■Past Side NARI■

Ⅴ◆土管に隠れた闇◆


 ■Past Side NARI■



 ―しんと俺 中学校二年・梅雨―



 転入初日、天候は最悪。途中でしとしと悲しみを放出するかのように降り出した雨に、新しい学校への道筋を記した紙はふにゃふにゃにやられてしまった。


 親切なおじいさんが大きい傘があるからと小さな折りたたみ傘を恵んでくれたことに心から感謝しつつ、このまだ見知らぬ地を野生の勘だけを頼り進む。もちろんそのおじいさんにも、途中にあったコンビニでも道を聞いてみた。しかし、あっちだと言われても、住所を教えてもらっても、やはり何も分からないこの地では、結局分からないのだ。


 そうしているうちに閃いて、丘を登ってある場所に辿り着いた。ブランコにジャングルジム、シーソーに鉄棒と、どこにでもあるような普通の公園。街を見下ろしてみる。しかし、目的の学校がどれであるのか見当はつきそうにない。


 途方に暮れかけた俺の鼻先を、ほろ苦い香りが掠めた。一周ぐるっと見回してみたものの、人陰はない。ふいに、数え漏れていたひとつの遊具に気がつき、俺はそこへと忍び寄った。土管の穴を遠目からそっと覗き、上がりかけた声を呑み込んだ。


 タバコを咥えぷかぷかと煙を上げていたのは、目を何度擦って見ても俺と同じ学ランをきている男子生徒だった。見てくれは至って普通。髪の毛を金に染め上げたり、だらしなく制服を着崩している様子もない。もちろん靴のかかとも踏んだりしていない。ちょっといきがった学生であってくれたほうがありがたかったのに。


 明らかに吸い慣れているその手つき、それに全く悪びれる素振りはない。俺の心に湧いた感情はただひとつ――この子、やばいね。



 そもそもタバコってどういうきっかけで吸うのかな? 単純な興味? かっこつけたいから? イライラを鎮めるため? おいしいから? いや、どれもしっくりこない。そうだ、しいて言うならこれかな。いき場のない思いでいっぱいになっているから。


 放って置いてはいけないと、保護者のような思いが湧いた。そのまま見つめていると、男子生徒は溜息混じりに何かの用紙を粉々に千切り、土管の中にばら撒いた。


 俺は迷ったが、転入初日の遅刻を防ぎたい気持ちもまだ残っていたため、思い切って男子生徒に声をかけてみることにした。


「おはよ~ん!」

「う、わ!」


 男子生徒はうわずった声を上げた。


 そりゃ驚くよね。こんな朝に土管の中を覗いてくる人間なんてそうそういないだろうから。タバコもライターも持ったままだ。隠そうともしないんだね。本当に驚かせちゃったみたい。


 俺は男子生徒の緊張をほぐそうと、緩く笑顔を浮かべて見せたんだ。


「あ、ラッキ~、君、同じ学校だよね?」

「あ、うん」


 特に喧嘩っ早そうな感じじゃないし、悪い子そうじゃないな。


「ちょっと場所が分からなくてさ、連れてって!」

「はい? いや、分かるでしょ」


 俺はこのままの勢いで、学校までの道案内を頼んでみることにした。


「分からないんだよ~! とにかくお願い、遅刻しちゃう!」

「え、でも、傘ないし……」

「ふっふ~ん、俺が持っているのさ~」

「いや、それ折り畳じゃん。絶対入れないよ二人は」


 案外強情だな、思い切って揺さぶってみるか。


「ないよりいいじゃない~、それに、君、雨にやられたからこんなところでおタバコしてたんでしょ~?」

「えっ、あ!」


 やっと気がついたみたいだね、こう言った交渉は弱みを握った者勝ちさ。問題のを仕舞おうとする男子生徒より俺が手を掴むスピードのほうが早かった。


「ねえ、それ黙っててあげるから案内して! 絶対に誰にも言わないから!」

「ほ、本当……嘘、つかない?」


 遅刻を鐘に告げられるまでのタイムリミットが一秒一秒短くなっていくのも気がかりで仕方がなかった俺は適当に言葉を繋げただけのつもりだった。けど、男子学生のひとみが妙な潤みを持った気がして、俺の心には引っかかりが増えた。


