IV. 事件

 彼女が悪魔を釘付けにしている中、熊無は傷の回復を待つのと同時に、悪魔を殺す機会を窺っていた。

 彼女の左眼はどうやら、悪魔の動きを止めることもできるらしい。

 これならば、自分の出る幕はないだろうと、隙を見て逃げる算段を立てる。

 だが、そう言うわけにもいかないらしい。

 完全に優勢だった状況が、何故か、一変していたのだ。


 思わず「は?」という声が出そうになった。

 後は止めを刺すだけだった状況から、どうして、逆に止めを刺されそうになっているのか。

 どれだけドジな女の子でもできそうなことを、彼女はできなかった。

 できなかったわけではなくてしなかったとも言える。


(何してんだよ……!)


 彼女は首を絞められながら苦しんでいる。

 その元へ駆け寄ろうと、立ち上がりかけたその時、一人の男が視界に飛び込んできた。

 同じ高校の制服を着た男は一瞬のうちに悪魔の四肢を切り裂き、彼女を抱きかかえた。

 悪魔並みの動きを見せたその存在に驚きながらも、それよりも気になることがある。


(……彼氏か、あの男?)


 すると、彼女と男の会話が聞こえてきて、彼女の兄だと言う事が分かった。

 つまりは、悪魔祓いエクソシスト

 これ以上は巻き込まれたくないと、逃げ出すタイミングも逃してしまったので、狸寝入りすることにする。

 だが、それも彼女の兄にはバレていた。


「それにしても心臓を刺されても死なないなんて面白いね、君。名前なんて言うの?」









 自分を殺そうとした彼女の兄と二人きりになった屋上。

 彼女の前では殺す気はないと言ったが、この男が悪魔祓いエクソシストであることを考えれば、嘘の可能性の方が高い。


「睨まないでくれるかな? 君の目って他の人より怖いから、それがもっと怖いよ」


 男は苦笑いを浮かべた後、すぐにその表情を引き締めた。


「まあ、僕としても君に警戒された方が安心する。すんなり受け入れられたら、何かあるんじゃないかって不安になるからね」


「それが今の俺の立場なんすけど?」


「……それもそうだね。じゃあ僕も警戒する素振りでも見せた方がいいかな?」


 完全に男のペースで、物事を自分のペースで運んできた熊無にとっては苦手とも言える存在だった。


「あからさまに嫌な顔するね。そういうの顔に出ちゃうタイプなら気を付けた方がいい」


 気を付けた方がいいなんて言われてもすぐに治せるものでもない。


悪魔祓いエクソシストに『君は悪魔か?』なんて聞かれた時、顔に出てしまったら大ごとだ」


 何が何でも治そうと思った。

 同時に違和感も感じている。

 その違和感は考えなくとも目の前にあった。


「あんたが言える立場か?」


「ハハッ! 立場の話は一旦置いとこう。僕と君がおかしい立場なだけだから。ついでだから、どうしてそんなおかしな体になったのか、聞いてみようかな?」


 中二の時にすれ違った見知らぬ少女に心臓を奪われたという話をしても、それはお前が中二病を発症してるだけだと真剣に受け取ってもらえそうにない。

 だが、目の前の男はやはり頭がおかしいのか、「なるほど……」と言いながら思案する。


「勝手に回復力が異常で、心臓を刺されてもすぐ治っちゃうと思っていたんだけどねぇ。まさか心臓自体が無いとは……。そんなのは初めてだ」


 今までどれだけの悪魔を殺してきたのかは知らないが、心臓を奪われて強制的に悪魔になった人には出会ったことがない、と。

 ここに来て、少しだけ驚いた様子を見せる水無瀬の兄。

 自分が悪魔だということに対しては何の反応もしなかったところを見ると、自分のような事例は結構いるのかもしれない。

 すると、心を読まれていたようで男は口を開いた。


「君みたいな悪魔と人がどっちつかずっていうのはざらにいるよ、っというか僕ら自身も、悪魔と関係の強い家系だしね。君も見たでしょ? 悪魔を見つけ、身動きをとれなくする眼を持った千鶴を。彼女の眼は、悪魔の眼だよ」


