八章:Redノ涙トうさぎノりんご

◇29.月と太陽の因果


 声にならない吐息を漏らし続ける誠也せいやの肩を、輝紀てるきが支えていた。


「これが……二人のすれ違いの、真実……」


 突如そのかたちを現し、魔術にでもかかったようにひとりでに開いたCrystalクリスタルのブック。誠也の手元に収まると、一度 “Episode one第一の物語”のタイトルが書かれたページで動きを止めたが、その次のまっさらなページに進むとさらさらと物語をえがき始めた。


 誰がいているわけでもないのにカラフルな線は勝手に紙の上を走り続ける。絵は写真のようなリアルさがあり、誠也がブックを拾い上げた瞬間からたった今この瞬間までの中からチョイスされた場面を次々にページにはめ込んでいく。まるでテレビドラマを見ているような気分だ。


 それと共に、ブックの中心から唸るように聞こえてきたのは、Dark Aダークエーと戦いを繰り広げる、Memberメンバー達のホンモノの声。ブックを通して伝えられたDark Aの正体と真実に、誠也は涙を流さずにはいられなかった。


 がピタリと止まった。そこには、ひとつ前のページで賢成まさなりの心臓目がけて折れた黒剣こっけんの矛先を押し込もうとし猛烈な攻防を繰り広げていた真也しんやが、その矛先を落とし芝の上に腰をついたまま、賢成の姿を見上げている様子がえがき出されていた。


「セイ……」

「……生きてた……」


 眉をギュッとしぼませ、顔をくしゃくしゃにしながら誠也はブックを抱き締めた。


「生きてたんだねっ……真!」


 誠也の涙がブックの表紙に描かれている不気味な灰色の手の上に落ちた瞬間だった。


「うっ!」


 ブックから放たれた、赤、青、黄、緑、紫の強烈な光。誠也と輝紀が眩しさに目を潜めているうちに再び開かれたブック。ページ上に現れたフォールンはギラギラした笑顔で大はしゃぎをし始めた。


『いや~あっついあっつい! この中凄い熱気で耐えれませんよ!』

「フォールンじゃないか! ねえ、この光は一体なんだい!?」

『セイ様、テルキ様、遂にやってきたのです!』

「何がきたの!?」

『第一の物語の、覚醒の時がきたのです!』


 赤色の光線が、誠也の心臓を貫いた。


「セイ!」


 仰向けに倒れ苦しさから胸元を抑える誠也の身体を輝紀は起こし上げる。砂の上にバサリと広がったままブックが落ちた。いつの間に取り出したのだろうか、フォールンが小さな扇子を片手にパタパタと自身を煽っている。


「フォールン! 今僕は、衝撃的なことが連続で起こりすぎてショートしそうだ!」

『テルキ様が取り乱すなんて、珍しいおこと』

「うっ、うーっ!」


 左胸をグッと両手で握り締めていた誠也が呻いたと同時、その心臓から飛び出し浮かび上がったものに輝紀の瞳子は開き切った。


「これは……」

『そう、これが、あなた達それぞれの心に宿り眠っている未来を救うCrystalの覚醒なのです!』


 誠也のCrystalは半分が紅赤色べにあかいろ、もう半分は濁りの一切ない透明な色で染め上げられている。強い光を持ち続けているそれの下部に添うように浮揚しているのはアルファベットの文字。


“Sincere Heart Crystal”


「シンシア、ハート、クリスタル……?」


 乱れた呼吸を整えながら、誠也が途切れ途切れに呟いた。


「誠実な、心……」


 輝紀が続けて呟くと、互いの顔を見合わせた。


『そう! Crystalにはひとつひとつに意味が存在しているのです! 過去の所有者の因果を引いた、最も相応しいとされる意味が』

「最も、相応しいとされる意味……セイ!」


 その意にまで、救いを求めてよいのだろうか。だが、笑みは溢れる。誠也は同じように朗らかな表情をした輝紀に頷いた。



 ◇◆◇



 賢成から真相が物語られていくにつれ、真也の刃先に込められていた力は次第に緩んでいった。その刃先は遂に落下し、真也は崩れるように芝の上へと座り込んだのだ。


「……リー、リー!」


 囁くような声でゆうは手招きをしながら何度か梨紗りさへ呼びかけた。梨紗は賢成と真也の空気感を乱さぬよう、そろりそろりと抜き足差し足近づいてくる。


「何だよ」

「ニン、頼んでいいか?」

「……分かった、任せとけぃ」


 真っ赤に染まった優の左目からは強い意思を読み取ってくれたようだ。力の入っていない仁子の身体を慎重に梨紗が抱え受ける。優は立ち上がり、右手で赤い剣の柄をぐっと握り締めた。


