六章:太陽ノ隠シゴト

※◇23.欲しい言葉


 吸い込まれた六人は向かい合って円になり、底の見えない真っ暗闇のAdaptアダプト:適応空間を猛スピードで下っていた。


 真っ直ぐに、ただひたすらに、落ちていく。


「ひゃっほ~! これ楽しくね? 最新型のジェットコースターみたい!」


 計り知れない状況下をも楽しむ梨紗りさに、少々引いているわたる。胸の前で両手を重ね、黙って不安な表情をし続けている杏鈴あんずの様子を気にかけるつばさ。そんな四人に反し、ゆう仁子ひとこは落ち着いていた。


「ねえユウ、私達どうなるの?」


 やけに響き渡った仁子の声に、四人の視線が優へと集まる。


「さあ、俺にも分かんねぇ」

「さっき何が見えたの?」


 杏鈴も梨紗の視線がある一点に集中する。赤いままの優の左目。そもそも気にならないほうがおかしいのだが。


「あ~、何だろうな」

「はぐらかさないでよ。セイに関係することでしょう?」

「だからはぐらかしてんだろ」

「何よそれ。私達にだって知る権利があると思わない? gameゲームに参加しているんだから」

「gameの進行には関……」


 一瞬悩んだが、優は続けた。


「他のやつらにはちょっと通じねぇけど、これでお前がちっとは大人しくなるだろっていうひと言なら伝えてやる」

「何よ」

Dark Aダークエーは倒すな」

「……はあ?」


 少し考えたのち、仁子は思いっ切り“不満”と言う二文字を顔面全体に貼りつけた。四人も名称的にそれがこの面のボスであるのだと理解した様子だ。


「はあ? じゃねぇよ。お前賢いんだろ、察しろ」

「言いたいことは分かってるわ。でもあの戦闘能力に対してこっちが手加減する余裕なんてどう考えてもないじゃない。大人しく殺されろって言うの!?」


 恐ろしい単語に航が身震いする。困ったように優は頭を軽く掻く。


「そうじゃねぇけど、そうするしか方法が思いつかねぇんだよ。それにナリがいるだろ?」

「……いや、きてないが」


 翼の発言は適切だ。だが、語れることは憶測しかない。


「今はな。クソ意味わかんねぇ変態ストーカー野郎かもしれねぇけど、セイのことは大事に思ってるはずだ。あいつの戦闘能力は俺達の中で圧倒的だし、あいつがくることを信じて、それまでの時間稼ぎとして意地で粘るしかねぇ」

「粘るって……ナリがくる保証なんてないじゃない! 信じてどうにかなる問題じゃないわ!」

「だから、仕方ねぇんだよ。信じる以外今他に出来ることねぇだろ!?」

「なぁ、全然話が分かんねーんだけどさ、つまりは旅人がちゃんときてくれるってことを前提として、そのボスを出来るだけ傷つけないようにしながら頑張って戦ってみればいいってことだよな?」

「リー……多分ニンの表情からそんな簡単なことじゃなさそうだよ」

「へ?」


 とことんあっさりを極める梨紗は素晴らしい。ある意味でだが、尊敬すべきだ。


「ユウ、くんと、は……」


 ようやく聞こえた杏鈴の声に、五人の視線は一気にそこに纏まった。杏鈴の両手は胸元から首元へ移動している。服の中に包み隠しているネックレストップを握っているようだ。


「助けたいの? Dark Aを……」


 潤んだその瞳に、にっと優は笑みを返した。


「まぁ、そんな感じかもしれねぇっ、おわ!」


 乱れ始めた空間。

 吹き荒れる突風。

 響く悲鳴。


 優は咄嗟に仁子を引き寄せた。同じように翼が杏鈴を引き寄せ、航は梨紗にしがみつく。


 一度閉じた両目を薄く開く。煽るように舞い上がってくる大量のそれに見覚えがある。ミルキー色の小さなハート型をした鉱物だ。


 下を向くと、それらの隙間から、ちらちらと色が見える。右の目には映らない、その色を認識しているのは赤い左目だけ。あの世界だ。スクリーンで見たクォーツ王国が地の見えない底のほうで広がっている。


