第2話 元ユミルの『鋼の女王』

 結局、サジタリウス小隊がその後セレーネ自身を直接見る機会はなかった。とはいえ、連中は別に死んだわけではない。単に帰還する艦艇が違ったために、生身を拝見することが出来なかっただけである。

 とはいえ、サジタリウスワンからセレーネについて知る限りを聴きだした小隊員たちは、その容姿を見る機会を与えられなかったことが、この戦闘における最大の不運だったと嘆いたらしい。

 鮮やかなショートの金髪に、強い意志を宿したサファイアの瞳。顔とバランスをとるためにあつらえたようなラインの鼻梁と、若干モデル寄りのグラマラスかつ長身の体躯。

 男性だけでなく、女性から見ても羨望の的となるだけの美貌の持ち主であることは確かであろう。ただ、サジタリウスワンは小隊員たちに配慮して、お前たちは絶対に歯牙にもかけられないだろう、とは口にすることはしなかった



 セレーネが、ハインライン月本社所属の戦闘航宙巡洋艦・ヘカテーに着艦したのは、L1防衛ラインで交戦していたユミルの全てを駆逐した後である。

 ヘカテーはハインライン艦艇の旗艦でもある。そのため、ここに着艦するギガステスやそのパイロットは自然と精鋭が中心となっている。船員も大半がベテランで構成されているのだが、ヘカテーの船員でセレーネを知らない者はいないし、むしろセレーネを迎える船であることを誇りに思っている……などというこそばゆいことを言われたこともある。


 月の防衛艦隊がL1駐屯艦隊との合流を果たした時点で、戦況は大きく人類側に傾いたことは明白であった。だが、ユミルには撤退という概念自体がないため、自然と戦闘は殲滅戦になる。

 そのため、戦闘が有利に進んでいたにも関わらず、不毛な作業に従事させられているような感覚を覚えた者も多い。

 それでいて、大きく士気が削がれているわけでもない敵対勢力を殲滅するというのは、殲滅戦を実行する側も戦力の消費が自然と激しくなるのだ。

 ユミルの全勢力の把握も出来ておらず、人類同士でなら通用する暗黙や交渉といった解決策も、今のところはとても通用しそうにないため、この人類と異星体の戦いは未だ終着点が見えていない。

 この戦いの集結がいつになるのかなどといった、とりとめのない不安を抱える者たちは多いしそれは当たり前のことだ。

 ハインラインに所属するもの、特にヘカテーの乗組員たちはまだ比較的明るい雰囲気の者が多い。だがやはり、終着点がまるで見えない戦いに暗澹たる気分になっている者や、努めて明るく振舞っている者も多いのが現状だ。


 と、そこまでは乗組員たちの観察を兼ねてどうするかを思案していたが、アルテミスのコクピットを降りた時点で、ここにいるはずのない人物の姿が見えた。思わず目を見開いて確認する。自分の認識が間違っていないことが分かると、自然と大声で呼びかけていた。

「マリー……!」

 そんなはずはないのだが。なにせここは格納庫である。パイロットかメカニック以外は基本的には立ち入ってはいけないことになっている。民間人のマリーには軍事機密などの関係もあり、普通ならそうそう許可がおりるとは思えない。

 なにより、格納庫は部品の納入や運搬作業も頻繁に行われる区画なので、実は非戦闘中だろうと周囲にそれなりに気を配らないとならない、比較的危険な区画でもある。

 見間違いではないらしいから、そうなるとこんな場所にマリーが強行手段で入って来たとも思えない。誰の差金かは見当がついたので、取り敢えず後で奴をぶっ飛ばすことにする。だが、まずはマリーと話し合う必要がある。

 マリーがいるのは居住区画へとつながっている、人間向けの大きさのゲート地帯で、周辺に手すりや柵が設けられている、比較的安全な場所ではあった。靴のマグネット機能を使えば、容易に立ち続けることも出来る。人を待つだけならこの区画では最も安全で、不意に流される危険も少ない。

 もどかしくて、いちいち格納庫の中を歩いて行く気にはなれなかった。今ヘカテーが航行中なのは無重量地帯だから、ここも無重量状態である。だから、こういう芸当も出来る。

「マリー……!」

「……! セ、セレーネ?!」

 流石に今度はこちらの呼びかけが聞こえたようで、栗毛のセミロングヘアの人懐っこい雰囲気の少女が、驚きの表情と声で返答してきた。それもそのはずで、セレーネはあろうことか、その高い身体能力を活かした跳躍によって、コクピットから天井へ直進後、その勢いを殺さずに天井を蹴って角度を変更。

