Ⅷ◆完成したパズル◆


 ―せいしんと俺 中学校三年・始業式の日・事件―



「わ! なりくんやった! 同じクラスだよ!」

「おっ、本当だ~! やったー!」


 中学三年の初日、春の柔らかい日射しの中、誠と俺は昇降口のガラス扉に貼り出されたクラス分けの用紙の前でハイタッチをしていた。


 すっかり当たり前になっていた誠の笑顔。俺と過ごすようになってから誠に声をかける生徒は歴然と増加した。


「お、真の兄貴一緒じゃん、よろしく~」

「あっ……あっ、よ、よろしく、です」

「ねえ誠、一回前も話したことある子だよ~?」

「そ、だよね。ご、ごめんなさい」

「何で敬語なの~? ねえねえ何で~?」

「もう! 成くんうるさいっ! 黙ってて!」


 面白い具合に何度同じ人に話しかけられても緊張して一発目の言葉を詰まらせる誠の初々しさには毎度笑わせられていた。


 ふと、向けられている視線に気づく。誠が別の生徒と話している横でそちらを振り返ると、少し離れたところに真が立っていた。


 声をかけようと思ったが、俺に手を振り笑みを浮かべた真は友人に囲まれ、そのまま俺の前を横切っていってしまった。



 俺には分かったんだ。



 俺が振り返る直前まで、真の顔は非常に冷酷だったに違いないと。


 それは誠を明らかに視界に入れないようにし歩いていく背中と、ほんの微かだったが漂ってきたほろ苦いあの香りが知らせてくれたんだ。


「成くん!」

「……あっ、ごめん」


 この知らせは、緊急事態の前触れの警報。


「成くん、今日の放課後楽しみだね」

「うん~! そうだね!」


 この日の放課後は春休み中から、誠に椿家へ招待してもらっていた。真のあのオーラを思いやんわり断ったにも関わらず、しぶとく誘い続けてきた誠の行動が気がかって、俺は朝から鳴り続けている心の警報音をシカトし椿つばき家へと足を向かわせた。


 到着した家は普通以上の容貌、非常に立派で大きい一軒家だった。きちんと手入れされているプランターの花々も美しい。


「ただいまー!」


 緊張しながら玄関扉を潜ると、ご両親が素敵な笑顔で迎えてくれた。名乗って深くお辞儀をし靴を揃えて上がらせてもらうと、誠が階段を上がっていくのに続く。ご馳走になる夕食が準備されるまでの間は、誠の部屋で過ごすことになっていた。


 その途中で、俺はある異様さに気がついた。階段に飾られている家族写真に、警報音のボリュームが少し上がる。


「どうしたの?」


 階段の途中で動きを停止した俺を誠が振り返った。


「写真、可愛いなあって、二人そっくりだね」


 写真自体は、誠も真も満遍なく飾られていた。


「へへっ、ありがとう」


 だけど真は、ひとりで映っている写真しかなかったんだ。


 誠は父親の腕に包まれたり、母親の膝に乗せられたり、両親と触れ合っているものばかりで、まるで真を見せしめにしているかのよう。



 おかしい。



 違和感が膨れたのは夕食が出来上がった報せ受けた時だった。外はもう陽の光に照らされていないし、時計の針も十九時前を差していた。


「あれ、真は?」


 俺は去年の梅雨から溜まりに溜まっていた疑問は、もう抑えられそうにない。真は帰ってきていない。部活をしていたり塾に通っているのなら話は別だ。俺の把握している真の日常の中にそれらは存在しない。それなのに、家族でも何でもないぽっと出の友人である俺と共に先に夕食を始めるのか? おかしい、やっぱりおかしい。