「おい! もうすぐどっかに着くかもしれねぇ!」

「ユウ、聞こえないよ!」


 風に邪魔され音は互いに届かない。

 

 増え続けるクォーツに視界の全てを遮られ、意識は真っ白になった。



 ◇◆◇



「どうしよう、身体を拭かないと、風邪を引いてしまいそうだね」

「仕方がないです。自然乾燥させましょう」


 残された誠也せいや輝紀てるきと肩を並べて砂浜に三角座りをしていた。


 誠也がトップスの裾を持ち、パタパタと空気を含ませ始めると、それにつられた輝紀も、纏っている緑色のBバトルクローズをはためかせる。

 

 輝く満月だけを残し、その他全ての景色はおぞましいグレーに染め上げられた。ブラックホールが去り際に撒いた呪いだ。


「ああ……Cコールは飛ばせないみたいだね」


 輝紀がACアダプトクロックを操作し溜息を漏らした。どうやらブラックホールに呑まれたMember達との連絡手段もグレー色に封じられているらしい。


「みんな、どうなっているだろうか……」

「僕は、心底、自分勝手で、ずるい」

「どうしてそう思うの?」


 ポツ、ポツと呟いた誠也は、輝紀を窺う。何とも言えぬ優しい表情だ。そんな顔をされたら消さねばならない甘えたな感情が湧き上がってきてしまう。誠也は輝紀から視線を逸らし、波打つ水面に向けた。


「あの公園だったから、ただそれだけなんです。Crystalクリスタルに選ばれし者なんだ、未来を護れるのは僕達しかいない、これは必然なんだ! なんて、かっこつけた壮大な理由に本心は隠して……失踪した弟と何か関係があるのかもしれない。僕がこの本ブックを信じた理由はたったそれだけ。だから正直、みんなを巻き込んだなんてこれっぽちも考えてなかったんです。でも」


 違う、逸らしちゃいけない。語り出してそう思った。誠也は手に拳を握りながら、霞んでいる視線を輝紀へ戻した。輝紀は同じ顔をしたままで頷く。


「こんな自分を必死になって庇ってくれる思いやりのあるみんなに触れて今更目が覚める。僕は何てことをしたんだろうって。このgameに参加したことで、僕がみんなの人生を狂わせてしまったのかもしれないって。こんな僕のために、今彼らが得体のしれない目に合っていると思うと、凄く苦しい」


 輝紀は何も言わず、ただ静かに誠也の話を聞いている。


「自分さえよければいい、僕は救われたいってそう思ってました。クズで最低です。結局僕は、あの時から何にも変わっちゃいない。弟が僕を嫌っていたのも当然です」


 さざ波の音。ザザン、ザザン、と押し引きを短く繰り返す。喉元まで感情がせり上がっている誠也を表しているかのようだ。



「本当にごめんなさい」



 その波に埋もれず、誠也の声はよく響いた。眉が中心に寄る。苦しい。俯いてしまった誠也に、輝紀が投げたのは至って穏やかな声だった。


「ねえ、セイの弟さんって、どんな子だったの?」

「えっ……」

「いなくなってしまったっていうのは大分前に少し話してもらっていたけど、詳しく聞いたことなかったなあって。あまり触れちゃいけないとも思っていたから」


 苛まれている罪の意識は変わらない。けど今は、今だけは、ほんの少し、その重さが軽くなっている気がする。誠也は、スウ、と息を深く吸い、吐き出した。気持ちを固め、麗しい満月を見上げた。


