※◇22.友を庇うオモイ
「ころ……した……?」
その傍らで、
「そう言うと、
誠也が笑みを浮かべる。それを見た仁子の緊張は少しだけだが解れたようだ。
“A” “b”
優の左の視界には血文字のアルファベットが浮かび上がってくる。
「今年の四月で七年目。彼がいなくなってしまってから」
“Aban”
一文字ずつ、指で書かれているかのようにじわじわとその数は増えていく。優は解読を試みながら、誠也の話にも耳を傾ける。
「彼?」
「僕の、弟」
仁子が切な気に眉尻を下げた。
「失踪したんだ。優くんが夢で見た……そう、僕が
“Abandon”
「警察に捜索願を出したけど、見つからなった。恐らくもう、生きてないだろうって。その日僕、弟と言い合いになっちゃって、弟はそれで家を飛び出していったんだ。僕がいなければ、言い合いなんてしなければ、無理にでも引き止めていればって。後悔したところで何も生まれないことは分かっても、頭では、分かっていても……」
誠也の声が震えているのが分かる。頬を伝うのは雫。
「生きていて欲しい。あれから願わずにいられた日は一度もない。でも、どれだけ願っても彼が帰ってくることはやっぱりなくて。生きているはず、心のどこかではずっとそう信じてた。けど、やっぱり、彼の姿が戻ることはなくて……僕が殺した。そう思った」
仁子のほっそりとした綺麗な指先が伸びていく。誠也の目から溢れ出る涙を優しく救い止めた。
“Abandone”
「ずっとそう思っていた中で、Crystalのブックが僕の元に現れた。それも、弟が姿を消した公園で。もしかしたら、失踪したことと関係があるんじゃないかって、期待してしまっただけなんだ」
誠也が仁子の目、そして、優の姿を順番に捉えた。
「僕の私情で巻き込んでしまって、本当に、ごめんなさい……」
“Abandoned”
優の右手は動く。人差し指を激しく動かし、砂の上に文字を書き殴るように刻んでいく、誠也と仁子は息を呑み、食い入るように光景を見つめている。
左目の霞が消えると共に、血文字で刻まれたアルファベットも消えていく。浮かび上がってきた映像は、フラッシュのようにハイスピードで切り替わる。
背の小さい黒髪の男の子。ゆらゆらと揺れる空っぽのブランコ。男の子に黒い砂の入ったコルクつきの小瓶を差し出す凶悪なオーラを放つ漆黒の姿。男の子の左手首に巻きついたのはブラックカラーの
膝を砂に擦りながら優の書いた文字を解読しようと身を寄せてきた仁子は、その文字を視界に入れた途端、瞳孔を開いた。
「
「誠也」
仁子の声に被せ、優は誠也の名を呼んだ。
「優くん! 目、どうしたの!?」
誠也だけでなく、優の顔を見た仁子の瞳孔もさらに広がった。こんな顔をさせてしまうと思っていたからあまりばれたくなかったが、やはり避けられないか。だが今はどれほど赤く染まっていようが、どうだっていい。
「きっと、関係ある」
「えっ?」
「お前の弟、まだ、きっと生きてる」
誠也の周りでだけ、一時的に時が止まった。無理もない。ずっと、苦しみ思い悩んできたのだから。誠也は開きっ放しになっていた口を閉じた。それは頭の中で弾けて散らばってしまった色彩の破片が、少しずつ繋がり合い始めた合図だ。
「ほ、本当に? な、何が見えたの!?」
「 “見捨てられた”?」
誠也は顔を声がしたほうに向けた。潮風に掬われた仁子の声は、よく響いた。
「“
そのまま抜けていくかと思いきや潮風は留まった。狙いを定めて、優が記したアルファベットを巻き上げるように一文字ずつ消していく。
誠也の話、左目に見えた映像、そして“A”の血文字の意。何もかもが申し分なく優の中で結びついた。
「これは、ある意味とんでもねぇ、バトルになるかもしれねぇ」
パンッ!