「……おい。あいつ、何するつもりだ……」


 優の動きを遠巻きにつばさがちらりと背後を振り返ると、杏鈴あんずは少し斜めに首を傾げる。わたるも不安を感じているようだ。


「……ユウ?」


 振り返ると不安気な仁子の眼差し、優は赤い左目で受け止めた。言葉にはせぬが、大丈夫だ、と訴えかけると、少しばかり、仁子の顔に滲んでいる緊張感は和らいだ。


「さっき、話す前に言ったこと」


 真也と向かい合ったままの賢成が口を開いた。


「二人は、かけ違え続けてしまっただけなんだ」


 一歩一歩、賢成は真也に歩み寄っていく。


「殺したいなんてさー、とんでもないよね~」


 掴み上げられた真也の胸倉。賢成はそのまま叫び続けた。


「セイは嘘なんてついてない、ずるくなんてない、逃げてなんていない! セイは今も逃げずに戦い続けてる! セイはお前を護りたいがためだけに自分を偽り続けてた!嘘の偽りじゃねえ! それはだ! お前の笑顔、ただそれだけのために、自分の全てを両親と言うどぶに投げ込み続けていたんだ!」


 真也は何も言わず、賢成の強圧な表情からも目を背けず、しっかりと見返している。


「セイはたった今この時でさえも、お前が生きてるってずっと信じてる! お前の帰りを待ってるんだよ! あの日から一度もお前のことを忘れた日なんてセイにはない! ずっとお前を大切な家族だって思い続けてるんだよ!」


 ズシャンッ!


 その叫び終わりに重なった音。散り飛んだ黒と赤の混じった布の残骸に、真也は振り向き唖然とした。


「全部見えてんだよ! このバカ弟め!」


 真也の背負っていた“A”のアルファベットを、優は斬り裂いたのだ。


 赤い剣をかざし上げ突如介入してきた優を、真也は変わらず驚きの眼差しのままで見つめている。


 語られた双子の過去とすれ違った気持ち。優の見える左目だけには、それらの全てがその時そのまま映像化され流れていたのだ。


 剣を鞘に納めると、優は真也の身体を自身のほうへと向けさせ、その両肩をがちりと掴んだ。


「こんなアルファベットいらねぇ! っつーか間違ってんだろ! よくよく聞いてりゃお前、見捨てられてなんていねぇじゃねぇか! デッド様だかなんだか知んねぇーけど、そいつは神様なんかじゃねぇよアホか! お前とセイを引き裂く決定打をぶち込みやがったただの悪魔なんだよ! それに居場所ってのはな、もらうもんじゃねぇ、自分の手で構築するもんだぜ!」


 真也の真っ黒な両目に色が浮き上がる。


「こんな時になんだけどよ、俺から一個真也にクイズを出す! 超絶簡単だから安心しろ!」


 優は右手の人差し指をビッ、と立てると、真也の前へ突き出した。


「よっし、さあ問題です! 空に浮かぶお月さん、どうやってあんなに綺麗に光っているでしょうか!?」


 周囲からは「はあ?」と言う声が一斉に漏れたが優は動じない。先程までのダークさを明らかに排出し始めている真也は、本来の素直さを取り戻しつつあるのか、目をキョロキョロさせ真剣に答えを導き出そうとしている。