「僕をと例えるなら、彼は。彼はとても明るくて、素直で、笑顔が本当に眩しくて、とにかくやんちゃで元気な子だったんです。」

「へえ、じゃぁセイとは真逆な性格って感じかな?」

「はい。全然似てなくて、周囲からもよく驚かれていました。本当に血繋がってるの? って」

「え!?」

「あ、繋がってますよ。ちゃんと、本当の兄弟ですっ。安心してくださいっ」

「ごめん。一瞬驚いてしまったよ」


 誠也と輝紀は思わず軽く笑い合う。


「まあ、我儘だったり、せっかちな部分もあって……あ! あと食いしん坊。弟、りんごが凄く好きだったんですけど、僕の分までいつも全部食べちゃうんです。でも、そういうところもまるっと含めて、可愛かった」


 輝紀がふふっ、と笑い声を漏らした。誠也はゆっくり長めに空気を吸い込んでから続ける。


「実は僕、昔はもっと人見知りがひどくて、人付き合いがとにかく苦手で、幼い頃から小学校までは全然友達がいなかったんです。弟は社交的で、人気者で、スポーツが得意で。そんな弟が元気にみんなと遊んでいる様子を図書室から本を読みながら眺めるのが、僕の日課でした」

「そうだったんだね。でも、どうしてセイが弟さんに嫌われるの? 穏やかに見守ってくれるいいお兄さんって感じじゃない?」

「弟はそれが嫌だったみたいなんです。友達のいない陰湿な雰囲気の兄なんて、どう考えても嫌ですよね」

「でも、いじめられていたとかではないよね?」

「はい。そうではないです。僕自身はひとりでいるの、全然平気だったんですけど、弟はそれがずっと気に食わなかったんだと思います」


 腑に落ちない様子を見せながらではあるが、輝紀はうんうんと頷いた。


「小学校の低学年くらいまでは会話も多かったし、二人で遊ぶことも凄く多かったんですけど、成長していくと共に、どんどん会話も少なくなっていきました。正直、家庭の環境、よくなかったんです」


 輝紀の右眉がぴくっと動く。誠也は切な気な笑みを浮かべた。


「父親は、今時珍しいかもしれないんですけど、とても厳しい人で、母は専業主婦で、基本父の言いなりで……僕が弟に声をかけにくくなった理由はそこにもありました」

「もしかして、弟にだけ、父親のアタリがきつかった?」


 的確に射抜かれた。何をしても過去が変わるわけじゃないのに心は重たくなる。誠也は輝紀と同じ、神妙な面持ちをして、大きく頷いた。


「父は有名大学を出て、大企業に勤めていることから勉強にはうるさかったんです。僕は学ぶのは元から好きで、それなりに父に納得してもらえる成績を取っていたんですけど、弟は勉強は得意じゃなくて、父親と頻繁に言い争っていました。僕と弟の関係がさらに悪化したのは小学校六年辺り。そして中学二年の途中で、僕に初めての友達が出来たことは、彼に大きな打撃を与えてしまったんだと感じています。僕に出来たその初めての友達が、ナリくんです」

「ん? 弟さんが失踪したのって……」

「中三の春、始業式の日です。弟はナリくんを特別な友達だって感じていたんだと思います。でも、僕が奪ってしまった」

「奪う? 意味が分からない。友人に奪うも何もないよね?」

「それが弟の中には感情としてきっとあったからこじれたんです。ナリくんは中二の梅雨の時期に他校から弟のクラスに転入してきたんです。あの頃からあんな感じのゆるい雰囲気でちょっと独特でした。別のクラスの独りぼっちの僕に、ナリくんはどうしてかやたら声をかけてきたんです。弟が失踪してからなんですけど、それは弟を助けたいって思ってくれてて、弟を知るためにきっかけを作ろうとしてたからだって分かったんですけどね。今もニンとかに言われてますけど、当時は本当にストーカーみたいでしたね」


 輝紀が険しくしていた表情を緩ませる。誠也も苦めではあるが、軽く笑い上げた。


「もちろん、警戒していたんです。でも、正直どこか嬉しかった。僕なんかに、あんなに話しかけてくれた人はナリくんが初めてだったから。何回も会話交わすうちに、ナリくんの前では心から笑うことが出来ている自分に気がついたんです。いつの間にか普通の仲よしになっていて、学校内でも自然に一緒に過ごすようになっていました。ただ、その僕の姿が周囲の目にはついたようで。同じ小学校から上がった人からしたら、僕が人と笑い合っているのは衝撃だったみたいなんです。僕がナリくんと仲よくしているという噂はもちろんすぐに、弟の耳へと入りました」

