二章:Crystalニ選バレシ者タチ
◇7.ブックに宿りし精霊
しん、と静まり返った部屋の中。吹き込んでくる潮風だけが、やけに大きな音を立てて響いている。
「この本、見えるよね?」
「他の人には見えない。この本はブックって呼ぶんだけど、さっきも言った通り、選ばれし者にしか見えないものなんだ。言ってしまえばオカルト本だよ」
缶ビールに手を伸ばし、さらに酒を仰ぐ誠也を先程のように止めたいところだが、とてもそう出来る空気ではないことを、優と翼は悟っていた。
「あ、あの! 質問、いいですか?」
徐に、
「その、あの……他の人に見えないって言うのは、ここにいる、とりあえず俺達五人以外にはって言うこと、だよね?」
「そう」
「でも、それって、他の人に見えないって、どうやって分かったのかなぁと言いますか……」
「もし、信じれないなら君のお母さんに今、ここへきてもらう?」
「え! い、いや、そ、それは、ちょっと、す、すみません」
どんどん声を弱々しくしていき肩を丸めてしまった航に、ふぅっと誠也は息をついた。
「僕はとある日、公園にいたんだ。その公園で、子猫を見た。その子猫は綺麗なグレーの毛並みをしていた。一見普通の子猫かと思ったけど、うさぎのような赤い目をしていて、首元には黒いダイヤモンドのような模様、もっと目を凝らして見たら、頭頂部の辺りの毛に青、黄、緑、紫の四色が
誠也の語ったエピソードが、脳内を巡る。
ズキッ
優の左目の奥が軽く痛んだ。心の中がザワザワと落ち着かなくなる。その猫を、どこかで見たことがあるような気がするのだ。
はっきりと思い出せない違和感に優は首を軽く傾げたが、お構いなしに誠也の話は進んでいく。
「僕は、ブックを落としものだと思って、周囲を歩いていた老人に声をかけた。その老人はどうしたと思う? 僕の両手を包み込むように握ったんだ。それもそっと、ただの握手さ」
ふふ、と輝紀が少し吹き出したが、三人の口元はピクリとも揺らがなかった。
「つまり、老人には僕の手元は空っぽに見えていたんだ。僕が戸惑っていると、ブックは突然、大きな光を放った」
「あのさ」
優は閉じていた口元を開いた。
「誠也って、本当に俺と初見か?」
誠也の眉がピクッと怪訝そうに動いた。
「初見、ですが、何か?」
「……パクられた」
「とりあえずてめぇは空気読んで十秒ぐらい黙れ」
ひそっといらないことを呟いてきた
「優、どうしてそう思ったの?」
輝紀が不可解そうな表情をしている。
「あ、や、何か、俺も見たことある気がするんっすよ、今の話の猫」
「え!?」
誠也、輝紀、航の表情に驚きが満ちていく。
「その気持ちわりぃ本がすっげぇ光ったのとかも、何だろ……上手く思い出せないんっすけど、もしかして誠也と一緒に見たのかな、なんて」
「いや、優くんの姿を、あの日見た覚えはないな」
「……だよなっ。すんませんほんっと。多分、勘違いっす。今の全部忘れてくださいっ」
にかっと笑い、あっさりと引いた優に対し、輝紀の表情は苦いままだ。
すると、翼が何かを思い出したように輝紀を見やった。
「……あの」
「ん?」
「……何先輩でしたっけ」
優が再び翼に対しデジャブの行動を起こす。輝紀がフッと微笑んだ。
「
「……西条先輩と、俺は初見ですか?」
「え!?」
その発言に今度は優、航、誠也が驚く。
「どうして?」
「……さっきガソリンスタンドで、俺の名前、知っていましたよね?」
「あ! 確かに! そうだよねぇ!」
その場面を思い出した航は声を上げ、翼と目を合わせて頷いた。
「あぁ、すまなかったね。不気味な思いをさせたかな。
さらっと輝紀から述べられた回答に、翼の肩はピクッと小さく跳ねた。
「……全然、知らなかった」