「つくわけないじゃない、俺は嘘は嫌いなのさっ。あ、それプラスそのライターとおタバコのセットをそこにあるゴミ箱に捨てていくならね~」


 タバコに関して見過ごすのはいけない。俺は何気なしに彼にそれらを手放すように促した。


「……分かった。じゃあ、約束」

「うん! 約束~!」


 差し出した俺の小指に、男子生徒は極素直に指を絡めてきた。


 約束通り男子生徒がそれらを捨てるためにゴミ箱へと向かう隙に、俺は土管の中を覗いた。黄色のタオルの忘れもの気づくと同時、俺は彼が破り捨てた紙に書かれている文字の一部を解読してしまったんだ。


“家庭訪問”


 俺はサッと黄色のタオルを自分の鞄に入れると、何食わぬ顔で男子生徒のほうへと駆け寄った。


 彼は恐らく、本当はだ。気がついちゃったけど顔も可愛いし。え? 関係ないって?

 

 だけどやっぱり、やばいものは、やばいよね。


「でも、助かったよ。それらのお陰で、あの中に君がいることに気がつけたんだから」

「へ?」

「ほろ苦いその香りに誘惑されちゃいました~ん」

「な、何その表現」

「ま、君のしていることは決してよくはないけれど、お礼は言いますっ、ありがとう」

「ふふっ、ねえ、変わってるって言われるでしょう」

「え~、どうして分かったの? 天才?」

「そんなわけないじゃん。俺はペーペーだよ。ってか、早くいかないとじゃないの?」

「あ、そうだった~! レッツゴ~!」


 俺の走るスピードに追いつけず、男子生徒は瞬く間にずぶ濡れになった。おじいさんからもらった傘は残念ながら学校まで保たずに壊れてしまい、結局俺も同じようにずぶ濡れる羽目になった。


 走っている途中で振り返り、目に飛び込んできた男子生徒の笑顔は、本当に眩しかった。あんなキラキラした顔して笑う人間が存在することを初めて知りみたい、そう思ったせいで、俺は男子生徒の心に住みついている闇の存在が余計に気がかってならなくなったのだ。


 偶然にも俺が転入したクラスに男子生徒はいた。名前は椿真也つばきしんやと言うらしい。


 初日から多くの人に囲まれ恵まれた俺はその日の下校を、たまたまと仲がよさそうな男子生徒数人と途中まで共にすることになった。


「あれ、今日、真は?」

「隣のクラスのやつらにサッカー誘われたから遊んで帰るってさ」

「はー、まじいいよなあ、あいつの家。子どものやりたいこと尊重してるもんな。俺なんて無理矢理塾入れられてさ、あーいきたくねえよ」


 その戯言は、今朝に造形された俺の引っかかりに激しく衝突してきた。


「ねえねえ~。えっと、それ、真也くんだっけ? 今日俺とずぶ濡れになってくれたさ~」

「あ、そうそう」

「今時珍しいね。結構お受験しましょ~みたいなさ、スパルタ家庭多いじゃない~」

「だよなあ。あいつ昔から自由でさ。毎日遊び呆けてばっか。まあ上手いこと担当分けされてるから勉強に関してはお咎めがないのかもしれないけどね」

「担当分け~?」

「あいつ、双子なんだよ」


 俺の頭の中に、ピーンと糸が張り詰めた。


「へえ~! あんな可愛い顔した子がもうひとりいるんだ~! 同じ学校だよね?」

「うん。真は弟で、兄貴は誠也せいやって言うんだけど、顔はそっくり。でも中身は笑えるくらい真逆! ほんとに血繋がってんのか? ってよく周りから言われてるよ」

「そうなのか~。て、ことは、真也くんは遊ぶ担当で、誠也くんがお勉強担当っていう感じ?」

「その通り。俺小学校から二人と一緒なんだけど、兄貴はまじで一匹狼。基本必要時以外は人と群れないで、いつも図書室にいるって感じだった。それに比べて真は俺達にひっつくひっつく群れる群れるでさ。改めて話してみるとまじで違いすぎて驚くわーあの双子。双子であんなに違うって中々珍しいと思わねえ? やばいよな」


「あっはは~、そうだね~、それはまじで」




 やばいね。




 俺の直感は働き、その“やばい”の根源が何であるのかが、少しばかり見えたような気がした。



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