◇10.赤の少女と青の少女
「……少し、待っていて下さい」
躊躇せず
壁に凭れかかる
わりとすぐに、再び扉は開かれた。
「……今、いないとのことです。少し外に出ているようで」
「そうなのか、どうする?」
「……探してみますか?」
「そうしてみようか」
四人は階段を下り、棟の出入口を潜って外に出ると、その脇に密集した。
「ってか、よく考えりゃぁさ、探すあて、なくねぇか?」
「……それもそうなんだよな」
「おいっ!」
「少しばかりと言うならば、コンビニ辺りだろうか」
「ちょっと、このまま、ここで待ってみますか?」
誠也が小声でそう提案した、その時だった。
「……おい、あれではないか?」
翼が視線を向けた先に、三人の視線も瞬時に重なり合った。
女学生と肩を並べてこちらに向かって歩いてくるのは、まさに求めていた人物だ。
「ど、どうします? 早くしないと明らかに待ち伏せしていた感が出ちゃいます」
「全員で声をかけるのはさすがに圧力を相手に与えすぎてしまうだろうか」
「……それなら俺ひとりで太刀打ちします。任せて下さい」
変わらず平静さを崩さぬ翼に、誠也と輝紀が期待の混じった笑顔で頷く。翼以外の三人は急いでその場から離れ、少し先にある植木の茂みにしゃがんで身を隠した。
そのまま棟の出入口の前で棒立ちし、その人物が近づいてくるのを静かに待つ翼。誠也と輝紀とは違い、彼に疑いをかけている優は、ひやひやせずにはいられない。
その人物が遂に棟の目の前までやってきた。立ちはだかっている翼に気がつくと、女学生と共に歩みを止めた。
「……」
「……」
誠也が両膝の上にのせている握り拳には、汗ばむほどに力が入っている。輝紀は平常より深めに、ゆっくり自身を落ち着かせるように呼吸をし、優は睨みをきかせながらその光景を見つめ続ける。
「……」
「……」
終わらぬ謎の沈黙に、誠也と輝紀の様子も次第にそわそわとし始めた。
「……あの」
「あの、えーと……どちら様、でしょうか」
その人物から放たれた言葉を聞いた瞬間、優の右手は怒り任せに秒速で
「……ちょっと、失礼」
サッと小走りでその場から少し離れると、
「(……俺だ)」
翼は左手首を口元に押しつけるようにして応答した。
「俺だじゃねぇわ! てめぇまじ舐めてんのか!」
ACを通って響く、優の怒号。
「(……俺がいつ、何を舐めたと言うんだ)」
「うぜぇ! くっそうぜぇ! それよりまずどう考えても知り合いじゃねぇだろお前! 相手の言葉からして!)」
「(……初見だ)」
「ざっけんな―――――っんぐっ!」
茂みの中から叫び上げた優の口元は、後ろから回ってきた輝紀の両手により、強めに塞がれた。
優の叫び声に驚いたようだ。不審そうに翼を窺っていたその人物は、キョロキョロとさらに不審そうにし、辺りを詮索し始めている。
「(……ただ、同じゼミのやつらが美人だと騒いでいたのでな、顔だけは存じていた)」
誠也が苦笑いし、カクッと肩を落としたのが嫌でも分かった。輝紀から口元を解放されると、優は何とか気持ちを落ち着け話し始めた。
「もういいからお前いっぺん戻ってこい!」
「(……戻る? どこにだ)」
「だぁーっ面倒くせぇっ! もうとっととてめぇはカフェの姉ちゃんのとこ行け! 分かったか! 何でもいいから早くその場から立ち去れ!)」
精一杯の優の指示だけはどうにか受け入れたらしい。その人物を振り返りもせず、翼は足早にその場から立ち去った。
翼の背中を見送りながら、優は地面に両手両膝をついて、絶望の香が漂う大きな溜息を落としてしまった。
「疲れるわ! アイツありえねぇ! 体中に埋め込まれてるネジ、全部漏れなく緩んでんじゃねぇのかっ!」
「ゆ、優くん、ごめんね。僕が翼くんの天然な部分を考えないで変に期待したから悪かったんだ」