最後の“A”の文字が潮風に弾かれ消えた。
急激に暗くなった視界。大きな影に包まれているようだ。その違和感に空を見上げた誠也は吐き出そうとしていた息を吸い込んだ。
「何あれ!」
満月はその美しい光を失っていく。じわじわと迫った黒い影は、その全面を丸ごと覆った。
三人は同時にびくっと肩を揺らす。突如響き渡ったカラスの鳴き声。辺りを見渡してもそれらしき姿は一羽も見えぬのに、その鳴き声は幾重にも重なり喚き続く。
優は頬を掠った違和感に空を見上げた。ヒラヒラと舞い落ちてくる大量のカラスの羽。闇に呑まれた月が放ったのだろうか。避け切れないと分かっていても、身体は反射的に羽を避けようと動いてしまう。あたふたとしているうちに、攻め立てるように鳴り響いた爆音に、心臓は飛び跳ねた。
「いやあっ!」
「折笠!」
音だけではそこから上がったとは思えぬが、仁子の悲鳴は今の爆音の発生源が砂浜であることを裏づけた。
優は仁子の手を取り引き寄せると、誠也のことも急かし、海のほうへと逃げる。
「な、何なの、これ」
灰色と化した空間の中で、見る間に砂浜上に拡大していくはブラックホール。六角系をかたどっているように見受けられるその形は黒のCrystalを表現しているかのようだ。
地獄だ、と思った。今すぐ襲いかかりたいと言わんばかりにぐるぐると渦を巻く脅威に硬直してしまった誠也と仁子。このまま三人でいるのはまずい。優は
「折笠、Name押しとけ」
優の指示に我を取り戻した仁子は指を動かす。
「優……くん?」
「お前は押さなくていい」
仁子と同様の反応を誠也も示したが、その手を動かさせまいと、優は掴んで静止させた。
優と仁子が赤色の
「ユウ、お待た……」
「……これは、一体」
落ちてくる黒い羽を
「ユウ何だよその目、充血やばくね?」
「とりあえず、ナリ以外か」
「ねえユウ! 迫ってくるわよ! どうするの!?」
仁子の形相は鬼のよう。未知すぎる状況に冷静さを失っている。優は仁子の目を見て一度深く頷いた。
「もう、時間がねぇからお前らぜってぇ納得しろ! つか、はい以外なしで! 恐らくこれから第一の物語のボス戦だ。この穴ん中入るぞ。セイとテルキさん以外」
淡々と述べすぎたか。誠也が顔を引き攣らせたのはもちろんだが、それ以上にギョッとしたのは青と黄のBを纏ったMember達だった。
「ユウちょっと正気!? 呼ばれてきてみて結構きつめなんだけどぉ」
「しょうがねぇだろ」
「いやいや無理だろ。バカじゃねぇの」
「いや、だからしょうがねぇんだよ」
「……いいえ」
「てめぇこんな時にまでざけんな! はい以外っつたからいいえっつっただけだろ! おもしろくねぇんだよ!」
航、梨紗、翼の文句を全て華麗に拾いながら、優の視線は
「キャァァアア!」
響いた仁子の叫び。
ぐにゃんとかたちを変えたブラックホールは、強力な勢いで吸引活動を開始した。優達選ばれし者を戦いのフィールドへ連行するために。
「テルキさん! セイと海の中に逃げてください!」
優は翻るほどの声で叫ぶと、誠也を海のほうへ突き飛ばした。反応した
「みんな!」
誠也が手を伸ばしている。闇に呑まれていく
「ユウくん何で!? テルキさん離して!」
「セイ。落ち着こう」
輝紀の腕を振り払おうとしながら誠也が叫ぶ。優は答えず、黙ったままで微笑んだ。
六人と言う餌を丸呑みしたブラックホールの腹は満ちたようだ。暴走をやめると、少しずつその穴を小さくし始めた。
「穴が閉まっちゃう!」
「セイ!」
「どうして止めるんですか!? テルキさんはみんなだけいかせて平気なの!?」
「平気なわけないよ! でもユウは考えなしにこんなことをするようなヤツじゃない!」
