Ⅵ◆図書室に隠れた闇◆


 ―せいと俺 中学校二年・梅雨―



 その翌日から俺は行動を起こした。放課後のチャイムが鳴った瞬間、即座に図書室へと向かう。それを繰り返して数日が経過していたが、しんの双子の兄貴とは中々巡り会えない。あの情報がでっち上げなんじゃないかとさえ考えたが、真の幼馴染が他人の作り話をするようにも思えなかったから、諦めずに俺は足を運び続けていた。


 ガラリ、と今日も扉を開けるが、求める姿はやはりない。室内に響くは外から入り込んできた虚しい雨音だけだ。


 軽く肩を落とし俺は本棚を漁る。適当に昔読んだことのある一冊の本を取り椅子に座った。実は読書は好きなほうで、それなりの冊数を今までに読んできていた。


 この学校の図書室は広くて比較的居心地がよい。強まった雨の中を帰るのも面倒だと感じた俺は、そのまま本を読み進めようとしたが、ふいに一番後ろのページを開いて軽く目を見張った。


 差し込まれている貸出カード。そこにはたったひとり、“椿誠也つばきせいや”の名が記されていた。


 一番前に戻り、脳内に内容がインプットされているページのところどころを拾うように読む。


 その時だった。図書室の扉が開いたのは。


 

 視線を向けると、そこには髪色も背丈も顔も全て、真とそっくりな兄貴が立っていた。待ちわびていた姿。すぐにでも声をかけたかったが、俺はぐっと堪えてページを見ている振りをしながら動向を探った。


 兄貴は借りていた本をカウンターで返すと、うろうろと室内を歩き回り始めた。そして新たな本を数冊手にすると、偶然にも俺の斜め向かいの席へと腰を下ろした。


 しばらく様子を窺っていたが、俺は遂に意を決した。


「あの~、すみません」


 図書室のモラルは出来る限り守らねば、そう思いつつ小声で呼びかけてみるが、読むことに集中しきっているのか兄貴には聞こえていないようだ。


 だから俺は、呼びかけかたを変えてみた。


真也しんやくんの、お兄さん」


 素早すぎる反応に驚いた。バッと俺のほうに向けられた兄貴の顔を今でも鮮明に覚えている。たくさんの色を混ぜすぎたその瞳は、おかしなくらい濁っていたから。

 

「……そう、ですけど、何か?」


 あからさまに嫌そうだ。俺を気持ち悪いと思っているんだろうな。


 俺が敢えて向かいに座って見せると、反射的に兄貴は椅子を少々後ろに引いた。コミュニケーションが心底苦手なのだろう。上手く俺と視線を合わせられないようで、兄貴は俯き加減だ。


「ちょっと~、ひどい。俺、変な人じゃありませんよ。白草賢成しらくさまさなりって言います。しがない転入生とさすらいの旅人のかけ持ちやってま~す」

「はあ……あの、真とはどういうご関係でしょうか?」


 こちらが名乗ったにも関わらず、名乗り返しもせず怪訝そうにする兄貴に俺は思った。こいつはこんな感じでも、ちゃーんと兄貴なんだって、のことを気にかけているんだって。


「そうですね~。一緒にびしょ濡れになった関係、ですかね〜」

「なっ! 何なんですかそれ! 真に変なことしないでください!」

「じょ、冗談ですよ~。同じ教室で過ごす、ただのクラスメイトです」


 分かってはいたが、冗談が通じるタイプではない。それを聞けて俺に興味がなくなったのか、再び兄貴は本を読み始めてしまった。


「……あの~」

「……何でしょうか?」

「まだ、お兄さんのお名前をお聞きしてないんですけど」


 俺はその名を知らぬ振りをした。


「誠也、です」

「どんな字書くんですか?」

「 “まこと”っていう字に……“や”は、真の“也”と同じです」


「へぇ~! “誠也”に“真也”か~。二人とも嘘をつかずに真っ直ぐ生きるようにつけられたんでしょうね~」


 俺の適当な発言は、どうしてかこの双子の心に引っかかりを生むようで。の瞳は初めて会った時の真と同じように、妙な潤みを持ったんだ。


「あ~、すみません。全然、意味違いますよね。今のはさすがに適当過ぎました」

「いえ……ほとんど合っています」

「え! まじですか~!」

「名の通りには、僕は、育ちませんでしたけどね」

「どういう意味ですか?」

「僕は……。真は、凄く正直でいい子なんです。ぜひ、仲よくしてあげて下さい」


 俺からの返答がないことを不思議に思ったのか、誠は顔を上げた。俺は込み上がってきた笑いを堪えるのに必死になっていた。そんな俺を誠は理解し難い生きものであると感じたのか、眉間に皺を寄せていく。