「真はいつも結構遅くまで遊んで帰ってくるから、基本一緒にご飯食べないよ」

「え、でも、待ったほうがいいんじゃない~?」


 俺の提案に誠の両方の瞳の色は切り替わる。そして渇いた声でこう言った。


「いや、大丈夫。気にしないで」



 ◆



 リビングへ案内されると、やたらと煌びやかで豪勢な食事がずらりと並べられていた。


「ん~、凄くいい匂いですね、美味しそうです」



 いや、気にせずにいられるわけがないよね。



 悶々としている感情を堪える中での褒め言葉であるとは悟られなかったようで、双子の母親は俺に歯を見せ笑んだ。


「ありがとう。賢成まさなりくんで合ってるわよね?」

「あ、はい~。合っています。こちらこそ初めてお邪魔するのに、こんなご馳走まで気を遣わせてしまってすみません」

「いいのよ。遠慮しないでたくさん食べてね」

「成くん座って」


 誠が引いたその椅子は本来真のいるべき場所なのだろう。断ろうにもダイニングテーブルは丁度四席しか用意がない。俺は真の帰りを気にしつつも、仕方なくその椅子に静かに腰を下ろした。


 双子の父親と母親、誠、そして俺、奇妙な四人での会食は始まった。


 や、普通なら、別に奇妙じゃないんだ。でもこの家は普通じゃない。おかしすぎるんだ。


 長きに渡り考え続けていた、完成までは恐らくあと数ピース。


 思いの外、双子の両親との会話は弾んでしまい盛り上がった。誠の父親が楽しそうに大きな声で笑う。


「賢成くん、おもしろいなあ」

「いやいや~、そんなことないですよ~」


 無理に口角を上げているのは、裏の顔を隠すためか?


「成くん、凄く頭がいいんだよ! テストも毎回ほぼ百点なの!」

「凄いわね。塾に通ってるの?」

「いえ~、通ってないですよ」

「やはり勉学は大事だな。教養を深めると知識が増えて、自然と会話も面白くなるものだ」


 父親の言葉にうんうんとやたらに頷く母親。本当に共感しているんだろうか?


「そうなんですかね~、でも、誠は口下手ですよね? 賢いですけど」


 中心に入り込んで分かり始めたうさん臭さに、俺は反論混じりで切り込んでいた。


「そう、この子昔からそうなのよ。だから今日お友達連れてきたいって言った時は、びっくりしたの。冗談かと思ったら、こんなに素敵なお友達で、嬉しいわ」

「礼儀もいいし、行儀もいいし、うちの子になって欲しいくらいだ」

「も~お父さん、やめてよ。家族になったら成くんとお友達でいられなくなっちゃうじゃん」


 わざとらしい父親のもの言い。俺の前とは百八十度違う誠のキャラクター。



 俺は最後のワンピースを拾い上げた気がした。



「ああ、そうだな。すまないすまない。絵に描いたようないい子だから、ついつい」

「誠は、ひとりで過ごすことが多い子だったんですよ」

「ええ、聞いてますよ~」


 おいおい、どこにやってんだ?


「しつこく何度聞いても、毎回ひとりのほうが楽、付き合いは適度でいいって言うものだから、でもやっぱり本当は、そうじゃなかったのね、特定の仲のいいお友達、欲しかったのね」


 この家のどこに、真の居場所があるんだ――?


「うん。お友達欲しかった。成くんとお友達になれて、嬉しい」

「あ、あの」


 他人事には首を突っ込むものじゃない。分かってる、分かってるよ! だけどこの時ばかりは我慢がならなかった。俺は会話を遮るように口を挟み込んだが、遅かった。


 パリーン!


 ぶち壊されたガラスの音に、心がえぐれたような気持ちに駆られた。


 腰は抜けてしまい椅子から崩れ落ちた母親を父親が支える。金属バットを片手にリビングの出入口に立ちはだかっている真の形相に皮膚が粟立つ。


 だけど誠は、真から目を逸らそうとはしなかったんだ。



「もう、うんざりだ。俺は出ていく、世話になったな、さようなら」


 誰の声も響かない。今すぐ俺が真を止めたいくらいだったが、そうしてはいけない気がした。


 俺は祈るような思いで誠に視線を送り続ける。真はバットをその場に捨てると、スタスタと玄関へと向かい始めてしまった。耐えかね誠の背中を叩こうと手を伸ばした瞬間、その身体は動き、スリッパで割れた破片をゴリゴリと踏み散らしながら、はっきりとした声で真を呼び止めていた。


「待ってよ! 真! どうして、こんなことするの。やめてよ!」

「調子に乗んなよ、嘘つき」

「え……?」


 嘘、つき?