 そして、そのままマリーがいる場所付近の手すりへと脚からぶつかる勢いというか、靴が立てた音からしてかなりの速度だったはずだ。それを膝で速度と衝撃を完全に制御し、手すりを掴んだ後の宙返りでマリーのほぼ隣に着地して見せたのである。見ていた他の人間も唖然としているうちに終わっていた、見事という他ない移動方法だった。

 こうして並んで立つと、セレーネの長身さとマリーの小柄な体格が際立つ。その体躯と可愛らしい顔立ちは、見ただけで護ってやりたいと考える者はきっと自分以外にもいるのだろうと、今ならそう思える。

「どうしてこんな危険な場所にいるんだ! 待っているだけなら居住区画でも良かっただろう!」

「だってセレーネに……セレーネに少しでも早く会いたかったから……!」

 そういって、琥珀色の瞳に涙さえ浮かべながら、マリーはセレーネに抱きついてきた。結構な勢いだったが、長身のセレーネからすればそれでも大したことはない。自分とは違い、小柄で脆弱に過ぎないはずの存在だ。

 始めて出会った頃に比べ、ずっと女性的な丸みを帯びているし、多少は背が伸びたらしいとはいえ、やはり小柄な身長と体格であることには変わりない。

 その少女を、どうして手荒に扱えるのというのか。セレーネは、優しく包み込むように両腕で抱きしめる。

「無事だったのは通信で伝えたろう? 私はお前のところに帰るという約束、信用出来なかったのか……?」

 セレーネのその言葉は、まるで幼児をあやす母親のように、慈愛にあふれた優しい口調と表情だった。他の者が耳と目を疑うほどに。

「そうじゃない、そうじゃないけど……! だって、少しでも早く会いたかった、会いたかったの!」

「困ったな。泣き止んでくれないと、まるで私がお前をいじめているみたいじゃないか……だから、部屋で待っていろといったのに」

 そうはいったものの、正直なところマリーに泣くほどの激情でもって、早く会いたかったと言われたことは、素直に嬉しかった。だから、言うほど困ってはいないし、マリーに抱きつかれていることがまんざらでもない自分の方に、むしろ戸惑いを感じる。

 他の人間なら、ほぼ間違いなく抱きついた時点で引き剥がしているだろうに。ついでにいうと、相手が子供でなかったらおそらく突き放してもいただろう。マリーだけだ。マリーだけが、自分をこんな気持ちにさせる。

「セレーネは……」

「うん?」

「セレーネは、私に早く会いたくなかった……?」

 そういうマリーの表情は、本当にそんなことを疑問に思っているのか、寂しげだった。小首をかしげる仕草の慣性で、髪が揺れる。可愛らしい奴だ、どこかの馬鹿にも多少は見習わせたい。そんなことを考えながら。

「それは、羞恥プレイというやつかな? こんな大勢の前で、そんな恥ずかしいことを言わせるなんて」

「……セレーネの意地悪……それに、そんな言葉どこで覚えたの!?」

 反応するのは、その部分なのか。とはいえ、羞恥で真赤に一変した彼女の表情に、イタズラが成功したときのような満足を得て、彼女は答えた。

「会いたかったに、決まっているだろう? 分かりきったことを言わせるなよ。いや、あえて言わせたかったのかな? やっぱり、羞恥プレイが好きなんじゃないか?」

「……! セレーネの、馬鹿、意地悪……!」

「ハハハ。いや、悪かった。ついはしゃぎすぎた」

「もう、知らない……!」

 マリーはよほど恥ずかしくなったのか、ふくれっ面になる。その様はますます可愛かったが、この様子だと流石にすぐには許してくれそうにない。どうしたものか。そう考えたときだった。

「お熱いところ、邪魔してすまんが。ちょっと、女王様を借りてくぜ」

 男の声が割って入って来た。マリーがその声の主に驚いたように、声のした方向を見つめている。セレーネは、マリーを抱きしめたまま微動だにしなかったものの、一応義理で声をかけてやることにした。

