかわからず、ただ、きょろきょろしていた。


 だって、そこに確かにいる人間がカメラに写らないなんてこと、あるだろうか。


 ない。ないけど、今それは起こってしまっているのだ。だから、僕はこの現象を、なにか合理的な理由をつけて受け入れなければならない。でもそれができない。

 そんなことより、目の前でとうこさんが辛そうにしている。でもそれをどう慰めたらいいかがわからない。とうこさんに起こっていることを、僕が理解できていないのだから。

 いや、でもそもそも、僕はフラれたのだから、僕が慰める資格なんてそもそもないんだろうか。

 僕はぐちゃぐちゃで、もやもやした気持を抱えたまま、ただ黙ってブランコに座っているしかできなかった。


「わかり、ましたよね」


 数分経って、足元を見つめたまま、とうこさんがぽつりと言った。


「……その、どうして……っていうか、なんで……」


 僕が言葉になりきらない疑問を口から漏らすと、とうこさんは首を横に振った。とうこさんの短い髪が前に垂れて、その表情を隠す。


「生まれつきなんです。生まれてからずっと、写真とか、ビデオとか、そういう記録をするためのものに、私は写ったり、残ったりすることができないみたいなんです」

「なんで……そんなことが」

「わからないんです」とうこさんはかすれた声で、僕の言葉を遮るように言う。「科学じゃ説明できないんです。大きな病院で検査してもらっても医者はおかしなところはないっていうし、異常も見つからないって。私に起こっていることは、超常現象だって」

「超常現象……」


 僕はとうこさんをもういちど見る。とうこさんは、なにもおかしなところがないように見えた。そこに間違いなく存在している、まごうことなき人間だ。いや、とうこさんに触れたことはないけど、そこにいる現実感、空気感みたいなものは、ほかの人と同じだ。


「結局、現象が異常すぎて、私は科学的な調査の対象にはなれないそうです。幽霊や宇宙人と同じ、オカルトの一種、ですね。いろんなことを試した結果、言葉で説明するとしたら『記録に残らない特異体質』しかない、って。ファインダーを通した景色に私はいる。だけど、シャッターを切ったとき、そこに私は残れない。私は……きっと、世界に、存在を許してもらっていないんです」

「世界に……」話が大きくなり、僕はくらくらした。「でも、なんでとうこさんが」


 とうこさんだけがそんな現象に悩まされるなんて、理屈に合わない。僕の心のなかに、どこに向けたらいいのか判らないイライラがあった。


「……おばあちゃんは、気にしちゃいけない、って言ってました」とうこさんはようやく、口元だけ微笑んだ。「この世はときどき理不尽なことが起こる。なんにも悪くなくても、誰かが人類全体の業を背負わされたり、信じられない不幸が振ってきたりするって。だから原因を考えても、しょうがないって。私も、そう考えることにしました。だって、そう考えないと、これがどうしてなのかなんて、わかりっこないんですから」


 とうこさんはゆっくりと顔をあげた。眼はうっすらとだけ開かれていて、そこには哀しみともあきらめともつかない、空虚な感情がわずかに見てとれた。


「こんなだから、友達もなかなかできませんでした。みんな気味悪がっちゃって。高校までの学校で撮る集合写真のどこにも、私はいません。欠席の子みたいに端っこに加えられることすら、私には許されていない。運動会のビデオからも、合唱コンクールの録音からも、私の姿や声だけが、ぽっかりと消えてるんです。はじめから、そこに存在しないみたいに。上京したのも、私のことを知ってる人がいないところに行きたかったっていうのが、理由のひとつなんです」


 僕はなにも言えなかった。理解できるなんてのはおこがましいかもしれないが、とうこさんに起こっていることが、とうこさんの人生をどれだけ生きづらくしたかは想像ができた。


「SNSとか、メールもだめなんです。ネットワークのものは全部だめ。誰にも、どこにも届きません」


 とうこさんがそこで僕の眼をみたので、僕はとうこさんの伝えたいことがわかり、あっと声を漏らした。

 とうこさんは、携帯電話もメールアドレスも持っていないと言った。僕を避けたのではなく、本当に持っていなかったのだ。とうこさんにはそもそも、それらが使用できないのだから。


「声をかけてくれたり、ご飯に誘ってくれたりして、嬉しかったです。……ほんとうに。だけど、見ての通り、私は特異体質ですから。この世に存在しているかどうかがあやふやで、記録にも残らない人間と付き合うなんて……やめたほうがいいです」

「……」

「一緒に写真を撮ることもできない。メールを交わすこともできない。みんなが使ってるSNSもなんにも使えない。もし私とお付き合いしていただいても、お付き合いしたことの証明なんて、なんにも残らないんです」

「で、でも」

「ただ悲観して言ってるわけじゃないんですよ?」とうこさんは僕の言葉を遮る。「経験則です。高校のとき、仲良くなった男の子は、みんな、同じ理由で去って行きました。みんな『記録に残ることができる』ふつうの女の子の所に行くんです。……それがふつうだって、私も思います」


 だから、ととうこさんは言いながら立ち上がる。


「……ごめんなさい」


 とうこさんがそう言って、僕に背を向けて歩きだす。

 二人の距離が、開いていく。

 僕は、音を立ててブランコから立ち上がった。

 とうこさんが僕のほうを振り向く。

 だけど――だけど僕は、とうこさんにかける言葉が見つからなかった。

 僕は、ただその場で、とうこさんのほうを見ながら立ち尽くしていることしかできない。

 数秒の沈黙のあと、とうこさんはもう一度僕に背を向け、歩いて行った。

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