 身近すぎて驚く必要もなかったというわけだ。

 水無瀬(兄)は屋上のフェンスの方へ近づいて、校門の方へと目をやった。


「とりあえず、制服着替えようか。そんな血だらけの恰好で校内歩き回られても目立つだけだ」


 水無瀬家の者が到着したらしく、黒いスーツ姿の人々が校内に入ってくるのが見える。


「千鶴はちゃんと僕の言いつけを守ってくれたみたい。姉さんとお父様の側近はいないよ」


「……もしいたら?」


実験体モルモット。もしくは、処理かな」


 その瞬間、この男の傍にいてもロクな目には遭わないと確信する。

 妹に自分の仲間を呼び寄せるように言った、その時点で気づくべきだったのだ。

 こいつが本当に殺す気がなくても、姉や父親は違う。

 今更ながら、屋上のフェンスと地上までの高さを目測し、ここから飛び降りて逃げ切れるかどうか考える。


「もしかして逃げること考えてる? それはよくないなぁ。僕はまだ君に自己紹介すらしてないんだから」


 表情や仕草、目の動きから相手の心を読むのが得意らしい。ということは、相手の裏を取ることも上手い。


「僕は水無瀬虎輝こうき


 知りたくもない名前が自分の耳に届いた一瞬のうちに、誰かに右腕を掴まれて背中に回される。

 グイッと押され、前のめりになったのを良いことに、後ろの誰かは全体重をかけてきて、そのまま地面に突っ伏す。

 顎を強打し、泣きそうになっている自分を見下ろすように水無瀬虎輝は目の前に立つ。


悪魔祓いエクソシストだけれど、本当に君を処理するつもりはない。だけど、今は君に逃げてもらっても困るんだ。今回の件について色々と話を聞かないといけない」


「ふざけんな! 処理しないなら実験体モルモットにする気なんだろ!? お前と話なんてしてられっか!」


 上に乗った人を押しのけて立ち上がろうとするが、一ミリも持ち上げられない。

 片手とはいえ心臓を悪魔に取られて以来、普通の人に力負けしたのはこれが初めてかもしれなかった。

 水無瀬妹に胸を刺され、大量の血を流したためであろう。


「年上の言う事は素直に聞いておかないと、痛い目見るよ?」


「年下の言い分聞かねえと、足元掬われるぞ!?」


 このまま思い通りにさせてたまるかと声を張り上げるが、それも空しく、先ほどよりも強い力で地べたに体を押し付けられる。


「いつもはこんな手荒な真似をしたりはしないんだけどね。僕もちょっと焦ってるんだ」


 それはこいつらの都合であって、押し付けられる義理はない。

 話をしたいのならば、それなりの態度で接するべきだ。


「今、僕らは悪魔落ちした人間を一人追っている。そいつは自らの欲を満たす為に、次々と事件を起こしている」


 勝手に話を進め出した、こいつらには巻き込まれたくはないので、耳を塞ごうと地面から手を上げようとする。

 だが、その手は無情にも上から押さえていた人物に踏みつけられて自由を奪われる。

 完全に悪魔であることを警戒していた。


「その事件に俺は関係ねえだろ!?」


「事件の共通点は、被害者が十代から二十代の女性であること。そして、現場には被害者の頭部しか残されていない。これで関係ないと言えるかい?」


「関係ねえよ。俺は頭部以外も見た」


 そう。トイレに行った時、確かに首から上が無くなった女子生徒の死体を見た。

 これで解放されるとホッとしていると、水無瀬兄は口を開く。


「それはどこで?」









 いつもならば、排泄物のにおいがしているか、消臭剤の匂いが漂っているその場所だが、今は違った。

 鼻の奥をツンと刺激する鋭い匂いがその空間を包み込んでいる。

 窓が開いているにも拘らず、大量に床に広がったそれは、異臭をまき散らしていた。

 口元を手で覆いたいのは山々なのだが、それができる状況に今はいない。


 屋上で、死体を見た場所を伝えると、すぐさま水無瀬は動いた。

 上に乗られた人物によって無理やり体を起こされたため、このまま解放してくれるのかと思いきや、そう簡単なものではなかった。


 変な文字が描かれた、一枚の細長い紙がふわふわと浮遊している。

 決して風に吹かれて浮いているわけではなく、誰かが意図的に操っているように自分を中心にして公転していた。

 その誰かというのは紛れもなく、先ほどまで自分を押さえつけていた人であり、ぶつぶつと何かを呟いていた。

 何を言っているのかはわからなかったが、それを聞くと、体の内から力がダラダラと地面に流れ出ているような感覚に陥る。