「……何の用だ、マヌエル」

「いや、まあそこそこ重要なお話だ。つうかお前、こっちを見もしないってことは、もしかして俺がいたことに気付いてなかったか……?」

「あたり前だろう。私を誰だと思っている?」

「『鋼の女王』様だろう。つうか、俺はあんたの雇い主でハインラインのCEOなんだがな」

 そう、マヌエル=マイクロフトはこのハインラインを一代で大躍進させた辣腕であり、一応はセレーネの上司に当たる人物である。

 中肉中背で、しかもかえって目立ちにくい程度に整ってはいるが、特別冴えもしない容姿だけでは、とても想像しがたいのだが。

「女王だからこそだな。無礼者には相応しい態度だろう?」

「俺が悪いってのか……?」

「……」

 マリーは流石に、若干緊張の表情を浮かべて成り行きを見守っている。マリーにはCEOとの話の邪魔をするつもりなど、毛頭なかっただろうから。

 だが、セレーネとしては正直マリーとの話を邪魔されたくなかったというのが本音だったので、無表情の沈黙で応えることにした。

「悪かった、俺が悪かった。それでいいんだろう?」

「分かればいい」

 セレーネはあえて、芝居がかった仕草で頷いてさえみせた。

「何様のつもりだ」

 とはいうものの、マヌエルに怒った様子はまるで見られない。単に軽口の応酬を楽しんでいるだけだ。この鷹揚かつ飄々とした人柄であるから、マヌエルに従っているのは単に上司だから、という理由ではないものも多い。

「女王様だよ、貴様がいったんだろうに」

 ついでにいうと、セレーネもどちらかといえばその一人ではある。相手がマヌエルでなければ、こういった軽口の応酬を行うことなど一切なかったろう。

 とはいえ、それもここまでだ。空気も読めるマヌエルが、わざわざ話に割って入ってまで重要な話というからには、それは事実なのだろうから。

「マリー……すまないが先に部屋に戻っていてくれ」

「……分かった。マヌエルさん、セレーネのこと、お願いします」

「ああ、悪いようにはしねえよ。お嬢ちゃんは安心して部屋に戻ってな。出来るだけ早く逢引き出来るよう、努力はする」

「逢引きって……」

 マリーがまた顔を真赤にして照れているが、セレーネはそれを訂正するつもりは一切ない。マヌエルだろうが、セレーネにとってはマリーの方がより重要に決まっているのだから。


 マリーがセレーネとの相部屋に向かったのを見届けてから、セレーネはマヌエルとともに、ヘカテーに設けられた客人の応対用兼執務室へと向かう。

 部屋自体は小さいし、調度品もあまり設置されていない。本来は戦闘用に造られた艦艇であるから、無骨には見えない程度に壁などに装飾を施してあるだけの部屋だ。それでも戦闘艦には貴重なスペースを使っての代物だから、贅沢といえば贅沢な部屋ではある。

「さっきは嬢ちゃんとの貴重な時間を邪魔しちまって悪かったよ……だがまあ、正直あのタイミングは助け舟だと思ってのものだったんだが」

「……お前は余計な気を回しすぎなんだ。マリーをあそこで待たせていたことといいな」

「……バレてたか」

「マリーが、自分からあんな場所で待たせてくれ、なんていうワガママをいうはずがないんだ。あの子も気を回しすぎだ。私にくらい、もう少しワガママをいってもいい」

「好きだから、だろ? あんたを困らせたくないのさ。つうか、あんたはむしろ気を回すべきだ」

「殴るぞお前……いや、そういえば殴ろうと考えてたんだったな」

「いっつ……あんた、今本当に殴りやがったな! だから、少しは遠慮しろって言ってんだろうが!」

 マヌエルのそんな言葉を聞く耳は持たない。大体、気を回しすぎでマリーとの会話を邪魔した件は許すつもりがなかった。大人げないという自覚はあったが。



 だが、異星体ユミルの女王であったセレーネにとって、脆弱な生命体地球人であるマリーとは、少しでも長く一緒にいたかったし、会話を楽しんでいたかった。ユミルの女王であった自分には、会話を楽しむという文化がなかったし、そういうことが出来る存在もいなかったからである。

 彼女の怒りを鎮めるために奔走するはめになろうと、それはそれで楽しみだったのだ。ユミルの鋼の肉体と心から、人間の脆弱な肉体と複雑な心へ、そしてなによりマリーへと、少しでも近づけた気になるから……

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