「うん。でも、僕も誠也くんも、君のことは知らなかったんだ」
「え、どういう意味っすか?」
混乱し始めた優の傍らで、輝紀からの目配せを受けた誠也は静かに腰を下ろすと、ブックを全員が平等に眺めることが出来るように、部屋の真ん中辺りに置いた。
改めてじっと見つめていると、気味の悪さが増してくる。
ぶるっと身震いした航が、誠也を不安気に見つめた。
「それはね、この本が教えてくれたんだ。ここからは僕が説明するより早いから、今から開けるね」
誠也がブックの表紙を持ち、淡々と捲り上げようとしたその手を思わず優は鷲掴みにしていた。
「ちょっと待ったあ誠也!」
「何?」
「正直に言う。俺の感想。不気味、怖い、話しがよく分からねえ!」
「大丈夫、これ捲れば分かるようになるからさ」
「いやいやいやいやっ! っつーか、気がついた。今日ってよく考えりゃエイプリルフールじゃねえか! 冗談なんだろ全部! だからお前も水でも飲んで冷静になれ!」
翼と航の表情が一瞬明るくなったような気がした。しかし、ギリッと優を強く睨み返すと、誠也は酔いが回っている人間とは思えない力で、優の手を握り潰すように掴み返してきた。
「いっでぇ!」
「時計を見てよ」
誠也が空いている方の手で指した壁かけ時計は、〇時二十分過ぎを堂々と示していた。
「……四月二日だな」
「そんなぁ」
翼と航の表情は再び暗さを取り戻すこととなってしまった。
「そんなことを言われるかと思ったから、僕はちゃんと時計を見ながらこの話は〇時きっかりから始めたけどね。エイプリルフールに関して言えば、四月一日の午前中にしか嘘をついてはいけなくて、さらにその嘘のネタばらしまで午前中に終わらせなければいけないっていう説もあるくらいだよ。そう言うわけで優くん、僕は至って冷静だよ」
「か、賢い……す、すみませんでした……」
優は静かに引き下がると、呆れた視線を送ってくる翼に小さく舌打ちをし、向こうを向けと指示をするように首を同じ方向に二回振った。
「とにかく、この本を開ければ、分かるから」
バッと間髪いれずに、誠也はブックの表紙を、思い切り捲り上げた。
「うわっ!」
パァァァァと広がり始めた黄金色の光。
眩しくて堪らなくなり、ギュッと目を瞑った。
じわじわと光が消えいくのを感じ、恐る恐る目を開けると、優、翼、航はその光景に驚愕し、身体を硬直させた。
目の前で開かれた本の白いページの上には、それはそれは小さな男の子がちょこんと座っていたのだ。
ひょいっと立ったその背丈は十センチばかりであろうか。猫耳のついたグレーの帽子に、青、黄、緑、紫のグラデーションに染められた髪の毛。黒いダイヤモンドの形が胸元に描かれた大きめのワンピースと足元のタップシューズは帽子と同じグレー色。さらにその背中には、白い天使の羽が生えており、
まるで先程の話の中に登場した子猫の姿のようだ。
声を発したくても驚きのあまり言葉が出ない。目の前で、明らかに普通でない事例が起こっている。それだけは、認めざるを得ないようだ。
「お待たせ。フォールン」
誠也がそう呼びかけると、男の子はこくんっと可愛らしく頷いた。
『おはようございますセイ様、あれ? 何だか雰囲気が普段と違いますね。お顔が真っ赤』
「ああ、えっと、ちょっと、お酒飲んだからかな」
『も~、飲みすぎはいけませんよ~。あれ? テルキ様もいらっしゃったのですねっ。おはようございます』
「おはよう。フォールン」
ブックの近くに寄り、穏やかな表情で誠也同様、男の子と普通に会話を交わしてのける輝紀に、三人は好奇の目を向けることしか出来ない。
『ん? あれ? もしかして、残りの
男の子が、小さな
三人は思わず座ったままにして、いくばくか退いてしまう。