「はいブッブー! 時間切れだ! 何で分かんねぇんだよたっく」


 キュッ、と渋い顔になり、唇を噛みしめる真也。


「なあ、知りてぇか? 答え」


 そう問うと、真也は表情を緩めコクコクと頷いた。


「正解は、太陽から光をもらっているからでした!」


 真也の両目が、はっと見開いた。


「凄くね? 俺さ、これ知った時まじでびっくりしたんだよな。それまではお月さんは自分で光ってると思ってたからよ、太陽とそんな密な関係にあるなんて衝撃だったんだよ」


 優は高くしていたテンションを下げていく、潤み始めた真也の瞳を見つめながら。


「だから分かったんだよ。セイが心から笑うことができねぇ理由が。お前が、隣にいねぇからなんだよ、真也」


 真也の片方のひとみから真っ黒な涙が溢れ頬を伝った。


「お前を失ったその日から、セイにはもうずっと朝がきてねぇんだ。あんな小せぇ身体にとんでもねぇ闇抱え込んで、ずっと閉じこもってんだ」


 ああ、だめだ、我慢できそうにない。優の声は震える。


「本当は、思ってねぇよな? 殺してぇなんて……ド不器用すぎてしょうがねぇやつだけどさ、どんな時だってお前のことを一番に思ってる、最強のブラコン野郎だぜ」


 こんなに近いのに真也の顔が見えなくなった。優につられた真也はボロボロと次々に涙を零す。闇が浄化されていく。穢れた黒色の涙は純粋な透明へと変化した。


「お前に本当に必要なのは誰だよ! お前自身が本当は一番よく分かってんだろ! 過去も今もこれから先の未来も全部、お前の人生にセイがいないのも、セイの人生にお前がいないのもあっちゃならねぇんだ! 変な意地張ってんじゃねぇよ!」


 優は真也を包み込むように抱き締めた。


「生きてて、よかった……」


 ここにはいぬ誠也の気持ちを余すことなく代弁し切った。真也を抱き締める優の腕の力は増した。


「帰んぞ真也。っつか、だだ捏ねてもぜってぇに連れて帰るからな! 分かったか?」


 真也は激しくしゃくり上げた先で荒々しく咽せると、飲み込んでいた漆黒呪いの砂の一部を吐き出した。胃液に溶かされたようにドロリと液状化しているは逃げ込むように地に浸透していった。


 キュ、と男にしては小さめな両方の手が優の背中を握った。


「ほんと、はねっ……せいと、もっと、いっぱい遊びたかったし、話したかった……ナリくんとも三人で仲よくしたかったし、一緒にいっぱい笑いたかった……」


 賢成が真也の背中をそっと撫で始めた。


「誠とね……どんどん、話せなくなっちゃった。両親も……冷たくなっていって、誠も俺と目を合わせなくなって……家に居場所がなかった。誠は頭がよくて、優しくて、可愛がられてて、羨ましかったし、嫉妬した。正直、誠がいなかったら、両親から必要とされてたのかなあって考えちゃってた。暴言吐いて……謝らなきゃって思っても、ごめんねって言えなくて……家庭の環境は最悪になって……もう、何も取り戻せないって思った」


 左肩に埋められた茶色の頭を、優はポンポンと撫でてやる。


「誠にっ……辛いんだよって伝えたかったし……何で無視するの、護ってよ! って、我儘だけど、言いたかった。でもっ……誠は、ちゃんと俺を護ろうってしてくれてたんだね……」

「ああ」

「誠と……ちゃんと向き合いたい……会って、話がしたい。ずっと、辛い思いをさせてしまったことを、謝りたいっ……そんな簡単に、許されることじゃない、けど……」

「何言ってんだよバーカ」

「ふえ、いたい……」


 ふにゅっ、と優は真也の赤らんだ鼻先を摘まんでやった。


「セイがお前を許さないわけねぇだろ。それに俺はセイのことも真也のことも、悪いなんて思わねぇけど。こいつの受け売りみたいでゾッとするけど、互いのボタンをただたくさんかけ違っちまっただけだと思うぜ」

「あっははのは~♪」

「あー、やっぱうぜぇな、うん」


 気楽そうに笑った賢成にイラッとしたが、優は真也に視線を戻した。


「まあ、真也が罪を感じているならこう言うけど、ぜってぇ大丈夫だから。仲直り出来る」


 ひとみを一際丸く、大きくすると真也は自ら優に抱きつき直した。


「ユウくん、不思議。セイみたい……」

「え? 何だよそれ、全然似てねぇんだけど」

「ううん……似てる……お兄ちゃんだ」

「おいよせよ。セイに嫉妬されるわ、怖いったらねぇよ」


 真也はぐしぐしと小動物のように、優の服に涙を擦りつけた。


「あ! このやろっ、ぜってぇ鼻水つけただろ今!」

「ねえユウくん……りんご食べたい」

「りんご? あー、あれならあんじゃん。お前が拒否したナリの齧りかけ」


 優が身体を縦に伸ばして覗いた先には、粉々になってしまったりんご散らばっている。


「ふふっ、やだ。汚いもん」

「ちょっと真ちゃん~、聞き捨てならないね~。地面に落ちたから汚いんだからね~」


 柔い笑顔だが全力で否定をする賢成に、真也はくすくすと可愛らしい笑い声を上げた。


「それにね」


 真也の満面の笑顔に、止まったはずの優の涙は再びひとつの筋を造り、流れ落ちた。


「うさぎさんのかたちがいー」


 変わっていない、誠也の大好きな太陽のような笑顔だと、優には分かったのだ。


「それは、帰ってから兄ちゃんにお願いしな……!」


 ビクッと優と真也は同時に肩を揺らした。


「な、何だ、これ!」


 突如赤色に輝き出したた自身の左胸と左手首に戸惑う。真也の左手首についているブラックのACエーシーは毒素が抜かれていくように色を変え、時計針の上辺りに“SINシン”と文字が刻まれた。