 

 蘇る、真と初めてあった日のこと、会話、表情。



 ――ねえ、それ黙っててあげるから案内して! 絶対に誰にも言わないから!


 ――ほ、本当……嘘、つかない?



 真は誠の胸倉を掴み上げると、意のままに殴りつけた。


真也しんやっ……お前、いい加減しないか!」

「いい加減にすんのはどっちだよ!」


 瞳孔の開き切った瞳で、真は父親に怒鳴り返す。


「お前らはいつもそうだ。いや、もうずっと前からそうだった。俺の存在は消してるんだよ。そりゃそうだよな。こんな出来の悪い息子、生まれなかったことにしてえよな!」

「真……何言ってるの……うっ!」


 誠の真っ赤になった瞳とガクガク震えている声に、心臓が押し潰されそうになった。真は容赦なく再び誠の胸倉を掴み、その眼前で絶叫した。


「てめえは大嘘つきだ! 俺に言ってることとあいつらに言ってることが全く違ってんのを俺が知らねぇとでも思ってたのかよ! よかったな。俺がいたお陰で普通の息子以上に可愛がられてよ、毎日楽しくて仕方ないだろ。自分のつく嘘に俺が翻弄されて親父に殴られて母親には避けるようにされてるの見て、優越感に浸ってるもんな! いつも心の中でせせら嗤ってるもんな! 挙句の果てにダチまで出来て、いらねぇっつってたダチまで出来て? 俺が地獄に落ちる姿を見るのを待ち遠しくしてたんだろ!」


 全く仲裁に入ろうとしない両親を見かね、俺が制止へ入ろうとするまでの僅かな


 バシンッ!


 誠が右手で真の左面を張った。


「……違うっ……」


 誠の目からは零れる大粒の涙。


「……違うんだよっ……真……信じてよ……」

「どの口がその台詞言ってんだよ。てめえの虚言癖にはうんざりなんだよ! まじで頭湧いてんだろ、死ね!」


 心を引き裂くような言葉で誠を罵倒すると、真は家を飛び出した。


「真っ……! 待って! 真っ……!」

「やめなさい誠也せいや! 追う必要はない!」


 自制を失いつつある誠が泣きじゃくりながら立ち上がりかけたのを、父親のドぎつい声が抑えつけた。荒くしゃくり上げながら父親を見つめる誠の身体の震えは止まらない。父親は散らばったガラスを避けながら誠に近づいた。


「どうせいつもの反抗だ。直きに帰ってくるさ、気にするな。それより痛かっただろう、怪我したんじゃないか?」


 誠と真で違いすぎる父親の態度に、俺の全身にさえも憎悪が巡ったのは言うまでもない。心底普通じゃない。俺でも分かる真の異常を、平然と見ぬ振りをしてのけようとするなんて。


「……怪我?」


 真を追わなくては――胸のざわつきが収まらない、まずいのレベルじゃない。パズルを完成させた俺に今この家に滞留する理由は存在しなかった。


 父親から逃れられぬだろう誠を置いて、取り急ぎ真を追うべく忍んで足を一歩前へと踏み出したその時、誠が思い切り父親の手を叩き落としたんだ。


「怪我なんてっ……もう何年も、むしろ生まれた瞬間からし続けてるよ!」

「誠也、どうしたんだ? 誠也らしくない……」

「僕らしいって何!? はいはい何でも頷いて言うこと全部聞いて学校終わったらすぐに帰ってきてずっと勉強机に向かうのが僕らしい!? お父さんは何にも分かってない! もう嫌だ! どう見てもいつもと違ったじゃない! どうしてお父さんは真を褒めてあげないの! どうして真の名前を呼んであげないの!? どうしてあんなに冷たくするの!? 何で見ない振りするの!? どうして家族なのに真をいないことにしなきゃいけないの!?」