「バカか誠也! アイツはただこの信じがたい状況を楽しんで、自分の大好きな悪ノリを空気を読むことなくただただ詰め込んでるだけなんだよ! ドン引きするところだぜここは!」
「優……」
「はい?」
「本当に関係ない上に凄く言いずらいんだけどさ、そのー……優のさ、ACの使いこなし方、半端じゃないくらい、す、凄かった、ね……」
輝紀の指摘に、優は翼に対する以上に大きく自身にドン引きし、激しく落胆した。
「あっ!」
それも束の間、誠也の慌てた声色が耳を突いた。
翼と言う奇妙な存在に足止めをくらっていたその人物だったが、棟の中へ入ろうと歩き始めている。
「まずい、早く追いかけないとっ……!」
輝紀が立ち上がるより先に、優は茂みの中から飛び出していた。
「優くん!?」
目的に向かい一直線、全力で駆けていく。
「あの! すんません! そこの、何だっけ、ひとつに髪結ってる人!」
優の予想していた以上に大きな声が出た。誠也と輝紀が茂みの中へと再び身を隠す。
しかし、どうやらその人物に、優の声は届かなかったようだ。歩みは止まらない。
「えーっとあれ、名前何だっけ、確か~、あ! おりかさ、おりかさにんこ!」
誠也と輝紀の表情は俯いたまま一気に引きつったが、遂にその人物は優を振り返り、歩みを止めた。
優の瞳孔は軽く開き、身体は硬直した。振り返ったその人物は、写真の何倍も美しい。全てにおいてどう表現したらよいのか言葉を見つけられないほどに完璧に整っており、思わず見とれてしまう。
優とその人物の間で、ふんわりとした風に乗せられた薄ピンク色の桜の花びらが、ひらひらと踊るように舞った。
優がボーッとしていると、“おりかさにんこ”は隣の女学生を先に棟の中へ入るようにと促した。
「……あの」
完全に場が二人きりの空間と化すと、優の耳には大人びた落ち着きのある声色が届いた。ハッとし目を合わせると、“おりかさにんこ”の表情は、少しツンッとしている。
「私、“おりかさひとこ”なんですけど」
ぱちくりとまばたきをすると共に、優は恥ずかしさの大波に襲われた。
「え、う、あっ、まじか! 悪かったな」
「あなた、この大学の人?」
正式名称“
「ちげぇけど。つか、このビジュアルで分かんだろ」
「ふーん。じゃぁ、さっきの行動がよく分からない茶髪の人とは友達?」
「いや、残念ながら天敵だな」
「ねぇ、一体何? 私さっきの男の人も、あなたのことも知らないわ。そしてその茂みにいるおふたかたもね」
どうやら存在に気がついていたらしい。聡明感を溢れさせている仁子からビシッと指摘を受けてしまった誠也と輝紀は、そろ~っと茂みから顔を覗かせた。
「まさか、新手のナンパかしら?」
くすっと誘うように笑った仁子に、優はにぃっと歯を見せて笑い返した。
「おーう、まさにそんなところだぜ。賢いから話しが早くて助かるわ。なぁ、折笠」
優は自身の左袖を捲り上げると、ズイッと仁子の眼前にACを突きつけた。突然のことに仁子は少し身体を反らしたが、ゆっくりと顔をACへと寄せ直してきた。
「時計? がどうかしたの?」
「心霊現象、的なものって信じるか?」
「はい?」
優は背負っていたリュックの中から、茶色の小箱を取り出した。
「出来れば信じたくはないわね。好みじゃないわ」
「そりゃよかったぜ。俺、
小箱を開いてACを手に取ると、優は仁子のすらっとした綺麗な左腕をぐっと掴んだ。
仁子は僅かに抵抗したが、その力をすぐに弱めてくれた。優はそのまま絡めるように、仁子の左手首にACを装着させる。
すると、そこから突如、真っ赤な強い光が大きく放たれた。光は仁子の左腕をなぞって心臓に到達すると、フッと息を吹きかけられたろうそくの灯火のように消失した。
疑うことしか出来ない衝撃に、小さく口を半開いたままでいる仁子の震える瞳が優へと向けられた。
「気が合うな、きっと俺達」
パタパタと足音が近づいてくる。