「お前もか!」


 賢成にも同じ現象が起きている。赤、青、黄の光が天に昇るように伸びていく。


「凄いわ、綺麗……何?」


 ようやく梨紗の手を借りずに身体を起こしていられるようになった仁子は、空に集まっていく三つの光を興味深そうにまじまじと見つめている。


 一方、賢成の胸部から伸び上がった青の光に、翼の中で生まれる疑念。航を見やると、真也の胸部が黄の光を放っているのに驚き切っているらしく、翼の送る視線には気がついていない。


「ちょ! 黄色じゃん! ってことは、しん、本来あたしらのチームの人だったんだな! すっげー!」


 航とは対照的すぎる梨紗に、翼は呆れ混じりの溜息をついた。


「ヨク、どうかしたの?」

「……いや、大丈夫だ。何でもない」


 翼の様子の変化に気がついた杏鈴が声をかけたが、それだけ言い返すと、翼はブルーの光線を捉え、口を噤んでしまった。


 三色の光がスゥと消え姿を現したCrystal。


「すげぇ……」


 その美しさと輝きに、圧倒される。優のCrystalは全面が真っ赤なくれないに染まっている。真也と賢成のCrystalは、色のそれぞれ半分が、黄蘗色きはだいろ露草色つゆくさいろに色づけられており、もう半分はまっさらな透明色で形成されている。それぞれの下に浮かび上がっているのはアルファベット。真っ赤な炎のようなCrystalは“Hot Heart ホットハートCrystal”。

 深みを感じる青のCrystalは“Earnestアーネスト Heartハート Crystal”。

 

 そして、明るく輝く黄色のCrystalは――。


「えーっと、俺のはー……わ!」


 真也が自身のアルファベットを目を細めて読み取ろうとしたその時、ぐらりと視界が激しく揺れた。


「まじかよ! またいきなりって、あ!」


 優が声を上げたのも無理はない。浮かび上がっていたCrystalが空に吸い込まれるように消えてしまったのだ。


「あれ~? あれさ~、多分集めないと未来ぶっ壊れるってやつだよね~?」

「てめぇは何でこんな時までそんな呑気なんだよ! って、うっ!」


 賢成を怒鳴りつけつつも手放すまいと優は真也の身体を強く抱き込む。世界はぐるぐると渦巻きながら歪んでいく。第一の物語の終焉は告げられたのだ。


 各々が叫ぶ声が入り混じる中で、意識は途絶えた。



 ◇◇◇



 優達の前から姿を眩ました三つのCrystalは、もうひとつのCrystalと合流していた。誠也と輝紀の前で、ふわふわと踊っているかのように浮かんでいる。


 第一の物語の終焉まで描かれたページ、誠也にとって心の底から感極りないものだったが、涙は既に乾き穏やかな表情を浮かべていた。


「“熱い心”か、ユウらしいね」

「そうですね」

「ナリのは、どう解釈するのが正しいんだろうね、真面目な? でいいのかな」

「あとは、真剣なとかですかね?」

『お二人とも不正解でございます。ナリ様のは “一途な心”にございます』

「へえ! そういう解釈か」


 フォールンがいそいそとページを捲りながら答えると、輝紀が少し驚いた。


 誠也が捉えるは、真也のCrystal。


“Bright Mind Crystal”


「“ブライトマインドクリスタル”。明るい心。真に、ぴったりなCrystalだ」


 誠也の顔にはもう、暗い陰はかからない。戻ってきたから、ずっとずっと待ち続けていた太陽の光が。


「そうだね。本当に、よかった……」

「はいっ……」


 フォールンがパチンと小さな指を鳴らす。四つのCrystalはブックへ近づくと、そのままページの中に溶けるように吸い込まれていった。


『無事に回収完了! おめでとうございます。第一の物語はこれにて完結です!』


 フォールンの言葉を皮切りに視界がぐらつき始める。



 そして、誠也と輝紀もそこで意識を手放した。

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