五章:月ノ秘メゴト
※◆18.赤の少年VSころしや
ザンッ!
顔の左横に落ちた黒い矛先。間一髪のところで
途轍もない恐怖に駆られながらも起き上がり、部屋中の物という物を掴み、“さすらいの旅人”と名乗った敵に向かって投げつける。
パリーンとガラスの割れる音。
ドンっと壁に物がぶつかる音。
様々な音を響かせながらあとずさりを繰り返し、誠也は裸足のまま全力で玄関から飛び出した。
転がるようにアパートの階段を駆け下りながら
《そう、こなくてはね》
剣の刃を介して感じた圧倒的な力の差。誠也は剣を引いて敵と少し距離を取り、
アスファルトの上に擦った身体は痛む。起き上がる過程で左肘に滲んでいる鮮血に気づき唾を呑んだ。止血なんてしている余裕はない。何度も襲いかかってくる敵と剣を交える。だが、相手のほうが何倍も
《いたい?》
そう問いながら、敵は誠也の頭を髪の毛ごと鷲掴んだ。重なる痛みに誠也は歯を食いしばる。
《ねぇ、いたい?》
痛すぎて、声が出せない。
《もしかして、きもちいいの?》
ぶるりと震えた誠也の腹部に捻じ込まれた力強い拳。そのままその拳が繰り返し突き動かされるせいで、だらりと開ききった誠也の口元からは唾液が漏れ出した。
《あははははっ、そのかお、たまんないねぇ》
叩きつけられるように誠也は頭から投げ飛ばされた。
「……っ……だ……れ……?」
痛みに意識が朦朧とする中、誠也は力を振り絞る。敵にばれぬよう手を身体の中心に向け折り込み、感覚だけでACを操作する。
《あ?》
「……ナリく……じゃない……だれ……」
誠也の態度が気に食わなかったらしい。敵は苛立ちを乗せた黒剣を大きく振り上げた。
キィン!
目を瞑った誠也の頭上で激しく鳴ったひとつの金属音。敏感になっている耳で、敵が少しばかりあとずさったのを感じた。
細く開いた誠也の視界に飛び込んできたのは、希望の赤い光。
「おいセイ! 聞こえるか!」
誠也が闇雲に操作したACは優に
誠也の弱った身体は
「お前、なんつーか、フォロワーじゃねぇよな」
誠也を抱えたまま、優は敵を睨んだ。何がおかしいのか全く持って不明だが、敵はくすくすと笑い続けている。
《ソイツのせいでまきこまれて、とんださいなんだな、きさまは》
小馬鹿にしたようなその笑いは止まらない。不甲斐なさと悔しさに耐えきれなくなり、とうとう誠也は右目から涙を流した。
「ああ。その通りっちゃその通りだな。けど」
誠也の涙は、優の左親指に救われる。
「何がどうであれ、人を傷つけて笑うような野郎は許せねぇんだよ!」
誠也をそっとその場に座らせると、優は赤色の剣を構え敵に挑み始めた。
互角の斬り合いを繰り広げている優だが、敵の力の強さは交えた剣から実感しているようだ。
首元に飛んできた黒い矛先をかわし、優は負けじと剣を振るう。しかし、敵の回避スピードは非常に早い。一撃を与えたいところだが中々上手くいかない上、Sを飛ばす隙もなさそうだ。
優は足を踏ん張りバランスを整えると、再び振りかざされてきた黒い剣と赤い剣を交えさせた。そのまま激しい力で押し合う。
「てんめぇっ、まじで何者だよ!」
剣越しに睨みながら優が問うと、再び敵はくすくすと嫌な笑いを漏らし始めた。
《さすらいの、たびびとさ》
誠也と同じく、その回答は予想の範疇になかったようだ。変に気が緩んだらしく、優は左腕を斬りつけられてしまった。
幸い傷は浅そうだが、対して赤い血液は大袈裟に飛び散った。だがそれを受け、優は何かを思い出したようにハッとした。
「お前、もしかしてさっきあの場所にいたなっ」
何がトリガーとなっているのか誠也には判断しかねるが、優の言葉は確実に先刻の戦の中に引っかかりを見つけたことを示唆している。
《さぁ、どうでしょうね》
敵がはぐらかしながら振り上げた黒剣を、優は剣の腹で受け止める。左腕の傷はじくじくと蝕むように痛んでいるはずなのに、優は決してその力を緩めず、そのまま敵を押し切った。
「てめぇ冗談よせよ。それに旅人じゃねぇだろ」
《だからー、さすらいのたびびとです。あ、それとかねるとするならば》
敵が漂わせる不穏なオーラは、ズンっと沈むように黒さを増した。
《ころしや、ですかね。セイせんようの♪》
無意識のうちに、誠也の背筋を悪寒がなぞった。
「なっ」
誠也と同じく優も動揺していたようで、それは容易く敵に見透かされていた。今までとはわけが違う速さで、敵は優の横をすり抜けた。
意気揚々と向かってくる敵に対し、誠也の視界はより虚ろになる。逃げる力が湧いてこない。もう気力は残っていない。
ふと、聞き覚えのある電子音を耳にした。優が駆けながらACに視線を落としたが違う。そうなれば、発生源はたった一箇所、自分の手元だ。
誠也に向かって何かを叫ぼうと口を開いた優の様子が急におかしくなった。足を止め、大きく見張った
黒の矛先が、誠也の胴に向かって突き動く。もうだめだ、無感情に心の中で呟き、終わりを感じたその時だった。
「(もしもし!? セイ!)」
誠也のACから声が飛び出した。声の主は、賢成だ。朦朧としている意識の中で指先は救いを求めて動き、賢成からの