「す、すみません折笠さん! その、いきなりこんなっ」
いつにも増して腰の低い誠也。その左腕にもあるACの存在に気がついた仁子の顔が、軽く引きつった。
「本当に何なの? ナンパにしてもこんなの初めてよ。もしかして何かの勧誘者? それならお断りよ」
「何ってー、何なんだろな。俺も聞きてぇよ」
「意味が分からない。これを渡してきたあなたがどうして分からないのよ。今の光は何? っていうか腕、離して……」
周囲の視線を気にして小声になりつつ、優に捕らえられたままの左腕を仁子は揺する。
解放してやる素振りをみせた優に、仁子が安堵の表情を浮かべた刹那、優は捕らえる矛先を仁子の左手のひらに素早く移した。両手で優しく、包むように握り込む。
「まじで俺も何つったらいいのか分っかんねぇんだ。でもとりあえず、お前に一緒にきてもらえねぇと困るんだよ。お前じゃないとダメなんだ。気色悪りぃのは百も承知。ぶっちゃけ俺も今自分が気色悪くて仕方ねぇ。でも、頼む。協力してくれ!」
優が身体を折り深く頭を下げると、輝紀がその漢気に感心した様子で、深めに息をついた。
しばしの間ののち、くすくすと上品な笑い声聞こえてきた。優が顔を上げると、眉間に寄っていた
「ほんっとうに、あなた新種すぎる。怖いけど、何だか笑えてきちゃった」
疑ってはいるものの、優の行動にどうやら仁子はおもしろみを感じてくれたようだ。
「変わらずよく分からないけど、協力って、何をしたらいいの? ボランティアとかなら構わないんだけど、どうやらこの時計からして違いそうね」
「協力してくれるの?」
「内容を聞かないと、それは判断出来ないわ」
誠也の問いかけにピシャリと強めに仁子は言葉を返した。
「その時計についても全部説明する! だ、だから、時間、もらえないかな?」
そのまま誠也と会話を始めた仁子の左手から自身の両手を静かに離すと、優は思わず溜息をついた。そして腰を屈めて、地に転がしたままになっていた茶色の小箱を、ばつが悪そうに拾い上げたのだった。
◇◇◇
行きつけのカフェの前に、翼は到着していた。あれから、優に言われた通り、女性店員へ会うために大学からの帰路を辿っていたのだ。
沈みつつある夕日は海に反射し、オレンジとバイオレットが混ざったような美しい色を放っている。
扉を開け、馴染みの鈴の音を背中で感じながら、キョロキョロと素早く視線を動かす。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
違うと分かりながらも翼は声の主を捉えた。その通り、目的の店員ではない女性がそこには立っていた。軽く会釈し、少し近くに寄る。
「……あの、すみません。今日、
「あぁ、
「……そう、ですか。次、いらっしゃるのっていつですか?」
「明日はお休みだから、明後日ですね」
「……そうですか。分かりました。ありがとうございます」
「何か御用時でしたか? もしよかったら伝えましょうか?」
口が裂けても、言えるはずがない。翼は決まりが悪そうに顔を横に振り、ペコペコと会釈すると、女性店員に背中を向け扉の方へと再び歩き出した。
その時だった。
ちりりんと鈴の音。開くより先に開かれた扉。翼は目を見張った。姿を現したのは、求めていた目的の女性、“
「あっ、あれ? こんばんは。今日もいらして下さったんですねっ」
あろうことかな展開に、翼は息を呑んだ。
「杏鈴ちゃん~! びっくり、ナイスタイミング! 彼、杏鈴ちゃんに会いたかったみたいなの」
「えっ? そうなんですか?」
視線を翼の方へと戻した杏鈴は、再び笑顔になった。その笑顔に翼はこくりと静かに頷いてみせる。
「わたし、うっかり忘れものしちゃって戻ってきたんですよ。少しだけ、待っていてもらってもいいですか?」
「……はい。あの、外で、待っています」