「大丈夫、ですか? 何か、おもしろいこと、ありました?」

「ええ、大いにありましたよ~」


 何とか腹を抑えて笑いを止め、俺は手にしていた本を誠の前にそっと差し出した。


「自分で自分のことを大嘘つきなんて言う人がどこにいるんですか。どう考えても、誠也くんは大嘘つきじゃないですよ~。だって嘘つきな人は、そんな自分を晒すわけないんだから」


 誠は本に視線を落とさない。


「誠也くんは清々しいほど正直な人なんですね、きっと」


 笑うことも怒ることも悲しむこともせず、しばしの間、じっ、と俺を見つめ続けていたんだ。




 ◆




“モラルは出来る限りでなくきちんと守りましょう”。席を少しばかり外していた図書館司書が戻ってくるなりごもっともな注意をしてきたため、俺と誠はその場をあとにすることを余儀なくされた。


 花壇に植わっている紫陽花あじさいに降りかかり続ける雨を窓から見下ろした誠の小さな背中は憂鬱そうに感じられた。


「あ~、ねえ。もしかして傘がないの?」


 ビンゴだ、誠はこくりと小さく一度頷いた。だから放課後図書室にきたのか、なるほどね。今日はたまたま会えたってわけか。


「じゃぁさ~、昇降口までひとまず一緒にいかない?」


 咥えタバコの闇を探るのはそう簡単ではないと数十分の間で切に理解をした俺の視点は、この重苦しい顔にどうやって感情を誘き出すかへいつの間にかシフトしていた。いくら周囲から真と正反対の性格の持ち主だと認識されていても、ここまで愛想ひとつ振ってこぬのはいかがなものか。人見知りが極めて激しいやつだとしても、感じよく挨拶されれば、せめてギリギリの口角上げくらいは披露出来るように思う。誠がここまで感情を縛りつけるのには、それなりの闇があるだろうと判断出来た。下手すりゃ真より深いかもしれない。


 何より誠の笑顔を拝まない限り、何をどう頑張っても永遠にあの苦い煙の回答には辿りつけないんじゃないかと感じたんだ。俺はどうしてもこの双子の兄弟を心配してしまう気持ちを抑えること出来なかった。


 真にしろ誠にしろ、赤の他人だ。こんなに他人へ干渉をしようとしたことなんて今までにはもちろんなかった。だからこの自身の行動には、一番自分が驚いていたんだ。


 いや、これは決しておせっかいじゃない正義だ! なんて、史上最強のおせっかい野郎が吐くような言葉を心の中で無限ループし続けているうちに、昇降口へと到着した。


 各自下駄箱から下靴を取り出し、上靴を仕舞い入れる。シルバーカラーの傘立てから透明なビニール傘を取り外へ踊り出た俺に、誠はトコトコとついてきた。俺はビニール傘をワンタッチで広げる。


「じゃ、帰ろっか~」


 その傘の柄を誠に握らせると、俺は全力ダッシュでそこから離れ始めた。


「えっ!? ちょ、ちょっとあの!」


 意味不明すぎる俺の行動に、さすがの誠も表情を変えずにはいられなかったようだ。今の流れなら広げた傘を差した俺の口から「入れてあげるよ」の言葉が出るのが最も自然だろう。ただその行動を取ることは不正解だと思ったんだ。恐らくその提案をし慣れ慣れしく接しようとするならば、誠は激しく拒絶を示す違いない。それを避けるため、俺は“変なやつ”の印象だけを誠に埋め込んでみようとおかしな行動をわざと取ってみたのだ。


 あっと言う間に前髪から滴り落ちてくる雫を拭いながら振り返ると、思った以上に駆け込み過ぎたらしい。棒立ちになっている小さな姿に思いっ切り笑顔で大きく手を振った。


「俺ね~、制服雨で洗いながら帰るから大丈夫~! それあげる! あ、あと!」


 両手を口元にあてメガホンのようなかたちを作り、俺はさらに声を張り上げた。


「その本さー! すっごく切なくなるよねー! 俺も本読むの好きなんだ~! 人間ってさー! ないものねだりだよねー! 俺もそうだよ~! 気をつけて帰ってね! ばいば~い!」


 そのまま振り返らなかったから、それを叫んだあと誠がどんな顔をしていたかは今も知らない。去り際に触れたのは、誠が一度図書室から借りていたあの本の内容。それがボタンのかけ違えのエッセンスそのものになっていただなんて。この時の俺の言葉を、誠は想像を超える苦しさを感じながら受け止めていたんだ。


 勘は鋭いほうだと正直自負しているところがある俺でさえ読み取るのが困難なほど、誠の抱えている感情は複雑なものだったんだ。



 ◆

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