賢成の声が盾となってくれたのか、鈍くなった敵の動きを優は見逃さなかった。敵の背後に迫り首根っこを掴むと、力任せに投げ飛ばした。ようやく敵の小さな呻きを聴けた。明らかに先程までと敵の様子は変化をしている。何かに気が散っているのか、落ち着きがない。
「……ナリ…くん……」
「(さっきはごめん取れなくて! S飛ばして! すぐにいくから!)」
別人ではないかと怪しんでしまうほど、賢成の声にあの緩さは一切ない。誠也の緊急事態を本心にて危惧しているようだ。
「おいナリ! 聞こえっか!」
敵から目を逸らさぬままで、優が大声で賢成に呼びかけた。
「(その声……もしかして、熱血おバカさん?)」
「まじで俺嫌いだわ
一瞬にしていつもの調子へと戻った賢成に、優の本音は我慢出来ずにポロリと転がり出した。
「それよりセイはそれどころじゃねぇんだ! 俺からすぐにS飛ばすから一旦C切ってくれ! って、うお!」
優が地に片膝をついた。突如激しく空間が歪み始めたのだ。
「(どうしたの!?)」
「セイ!」
地を這うようにして傍へやってきた優は力のない誠也の身体に手を添える。視線の先には仁王立ちし、肩を小刻みにして笑っている敵の姿。コイツがこの揺れを起こした犯人だ。
「くそっ! 逃げやって! 卑怯じゃねぇか!」
景色がぐるぐると渦巻き、変わり果てる。
最後に見たのは、ヒラヒラとこちらに向かって手を振る、敵の姿だった。
◆◆◇
ハッと、誠也はベッドの上で目を覚ました。
真っ暗な部屋に響き渡っているぜえぜえと荒い呼吸が自分のものであることをようやく理解する。目だけを機敏に動かし部屋を見回すと、投げつけ散らばしたはずの物達は、所定の位置に正されていた。
胸元を両手でギュと強く掴む。全身から流れていく冷や汗は止めどない。
二度と見たくはない悪夢にうなされていた。いや、これは悪夢ではない――
這いつくばりながら近づいていき拒むように窓を締めた。手に有りっ丈の力を入れて鍵をかける。
音を鳴らし始めた左腕に過敏に反応した。スクリーンに記されている“
「(もしもし誠也! 大丈夫か!?)」
「……優くん……」
大丈夫、と返すことが出来ない自分が情けない。我慢の二文字を頭に浮かべるほど、誠也の目には涙が浮かんでくる。
「怪我とかはどうなってる!? 救急車呼ぶか!?」
身体の傷はまるで何事もなかったようにすっかり消えていたが、敵に深く殴りつけられた腹部の痛みだけはズキズキと残っている。
優にそれを伝えたいが上手く声が出ず、誠也は何度も苦しく呼吸をしながら唾を飲み込むばかりだ。
「(何も言わねぇってことは、ひとまず大丈夫なんだな? そう認識するぜ?)」
言わずとも悟ってくれる優の優しさに、誠也の頬を涙が伝った。
「(なぁ誠也。アイツ、今日のフォロワーとの初バトルの時、多分いた。誠也が向こうで戦ってた時、俺達のほうで倒したフォロワーの黒い血で池が出来てたんだけどよ、そこに赤い血みてぇのが混じってたんだ。誰か怪我したんじゃねぇかって焦ったんだけど、多分それが……今の敵、どう考えてもフォロワーじゃねぇよな。伝えてたら誠也も多少警戒出来たかもしんねぇ。危険に晒しちまって、ほんと、ごめんな)」
見えないと分かっていても、誠也はぶんぶんと首を大きく横に振った。どこまで優は優しいのだろうか。自分なんかを助けにきてくれただけで十分すぎるのに。
「(あとよ、アイツの背中ではためいてた黒色のマント)」
敵の背中を射るように見つめていた優の顔が浮かんだ。
「(その中心に毒々しい色した血文字で大きなアルファベットの“A”が刻まれてた)」
気がつかなかった。いや、そもそも誠也の目にそれは一度も映らなかった。それを映せたのはきっと、優の左目だけ。
「(引っかかることは他にもあるんだけどよ、今は、やめとくな)」
それからしばらく沈黙が続いた。
どのくらい経っただろうか。
眠れずにいた誠也はふと、左腕を見た。時計針は朝の五時を差している。慌てて飛び起きた。通信は繋がったままだ。
「えっ……ゆ、優くん!?」
「(おお、起きたのか)」
誠也が呼びかけると、シャキっとしている優の声がすぐに返ってきた。こちらを気にかけてずっと起きていてくれたに違いない。
「ごめんね! 僕、いつの間にかぼーっとしちゃったみたいで……」
「(気にすんな。どうだ、寝れそうか?)」
誠也は返答を詰めた。どうしても敵に吐かれた恐ろしい台詞の数々が生々しく脳の中を駆けるのだ。
「(目、閉じるだけ閉じとけよ。俺もう寝ねぇし)」
「優くんもしかして仕事?」
「(ああ。早番だから寝たら完全アウト。絶対起きれねぇ。だから起きとく)」
「ほっ、本当にごめんね!」
「(いいから目ぇ閉じろ。仕事いくまでだけど繋いどいてやるよ。それに謝られるより、礼言われるほうが好きなんだわ)」
「……ありがとう」
「(おう)」
誠也は優の思いやりを噛み締めながら両目を閉じる。不思議だ。苦しい気持ちが和らいでいく。そうしているうちに、誠也は夢の中へと溶けていった。
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