そう言い残し、翼は店内をあとにした。停めていたバイクの元までいくと、ハンドルを持ち、ふぅと小さく息を吐く。
少しすると、白のトップスに合わせた爽やかな水色のガウチョパンツを潮風に任せて揺らしながら、杏鈴が小走りで駆けてきた。
いつも見る制服姿と違った雰囲気に、色々な感情が入り混じっている翼の心はドクンと大きな音を立てる。
ふと、目線をずらすと、杏鈴の首元にはネックレスがきらりとぶら下がっていた。先程まで、ついていなかったものだ。
「すみませんっ、お待たせしました」
「……それですか。忘れもの」
翼の指摘に、杏鈴は一瞬戸惑った様子だったが、ネックレスのことを指していると心づくと、ふわんとした笑顔になった。
「そうなんです。いつもつけているんですけど、今日は首元がどうしても痒くて外したんですよ。そしたらそのままロッカーに置きっぱなしにしてしまって……」
「……いつも、していましたっけ」
「はい。バイト中はシャツで隠れ気味になっているから見えないかもしれません」
「……そうか、なるほど。それにしても、珍しいネックレスですね」
トップに輝いているのは小ぶりのハート型の水晶だ。その中には見た感じ二種類であると見える青色の花びらが浮かんでいる。
「……中の、何の花ですか?」
「それが実は分からなくて。物心ついた時にはお気に入りになっていて、ずっと大事にしていたみたいなんです」
そう言いながらトップを白のシャツの中に見えないように入れ込み、杏鈴はハッとした。
「そう言えば、わたしに御用時があるって、どうされました?」
呼応するように翼もハッとする。意を決し、ズボンのポケットの中にある透明に輝く時計を握る。杏鈴へとそれを差し出すと、彼女の潤った瞳は、きょとんと開かれた。
「あの、これ……って?」
やはり、彼女には見える。真剣に杏鈴の瞳を見つめる。
「……あの」
「はい」
「……さっき、明日、お休みって聞いたんですけど、この後って、予定ありますか?」
「いえ、特には……スーパーで買い物して家に帰るつもりだったので」
「……急なんですけど、海沿いを通って、都会に行きませんか?」
「え?」
さっと翼はバイクのシートの中から、濃いめの青色をしたヘルメットを取り出す。杏鈴の顔には満面の笑顔がポンッと咲いた。
「えっ! いいんですか?」
「……こちらこそ、いいんですか?」
「もちろんですっ! 嬉しい! わたし、バイクの後ろに乗せてもらうの初めてですっ」
「……よかった。あの、ちょうど都会に友人がいて、少しそいつの家に寄りたいんですけど、大丈夫ですか?」
「そうなんですね。構わないですよ」
キラキラとした表情に幼い子供を騙しているような気分に苛まれ翼の心は少し痛んだがそれに踏ん切りをつけるかのように杏鈴の手のひらにそっとACを乗せる。自身の時とは異なるぽわんとした青色の光が灯ると杏鈴の左胸に伸びて行き潜り込んだ途端に消散したのだった。
「びっくりした……光る、時計?ですか?」
「……えーと、そうですね。最新のLEDライトが組み込まれていて、その、気まぐれに光り飛ぶ事があるんですよ。これ、あの、もらって下さい、その、プレゼント、です」
「プレゼント?」
翼が左腕を捲くり見せると、杏鈴が軽く笑った。
「まさかのお揃いなんですね」
「……えーと……
「知らなかった。わたし流行に
左腕にそれを巻きつける杏鈴を見ながら結局踏ん切りがつかない翼の心は痛み、その中身は“申し訳ない”というワードで溢れ返っていたが、それを掻き消すように翼は自身のガラゲーを取り出した。
「……すみません。友人に電話してきます。少しだけ待っていてください」
杏鈴に断りを入れると、出来るだけその場から離れるように翼は歩き出した。
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