「ふ~ん、それはどうだろうね~」
ずぶ濡れのまま揉み合う誠也と輝紀の間に割って入ってきたのは、緩さに特徴のある声。
「ナリくん!」
誠也は輝紀の隙を突き、
「ナリくん! みんながその穴に吸い込まれちゃって、僕達もっ……」
誠也の足は目の前で起こった衝撃に、一瞬にして固まった。
賢成は目つきを鋭くすると、スピードを増して閉じようとしていた穴の縁を、背後見ずしてガッと右手で掴んだ。逃げることしか考えていない闇の穴の力強さは、その右腕に浮かび上がる血管から感じ取れる。
「ここに、いて」
「……え」
優しい表情に戻った賢成は、誠也の目を見て、フッと笑みを浮かべた。
「セイは、ここで待ってて」
優と同じ行動を取ろうとする賢成。不甲斐なさに誠也の視界は霞み出す。
「ねえ、どうしてナリくんまでそんなこと言うの? こんなの許されない。僕にはみんなを巻き込んだ責任がある。僕も戦う!」
「それはダメ。させられない」
「どうして? ユウくんもナリくんも意味分かんない!」
「触るな!」
誠也は賢成が掴み続けている閉まりかけの穴に触れようと手を伸ばしたが、響いた怒鳴り声に委縮してしまった。賢成の瞳孔は鋭さを取り戻している。
「そして、絶対にくるんじゃねえ」
まるで蛇に睨まれた蛙。誠也は茫然とし、賢成を見つめ続ける。
「俺はね、セイを護りたいだけさ。それに、もう大丈夫」
賢成は再び表情を柔らかくすると、ブラックホールを引き止めていないほうの手に握っている透明なビニール傘を開き、誠也にそっと差し出した。
「セイは、もうじゅーぶんっ、闘ってるから」
その傘を柄を堪えるようにしっかりと右手で握った誠也の頭を、ポンポンと賢成は左手で撫でた。思い返される。あの苦しみと絶望が生まれた日のことが。
「やばいっ。そろそろ右手限界。じゃぁ、いってくるね~」
「ちょっと待って」
恐れることなく真っ暗な穴に右足を突っ込んだ賢成を呼び止めたのは輝紀だった。
「風の噂に聞いたけど、ないんだろう?」
輝紀が差し出したのは柄の長い緑色の斧。その鋭い刃先を賢成は見つめる。
「持っていきなよ」
誠也は慌てて口を開きかけたが、賢成が二度、首をゆるゆると横に振ったのを見て、静かに噤んだ。
「大丈夫です。俺~、多分素手でいけちゃうんで」
「正気で言ってるのか?」
「ええ。俺、こんなんですけど、嘘はつきません。それに、ボスがこっちに手を回してフォロワーが出てきてしまったら困りますし。テルキさん。セイのこと、よろしくお願いします」
さっきとは違い、賢成は輝紀に、丁寧に深く頭を下げた。
顔を上げ誠也の目を真っ直ぐ見つめ一度大きく頷くと、賢成は自らその黒色の世界へ吸い込まれていった。
消失したブラックホール。輝紀は手にしていた斧を静かに背負い納める。その隣でビニール傘を差したまま、綺麗な色を取り戻した月を誠也は見上げた。
「テルキさん、本当に、不思議ですね」
誠也は傘の内側を左の人差し指でなぞる。すると、その外側でひと粒の水滴が滑り、砂の上に落ち、滲んだ染みを造った。
「濡れてるんです。今日は晴れていたはずなのに……」
「うーん、それは奇妙だね」
輝紀も空を見上げる。切な気に、眉を下げて。
「もしかするとだけど、太陽にも泣きたい時があるのかもしれないね」
輝紀のジョークだったが、誠也は我慢できず、涙をハラハラと零してしまった。今だけじゃない。誠也の中に昇る太陽は、ずっと、ずっと、泣き続けている。
そんな誠也の背中を、輝紀はしばらくの間、ずっと優しく擦っていた。
◇Next Start◇第六章:太陽ノ隠シゴト
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