「そうなんだよ、ごめんね。まだ、見つけられていなくって」
『そうですか、あとどのくらい、かかりそうですか?』
「うぅん、そうだな~……」
黙りこんでしまった誠也に、フォールンは笑顔で頷いた。
『分かりました。同じ説明を繰り返すのは時間がかかりますし、纏めて出来たほうがいいですね。とりあえず今日は三名のかたには概要だけお伝えして、残りのMemberを探してきてもらうことにしましょう』
「分かった。ありがとうフォールン」
ポカーンとしている間に、どんどん進んでいく誠也と男の子の会話。分かるばかりか、益々ついていくのが困難になっているように感じられる。
くるんっと素早く身体を回転させ、男の子が三人の方を向き、片膝を折るようにしてワンピースの裾を広げ、深々と頭を下げてきた。
釣られるように三人も、視線は男の子を捉えたままで軽めに頭を下げた。
『初めまして。わたくしの名前はフォールンと申します。このブック、“Crystal”に宿った精霊であり、この
感情のあまり籠っていない拍手の音を口ずさみながら、小さな手をパチパチパチと何度も合わせる
瞬きひとつせず、三人は硬直したままだ。
『あれ? 固まってます? そりゃそうですよね。そんなビー玉みたいな目にもなりますよね。目の前で今こうやって話しているわたくしの存在を否定したくてたまりませんよね。し・か・し、わたくしの存在は消せない事実。では、そんな皆様と早く仲よくなるために、こちらをプレゼントしちゃいます。えいっ』
フォールンが右手の人差し指を魔法使いの持つステッキのように軽やかに一振りすると、三人の右手のひらと左手のひらから左手首、そのまま胸元まで強めの光が龍の如く通過していった。
「はっ!? な、何だこれっ!」
優の口から大きな動揺の声が飛び出たのも無理はない。
輝きを終えた左腕には、角度により透明な水晶のように光を反射する謎の腕時計が巻きついていたのだ。時計針はブックの雰囲気と同じで、光り輝く水晶と合わないレトロなデザインをしている。
右手のひらに現れたのは口の開いた茶色の小箱。その中に敷かれたクッションの上に自身達の左手首についた腕時計と全く同じものが置かれている。
嫌な予感が背筋をなぞる。
「……二個もいらないのだが」
「いや、そこじゃねぇだろ! もっと疑問に思う箇所いっぱいあるわ!」
「あの、フォ、フォールンさん? これ、何ですかぁ?」
びくびくしながら航が問うと、フォールンはあどけない表情で笑ってみせた。
『これは、
一瞬の間を破り、翼が右手と左手をぐっとフォールンに向け、前に突き出した。
「……返品します」
『返品不可です♪』
「じゃ、じゃあ交換して下さい!」
「アホか! それじゃ意味ねぇだろ! さらなる新品手元にくるわ!」
的確な優のツッコミにハッとする航。飲み込めなさすぎる状況に、平常心は遥か遠くへ飛んでいってしまっているようだ。
「つーか、こんなもん取ってポイッてしちまえば済むことじゃねぇか!」
「そ、そっかぁ! 優くんナイス」
ガチャガチャと左腕から
「大体本開けば分かるって言ってたわりに益々不審だし意味が全然分かんねぇんだよ! 子供騙しでもしたいだけか……!?」
「ひっ!」
優の口は塞ぎ込まれ、変わって航の口から小さな悲鳴が上がった。
光を放ちながらじわじわと追い詰めるように優の左手首と右手のひらの上に投げ捨てる前と全く同じ状態で復活を遂げたソレら。翼の瞳孔もハッと見開いた。
『逃げられませんよ』
少し低めに仕立て上げた声で、脅すようにフォールンは言い放った。
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