 父親の身体を、昂ぶった感情任せに誠は押しやった。


「真は小さい時から明るくて元気で友達思いで僕なんかの何倍も子どもらしくていい子なんだよ! どうしてそれが分からないの!? 真こそが本当の子ども! あんな風に僕も生きたかった! 真と一緒に生きて来たかった! お家に必死になって帰らずに真と一緒に外で遊びたかった! 僕は真みたいになりたかったよ! もうお父さんの言うことなんて聞きたくない!」


 誠はよろけながらも立ち上がると涙だらけの視線をしくしくと泣き続けている母親に向けた。


「お母さんもお母さんだよ! お父さんに怯えて、ただの言い成りじゃない! お母さんは自分のことしか大事じゃないんだよ! 僕達のことなんて護ってくれないんだよ!」


 危なっかしく破片の上を越え、誠は冷蔵庫の扉を開けると、真っ赤な色をしたりんごをひとつ握り締めた。


「もう自分じゃない自分で生きるなんて出来ないよ!」

「誠也!」


 父親の制止を最後まで聞き入れず、誠は真を追い駆け出していった。


 茫然とする他人の父親と、泣き続ける他人の母親という状況に囲まれた俺。どうしようかと心から迷ったが、誠と同じようにガラスの破片を越えると、深くお辞儀をした。


「お父様、お母様、他人の僕がしゃしゃり出るのはいかがなものかというのは重々理解しておりますが、ひとつだけ言わせて下さい。すみません」


 二人の瞳が集まるのを感じてから、俺は、らしい緩い笑みを浮かべて、意味深く伝えたんだ。


「お二人は、誠也くんと真也くん、です……失礼します」


 再度深く頭を下げ、俺は誠の背中を追い駆け始めた。



 ◆



「誠!」


 震えた身体に鞭を打ちながら走る誠にはすぐ手が届いた。振り向いたその顔は変わらず涙でぐちゃぐちゃ。


「……成……く……」


 苦しそうに呼吸を繰り返す誠の背中を強く擦ってやる。


「真のいきそうな場所、手当たり次第に探そう!」


 心当たる場所を探したが、真の姿は見当たらない。そして最後に辿り着いたのが、あの丘の上の公園だった。


「くそ、いないか」


 土管の中を筆頭に公園内をぐるりと見て回ったが、ここにも真はいなかった。



「……し、ん……」



 誠は足から崩れ落ち、ブランコの周りを囲う低い高さの枠へすがるように片手をついた。憔悴しきったその様子を直視するのは辛いが、俺は誠也の左肩に手を添えながらしゃがんだ。


「……あ、そう、か……りんご……うさぎさんじゃ、ないからだ……」


 左手のりんごをぎょろりとした眼球で見つめる誠は狂っていた。


「……りんご、切らなきゃ……りんご、りんご……ナイフ……ナイフナイフナイフ」

「誠!」

「ナイフナイフ……成くんナイフ頂戴! りんごを切ったら僕死ぬから! うさぎさんにしたら僕、真のために死ぬから早くっ」


 俺は誠の頬を拳で殴りつけていた。


「何言ってやがんだ目え覚ませ! そんなことしようもんなら真はますます帰ってこなくなるぞ!」


 言ってしまって我に返る。反動に任せて俺は誠を強く抱き締めた。


 誠は俺の腕の中で叫び上げながら泣き続けた。その左手のりんごは何があっても手放すまいと、泣き続けたんだ。


 ◆


 真の行方はその日を境に不明となった。双子の両親は警察に連絡を入れると言う正常な行動を取ってくれ捜索活動も数日に渡り行われたが、告げられた結果は「恐らく、もう……」と言う絶望の決まり文句だった。


 真の最後の目撃情報があったのは、やはりあの公園。ランニングをしていた男性が丘を駆け上がっていく真らしき姿を見かけた気がすると言う曖昧なものだったが、それは十分すぎるほど誠の心に居た堪れない後悔の念を掻き立てる証言だった。もっと早くにあの背中を追い駆けていたら。あの手を握り引き止めることが出来ていたら。


 それから数日後、誠はあの公園のブランコに座りながら、真実を俺に話してくれたんだ。



 ◆

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