「ちなみにナリには弟さんとの関係のことは話していたの?」

「いえ、話していませんでした。家庭内の事情だったし、親しくなっても互いに踏み込んではいけないラインは守っていたように思います。それは今も変わりません」

「なるほどね」

「テルキさんがおっしゃるように、話していたら弟の失踪を防げたかもしれません。そうだったらあの日、彼が消えた日、ナリくんは僕がしつこくした家への招待をかたくなに断ってくれたかもしれないから……」

「それがきっかけで言い合いになってしまったんだね?」

「はい……玄関の辺りで、揉み合いになりました。弟は、僕に全てを奪われていると思っていたんです。僕のほうが勉強が出来る、僕のほうが親に大事にされている、僕に友達が出来た、僕の何もかもが癪に障っていたんです。僕の存在が弟にとって、邪魔で腹立たしくてどうしようもなかったんだと思います。飛び出した彼を追おうとしました。でも、父親の罵声に対して遂に我慢の糸が切れて言い返してしまって……感情の昂りに翻弄されて弟を追わなかった自分に思い返すだけで鳥肌が立ちます。弟を庇ってやれなかった自分が情けなくて。僕が臆病でなければ、すぐに追って彼の手を引いていれば、本音を、ぶつけられていたとしたら……」


「そして、いなくなってしまったんだね」


「はい。あの公園での目撃情報を最後に、行方が分からなくなりました」


 

 通り抜けていったひどく悲しそうな波の音。それは奏でたのは海ではない気がして、誠也は顔を上向けた。



「いなくなって、七年目の春です」



 輝紀も、誠也と同じく月を見つめた。


「ありがとう。辛い話を聞かせてくれて」


 ふるふると、誠也は首を横に振った。


「でも、まだ、何か言いたそうだね」


 輝紀の瞳が光っている。誠也の心の奥に隠れようとしている感情を吸い出すように。


「……僕が、殺した」


 一瞬目つきを鋭くして誠也は輝紀を睨むようにしたが、たちまちにいっ、と笑って見せた。


「そう、

「……“”んだね?」

「はい。今は、ユウくんの言葉を信じていたい。生きているかもしれない。結局また、他人任せで心底自分にうんざりするけど、ほんのわずかな、奇跡的に見つかった夢のような可能性に僕は賭けたい! あんなままは嫌なんです! あんなまんまで、終わりになんてしたくないっ……」

「きっと、夢じゃないよ」


 輝紀が目線を落とし、グッと両方の手に拳を握った。強い力が籠っている。


「僕もそう信じる。それに、謝らないで」

「テルキさん……」

「初めは僕もだったけど、ユウやニン、Crystalに選ばれし者達全員、多少の差こそあれども戸惑ったと思う。でもきっと、が手に入ったら、みんながセイから欲しい言葉はたったひとつじゃないかな」


 輝紀の片方の手が開かれた。ゆっくりと伸びてくる。そして、誠也の背中に辿り着いた。


「“ありがとう”って……」


 伝わる優しさと温かさ。誠也は伏し目がちになる。


「自分を責めるのはもうよそう。セイはクズなんかじゃない。こんなにも弟さんを思ってるじゃない。セイは弟さんのこと素直って言うけど、端から聞いた僕はちょっぴり意地っ張りなところもあるんじゃないかなって感じたよ。兄弟って、難しい。でも、かけがえのない大切な存在。僕はそう思ってる」

「……はい」

「弟さん、セイのこと嫌いじゃないよ。嫌いどころか……おっと」


 言いかけて、オーバーリアクション気味に両手を広げて輝紀は肩を竦めた。


「この続きは、から聞くのがベストかな?」


 溢れ出る感情を押し込めるように、誠也は何度も、深く、深く頷いた。

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