 そのまま、両手を目の前に持っていかれて、空中を漂っていた細長い紙で縛られた。


 トイレに来た今も、両手はたった一枚の紙で縛られたままで、解くどころか重くて持ち上げる事さえかなわない。

 しかし、それよりも気にするべきは、ここにあるはずのものが、無いということ。

 排水口に向けて流れていく赤い液体以外には、何もなかった。


「確かに首から下をここで見たんだね?」


「見たけど……じゃあ、悪魔落ちした先輩がその事件の犯人……?」


「多分違う。もしかして、彼はその死体を目にして、悪魔落ちしたんじゃないかな?」


 何を根拠に、その回答まで辿り着いたのかはわからないが、あながち間違っていないようにも思える。

 だが、自分がトイレに入った時にはその死体は無かった。つまりは、個室に入ってから出るまでの間に死体が置かれ、その頭部だけをあの先輩は持ち出したということになる。


「千鶴の左眼は、発動した際に半径百メートル以内の悪魔のみを捉える。発動した時には、その中に入っていたのは君一人だけだったんだろう。彼も悪魔に堕ちる前の状態だった」


「じゃあ、犯人は俺がトイレに入った、一瞬のうちに、女子高生を殺したのか? 俺がトイレしてる時に、そんな物騒な音はしなかった」


「いや。死体をここに持ってきたのは、あの男子生徒だよ。綺麗に拭き取られているようだけれど、引き摺ってきた血の跡が廊下の方にあるみたいだ」


 スーツを着た人々が廊下やらトイレやらを隈なく、調べて、水無瀬虎輝に報告していく。


「悪魔になった彼を操って、誰かの目を遠ざけようとしたのかも。君のような悪魔の目か、それとも僕たちのような悪魔祓いエクソシストの目か」


 どちらでもいいから、早く解放してくれと、言わんばかりの眼差しで見ていた。

 警察の鑑識のような作業を繰り返している何人ものスーツ姿の人たちを背に、自分と自分を拘束している人物、水無瀬兄の三人だけが他の場所に移動し始めた。


「保健室に千鶴の様子でも見に行こう。流石に初めて悪魔を殺したのに加えて、それが同じ高校の先輩だからね。相当きついんじゃないかな」


「俺がついていく意味あるか?」


「そりゃあ悪魔だからね。君が犯人という可能性も無きにしも非ずでしょ?」


 「ふざけんな」と小声で呟く。

 この男の頭の中では、犯人の可能性云々は、完全に白であろう。

 他に何かロクでもない事に付き合わされるのか、実験体モルモットにしようとしているに違いはない。

 制服を着替えさせるとか言っておきながら、ずっと血で汚れた制服を着せられている。

 学校の関係者に見られでもしたら、絶賛下降中であろう評判もなだらかだったものが滝のように急降下してしまう。

 想像するだけでお腹が痛くなってきそうだ。


 そんな事を考えているうちに既に保健室に着いていた。

 授業がとっくに始まっているからか、誰一人、生徒に会うことはなく、心中でそっと胸を撫でおろした。

 しかし、すぐに慌ただしい事態が待ち受けていた。


「千鶴……?」


 保健室に入ると同時に名前を呼ぶ兄だったが、返事はない。

 ベッドで疲れて寝ているとも考えられることから、それに対しては何の疑念も抱かなかったが、水無瀬兄だけは、顔色が少しだけ青くなった。

 保健室の先生はおらず、保健室の外に立っていたスーツ姿の男が口を開く。


「お嬢様のお傍にいようと申したのですが、一人にしてくれと頼まれまして……」


 三つのベッドのうち二つがカーテンが閉められ、一つが開いていた。

 水無瀬虎輝は、その二つのベッドに近づいて、そっとカーテンを開けて、誰かが寝ているのを確認すると、閉めなおした。

 二つとも確認し終えた彼は首を横に振ってみせる。


「……いない」


「は?」


「千鶴はこの部屋にいない。校内を探すよう伝えてくれ」


「……!? でも、さっきこいつはここにいるって……」


 何故、彼女がいなくなる必要があるのだ。


「トイレとか……?」


「だったらいいんだけどね……少々まずい事態になってるかもしれないよ……」


「まずいって……?」


 粗方の予想はついていたが、敢えて尋ねた。


「……連れ去られたのかもしれない」

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CrossHearts 刹那END @amagasa

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